第28話 【表通り】
(困ったわね……)
光恵は気付かれないように、そっとため息を吐いた。
「光恵さん、おかわり!」
光恵の目の前では、おいしそうにご飯を頬張るサッちゃんの姿があった。
「さ、サッちゃん、こんなに食べて大丈夫なの?」
光恵は、少し柔らかめに炊いたご飯をよそい、サッちゃんに渡した。
「だって、光恵さんのご飯おいしいんだもん! いくらでも入っちゃう!」
サッちゃんはそう言って、受け取ったご飯を一心不乱にかきこんだ。
(本当に、困ったわ……)
光恵の目に映る、ご飯を頬張るサッちゃん――永渕早苗は、どう見ても20代の美しい娘だった。
まるで、いいとこのお嬢さんが、ホームレスのコスプレをしているとしか思えない。
(このテントじゃ……危ないわね……)
もし、こんな美人がホームレスをしているとバレたら、どんな目に遭うか想像に難くない。
かといって、手持ちのお金は……。
光恵は、ベストのポケットから、1枚の紙を取り出した。
【おはようございます。あなたの恩人、心の恋人、マリアです。やはり、病気は治せませんでしたので、病気のない身体に、戻しておきました。ちょっと、戻しすぎたのはご愛敬です。いえいえ、皆まで言わずとも、感謝を伝えたいのはわかっています。このまま、借りを作りっぱなしだと決まりが悪いでしょう。なので、あなた方の、全財産の半分を、お礼として受け取ることにしました。いやぁ、せっかく日本に来たのに、お金がなくて、おいしいものが食べられなかったので助かります。では、ごきげんよう、さようなら――あらあらかしこ あまつかまりあ】
――初めて、その手紙に気付いたときは、愕然とした。
昨夜の夢が現実だという証拠が、まさか、こんなお軽い感じで見つかるとは……。
そして、テントのわかりにくい場所に隠していた貯金は、お軽い手紙の通り、一円単位までキッチリ半分なくなっていた。
(いや、感謝はしてるのよ?)
光恵は複雑な表情をしている自分に気付く。
(まさか、ホームレスからお金を持って行くとは……。いや、感謝はしてるんだけど……)
あの、神秘的で荘厳な印象が、一気に世俗にまみれたように感じた。
(……いや、しつこいようだけど、感謝はしてるのよ?)
言ってくれれば、全財産だって、喜んで差し出しただろう。
でも……ねぇ?
「光恵さん、おかわりぃ!」
サッちゃんが、ほっぺにたくさんのご飯粒をつけて、ニパッと笑った。
それを見ると、今まで複雑な心境だったはずの光恵は……。
(……ま、いっか)
そう、思うのだった。
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テントにあるすべての食料を、ペロッと平らげたサッちゃんは、今、スヤスヤと眠っている。
新しい身体に、全力で順応しようとしているのだろか。
電池が切れたように眠りに落ち、安らかな寝顔で熟睡している。
その顔をずっと見ていたかったが、光恵にはやらなければならないことがあった。
(暗くなる前に、サッちゃんの服をどうにかしなきゃ!)
人は、その人の身につけているもので、簡単に評価を変える。
明らかに、自分よりランクの低い身なりをしていると、不思議なもので、その人物の、人となりまで格下と見なすのだ。
昨夜の少年達が、その最たる例である。
最下層の身なりをした美人――これほど欲望をぶつけやすい相手もいないだろう。
(それに……自分の服も……なんとかしなきゃね……)
光恵は、これから向かわなければならない場所を思うと、ズンと、気持ちが重くなった。
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(平日の昼間なのに、こんなに人がいるのね……)
光恵は、昼間の表通りを歩いた。
ここ数年で、初めてのことである。
行き交う人々からの視線は、感じる。
しかし、今までのような、蔑視、侮蔑、哀れみの視線ではない。
”変わった人だな”――程度の視線だ。
光恵の沈んでいた心が、いつの間にか弾んでいた。
まるで自分が、周りの人達と同じ立場になれた気がした。
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「いらっしゃいませっ~」
全国チェーンのカジュアル服販売店に入ると、店員が笑顔で接客してくれた。
それだけで……たったそれだけのことで、光恵は感動した。
涙がでそうになったのを、店員が心配そうに見つめてくれる。
光恵は、そそくさと逃げるように、婦人服売り場へ向かった。
目的の場所には、色とりどりの、綺麗な、穴の開いていない、汚れてない服が所狭しとおいてあった。
その、あまりの選択肢に、光恵は圧倒され目をパチパチさせた。
場違いな自分が恥ずかしくなり、また涙が出そうになった。
「なにか、お探しですか?」
呆然と立ち尽くす、光恵を見かねたのか、20代の女性店員が話しかけた。
「あ、あの……その……」
「あの……よかったら、適当に見繕いましょうか?」
店員は、口ごもる光恵の反応を、辛抱強く待ってくれた。
光恵は、つっかえながらも、大体の予算と目的のものを伝えた。
「任せて下さい! もう、お客さんを見かけたときから、ウズウズしてたんですよ!」
どういう意味だろう? と、疑問に思う光恵を、店員はあちこち連れ回した。
そして、山ほどの服を抱え、光恵を試着室へと案内した。
「まずは、この上下をお試し下さい」
そう言って渡されたのは、薄いピンクのシンプルなカットソーに、紺色のプリーツスカートだった。
(スカートなんて……)
光恵は、できれば、頑丈なジーンズがよかったのだが、店員のキラキラした目に気圧されて、ドギマギと試着室へと入った。
カーテンが閉まり、壁一面の大きな鏡の前に立ち、光恵は改めて愕然とした。
もし小さな頃から、食事、スキンケア、体型の維持など、あらゆることに気をつけて、ただ美しくあることだけを考えて成長したら、こうなっていただろう――その、完成形である光恵が、鏡の中にいたのだ。




