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百日紅 さるすべり~Miss HOKUSAI~ 15年

2019年9/4〜9/8タブレット端末にて執筆し昼前脱稿 9/8お昼投稿

台風対策とその後始末で色々遅れました 文章イマイチ整理出来なかったし事実誤認の指摘頂ければ謹んで訂正致します。 ちなみに今現在、家の庭は道路一面に繁茂し満開状態の真っ赤な百日紅が舞い散るから毎年掃除や手入れが大変です…まあ通行人は喜んで記念撮影してるけど(汗)

【 ヤマ無しオチ無し谷も無しで淡々と続く絵描きバカ達の日常風景。だけど、季節は流れるし人の生き死には当たり前の様に訪れる。それでもまあ絵で喰えるんだったら何処までも歩いてみよう…風のむくまま気の向くままに……これがおれの人生だ 好きにするさね。 実を言うと未だ原作読む機会に恵まれてませんが多分ややこしい愛人関係とか葛飾北斎のブランド後継巡る骨肉の争いとかもっと色々有りそうですね…でもその辺りはスパッと切り落とした…そんな物語なのかなと感じました 物語の見届け人みたいな元野良イヌ=居候の描写がツボに嵌ります。 】


★但し…R50作品 子供居ない奴には仲が微妙な親子で同居している日々のあの何とも言えないもどかしさや罪悪感に老いを自覚する描写は難しいかも知れません。犬や猫が同居してるなら案外理解出来るかな?私も結構な数見送ってるし…。


☆杉浦日向子没後10周年記念作品 ちなみに前回の"レヴェナント"より9年前で文化11年(西暦1814年)からの物語となります。世界中で戦争に政変、前代未聞の天変地異による食糧難で殺気立ってる最中……日本だけはエアポケットに入ったみたいに平穏無事な50年間を過ごしてました。彼女達が全員舞台を去った数年後に始まる大地震に異常気象による乱世到来、果ては外国船舶を感染経路にしたコレラや梅毒に狂犬病の流行…それが明治維新に繋がるわけです。



日本アニメ劇場公開作品.

2016年北米公開⇒以降イベント上映?

原作:杉浦日向子 著.漫画サンデーにて83〜87連載.

実業之日本社より全3巻(廃版)

ちくま文庫より上下巻



 2019年9月5日…例によって大型台風13号接近⇒通過中につき防災対策⇒後片付けの合間にこんな文章書いてます。何故この物語取り上げようかなんて思い付いたのは我が家の居候が増えたから……近所に捨てられ母が家族に内緒でコッソリ餌やりやってた半野良兄弟(いそうろうネコ)が家に君臨する女帝(ネコ)にとうとう入室認められたらしく先週辺りから屋内探検始めてる状況となり、縄張り荒らされて拗ねた愛犬が暑いのに威圧と嫌がらせ目的で玄関マット或いは虎の敷革のポーズでタイルの上に転がる風景がこのアニメと色々かぶったからです。 そういや今は無き祖父母宅が猫&兎屋敷になったのもそんな理由からでしたね……猫はともかく何故に野良兎なんてモンが床下に住み着いたのかは寿命迎えて亡くなるまで奴等の面倒見てた祖母が頑として白状しなかったけど(笑)


物語の主人公(ヒロイン)は原作漫画が切っ掛けで漸くメジャーになった“もう一人の北斎(ほくさい)” 本人の作品と判明したのは10品程度しか残って無い幻の浮世絵師 “葛飾応為(かつしかおうい)或いは葛飾辰女(かつしかたつじょ)画号(ペンネーム)を持つ三女・お(えい)”  腕は良いのだけれど専ら職人として父の仕事を手伝う事が多く、自分独自の画風を生み出すのに四苦八苦⇒没後に漸くスポットライトが当たる寸前によりにもよって徳川政権の崩壊⇒明治維新⇒新政府の1部過激派により強行された旧来技術や文化遺産の破壊活動⇒第二次世界大戦直後に押し掛けて来た文化破壊&略奪を目指す火事場泥棒達に狙われ作品が行方不明となり歴史の闇へと消える筈だった人物です。 映画公開後に出版された"朝井まか"の小説"(くらら) 2016年.新潮社"で25歳〜晩年迄の変遷…実は加賀前田藩お抱え絵師になっていたらしいです。 "松阪"の描いた4コママンガ"北斎の娘" 2015〜2018年 まんがタイムコミックス全3巻で幼少期〜17歳辺り迄のエピソードが取り上げられ漸くその人生の全貌が見えて来た人物なのかも知れません。


