三人の聖夜(『空の座』、『姉と弟』より)
(お父さん、お母さん、ずっとお墓参りに来られなくてごめんね。ようやく来れたよ)
オリガ・ユスポヴァは両親の墓の前に立っていました。
彼女は落ち着いた赤色のコートに身を包み、白いマフラーを巻き、手袋をしています。
オリガは白い息を吐き出します。その青い目は光を宿しておらず、一年前の事故以来、ずっと見えないままです。
墓地には音も無く雪が降り続いています。
オリガは両親の墓石に薄くつもった雪を、手袋をした手でそっと払う。払われた雪は白い粉となって地面に降り積もった雪の上に落ちて見えなくなります。
墓地には他に墓参りの者もなく、鈍色の空から絶え間なく雪が降り続いています。
(わたしも、弟のデニスも何とか元気でやっているから、心配しないで)
オリガは鼻の先を赤くして、雪の中に立っています。
持ってきた赤い薔薇の花を墓前に供えます。
ここは代々ユスポフ家の者が眠る墓所。両親だけでなく、その名に連なる者たちがここ一帯の墓所には眠っています。
「姉さん」
オリガの背後から弟のデニスが声を掛けます。
「雪がひどくなってきた。父さんと母さんのお墓参りもここまでにして、早く帰らないと」
既に墓参りを終えたデニスは、黒いコートに身を包み、雪の降りしきる墓所を見渡しています。
「そうね。じゃあね、お父さん、お母さん。今度はもっと頻繁に顔を見せに来られるように心がけるわ」
果たしてそれが実現できるのかはわかりませんでした。
オリガもデニスもそう度々この墓所に来ることは出来ないのです。普段は隣国の神学校に通っているのです。
墓前に供えられた赤い薔薇が、降り続く白い雪に見る間に埋もれていきます。この国の冬は厳しく、特に年末のこの時期は寒さが最も厳しくなるのでした。
オリガはデニスに手を引かれ、両親の墓所を後にします。後には二人の足跡と、雪に埋もれた赤い薔薇だけが残されました。
*
財閥の元令嬢で盲目のオリガは従兄弟のアレクセイにこう聞かれました。
「オリガは生誕祭の夜は誰と過ごすんだい? 家族と過ごすのが一般的だけど」
この国では生誕祭の夜は、家族でゆっくり過ごすのが普通でした。
「わたしは弟のデニスと一緒に過ごす予定です。その日の夜は家族でゆっくりしたいと思っています」
「ええ~、そこは将来家族になるだろうおれと一緒に過ごすのが普通だろう? ほら、おれたちは婚約者同士だし、ゆくゆくは財閥を背負って立つ者同士だし、より親密になるために一緒の時間を大切にするべきだと思うんだ」
それを見ていた弟のデニスは、二人の間に割って入ります。
「何寝ぼけたこと言ってるんだ。姉さんが家族でもないお前と一緒に過ごすはずは無いだろう?」
「おや、将来の弟君。どうせいずれはおれもオリガは家族になるんだからいいじゃないか。それが早いか遅いかの違いであって、大した違いはないよ」
平然と対応するアレクセイに、デニスは怒りを募らせます。
オリガは慌てて止めに入ります。
「アレクセイ兄さまもたまには家族でゆっくり過ごされたいかがでしょうか? 兄さまにも実の弟であるフェリックスさんがいますから、たまには家族水入らずでゆっくり過ごされたらどうでしょうか」
「フェリックスと?」
「そうです。兄さまは日ごろから財閥の仕事でお忙しく、フェリックスさんとあまり会われていない様子でしたから。兄さまがわたしのことを気遣って下さるのは嬉しいのですが、わたしとばかり一緒にいたらフェリックスさんに悪いです。実の弟であるフェリックスさんともお会いした方が良いとわたしは思うのです」
アレクセイはしばらく黙っていましたが、やがて小さな声で言いました。
「そうだな。たまにはフェリックスの元を訪ねてやらないとな」
