4.スケッチブックと馬鹿
また別の日の放課後、俺は柳田の席に行った。
「周防、俺明日は駄目だからね」
ため息混じりにそうこぼす柳田の彼女は吹奏楽部で、平日稀に部活動が休みの日があるのでその日は彼女との約束があるらしい。最近だいぶ付き合わせている自覚があったので、わがままは言えない。
廊下を歩いて昇降口を出ると少し遠くの芝生に知った顔が見えた。駆け寄って声をかける。
「よう、小野田! 久しぶり! 何描いてんの!」
小野田綾は小学校からの同級生で、何度かクラスが同じになったこともある。
彼女は小柄で大人しくて、一部のお洒落で派手な女子と違っていつも控えめで地味にしている。セックスアピールが強くないというか、いかにもすれていない彼女は気心も知れてて、俺が構えずに話しかけることが出来る数少ない……いや、ほとんど唯一の女子だった。
昔から美術部で熱心に絵を描いていた彼女は高校でもやはり美術部に入ったらしく、今もスケッチブックを手に近くに咲いている秋の花を描いていた。
急に話しかけられてびっくりしたのか小野田は目をきょろきょろさせた。小動物みたいで見てると微笑ましくて頬がほころぶ。
近寄ってスケッチブックを覗き込むとぱっと隠してしまう。見られたくないのだろうと、身体を離した。
「ごめん、でも頑張ってるんだな」
スケッチブックで顔を隠すようにしてる彼女が目だけ覗かせて俺を見る。
「うん……健介くん……」
どこか戸惑った声をあげる彼女に「どうかした?」と声をかけると彼女はずいと身を後ろに引いて首を横にブンブンと振る。
「ううん……その、雰囲気変わったね」
「え、そう?」
最近柳田先生の教えに合わせて美容院にも行ったし、制服も前とはちがった感じに着ている。少しは垢抜けたということだろうか。嬉しい。
笑顔で頭を掻いて小野田に視線を戻すと、予想に反して暗い顔をしていた。
「なんかあった?」
「ううん、大丈夫だよ……」
「そう?」
「でも……あの、ありがとう」
すぐ背後にいた柳田に「行こう」と促してその場を離れる。しばらく行ってから「あれは?」と聞かれる。
「小学校からの顔見知り」
「名前呼びとか、結構仲良い?」
「いや、小学校低学年の時、クラスの先生の方針で下の名前で呼び合う風潮があって、そん時のなごり」
確か親が離婚して名字が変わった子がいて、その時に生まれた制度だった気がする。
さっきはあえて名字呼び捨てにしてみたけれど、俺も昔はあやちゃんとか呼んでた。
「あの子は? 彼氏いんの?」
「へ?」
「あの子のことは、どうも思わないの?」
考えたこともなかった。
俺の頭の中で“彼女”って、なんかもっと色っぽくて、いかにも恋愛するのが好きそうな感じで……。なんとなくぼんやりと、学校の中でも太もものムチムチした発育の良い女子を想像していた。
それに小野田とはずっと顔見知りだからお互いそういう気持ちを持っていないことも知っている。
薄いとはいえ友情がある相手にまでガツガツ行くのって、なんか失礼というか。正直そこまで見境なくしたくない。
そんなようなことをつらつらと言うと柳田は溜息をひとつ吐いて言った。
「お前、バカだな」
「な、なんだよ」
「お前やっぱ童貞捨てたいだけなんだろ。教えてやるけどな、女は人間だ」
「それくらい知ってるよ!」
「お前女は便所も行かないで一心不乱に髪の手入れして恋愛のことしか考えてないと思ってない?」
「そ、そこまで思ってねーよ」
「どうだか」
何か癇に障ったらしく柳田は不機嫌に言い募る。
「なぁ、周防。制服戻せば。髪型はさすがに無理かもだけど、呼び方もさん付けに戻しなよ」
「は? なんで。せっかく変えたのに嫌だよ! 柳田だってその方がモテるって言ったじゃんよ」
「ケースバイケースだよ馬鹿」
また馬鹿って言われた。
「小野田はそっちのが好きだと思うよ」
「だから、なんで小野田が出てくるんだよ。あの子とはそういうんじゃ」
柳田が何故そんなにこだわるのか分からない。小野田は、友達であってそういう対象じゃない。
そう思っていたのに、その後柳田が言った言葉にずっと頭が冷えた。
「じゃあ俺、あの子もらってもいい?」
顔を上げて見た柳田の顔は驚くほど無表情だった。