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長いシリーズものとなりますが、ゆっくりとしっかりと更新をしていきたいと思います。
更新は不定期になりますが、よろしくお願いします。
序章 遭 遇
ある噂がある。
とある町、仮にF市としよう。この町は5年前の日本列島大地震の際に、街の半分が壊滅した。復興の見込みのなさから、旧市街地などと呼ばれ捨て置かれた廃墟群に、夜な夜な幽霊が出る。それは生き埋めになった被害者たちであり、また大地震と同じくして起きた大火災の被害者たちであり、彼らはみな飢えと渇きから「命を求めている」とか。
さらにある噂がある。
この幽霊の出ると噂の旧市街地で、呑気にもチャンバラをやっている音がする。それも木刀ではなく、キンキンと甲高い音を打ち鳴らす本物の剣であるだとか。
さらにさらに噂がある。
この旧市街地は大地震の影響で異世界に繋がっており、立ち入れば最後、2度と出てくることはできない…………
「ふーん……」
とくに興味もなさそうに片守由弦は鼻を鳴らす。
彼の手には長方形の薄型携帯端末機があり、彼の目はネットの書き込みを映すその画面がある。
そこには彼の住む町ではポピュラーな噂が自慢げに書き連ねられていた。
ネットの反応は興味津々であったり、由弦のようにどこか冷ややかなものであったりとさまざまだ。
由弦は目を通した内容になんの興味もなかった。今更過ぎる。文章を読みながら考えていたのは、「この噂を書き込んだのは間違いなく町の人間」であり「とても暇をしていそう」ぐらいのもので、それだけしか特に思うこともなかったので、「この文章も書いた人間もつまらない」という感想に辿りつき、「ふーん」と鼻を鳴らすだけに至ったのだ。
由弦はとくに用もなくバス停のベンチに腰掛け、道路を挟んで向こうの通りに目をやった。そこには窓に『松下塾』と書いた2階建ての建物がある。夜闇に緑色にライトアップされた看板が謳う進学率99%は、進学塾にはよくある売り文句で、これまたつまらないものだ。
由弦は携帯端末機で時刻を確認する。日付は5月27日……
「21時半まであと5分か。もうちょっと」
このもうちょっとというのが長い。
由弦は人を待っていた。待ち人が視線の先の塾に通っており、終わるのを1時間ほど前からただベンチに座って待っている。
今の自分は最高に暇人であり、最高につまらない。そんな自覚はあった。
時間を潰そうと思えばファミレスだとか、本屋だとか、歩を進めればなくはない。
由弦の住まうF市こと伏祇市は、自然豊かな地方都市であり幸いなことにパワースポットという観光資源に恵まれている。それらを壊さないように、自然と町のバランスを保ちながら観光地としての開発も進んでおり、若者の暇つぶしになるような娯楽施設もそれなりに存在はしていた。
観光地としての開発を進めるのなら、あの虚しい旧市街地とかいう廃墟群の片付けをどうにかしてくれという声は多い。しかし同時にあの場所を残し、災害の恐ろしさを後世に伝えるべきだという保存の声もあり、伏祇市は両者の意見を知りつつ有耶無耶にし、後で後でと過去の傷を大きく残したままにしているようだ。
きっと大人の事情というものだ。高校2年生の由弦には分からないものが、きっと複雑に絡み合っているのだろう。たぶん、おそらく。
「お」
由弦の手にあった携帯端末機が震える。
スリープモードになっていた黒い画面に、通知を報せる文字が浮かんでいる。
ソーシャルゲームのスタミナが回復したようだった。
これで残り時間を有意義に潰せるなとゲームを起動しようとした時……
「兄さん」
横から腕を突かれ、声を掛けられる。
見れば自分と瓜二つの顔が慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
「調、おつかれ」
「兄さんも1時間前からおつかれさま」
調は右手で眼鏡の位置を直しながら、そうおかしそうに言った。
「なんだ、見ていたのか」と言いながら、由弦は弟の右手に装着された青いリストバンドを見て目を細める。