こうしてオリガは弟のデニスと、アレクセイは弟のフェリックスと一緒に過ごすことになりました。
*
生誕祭の夜。夕食を終えたオリガと弟のデニスは、暖炉に当たりながらのんびりとソファでくつろいで過ごしていました。
デニスは天井を見てぼやきます。
「折角の生誕祭の夜を、姉さんがあいつと過ごすことになるんじゃないかと思ってひやひやしたよ。まったくあいつときたら、隙あらば姉さんに手を出そうとする」
「あら、でもみんな過ごすならそれはそれで賑やかでいいとわたしは思うのよ。ただ、兄さまの場合は別の意味も含まれてくると思うから、困るのだけれど」
「そうだよ、姉さん。姉さんはあいつの前で無防備すぎるよ。もっとあいつに警戒心を持って、自分を大切にして欲しいのだけれど」
「わかってるわ、デニス。あなたがわたしことをいつも心配してくれるのはよくわかってるつもりよ。でも、兄さまだって家族が近くにいなくて、きっと寂しいと思うの。だからわたしに出来ることはしてあげたいと思うのよ」
「姉さんは人がいいね。あいつが寂しがっている様子なんて、僕にはとても想像できないよ」
デニスは難しい顔をし、オリガはくすくすと声を立てて笑っています。
姉弟の他愛ないおしゃべりは夜遅くまで続きました。夜はゆっくりと更けて行きました。
*
その夜、アレクセイは実の弟であるフェリックスの屋敷の門の前にいました。事前に何の連絡も入れず、突然フェリックスの屋敷を訪ねたのです。
アレクセイは屋敷の客間に通され、フェリックスが執事に車椅子を押されてやってきます。
「兄さんがぼくの屋敷に来るなんて珍しいね。何の用? 財閥で何か問題でもあったのかい?」
アレクセイはフェリックスの固い口調に頭をかきます。
「用と言う用じゃないんだ。今日は生誕祭だからな。家族であるお前と一緒に過ごそうと思ってな」
「ぼくと?」
フェリックスはまじまじとアレクセイを見つめます。
「兄さんがそんなこと言うなんて珍しいね。もしかして、オリガさんに何か言われたの? オリガさんと一緒に夜が過ごせなかったからって、ぼくのところに来たの?」
アレクセイは黙って視線を逸らします。
「やっぱり。兄さんも単純だからなあ」
フェリックスは溜息を吐きます。
「そういう時は、こう言えばいいんだよ。『聖夜は、みんなで過ごしませんか? おれとフェリックス、あなたとデニスの四人で』と言えば、きっとオリガさんは承諾してくれたと思うんだ。オリガさんも兄さんと二人きりだから警戒されるのであって、ぼくやデニスくんをだしに使えば丸く収まったと思うのに」
フェリックスの言葉にアレクセイは深緑色の目を丸くします。
「フェリックス、お前は天才だ。流石おれの弟だ。今度オリガを誘う時は、その手を使ってみる。ありがとう、フェリックス」
「やれやれ、兄さんは要領が良いのか悪いの、よくわからないよ。そんなことじゃ財閥の将来も心配になってくるよ」
「それはお前が財閥の総帥だから大丈夫だろう。おれにもし手抜かりがあっても、優秀な弟がきっとサポートしてくれるさ」
「そんなことでぼくを頼られても困るのだけど。ぼくも自分のことで手一杯だからさ。それにそもそも兄さんは妙なところで不器用だからなあ。押してばかりでなくて、引いてみるのも一つの手だと思うのに」
アレクセイにそう文句を言うフェリックスでしたが、顔は穏やかに笑っています。
本当はアレクセイが自分を訪ねて来たことを、こうして兄弟がゆっくり過ごせることを、とても嬉しく思っていたのです。
その後、アレクセイはフェリックスから恋愛に関する様々な助言をもらいました。
アレクセイはとても喜びましたが、それが実際に役立つのかは謎でした。
こうしてそれぞれの聖夜は静かに更けていきましたとさ。
おわり