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ハナコさん、暴れすぎッ!  作者: 鷲空 燈
第2章 『狂気の狭間』【馬殿美冬】
10/49

第8話 【困惑のトーキック!】

 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 


 サングラスの若者は、一部始終を見ていた。

 下着姿になった女が、ロン毛男の前で、ゆっくりと腰を落とした。

 そして一歩踏み出しながら、拳を突き出したのだ。

 まるで、スロー再生を見ているように感じた。

 そ動作が、あまりに滑らかだったからだろうか?

 ロン毛のみぞおちに当たった拳は、おもしろいほど、身体にめり込んでいた。

 手首を曲げてるのか?


「シッ!」


 女が拳をめり込ませたまま、短く息を吐いた。


「ごふぇぇぇぇぇっ!!」


(はぁ!?)


 ロン毛が、間抜けな声を上げて吹き飛んだ。

 それも、数メートルも、だ。

 サングラスは、笑いそうになった。

 ロン毛の冗談だな……サングラスは、そう思った。

 なにしろ、女の身長は、せいぜい160センチ、体重は40キロちょっとだろう。

 それに対し、ロン毛の男は180センチ、80キロはある。


(ぷくく、ありえねぇだろ)

 

 第一、飛ぶタイミングがズレていた。

 拳がめり込んでから吹っ飛ぶまで、ゆうに1秒の間があったのだ。


(だ、ダメだ! もう我慢できねぇ!)


 うつ伏せで、動かない演技までしている友人を見て、サングラスは噴き出した。


「ぶわっはっはっは! おい、マサ! お前の演技、下手すぎっだろ!」


 サングラスが、倒れたロン毛の側へ行き、肩を揺すった。


「おい、もういいって! 早くやっちまおうぜ! がまんできねぇよ!」

 

 しかし、まったく反応がない。

 

「おい、冗談は……」


 さらに揺するが、返事はなかった。

 ロン毛の身体は、完全に脱力していた。

 なにか……なにかが、おかしい。


「お、おい!」


 慌てて仰向けにすると、ロン毛は白目を剥いて、こまかく痙攣していた。

 口から血の混じった泡が、ぶくぶくと出る様と、地面に広がった長い毛が、子供のころ浜辺で捕まえたカニを連想させた。


「な……っ!?」


「ぐへぇぇぇっ!!」


(は……?)


 異様な声のした方へ振り返る。


「う゛ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 金髪の男が四つん這いになり、口から大量の内容物を吐き出していた。


(ハァ?)


 サングラスは、一度サングラスを上げ、つぶらな瞳をこすった。

 しかし、目の前の景色はなにも変わらなかった。

 悶絶する金髪の横では、肌を大きく露出させた女が、ニヤニヤと(わら)っている。

 

「ぐぇぇぇぇぇぇ……」

「だまりなさい」

「ぶべぇっ!」


 女が笑顔のまま、金髪の顔面を、()()()()蹴り上げた。

 80キロはある男の巨体が、まるで冗談のように宙を舞った。

 その後を追うように、何本もの折れた歯が飛んでいるのをみて、サングラスは、また笑いそうになった。


「あらあら、お軽い男はよく飛ぶこと」


 女が、ケタケタと(わら)った。

 背中から地面に落ちた金髪は大の字になり、ピクリともしなくなった。


「あとは、あなた独りだけ……なのね」


 女は、サングラスを悲しそうに見つめた。

 大事に食べていたお菓子が、残りひとつだけ……そんな目で、サングラスを見ている。

 距離は2メートル。

 走って逃げるなら、これが最後のチャンスだった。


「こ、こ、こいつ……」


 サングラスは、逃げずに、後ろポケットへ手を伸ばした。

 しかし手が震えて、目的のモノがなかなか取り出せない。


「慌てないの。大丈夫よ。ここで待っててあげる」


 女は、言葉の通り、その場を動かなかった。


(女のくせに、なめやがって! なめがやって!)


 女があくびを終える頃、サングラスは、やっと目的のモノを、取り出した。


(女のくせに! 女のくせに! 女のくせに! 女のくせに!)


 今までも生意気な女は、何人かいた。

 だが、二、三発殴れば、全員泣きながら許しを請うてきた。

 きっと、こいつもそうなる。

 そして、サングラスは、そういうタイプの女を、殴りながら犯すのが大好きだった。


 シャラシャラシャラシャラ、パチン。


 手に持ったモノを器用に操ると、それは一本のナイフになった。

 サングラスの気が、とたんに大きくなる。

 手に持ったバタフライ・ナイフは、どこまでも心強い。


「あら、バタフライなんか持って、悪い子ね。お巡りさんに捕まっちゃうわよ?」


 女の言葉で、大きくなったばかりの気が一瞬でしぼんだ。

 手に持ったナイフが、とたんに頼りなく感じる。

 今の状況は、まるで現実味がなかった。

 女の反応が、サングラスの予想とあまりに違う。

 ナイフを持った男を前にして出るセリフとは、到底思えない。


「う、うるせぇ! 内心ブルッてるくせに、余裕ぶっこきやがって!」


 サングラスは、せっかく自分のなかに芽生え始めた直感を、震えながらねじ伏せた。

 

「きゃっ! お願い……乱暴しないで……」


 女が両手を口に当て、目を見開いた。

 見ると、全身が細かく震えている。


 今までの余裕な態度から一転、サングラスの期待通りの反応である。


(へ? び、びびらせやがって! こいつも結局は、今までの女と同じじゃねぇか!)


 サングラスは、激しくイヤな予感がしたが、結局、女の仕草を自分の都合のいいように解釈した。

 それほどまでに、女の白い肌は魅力だった。


「へ、へへ。今更びびっても、遅せぇんだよ。これで、お前の服を切り裂いてめちゃくちゃに犯してやる! ふ、ふへへへへっ」


 このセリフで、女の震えがピタリと止まった。

 サングラスのセリフは、女が待ち望んだものだった。

 女がそう仕向けたのだ。

 サングラスがそれに気付いたのは、ずいぶん後になってからである。

 女が口を押さえたのは、怯えたからではない。

 堪えきれず、笑った形になる唇を、隠すためであった。

 サングラスには、女の手に隠れた、さらにニンマリと、裂けるほど両端がつり上がる唇は、見えなかった。

 それは、これから行われることに対する躊躇が一切なくなった瞬間――つまり、(じゆう)(りん)開始の合図であった。

 

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