双子の弟、片守調。彼は都内にある私立高校の制服を着ていた。皺ひとつない綺麗な白色のブレザーに、使い古された様子のない真新しいスクール鞄。優等生さが一目で分かる。対して双子の兄である由弦の現在の服装は、高校2年間を適当に連れ添った灰色のブレザーと雑に扱って角が潰れたスクール鞄だ。
由弦と調は一卵性の双子の兄弟であるが、通っている高校は私立と公立と違いがあった。2人は双子でありながら住んでいる家庭が違っていた。
片守の姓は由弦のものであり、調の現在の姓は正しくは仰木という。
兄弟の姓が別れたのは2年前だった。両親が離婚したのだ。原因は母親の浮気にあったが、そもそもの原因が亭主関白な父親の束縛だったように思う。あまり覚えてはいない。 双子の兄弟にとってみれば両親の離婚よりも、自分たち兄弟が引き離されたことの方が大問題であって、自分たちの知らないところで壊れていた両親の絆など、気にしている余地などはなかった。
始まりが同じなら終わりも同じである。兄弟以上、家族以上、自分の分身であるとすら信じていた相手を、奪われた悲しみは大きい。
由弦は塞ぎこみ、調の精神状態はそれよりも酷かった。
双子が離れて最初に迎えた晩である。調は新しい家族の前で、自分の右手首を切った。本人は本気で死ぬつもりであったようだ。迷いはなかったという。
そのことを母親から聞かされた時、由弦は激高をした。病室で、全てを拒絶するように堅く目を閉じて眠っている調の隣で、母親とその新しい男を詰りに詰った。吐けるだけの罵詈雑言を叩き付け、責めた。
そんなことがあってから、双子は実の両親公認で逢うことが許されている。そんなことがあったにも関わらず、双子が共に住むことを許さないあたりは、親の意地というか、家族に対する未練でもあるのかもしれない。
「僕が心配? 大丈夫、切ってないよ」
じっと自分の右手首を見つめる由弦に、調は微笑みかける。
「不安なら見る?」
リストバンドを外そうと調の手が動く。
由弦は直ぐに首を横に振った。
「いや、信じるよ」
言葉とは裏腹に、由弦は調を疑ってはいる。それでも見ないという選択をしたのは、自分の心の平穏のためだった。新しい傷が出来ていたら、なにをしてしまうか分からない。それが誰に対してなのか、なにに対してなのかは分からないが。
「……そう」
調は由弦の目を見つめ、諦めるようにリストバンドの位置を戻す。
「ほら行くぞ。今日もイドゥンでいいだろう」
「兄さんはあそこのホットアップルパイが食べたいんでしょう。一昨日も食べてた気がするんだけどな。ちょっと太ったんじゃない?」
「高校生は育ち盛りだから問題ありませんー」
他愛ない話をしながら2人は夜道を進みだす。2人が過ごせる時間には限りがある。移動している時間だって無駄にはできないと思えるほど、心は傷を負ったままだ。
去り行く2人を、闇夜には似つかわしくない1羽の鳥影が見送る。白い羽毛の鴉は翼を広げ、その白い姿を闇の中に溶かして消えた。
◆
イドゥンというのはファミレスだ。アメリカ人がオーナーをやっていて、安くて量があることが、伏祇市の高校生に人気だ。双子が逢って時間を過ごすのによく利用している。 店は木造二階建ての建物で、外観も内装も西部劇に出てきそうな酒場のようである。日本の街中にそんなものがデドンと存在している。不釣り合いといえばそれまでだが、味があるといえば売りのひとつになるようで、この店は伏祇市の観光スポットになっている。 もともとは旧市街地にあった店で、大災害の際に一度店じまいをしていたのが、ほんの1年前にめでたく復活を果たすことができたという背景があった。
「常連サン、コンバンワ。ご注文はホットアップルパイ?」
シャツと皮のベストの間から豊かな谷間を覗かせ、ホットパンツから伸びる良い肉付きの美脚を見せびらかし、店内の男子高校生の視線を奪う金髪碧眼の看板娘のヘレンは、片言の日本語で店のイチオシを宣伝して回っている。既に注文済みのテーブルにも寄ってくるので、そういう設定をされて動くゲームのNPCのようだ。
「もう食べてるぞ、エレン」
「ホントネー、ゴメンネー」
由弦がフォークに突き刺したアップルジャムのついた欠片を見せれば、エレンはテーブルを離れていった。
「兄さん、ちょっと手を貸して。このボス倒すのに属性の相性がよくないんだ」
