闇演舞
高校生活最後の大晦日ともなれば、将来の不安や、友と離れ行く寂しさによって、どこか憂鬱な気持ちになってしまう者が大抵であると思われるが、昏野黄太の面持ちは尋常ならざる険しさであった。
それは、彼が寒空の下に、白装束一枚で佇んでいるせいではない。昏野にとってこの日は、避けては通れぬ試練の日であった。
昏野の目の前で対峙する男、暁蒼佑にとってもそれは同じである。
二人はクラスメイトであり親友であったが、この日ばかりは目を合わせることさえなく、白を纏う両者の間には、焚き火の炎が今にも消えそうに揺らめいているのみであった。
そこは街外れの森林で、辺りを囲う針葉樹は天に向かって真っ直ぐに伸びている。この地域に雪が積もることはほとんどなく、微かにちらついている雪も、地面で揺らぐ残り火に照らされてはすぐに消えてしまう。
時間は午後十一時を回っている。夜空を覆う雲は氷山の如き冷たさで、月光の僅かな温もりさえも大地に届くことはない。
これから二人が行うものは、殺し合いに他ならない。
唯一無二の親友を、恨みも憎しみもなく、ただ定めの下に命の火を掻き消す。
それこそが、この現代日本において暗殺者の名を継ぐことであり、友の屍を踏み越え行く覚悟そのものだ。
にわかに強い風が吹いた。そして周囲は闇に包まれた。火が消えたのだ。
それが始まりだった。暗殺者を決める死闘の合図である。
暗闇の中で二つの影が、音もなく駈けた。
暁の得物は小刀だ。難なく懐へ忍ばせることが可能で、人体の急所を狙うにも十分な長さだ。
対して、昏野は素手である。友への手心ではない。最も信頼できる自身の五体のみを武器とする、それが彼の暗殺であった。
今や二人は、互いの命を奪うに足る必殺の間合いへと入っていた。
昏野が貫手を繰り出す。その鍛え抜かれた四本指は相手の喉を一撃で抉る。指が喉に触れようとする刹那、ごく僅かな空気の流れを感じ取り、暁は上体を横に傾けてこれを躱す。そのまま伸ばした腕で小刀を振り抜く。昏野は己の頸動脈を狙ったその斬撃を読み切り、体を横に向けつつ後ろに飛んで距離を取る。風で、木がざわめいた。
相手に触れる時は、殺す時。ぶつかり合うことなく闇で揺らめくは、死を舞う二つの白きの炎であった。
暁が身を屈めながら、懐に潜り込むように走る。そして脇腹を狙う高速の刺突を放つ。だが、昏野は地面を踏み抜く微かな音を聞き取り、真上に跳躍した。同時に相手の首を蹴り上げんとするが、これも闇を切った。暁の恐るべき柔軟性で、首だけがほぼ直角に横に曲がっているのだ。さらに暁は、空中で身動きが取れない昏野へ、再び必殺の刺突を繰り出す。しかし、昏野は辛うじて体を横向きに回転させてこれを躱した。白布が破ける音が響く。さらに、空中で無理な体勢を取ったため、どさりという音を立てて地面に体を叩きつけられてしまう。
昏野はそのまま体を転がすようにして距離を取ると、再び立ち上がった。
暁は勝利を確信していた。昏野のような素手の暗殺では、狙える箇所が乏しいのだ。だからこそ察知できる。負けることはない。
昏野は己の呼吸が僅かに乱れるのを感じている。常人では聞き取ることはできないであろう微かな呼吸音であっても、暗殺者にとっては致命的だ。無論、暁はこれを捉えている。努めて呼吸を整えようとする友の姿を。
休む時間など与えるはずもない。暁が一気に間合いを詰める。昏野は、暁の姿を、己の喉を貫かんとする殺意を、読み取ることができない。呼吸の乱れが、足音や空気の流れを感知することを妨げているのだ。今、闇を舞う炎が一つ、消えようとしていた。
一瞬であった。
月が一瞬だけ姿を見せた。
その月光が、暁の小刀をきらりと煌めかせたのだ。昏野は目を見開き、そして、動いた。
小刀の軌道を読み切った昏野は、倒れ込むように体を真後ろに倒すと、右脚で暁の首を刈り取った。骨が弾ける音が響いた。
否、まだ終わっていない。勢いが不足していた。
だが、倒れた暁が立ち上がることはもう無かった。頚椎を損傷していた。腰から下がぴくりとも動かないのだ。
昏野は今、暁の前に立っている。
暁が仰向けに倒れていることを、彼の暗殺者としての死を、昏野は感じ取っていた。
昏野は止めを刺さない。それは友を斃すことへの躊躇か、暗殺者として生きる宿命への抵抗か、あるいはどちらでもないのか、自分でもわからなかった。ただ、立ち尽くしていた。
暁もまた、困惑していた。
体が動かぬことに、ではない。今まで人生を共にしてきた昏野が、悲しんでいるのか、喜んでいるのか、その表情さえ、もはや感じ取ることができないのだ。彼は己の運命を悟った。
そして、震える両手で小刀を握り直すと、己の喉を突き刺し、うめき声一つ上げずに、目を閉じた。
この夜、月が何かを照らすことはもうなかった。立ち去る昏野の表情も、眠る暁の亡骸も。
鐘が、厳かに鳴り響いた。
日本最後の忍、ここに死す。
三人称とアクションの練習です。オチがこれしか思い浮かばなかった。




