スクワッド303 18年
2020年7/28〜7/30タブレット端末にて執筆し午後脱稿 同日17:00投稿
ミュージシャン志望な甥っ子の夜ふかしに巻き込まれやっと眠れたのは今朝3時 眠いです 深夜1時に酢堂大雑(by陸軍中野予備校 安永航一郎)みたいな不気味な笑い声を2時間も上げるな阿呆 ボイストレーニング?知った事か(殴)
【 今更遅いとは思いますが 戦争中大活躍しマスコミで散々チヤホヤしたにも関わらず 連合軍側の都合で名誉だけ与えて放逐 しかも共産圏に組込まれた祖国からは長年犯罪者扱いされていたポーランド亡命戦闘機パイロット達の活躍を描いたノンフィクション ナチと組んで祖国侵略したロシアへの恨み辛みはボヤかしてます 吹き替えパートについても頑張ってますが惜しむらくはポーランド語だけで無く英語も吹き替えてまして文化や言葉の違いから来るギャップが分かり辛いかな? レンタル落ちになるのは、かなり早そうですので見るなら早めにどうぞ。 】
☆放題DVDタイトルのスクワッドは小規模部隊の意 ナチス撃墜大作戦は日本語として色々間違ってる気がしますので省略しました。
★ポーランドではハリウッド大作抑えて大ヒット CGはイギリス制作ポーランド協力のほぼ同じ内容なもう1本よりは頑張ってます。
原題:DYWIZJON 303
英題:SQUADRON 303
どちらも303飛行隊⇒303コシュチェンコ戦闘機中隊
KOSCIUSZKO POLISH FIGHTER SQUADRON
ポーランド主導/イギリス協力劇場公開作品
■同じ原作・CG場面やキャストの総入れ替えで
イギリス主導/ポーランド協力の合作作品も同時制作
2019年 日本DVDレンタル&配信
第二次世界大戦でドイツ/イギリス/フランス/ソビエトに編入された挙げ句、其々の勢力に良い様に利用されたポーランドの悲哀とかバトル・オブ・ブリテン直後はイギリス救った英雄扱いされたものの 元々ソビエトのシンパだった戦時内閣、果てはアメリカ民主党政権にまでも裏切られ 終戦翌年に義勇軍は強制解散 結局20世紀末に起きたベルリンの壁崩壊まで殆どのメンバーがあちらこちらで亡命生活送る事になった悲惨なエピソードは敢えてボカシ 空中戦メインの物語に仕立て上げた佳作作品 但しキャラクターの区別付かないとストーリー追い辛いかも
CG画面だけじゃ飽きるからと組込まれた戦争中のプロパガンダニュース 果てはかれこれ50年以上前に撮影された "空軍大戦略" からの使い回し映像 此処まで単純に善悪二元論展開してると最早イギリスに対する嫌味にしか見えないのは間違い無く確信犯 (笑) ドラマパートで更に煽る演出入ってますので分かる人には分かるかも 何にせよテーマ・内容共に同じ登場人物&コシュチェンコ戦闘機中隊を主役にした "バトル・オブ・ブリテン 史上最大の航空作戦" とかなり被りますが 此方は多少CG映像に予算回したから 空中戦はイギリス主導版をかなり上回る映画になりました。
真っ先にドイツに宣戦布告しておきながら僅か1月ちょいで降伏したフランス政府の付き添いで参加したギャンブルに負け逆ギレ状態のイギリスが陰でアメリカやソビエトを参戦させる手筈整えながらも時間稼ぎの為始めた本国防衛戦 英国の戦いとは何だったのか 戦闘から70年以上経過し様々な資料から浮かんで来るのは後先考えない総力戦の馬鹿馬鹿しさ イデオロギー対立に勝利したものの終わってみれば人材も資産も根こそぎ戦争に奪われたイギリスは100年近い衰退期に入り込みしかも未来も禄な事にならないかも 何れイギリス視点なもう1本も見る積りでいますのでさっさとあらすじに移ります 本編の説明描写はかなり省略気味ですので 手持ちの書籍やWikipedia等から閲覧したデータで補足します。
にしても前振り書くだけで2日間掛かったぞ ど畜生(涙)
【 本編の売りは "荒野のコトブキ飛行隊" にも使われた "第二次大戦を題材にしたゲーム映像" を参照にしたと思われる緊迫感漂う空中戦時のコクピット内描写 無茶な機動行う度にギシギシ音立てる機体と引っ張られた操舵ワイヤーが奏でる嫌なノイズ 射撃時に立ち籠める硝煙と撒き散らされた薬莢の描写 果ては被弾或いは耳元で仲間の悲鳴や断末魔を流す無線機の演出が売りです。 なお、何故か単独で現れる間抜けなドイツ戦闘機とか当時7.7mm×8門だったハリケーン戦闘機の機銃が 翌年配備された改良型の12.7mm×4門装備なのは見なかった事にしといて下さい 実際初期型装備で敵の爆撃機を撃ち落とすのは大変だったそうです。 】