エレンには一切の関心を示さず、調は携帯端末機でソーシャルゲームに夢中になっている。頼んだ料理もほとんど放置しており、コンソメスープから暖かな湯気はとうに消えていた。
「あ? おう、ちょっと待ってろー。リーダー変えてくる」
「よろしく」
「お前そのボスドロップした?」
「まだ手に入ってないよ。なかなか勝てないんだ」
「パーティの属性変えればいいだろ?」
「嫌だよ、お気に入りだし」
「ふーん。ほれ、サポート出したぞ」
「ありがとう、兄さん」
調は画面から顔を上げて笑った。
その笑顔が本当に楽しそうで、由弦は安心した。
由弦が自分の携帯端末の画面を見た。起動しているソーシャルゲームの画面が開いている。
ソーシャルゲームとは早い話が、ゲーム機に向かって1人でポチポチとやりクリアを目指すゲームとは違う。コミュニケーションツールを取り入れ、不特定多数の人間と交流、協力、競争を行うことができるものだ。
双子がやっているのはヴァルハラメイトというタイトルで、集めたキャラクターをエインヘリアルと呼び、そのエインヘリアルを育てて強化してパーティを組み、数々のミッションに挑むというよくあるものだ。エインヘリアルたちは自己の夢と存続理由を追い求めており、1人1人のシナリオも内容が濃いものになっている。システムよりも、キャラクターゲームとしての人気が高いようだ。
有り触れたソーシャルゲームのひとつ。
だがこのヴァルハラメイトには変わった噂がついて回っている。
「知ってるか? またメイトプレイヤーが死んだってよ」
「それネットの噂だろー」
背後のテーブル席の会話が、由弦の耳に入る。
調も興味があったのか、僅かに視線をそちらにやった。しかし直ぐに彼の目はゲーム画面に戻る。
「事故死とか自殺とか他殺とか、よくテレビでやってんじゃん。メイト関係なくない?」
「ちげーって。その被害者の手に携帯握られてて、その携帯にヴァルハラメイトのアプリが……」
伏祇市に住んでいる人間は未解決事件のニュースをよく耳にする。この町では死因不明な死体の発見が多く、また同じぐらいに行方不明者が多かった。死因が不明慮なものは全て『病死』『衰弱死』で処理をされ、行方不明者のことはそっと終わったことにされている。病院と警察の双方の力によって不祇市で起こる不審は有耶無耶にされていた。『謎の国家権力』が『秘密の組織』が動いていて、不祇市で怪しげな研究を行っているのではないかと、暇を持て余す者たちは語る。そんな噂の中に、死因や消息を有耶無耶にされてきた被害者たちは、『ヴァルハラメイトをプレイして殺された』というものがあった。ネットの掲示板の書き込みだ。根拠も信憑性はもちろんない。単なる思い付きのようにポンと発せられたこの噂は、あまりにも突飛だったせいか消えることなく歩き回り、一部の人間には虚偽でありながら真相のように扱われている。
ただ反応はさまざまだ。受け入れる者もあれば、拒む者がいてもいい。
「メイトとかやってるやつはやってるって。お前、なに? もしかして噂怖くてメイトやめた勢? マジで、受ける」
「笑うなよー、死にたくないだろー。絶対にそうなんだって、不祇市で死んだやつらみんな。みんなメイトに殺されたんだってー……」
ゲラゲラという笑い声と泣き言は、席を立って遠ざかっていった。
「兄さんは信じてる? さっきの」
「メイトプレイヤーが殺されるって? 意味が分からん。ただ遊んでいて殺される理由? なんだよ、それ。強いプレイヤーのアカウント狙い?」
「うーん、どうなんだろうね。まあ、怖いよね」
この話は終わりにしようと2人は同じ顔で笑う。
そこに元気な足音が近づいて来て、「よう」と声がかかった。
◆
調が警戒するように身を固くする。
「親成。バイト帰りか?」
由弦は友人を暖かく出迎えた。
王城親成は由弦の友人だ。高校2年に上がってから知り合った。人懐っこく誰にでも気さくに話しかける親成は、教室で目が合っただけで由弦のところにやってきて、構ってほしい犬のようにジャレてきた。髪が茶色いから、柴犬のように見える。最初は「なんだコイツ」と距離を保ちたいとも思ったが、ヴァルハラメイトをやっていることや、イドゥンのホットアップルパイが好物であることなど、話してみると趣味が合う。直ぐに打ち解けて今では気心知れた友人だ。
