『姉と弟 バッドエンド3』のその後
「オリガの件で、君を許したわけじゃない。でも、君の実力は認める」
弟を部屋に呼びだした次男は、不機嫌ながらもそうつぶやいた。
「だからどうかおれのために、オリガのためにも力を貸してくれないか?」
夕食の準備が整うまでの間、中年の部下や他の者たちの集まる前で、次男は恥を忍んで弟に頭を下げる。
弟はまだ事情がよく呑み込めていないかのようで、ぼんやりと次男を見つめている。
「それと、さっき殴ったことは悪かった。どうか許して欲しい」
こちらは早口で気恥ずかしそうにまくしたてる。
当の弟は頭を下げられることに慣れておらず、どう反応していいのか困っている。
力を貸してくれと次男は言うが、そもそもこれは組織のボスである伯母の命令だ。
任務に好きも嫌いもない以上は、弟は組織の命令に従うまでだ。
それに姉のためだとも言うが、姉を死なせたのは自分の責任だ。
姉の死をどう償えばいいのか、弟自身まだわからないでいる。
何をすれば姉への贖罪になるのか、何も思いつかない。
そう考えて弟は黙っている。
長い沈黙が部屋に訪れる。
暖炉の薪の燃える音だけが響く。
すると、長い間頭を下げていた次男がゆっくりと頭を上げる。
不機嫌そうな顔で弟の胸倉を乱暴につかむ。
「弟君、こういう時に無反応、ってやめてくれるかな? おれがわざわざこうして頭を下げているんだからさ。肯定なり、否定なり、そこは何らかの反応を示してくれよ」
弟は次男に胸倉をつかまれたまま黙り込んでいる。
まだ姉が死んだショックで、感情の整理が出来ていなかった。
次男にこうして何か言われても、心が上手く動かない。
「すまない。姉さんが死んだのは僕のせいだ」
こういう時、どんな言葉を掛ければいいのか思い付かない。
次男はむっとしつつも、弟の胸倉をつかんだ手を離す。
肩をすくめる。
「君はずっと彼女のことばかりだね。まあ、彼女が亡くなったばかりなのだから、仕方がないけれど。少しは別のことも話したらどうだい?」
次男が不機嫌そうにそうつぶやくと、弟はうなだれる。
「すまない」
弟はさっきと同じ言葉をつぶやく。
次男は大きな溜息を吐く。
「あ~あ、こんな時、オリガが生きていれば良かったのにさ。きっと優しいオリガのことだから、そんな君とおれのことを見て『そんな、アレクセイ様は何も悪くありません。悪いのはすべてこの愚弟です。この馬鹿な弟が悪いのです』とか言ってくれるのになあ」
次男は茶化すように大声で話す。
すると今まで死んだ魚のような目をしていた弟に生気が宿る。
「姉さんが?」
弟は死んだ姉の名前を聞いてわずかに反応する。
次男は調子に乗って話し続ける。
「そうさ。オリガがいたらきっとおれを慰めてくれるね。『可哀想なアレクセイ様。あなたのお気持ちは痛いほどよくわかります』とか、『この愚弟のしたことは、姉であるわたしの責任です。この責任を取るために、わたしはどんなことでもいたしますわ』とか言ったりするだろうね。そしてオリガはおれの傷付いた心を癒し、慰めてくれるのさ」
ご丁寧に声まで変えて話す次男の様子を、周囲にいた部下は呆れつつも黙って眺めている。
その様子は弟の心に確かな変化をもたらす。
「姉さんが、そんなこと」
弟は心の底からふつふつと次男に対する怒りが沸いてくるのを感じる。
動かなかった心が、怒りのために少しずつ動き出す。
「そして最後は、オリガはおれに身も心も委ねて、末永く幸せに暮らすんだよ。そうなれば弟である君はもう用無しさ。おれたちの幸せな様子を見守って、静かにオリガの元を去って行くんだよ」
得意げに話す次男は弟を手で追い払う素振りをする。
完全に頭に血がのぼった弟は大声で怒鳴りつける。
「姉さんがそんなこと言う訳ないだろ! 寝言は寝てから言え! お前の頭の方がどうかしてるんじゃないのか? 脳みそが腐ってるんじゃないのか?」
弟は次男につかみかかる。
その襟首をつかみ、がくがくと乱暴に揺さぶる。
「それにさっきから黙って聞いれば、好き勝手に姉さんのことを言って。誰が愚弟だって? 誰が可哀想だって? 姉さんがお前に身も心も委ねるなんて、そんなこと天地がひっくり返ってもあり得ないね。そもそも僕が生きているうちは、お前が姉さんに手出しするなんて許す訳ないだろう? お前が姉さんに近付くのを、僕が生きている限り絶対に阻止してやるからな! お前の好き勝手になんて、絶対にさせないんだからな!」
弟は言いたいことを一通り言い終えると、ふんと鼻を鳴らす。
乱暴に揺さぶっていた次男の襟首をようやく離す。
弟の剣幕を見て、周囲の部下だけではなく、それをそばで見ていた次男も突然の豹変ぶりに驚いている。
次男は自分の乱れた襟首を直している。
「やっぱり弟君はこうでなくちゃね。ようやく調子が戻ってきたみたいだね」
安堵したように息を吐き出す。
それは残念ながら弟の耳には届かなかった。
弟はまだ怒りが収まらない様子だった。
ぶつぶつと不満をぶつけている。
「それにさっきの気持ち悪い姉さんの演技は何だ? 見ているこっちが寒気がしてくる。姉さんはもっと上品で、清楚で、可憐で、心が広くて、穏やかで」
弟はつらつらと姉の美点を上げ連ねている。
次男はそれを聞きながら苦笑いを浮かべている。
「おれとしてはオリガの演技は、結構自信があったのになあ。そこまで言うことはないだろう? それにおれたちはこれから同じ目的に向かって協力し合う仲間だろう? まあお互い仲良くやろうよ、弟君」
次男は弟の肩に手を回し、をぽんぽんと叩く。
弟はその馴れ馴れしさに顔を歪める。
「触るな、気色悪い。僕はお前となんて仲良くならないんだからな? 任務だからここにいるだけだ。姉さんの遺言だから、こうして我慢しているだけだ」
弟は吐き捨てるようにつぶやく。
次男はにこにこと笑っている。
「ほらほら、怒らない怒らない。そんな怒ってばかりいると、天国のご両親とオリガが悲しむよ?」
「そもそも誰のせいだと思ってるんだ。お前が変なこと言うからだろう? 姉さんの真似なんてするからだろう、気色悪い」
「はいはい、それはそれ、これはこれ」
次男は適当な相づちを打って、弟に応じる。
弟はまだ怒りが収まっていない。
次男は弟の肩をつかんで、一緒に部屋の扉へ向かう。
「さあ、そろそろ夕食の準備が整っているだろう。ここは一つ弟君のために高級なワインを開けてあげよう。弟君がおれたちの仲間になることを祝して」
「気持ちが悪いな。何か裏があるんじゃないのか? ワインの中に自白剤でも仕込んであるんじゃないのか?」
次男は声を立てて笑う。
「そんなことしないよ。おれと君との仲じゃないか。まあ、これから争っていく相手はあのクソ兄貴だからね。これからかなり苦労はするだろうけれど、お互い協力して行こう」
弟はまだ訝しんでいる。
訝しみつつもも、次男と一緒に歩いていく。
次男は深緑色の瞳を悲しげに伏せて、そっとつぶやいた。
「オリガはもういないけれど、お互いに仲良くやって行こう?」
次男は弟の肩に手を回し、努めて明るい声でそうつぶやいた。