6.冗談と本気と零点
あれから柳田とは完全に決裂してしまったのかもしれない。もう一週間ほど話していなかった。
そして相変わらず休み時間や放課後に柳田が小野田の近くにいて話しかけているのを見る。見る限り小野田の表情はどんどんほどけていってて、仲良くなっているのを感じる。
今も、外の芝生で小野田が絵を描いている少し後ろに柳田が座り込んで何事か話している。
気にならないと言えば嘘になるけれど、柳田の言った通り、それに憤る理由も権利も俺には無い。柳田が彼女と別れていないならそれは問題ではあるが、それだって柳田の彼女が言うべきことで、俺が嘴を突っ込むことでは無いのだ。
小野田の顔を遠くから観察する。
確かに、小学校の頃の印象のまま来てしまっていたけれど、改めてちゃんと見ると今の彼女はあの頃とは違って高校生だし、きちんと成長していた。もちろん飛び抜けた派手さは無いけれど、充分女の子らしくて可愛いと思う。
最初は余計な情報を与えて、小野田に迷惑をかけることになったと思った。
彼女は柳田がいつも付き合うタイプと明らかにちがうから。遊びでちょっかいをかけようとしているのだと。
けれど、それが続くとまた考えが変わる。もともと柳田は冗談と本気の区別のつきにくい男だ。いつもとちがう、だからこそ彼の思惑は知れない。
それに、見る限り小野田だってべつに迷惑そうにはしていない。あんなに短期間で男子と仲良くなっているのなんて初めて見た。
俺、何やってんだろ。
うつろな気持ちで授業を受けて、なんとなくここの所元気が出ない。トイレに行って顔を洗ってまた廊下から窓の外を見た。
「健介くん」
後ろから声をかけられて驚く。俺のことをそんな呼び方をする人間は学校内でひとりしかいない。振り向くと思った通りそこには小野田が立っていた。
「お、おのだ……さん!」
柳田に色々言われて混乱してたせいか、妙なさん付けになった。彼女の表情がちょっと曇った。あれ、さん、付けない方が良かったのか? 分かんねえ。
だけど、そう思っているうちに、気のせいみたいに彼女は控えめな笑顔を取り戻した。
「あの……最近元気ない、かな、と思って」
「いや……」
急にどうしたんだろう。ふだん廊下で顔を合わせても、会釈をする程度で、向こうから話しかけてくることは殆んどなかった。少し怪訝に思う。
柳田と話している姿が浮かんだ。
それを思い出したらちょっと構えてしまった。
小野田はあいつといつもどんな話をしているんだろう。どこまで仲良くなったのだろう。
柳田と仲良くなったから男と話しやすくなったのか、とかあるいは気安くなった柳田の友人である俺にも急に話しかけて来たのか、とか。あるいは柳田のことを聞きにきたのかとか。いくつもの余計なことを考えて、少しムッとした。
「べつに、なんもないよ……元気だよ」
小野田は少し困ったような顔ではにかんで続ける。ここ数日でなんだか急に可愛くなったように感じられて、それがまた嫌な気持ちにさせる。
「でも、あのね、柳田君が……」
出されたくない名前にカッとなる。
しゃべりのゆっくりな小野田の声を遮って言った。
「べつに元気なくないし! なんかあったとしても小野田には関係ないだろ!」
思わず語調が強くなってしまった。小野田はだいぶびっくりした顔をして、瞳を揺らして二、三歩後ずさった。彼女の表情がさっと青ざめていく。
「ご……ごめんね。柳田くんが、け……周防くんが元気無いって言うから……その」
最初は慌てたようだった早口が、だんだん語尾を小させて行く言葉を聞きながら顔を上げて小野田の顔を見た。
「あの、ごめんね……」
震え声をもらす小野田の瞳から、唐突に涙が一粒ぽろりと落ちた。
びっくりして動きがとまってしまった。
急ぎ足で彼女が慌てたようにバタバタと去った後も呆然としていた。
俺、今なにやったんだ。
心の中いっぱいに苦い罪悪感が広がっていく。
その時廊下の端から「零点」と声が聞こえて振り返るとへらりとした柳田が立っていた。いま一番見たくない顔に黙って睨み付ける。
「周防さー、何イライラしてんの」
「うるさいな」
「なんも思ってないなら八つ当たりなんてすんなよ」
「……」
「お前俺に言われて意識したからって、意地はってんだろ」
「意地……?」
張っていただろうか。分からない。
ただ、ずっと混乱していた。
「小野田ちゃん可哀想にすごい怯えてたよ」
「小野田ちゃん?」
「うん、綾ちゃんて呼んでいい? って聞いたら却下されちゃったから」
いちいちムカつく野郎だ。でも、それだって、こいつの勝手だ。
黙って対峙していたけれど、柳田が得意の溜め息を吐いた。
「なぁ、俺があの子狙うのは俺の勝手だけどさ、お前に止める理由があるなら、聞かなくもないよ。俺はまだ引き返せるから」
言葉もなく柳田の声を聞いた。
「周防、ここ一週間、何考えてた?」
「……」
言われて思い返すと、小野田のことばかり考えていたかもしれない。
昔の彼女、今の彼女。何を考えているのか。そんなことばかり。
「とりあえずお前のやったこと最低だからね。勇気出して話しかけた相手にものすごい顔で怒鳴ったりして」
「え、すごい顔? そ、そんな?」
「自分がどんな顔してるか鏡で見てこいよ」
言われて今度は一気に焦りの感情がわいてくる。
さっき見た小野田の悲しそうな顔がぐわっと浮かんだ。
ヤバい。何やってんだ俺。
柳田の「だからモテないんだよ」の声を背中に聞きながら駆け出す。
走りながら色んなことが頭を去来する。柳田が意外と本気っぽかったこととか。さっき小野田に「周防くん」と名字で呼ばれて少し悲しくなったこととか。でもそれは俺が先に名字で呼んだからで。
一瞬で消えて行く思考を振り払うように走り抜ける。
隣のクラスの扉が見えた。勢い良く駆け込んで叫んだ。
「あやちゃん!!」