「兄さん、誰?」
「ほら、話しただろう前に。友達だよ」
人見知りがちな調は、双子の兄に気安く話しかけた謎の人物を未知の危険物体とでも認識したようで、親成の方を一度見て以降は、携帯端末機の画面ばかりを見ていた。
「この子が双子の弟くん?」
「そう。俺の双子の弟。調っていうんだ」
「へぇ、よろしくな。王城親成だ」
親成は握手を求めて出そうとした手を引っ込めた。触れない方が調のために良いと察したようだ。
「よろしく……すごい名前だね」
調はなんとか会話をやり過ごす術を探しているようだ。
「だろ? 王様って格好いいよな」
だが残念ながら親成はその会話に乗るし、乗った限りではここから離れてはいかないだろう。
「そういえば、調くんもメイトプレイヤーだっけ?」
「そうだけど……」
ヴァルハラメイトの話題になると調は少しだけ親成の顔を見た。
由弦は親成を見る。
親成は懐かしそうに目元を細めていた。おそらく「お前の双子の兄貴ともこんな出会いだったよ」などと心で語っていることだろう。
「どれどれ、どのエインヘがお好み?」
親成はエインヘリアルをなげーし言いづらいと、エインヘと呼ぶ。
「えっと僕は、これ……」
調は自分の携帯端末機の画面を親成に見せながら、騎士の姿をしたキャラクターアイコンを指で示した。
「強いよなー、こいつ。強い力で殴れるっていいよなー」
「でも属性ないと殴り辛くないか?」
「エインヘは好きなキャラでやってこそだってー」
親成の意見に調は両手を上げて賛成の様子だった。
由弦は悲しい。
「調くん結構エインヘもってんねー。集めてるの? 見ていい?」
「いいよ」
親成は調の隣に断って腰かけ、一緒になって同じゲーム画面を見ている。
「お兄ちゃんちょっと嫉妬」
「うるせーよお兄ちゃんは後でな」
放置されたことを抗議すれば、あっさりと親成に流されてしまった。悲しさから、エレンにホットアップルパイを再び注文する由弦だったが、「モウスグ、お店、シメルヨー」とオーダーは拒まれてしまった。お兄ちゃんはとても悲しい。
「ロキ……」
「え」
低い親成の声に、戸惑うような調の反応があった。
親成は画面を凝視しており、調はそんな親成を見て表情を強張らせている。
楽し気に続いていた会話は途切れ、重い空気が降りている。
「なにが、あった?」
問いには視線すら返らなかった。
「調くん、どうしてロキを? お前もしかしてゲートアプリ所持者じゃ……」
親成が調を見る。
「!」
調は守るように携帯端末機を胸に抱き、自分の隣に腰かけて退路を塞ぐ親成から、なんとか距離を保とうと壁に体をくっつけていた。
その目は恐怖で固まっていた。
「どけ!」
由弦は親成のベルトと制服のズボンを引っ掴んで、強引に席から退かした。
ドスンと床に親成が倒れ、エレンから「ワオ!」だとか「フゥ!」だとか驚きの声が上がる。
「調!」
由弦の呼び声に弾かれるようにして、調は走り出した。荷物と携帯端末機を握って、全速力で外に飛び出して行った。
追いかけようとしたが、脱兎のごとく闇夜に飛び出した調の姿は見つからない。直ぐに電話をかけてみるが、出る気配はない。
クソっと悪態をついて、身を起こした親成を睨む。
「親成、お前なにをした」
「なにもしてはいないけど。なんかしたことにはなるんだろうな、あの反応じゃ」
「ゲームの話してたんじゃなかったのか」
「してたよ、してた」
「ロキって、なんだ」
親成の目が細まる。人を見ることに長けた目が、由弦を捉えていた。歴戦の戦士が、目の前に現れた村人を、敵か味方かあるいはそれ以外であるのかと探っているような。それはおそらく先ほど、調も向けられていたものだ。
心の知れた友人を由弦は怖いと感じていた。
「知らないんだな? お前は」
「知らないよ。そんなエインヘリアルいんのかよ」
「……お前、ヴァルハラゲートって聞いたことあるか?」
「ゲート?」
ロキもヴァルハラゲートも、由弦には馴染のない言葉だった。
「知らない」と告げれば、「そっか、良かった」とホッと安堵の吐息を親成は吐いた。
「分かるように言えって」
「いや、いいんだ。こっちの話だから。知らない方が、ただの暇つぶしで済むんだ」
お前には関係のないことだと言外に言ってこられて、由弦はムキになった。