★金属モノコック構造なスピットファイアと違い 弾当たったら困る部分除いて木材&羽布張りだったハリケーン戦闘機 炸裂弾が命中しても貫通して中々落ちないから大抵の修理がお裁縫で済むのが売りだったそうな。
☆ドイツ機が必ず機首が黄色なJG51=第51戦闘航空団所属機なのはロシアの戦争映画でも定番ですね ME109Eだけでも1000機近く配備されてますしイタリア空軍も居ました。
★当時の戦闘機パイロットは平均20歳前後 25歳越えたら年寄扱いでした。
1940年8月下旬 バトル・オブ・ブリテン開始から5週間後 ロンドン中心部から少しばかり離れた公園地区ノースルト 元民間機訓練飛行場を改装した施設に間借りしている300/304爆撃機中隊と302/303戦闘機中隊 8月上旬に編成されたばかりの平均年齢25歳オーバー"未だ英語が不自由という事になっているはみ出し者達" 操縦士候補総員89名を主力とした亡命ポーランド義勇空軍は "若く英語が堪能で有り従順と言う理由でイギリス空軍に編入された50名の操縦士" と違い厄介者として冷遇されていた。
物語はそんな最中も時代錯誤なルールで雁字搦めとなり無為に死んでゆく操縦士達を讃える無責任なデブのプロパガンダ放送に聞き耳を立てつつ 上流階級の英語が分からず戸惑う303戦闘機中隊の操縦士達の姿を映し出す ラジオの側に陣取り聞き取れる単語からポーランド語に通訳しているのは隊のムードメーカーで主人公 ヤン・ズムバッハ中尉(以降ヤン中尉)25歳……実はその名前は憧れのポーランド空軍に入るために偽造した出生証明書に適当に書き込んだモノだったのだが詳しい説明は追々書いてゆこう
工場から次々と送り込まれる爆撃機や戦闘機は此処に集められ 士官学校出たばかりの18歳〜20歳前後の実機操縦経験平均10時間にも満たないヒヨッコ以下の操縦士により最前線へ、その多くが途中でドイツ空軍戦闘機の餌食となり無為に失われる 中隊で最年少のトロ中尉ですらPZL11戦闘機/MS406戦闘機/P-36ホーク戦闘機での実戦経験が400時間を越え彼等の大半がドイツ機やソビエト機の撃墜記録持っているのに義勇軍将校達が操縦の許可貰えるのは此処を管理していた地理学会の置き土産 複葉練習機だけ "義勇兵達はアメリカ軍到着、新人操縦士の大量養成完了までの繋ぎとして使い潰す" 空軍上層部の目論見はポーランド人に忌避感を抱きサボタージュ行為を続ける左遷将校達により崩されようととしている
素人諸君 凧の操縦は出来るかね?
偶々閲兵目的で基地を訪れた嫌味なイギリス空軍幹部の許可を得たヤン中尉は、初めて乗ったハリケーン戦闘機で待ち伏せていたハインリッヒ・ベーア少尉(以降ベア少尉)の駆るME109E戦闘機に遭遇するも咄嗟にラジエーター撃ち抜いて無傷で帰投 専門用語だらけの英語マニュアルを辞書片手に読まされ嗤われた等々 それまでの腹いせ兼ねて低高度での勝利の舞を披露し鬱屈溜まった仲間達の喝采を浴びるが義勇兵達のお目付け役として此処に島流しとなった基地司令や航空隊指揮官のロナルド・グスダヴ・ケレット大佐達から理不尽極まる譴責処分を受ける。
基地防空班に配属された18歳のイギリス人操縦士ウィルソンが仲間共々体験する初めての空中戦から戦死までの数分間。 外国人操縦士に義務付けられた週2回の健康診断⇒本当はスイス人で既に3つの国籍と4つの名前持ってるヤン中尉の悪ふざけと貴重なポーランド航空機勢揃いな2年前の回想場面。 学生扱いで召集兵より安い給与しか貰えないからパブで適当にデッチ上げた大佐の名義で飲み代ツケにしてもらう自暴自棄な酒豪共の描写を挟みつつ 漸く全員ハリケーン戦闘機の操縦訓練に漕ぎ着けた303飛行中隊の初戦果は8/30 退避命令無視した隊員達によるMe110戦闘機(強行偵察)を撃墜 丁度管制官達の慰労に訪れ撃墜シーンを目撃した王族の後押しも有り漸く参戦許可をもぎ取る。
☆史実ではDo17爆撃機だった様です