一応そっち系の学校居たから美術史の授業受けて単位取った筈なんだけど何故か名前が出て来なかったし、子供の頃に映画"北斎漫画(81年)"を見たはずなんだけどエロシーンと緒形拳の濃い顔に凄い胸毛しか覚えてません (試しにウイキペディア調べたら田中裕子がお栄役でした。) ついでに書いとくと小学生の頃に作者名忘れたけど“俺の絵はこれからだ”なんてタイトルのハードカバー本 (桜井正信 著.さえら書房1973出版 サブタイトルがまんがの巨人・北斎 日本史の目)も読んだ筈なのに描いた作品を1枚も見た事無かったんだよ。 だから映画自体はかなり楽しめました……とは言え昭和のマンガ映画のノリで萌も燃えも有りませんので今の贅沢なサービスに慣れたマニアが釣れるかと聞かれるとハッキリ無理だと断言致します。R50な枯れた物語にそんな期待をされてもねぇ…………敢えて書くなら爺ちゃん婆ちゃんが孫の付き添いでやって来る公民館上映が似合う作品なのかなぁ。



【 日焼け対策諦めた浅黒い肌に整えるのを怠った太い眉毛の下から覗くのは野心に燃える鋭い眼差し……同世代の女友達も付き添いも連れず独り無心に眺め観察するのは両国橋を行き交う様々な階級の人々…親子で筆2本箸4本も有りゃ何処へ行っても喰うには困らねぇ…下手な男よりも逞しく生きる職人気質の絵師 それがこの物語の主人公“お(えい)”画号・葛飾応為(かつしかおうい)でした。其れは徳川の天下がまだまだ安泰だと思われた文化11年の初夏…百日紅の花が咲き誇るそんな季節から始まります。 】


☆アニメでは敢えてその異質さを強調するかの様に眉毛増量&肌を浅黒くしてましたが江戸時代の風俗文化に詳しい人間ならともかく素人には……特に私みたいに周囲の人間が大概色黒な奴等ばかりなとこで暮らしてると何が何故イケないのかなんて分かるはずも有りません…結構注釈必要なのよ、この駄ニメ。



①文化11年初夏:龍と出逢いと居候


 独り悠然と歩く“お栄”に見惚れ犬の○○コ踏んだ歌川家の門下生“国直(くになお)”が彼女に再会したのは版元先(今で言う出版社)で意気投合した年上の絵師“池田善次郎(いけだぜんじろう)=通称ヘタ善”と飲み歩き、酔い潰れた彼を居候先に送り届けた深夜の事だった。昼間油断してやらかした事故で台無しとなった龍の絵を1晩で書き直す破目になったのはお栄が原因。


「おれの描いた龍は空へ逃げちまった。 だから描かねえ。」


(へそ)を負けた鉄蔵(てつぞう)=北斎に代わり悪戦苦闘するお栄にアドバイスする国直…色々有って絡み酒状態な善次郎や余計な茶々入れる鉄蔵諸共、ブチ切れたお栄に長屋を追い出された三人は料亭で飲み直し、だけど酔っ払おうが話題の中心はいかに良い絵を描き上げるか…泥酔し店に取り残された善次郎が独り目を覚ましたのは翌朝のこと。ゴミ置き場みたいな散らかし放題な長屋の無愛想な住人を気に入り居着いた仔犬に出迎えられて居候先に戻った善次郎が目の当たりにしたのは天から降りてきた様な見事な龍の絵姿と力尽きて寝転がる二人の絵描きバカの姿。 


「俺も仔犬(おまえ)も物好きだねぇ……まったく(苦笑)」


仔犬を膝に乗せ自分の絵姿(スタイル)は何だろうと悩みながらも善次郎は絵を描き始める。アレを描き上げたのは鉄蔵かお栄…もしかしたら2人で仕上げたのか…或いは本当に龍を封じ込めた? 善次郎は何故か問い質す気にはなれなかった……。



②お栄とお(なお):春画と迷いとろくろっ首


 お(なお)鉄蔵(てつぞう)が40半ばを越えて拵えた4女 高齢出産により生まれつき身体が弱く目も視えない彼女は尼寺へ預けられ按摩(あんま)琵琶法師(びわほうし)として生きる術を学んでいる。老いた血のせいで不便な身体に産ませてしまった罪悪感から中々愛情表現(スキンシップ)が出来ないヘタレな鉄蔵(ちちおや)に代わり時折彼女の元を訪れ遊び相手となるお(えい) ほっぺに墨が付いたまま外出してしまった所に憧れている兄弟子=魚河岸の仲買人から転職した岩窪初五郎(いわくぼはつごろう) 画号:魚屋北渓(ととやほっけい)に偶然出食わしあたふたしたり、川舟下りで海と富士山の幻想が入ったりと楽しい時間を過ごす。


