第8話 【困惑のトーキック!】
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サングラスの若者は、一部始終を見ていた。
下着姿になった女が、ロン毛男の前で、ゆっくりと腰を落とした。
そして一歩踏み出しながら、拳を突き出したのだ。
まるで、スロー再生を見ているように感じた。
そ動作が、あまりに滑らかだったからだろうか?
ロン毛のみぞおちに当たった拳は、おもしろいほど、身体にめり込んでいた。
手首を曲げてるのか?
「シッ!」
女が拳をめり込ませたまま、短く息を吐いた。
「ごふぇぇぇぇぇっ!!」
(はぁ!?)
ロン毛が、間抜けな声を上げて吹き飛んだ。
それも、数メートルも、だ。
サングラスは、笑いそうになった。
ロン毛の冗談だな……サングラスは、そう思った。
なにしろ、女の身長は、せいぜい160センチ、体重は40キロちょっとだろう。
それに対し、ロン毛の男は180センチ、80キロはある。
(ぷくく、ありえねぇだろ)
第一、飛ぶタイミングがズレていた。
拳がめり込んでから吹っ飛ぶまで、ゆうに1秒の間があったのだ。
(だ、ダメだ! もう我慢できねぇ!)
うつ伏せで、動かない演技までしている友人を見て、サングラスは噴き出した。
「ぶわっはっはっは! おい、マサ! お前の演技、下手すぎっだろ!」
サングラスが、倒れたロン毛の側へ行き、肩を揺すった。
「おい、もういいって! 早くやっちまおうぜ! がまんできねぇよ!」
しかし、まったく反応がない。
「おい、冗談は……」
さらに揺するが、返事はなかった。
ロン毛の身体は、完全に脱力していた。
なにか……なにかが、おかしい。
「お、おい!」
慌てて仰向けにすると、ロン毛は白目を剥いて、こまかく痙攣していた。
口から血の混じった泡が、ぶくぶくと出る様と、地面に広がった長い毛が、子供のころ浜辺で捕まえたカニを連想させた。
「な……っ!?」
「ぐへぇぇぇっ!!」
(は……?)
異様な声のした方へ振り返る。
「う゛ぇぇぇぇぇっ!!」
金髪の男が四つん這いになり、口から大量の内容物を吐き出していた。
(ハァ?)
サングラスは、一度サングラスを上げ、つぶらな瞳をこすった。
しかし、目の前の景色はなにも変わらなかった。
悶絶する金髪の横では、肌を大きく露出させた女が、ニヤニヤと嗤っている。
「ぐぇぇぇぇぇぇ……」
「だまりなさい」
「ぶべぇっ!」
女が笑顔のまま、金髪の顔面を、つま先で蹴り上げた。
80キロはある男の巨体が、まるで冗談のように宙を舞った。
その後を追うように、何本もの折れた歯が飛んでいるのをみて、サングラスは、また笑いそうになった。
「あらあら、お軽い男はよく飛ぶこと」
女が、ケタケタと嗤った。
背中から地面に落ちた金髪は大の字になり、ピクリともしなくなった。
「あとは、あなた独りだけ……なのね」
女は、サングラスを悲しそうに見つめた。
大事に食べていたお菓子が、残りひとつだけ……そんな目で、サングラスを見ている。
距離は2メートル。
走って逃げるなら、これが最後のチャンスだった。
「こ、こ、こいつ……」
サングラスは、逃げずに、後ろポケットへ手を伸ばした。
しかし手が震えて、目的のモノがなかなか取り出せない。
「慌てないの。大丈夫よ。ここで待っててあげる」
女は、言葉の通り、その場を動かなかった。
(女のくせに、なめやがって! なめがやって!)
女があくびを終える頃、サングラスは、やっと目的のモノを、取り出した。
(女のくせに! 女のくせに! 女のくせに! 女のくせに!)
今までも生意気な女は、何人かいた。
だが、二、三発殴れば、全員泣きながら許しを請うてきた。
きっと、こいつもそうなる。
そして、サングラスは、そういうタイプの女を、殴りながら犯すのが大好きだった。
シャラシャラシャラシャラ、パチン。
手に持ったモノを器用に操ると、それは一本のナイフになった。
サングラスの気が、とたんに大きくなる。
手に持ったバタフライ・ナイフは、どこまでも心強い。
「あら、バタフライなんか持って、悪い子ね。お巡りさんに捕まっちゃうわよ?」
女の言葉で、大きくなったばかりの気が一瞬でしぼんだ。
手に持ったナイフが、とたんに頼りなく感じる。
今の状況は、まるで現実味がなかった。
女の反応が、サングラスの予想とあまりに違う。
ナイフを持った男を前にして出るセリフとは、到底思えない。
「う、うるせぇ! 内心ブルッてるくせに、余裕ぶっこきやがって!」
サングラスは、せっかく自分のなかに芽生え始めた直感を、震えながらねじ伏せた。
「きゃっ! お願い……乱暴しないで……」
女が両手を口に当て、目を見開いた。
見ると、全身が細かく震えている。
今までの余裕な態度から一転、サングラスの期待通りの反応である。
(へ? び、びびらせやがって! こいつも結局は、今までの女と同じじゃねぇか!)
サングラスは、激しくイヤな予感がしたが、結局、女の仕草を自分の都合のいいように解釈した。
それほどまでに、女の白い肌は魅力だった。
「へ、へへ。今更びびっても、遅せぇんだよ。これで、お前の服を切り裂いてめちゃくちゃに犯してやる! ふ、ふへへへへっ」
このセリフで、女の震えがピタリと止まった。
サングラスのセリフは、女が待ち望んだものだった。
女がそう仕向けたのだ。
サングラスがそれに気付いたのは、ずいぶん後になってからである。
女が口を押さえたのは、怯えたからではない。
堪えきれず、笑った形になる唇を、隠すためであった。
サングラスには、女の手に隠れた、さらにニンマリと、裂けるほど両端がつり上がる唇は、見えなかった。
それは、これから行われることに対する躊躇が一切なくなった瞬間――つまり、蹂躙開始の合図であった。