「あのな? 人の弟を怖がらせといてそれはないだろ。色々あって、あいつはあんまり心の余裕がないんだ。これ以上、追い込むのはやめてやってくれよ。俺はあいつの味方でいたい。お前にもそうあってほしい。そう思ってたんだよ。なのに」
裏切られたと言ってやれば、親成はしょんぼりと肩を落とした。
「悪いって。でも……」
だからこそ言えないのだと、親成は頑なに口を開こうとはしなかった。
◆
親成と別れ1人で道を行く由弦。
調に電話を再度かけてみたが出ず、心配になって母親にメールを入れてみれば、帰って来てから寝ていると言われた。声に焦りや動揺がなかったので、嘘ではなさそうである。「かあ」
トボトボと足を進める由弦の頭上で、鴉が鳴いた。
足を止めて由弦は姿を探す。こんな時間に鴉の声がするなんて珍しい。
鳴き声の主は直ぐに見つけることができた。というよりも、見つけるまでもなくそれは向こうからやってきた。
バサバサという羽音と共に由弦の肩に白い鴉が降りた。
「ひえ! うわ、び、びっくりした。なんだよお前……」
白い鴉なんて見たのも初めてだし、夜に野生の鳥と思われるものが、肩に乗っていることも初めてだし、由弦の脳は状況の処理をする前にショートしそうであった。
「やあ、フギン。なにをしている? 子供を驚かせるのは感心しないな」
背後の声に振り返れば、そこにスーツ姿の男がいた。暗闇から街灯の灯りの中にやってきた男は、年齢は30代前半ぐらいだろうか。背が高く、顔立ちがよく、声からは大人の余裕とは別の威厳のようなものが感じられた。
「少し確認したいことがあってね」
フギンと呼ばれた鴉は、由弦の気のせいではなければ流暢に人の言葉を使い、男と会話をした。鴉の声は中性的であった。
「は、しゃべ……喋った!?」
目を丸くして驚く由弦。
フギンは愉快そうにクルクルと喉を鳴らした。
「おやおや、また驚かせてしまったかな。すまないね、でも喋る鴉は存在するよ」
「からかうんじゃない」
男に叱られたフギンは由弦の肩を離れ、男が差し出した腕で羽根を休めた。
「すまないな、彼は決して悪い奴ではないんだ。怖がらないでやってくれ」
「喋る鴉と平然と会話しているあなたも相当怖いです」
至極当然なことを言えば、男は面食らった様子で瞬きを繰り返した。
「そうか、確かにそうだな。すまない、失念していたよ。以後、気を付けよう」
そう言って男はひとつ調子を咳をした。
「あー、そうだ。君は学生だね? 見たところ、高校生かな」
「まあ、そうですけど……」
「ゲームは好きかな?」
「え? あ、まあ……」
会話の意図が掴めず、由弦は戸惑う。
見知らぬ怪しげな男と夜道でするような話だろうか。少なくともそんなことはないと思えるけれど。
「君、ヴァルハラメイトは」
「ヴァルハラメイト……」
よく知り、よく聞くタイトルだ。それを今日は妙なタイミングで、何度も耳にしている。
男がヴァルハラメイトと言葉を口にしたとき、由弦は確実に自分が知らないなにかを彼が知っていると分かった。
それはついさっきイドゥンで見た、友人と弟の奇妙なやりとりを知る切っ掛けになるかもしれない。
「なにか、知っている人……ですね?」
興味を示せば、「おや」と男とフギンが見合う。
「なるほど。君はなにも知らないというわけではなさそうだ」
男は顎に手をやって考えている。
「フギン。君は彼になにかを期待しているんだね」
「ああ。彼は私の希望だよ」
「そうか」
男はフギンの言葉を聞き、うんうんと頷いた。
「分かった。では、場所と時間を設けよう。従ってくれるだろうか?」
「それが嘘じゃないなら」
「大丈夫、信じてくれていい。約束は守るさ」
男はその証拠にと、懐から出した名刺入れから1枚の名刺を抜き、それを由弦に差し出した。名刺には男の勤め先が市役所であることとさらに所属の課、そして名前と連絡先が印字されている。
「竜宮 始」
「俺の名前だよ。俺の社会的な信用に関わる情報を渡した。これで信じてはもらえないだろうか?」
由弦は頷く。承諾した。
「では、明日だ。18時頃に旧市街エリアで会おう」
よりにもよって指定された場所は大災害の傷痕。
貰った名刺を握る指につい力が入る。心臓がドクリと大きく脈打った。