転任命じられたスジスワフ・クラスノデンプスキ少佐に代わり2代目中隊指揮官には最年長のヴィトルト・ウルバノヴイチ中尉(以降ウルバノ中尉)32歳が就任し副官にヤン中尉が就いた303戦闘機隊は 夜明け前に隊員並べ英語で長々とスピーチを始めたイギリス人基地将校達の無為な演説を押し留めポーランド語の演説で気合を入れ 8/31の迎撃初参加で6機を撃墜 連日連夜続く厭戦に疲れ果てた他の戦闘機隊操縦士の心を鷲掴みにする事になる。
マスコミが目を付ける前に彼等を宣伝で有効活用したい軍情報部Mi-5のジョーンズ少佐は隊員の身柄調査を行うために子飼のハニートラップ要員=元女優なブラウン秘書官を連れ記念撮影会。 狙いはリュッテンベルク大尉やベア少尉等、ドイツ空軍の名だたるエース達やMe109のエンジン開発に携わった技術者コハン技師と交流が有り 2年前ポーランドの航空機メーカーPZL社に出向していたその娘ヤコダ・コハン技師と密かに交際していた噂も有るウルバノ中尉だったのだが色々有ってブラウンが惹かれたのはナンパ連戦連敗 同僚達の玩具にされていたヤン中尉。
ケレット大佐のお守りをやりながら 部下と共に再び遭遇したベア少尉相手に奮戦するヤン中尉とトロ中尉。 その日ドイツ空軍機8機を叩き落とした303戦闘機隊を絶賛するもやっぱり偏見有りまくりなケレット大佐に呆れるジョーンズ少佐。 折角撮影した写真が新聞に掲載されたのに未だ正体不明なヤン中尉とハレンチだと言う理由で検閲されたブラウンが激怒する場面。 ベルリン爆撃の報復作戦で戦闘機退避所だと聞かされ誤って小型爆弾を病院に投下 後日無辜の犠牲者が出たと報道で知りゲーリングを罵るベア少尉。 今で言うPTSDを患い度々無線を遮断し戦線離脱を繰り返す下士官の退役処分。 連日連夜の戦いで遂に出た2人の戦死者を弔いポーランド国歌を合唱する仲間達。
ドイツ軍ワルシャワ占領後に消息不明 未だ部隊のアイドルだったヤコダへの愛を貫くウルバノ親父のためにジョーンズ少佐と直談判 自らの経歴明かす代わりに抵抗組織に匿われているらしいヤコダ探索を頼み込むヤン中尉……此処で漸くヤンがフランス系スイス人で生まれ育ったポーランドの為に空軍入隊した事情が明かされるのだけれど このオジサンフランスにも愛着有るからそっちの国籍も取得してるのね(苦笑) ちなみに303戦闘機隊は母国の日和見主義に愛想尽かしてポーランド軍に入隊したチェコ人 ヨセフ・フランティシュク中尉筆頭に ナチが嫌だから此処に来たドイツ人 ソビエトから逃げてきたロシア人等々 様々な面倒臭い経歴持つ連中の巣窟でも有りました 激戦に次ぐ激戦 部下共々、ウルバノ中尉に撃墜されて全身包帯塗れになったベア少尉をわざわざ手間暇掛けて録音したレコードで罵るゲーリング元帥の嫌がらせ攻撃 漸く届いたヤコダからの手紙抱き締め感無量なウルバノ中尉の映像挟みつつ
物語は遂に1940年9/26 バトル・オブ・ブリテン公認撃墜数126機を達成した303戦闘機隊の残存隊員11名に感謝の辞を述べる英国国王ジョージ6世のシーンで幕を閉じる。 述べ40名の操縦士が防空戦に参加 部隊機24機の内、敵に撃墜されたのは18機 その多くが再び戦線に復帰しましたが7名が戦死し5名が重傷負い戦線離脱 (映画では戦死8名になってますが何方が正しいのか不明なため併記します) 1946年の部隊解散までの総撃墜数は250機を数えます。 まあ悲喜こもごもな彼等のその後の人生は興味が有ればパソコン等で閲覧下さい。
★本編で登場人物達と因縁有りまくりな敵役=ハインツ・ベーア或いは電球頭 フルネームはオスカー=ハインリッヒ・ベーア中佐 総数18回も撃墜され入退院を繰り返しながらも公認撃墜数220機 バトル・オブ・ブリテンではイギリス&ポーランド機を17機撃ち落としてますが騎士の戦いに拘る親父でゲーリング元帥筆頭にナチスとはかなり相性悪く出世街道とは無縁でした 戦争何とか生き延びたものの1957年民間機操縦士として人生終えてます。
所で此の話書いてる最中思い出したのはさいとう・たかをが80年代後半に描いたらしいバトル・オブ・ブリテンの空戦マンガ 確かあの読み切り作品も亡命ポーランド空軍パイロットが主役だった記憶が有ります タイトルや内容覚えてる人居るかな?