女は描けても男がイマイチなお栄(しょじょ)と誰かの影響モロに受けた画風でオリジナリティに乏しいヘタ善(バカでし)が四苦八苦しているのは、版元からお上に内密でと頼まれた春画=枕絵のデザイン。暇潰しに変顔をスケッチする鉄蔵(ししょう)の的確な駄目出しに凹む善次郎とのやりとりを軽くいなしながら画材を掻き集めお栄が向かったのは版元の萬字堂(まんじどう)から紹介された吉原・桔梗屋(ききょうや)の人気太夫(たゆう)小夜衣(さよごろも)” 


実は彼女には“(あやかし)”の噂が有る……半分以上好奇心とスケベ心で付いて来た師匠(オヤジ)同僚(バカ)に閉口しながらも見事なスケッチを描き上げたお栄の腕を絶賛していた小夜衣(さよごろも)太夫は善次郎の与太噺に"妖怪が見たけりゃ東両国(みせものごや)へ行け"と激昂するが鉄蔵が昔体験した怪異…妖怪絵を描いてから両手が夜中勝手に出歩く夢とその顛末(ちなみに本当は馬琴が書いた中国の怪異譚。)…に興味を抱き彼等の好奇心に応える事にした。深夜鈴の音を切っ掛けに始まった"小夜衣"の離魂病…眠り続ける彼女から抜け出そうとするソレを目撃したのは鉄蔵とお栄のみ、幽霊が視えない善次郎は暴れ出した蚊帳に怯えはするが何が起きたのか理解出来なかった。


「何とかしないといずれ手遅れになる。 魂が抜けちまったらどうなるか分からない。」


鉄蔵は真顔で坊主や呪い屋に相談する様勧めるが、年季が明けるか身請け話…或いは死ぬまで此処から出られない籠の中の鳥で有る"小夜衣は手遅れとなる事を望んでいた。" せっかくエロい世界に乗り込んだのに清い身体で吉原から出ることを悔やむ善次郎はともかく吉原に巣食う闇の深さを思い知らされた鉄蔵とお栄は複雑な思いを抱きながらも傍観者で居るしか無いと気付いている。



③火事と雪景色…そして親子の距離感


 冬の始まり、それは八百八町の江戸でお馴染みな火事の季節でも有る。深夜の火消し見物を終えヘロヘロになりながらも長屋へ独り戻るお栄のモノローグ…実は寝た振りしながら彼女の帰りを待っていた善次郎と鉄蔵。 ヘタ善が女を鉄蔵が甘い物を止められ無い様におれはあの風景を眺めるのが止められないんだと湯たんぽ代わりに犬を抱き締め眠るお栄。 場面は変わり一面の雪景色…外出許可が降りたお猶を連れてお栄が向かうのは大川の堤と稲荷神社。雪に吸われ音の無い世界がどんな雰囲気なのか説明しながらスケッチを続けるお栄が不意に思い出したのは今よりも自分勝手で傍若無人な鉄蔵(ちち)と共に絵を描いていた思い出。お土産に牡丹の花を懐に入れて貰い見ず知らずの子供と遊び回り疲れ果てたお猶(いもうと)を背負い長屋に向かうお栄だったが、お猶は彼女なりに中々顔を出さない父親に対して色々複雑な思いを抱いていた。



④文化12年(西暦1815年)3月〜4月末:とある地獄絵の顛末記


 成り上がり者の背後には多くの敗北者達の姿が有る。どんなに栄華を極めようがその事を片時も忘れてはならない。 信心深いとある商家から自戒を込めて反省する為描き上げて欲しいと頼み込まれた地獄絵図、余りに真に迫った残酷描写がとんだ騒ぎを引き起こした。それは白木蓮が満開となった春の夜……襖1枚隔てた寝所で商家の妻が聞いたのは責め苦を受けて苦しむ亡者の悲鳴。やがて庭に降り注ぐ花弁が獄卒により振り落とされる骨に見える様になり遂には行灯に映し出される蛾の姿が魍魎に見えてボヤ騒ぎまで起こしたのだと萬字堂は語る。下絵を確認した鉄蔵はお栄の描いた絵の問題点に気付いた。


画材を揃え深夜の商家を訪れた鉄蔵&お栄と付き添いで連れて来られた善次郎。店主夫婦に番頭や使用人が見守る中で、"憑物落とし"として夜を徹して2人が描き足したのは亡者達を救うため三途の川の辺りに降り立った弥勒菩薩と祈りを捧げる罪人達の姿……これでこの絵は漸く完成した、お前はまだまだ半人前だなぁと嘯く鉄蔵の姿にまだまだ敵わねぇと反省するお栄と没落の危機を脱した商家の軒先に燕が巣を作ったのを寝惚け眼で目撃する善次郎の姿を映しこのエピソードは終わる。 怪異を起こす程の腕前を持つ絵師…1時は仕事の減った鉄蔵とお栄……ついでに善次郎に萬字堂から多くの仕事が持ち込まれる様になったのは程なくしての事だった。



⑤梅雨の訪れと自分が描けない世界が存在する事に対する苛立ちと迷い…そして


 お栄の枕絵は中々売れない……下手くそな癖に妙に艶が出る様になった善次郎(ヘタぜん)との圧倒的な差に打ちひしがれる彼女は落ち込んだ気持ちのまま長屋へ戻る途中、偶々再会した兄弟子=初五郎(ととや)に身体を委ね初体験を……そうすればおれはもっと艶の有る枕絵が描ける筈だと妄想し慌ててて身を翻す。駆け込んだのは隠間茶屋(かげまちゃや)=要するに男娼宿…其処で目撃してしまった余りに生々しい光景にパニッくった彼女を気に入ったのは小悪魔めいた魅力を振り撒く男娼“吉弥(きちや)” びしょ濡れとなった服が乾くまで遊んでゆけと未通女(おぼこ)なお栄を布団の上で甘やかす……と言うよりなんか母親か姉に甘えるショタみたいな吉弥とのむつごとから始まる奇妙奇天烈な夢。


まあ勿論全年齢対象のアニメだから精々キス止まりだし、前の客…ちなみに其れなりに特の高そうな坊さんだったりする…とのアレやコレで色々疲労困憊していた吉弥(きちや)は特にナニをするでもなくまずは一休みとお栄を抱き枕にして眠り込んでしまうのですが……何か夢の中で大仏に踏み潰される変な体験し一皮剥けた彼女(おえい)の枕絵は漸く依頼主から絶賛される様に……うん、露骨な描写オミットして私が書けるのは此処までが限界ですのでご容赦を(苦笑)



梅雨が明け祭りの季節がやって来た。版元に枕絵を納品した帰り道、久し振りに再会した歌川国直(うたがわくになお)に誘われたのは四万六千日の御参り。実は両国橋で出逢った時からお栄に一目惚れしていた国直は御参りにかこつけてプロポーズをと企んでいたがお栄の心は萬字堂から謝礼ついでに貰った団十郎の歌舞伎の木札(チケット)もとい同じ舞台を見に来る予定が有ると言う初五郎(かたおもいのあいて)の事で頭が一杯だった。 悩んだ末に国直を置き去りに長屋に駆け戻ったお栄は、事情を知らない善次郎と犬が見事にシンクロしている爆笑モノな珍風景に気付かないまま身嗜みを整え再び長屋を飛び出す……だが漸く歌舞伎座へ駆け付けたお栄が目の当たりにしてしまった其れは余りに残酷な光景だった。 初五郎にしなだれかかり甘えているのは鉄蔵の元愛人でお栄にとっては天敵みたいな存在で有る姉弟子“井上政女(いのうえまさめ)=葛飾北明(かつしかほくめい)” 全てを察した夕刻の両国橋…お栄が投げ捨てた木札(チケット)は川を流れ海へと向かう。



⑥夏の終わりに体調を崩し家に戻されたお猶(いもうと) そして風は吹いた


 お(なお)の身体は徐々に弱り始めていた…久し振りに母“こと”の暮らす実家に戻り妹と三人で川の字になって眠る夏の夜。何も視えない筈のお猶が蚊帳の上に佇む何かを見てしまったらしい…だがお栄が確認した時其処に居たのは1匹の蟷螂……その夜を堺に彼女は寝たきりとなる。弱り続ける妹を見舞ってくれと鉄蔵に頼み込むお栄 文化12年旧暦8月15日(新暦換算で8月28日)放生会(ほうせいかい)の日…中国から入ったイベントで捕まえた小鳥や亀に魚を敢えて逃がす事で命を奪う罪を清め福を呼び込む風習⇒明治の廃仏毀釈で禁止となり仲秋の名月のお供えに統一された…お栄には何も言わず久し振りに妻と共に実家を訪れた鉄蔵は最早立ち上がる事も出来ないお猶(むすめ)を優しく撫でる。長屋に戻った父親が無心に描き上げたのは見事な武将絵=鐘馗(しょうき)絵…名前からげんを担ぎ病や災いから子供を護る守護神として描かれた⇒後の五月人形の江戸時代バージョン…これを実家へ届けて欲しいと託されたお栄は全てを察し無邪気に喜ぶ妹を抱き締めながら絵の説明を始める。


季節は巡り百日紅は散り再び寒い季節がやって来た。野暮用で萬字堂から戻って来た善次郎は長屋の前で首を傾げる……店の前から付いて来た禿頭の少女の姿が突然見えなくなったのだと。突然巻き起こる突風と縁側に遺された干からびた牡丹の花から異変を感じたお栄は実家へ駆け出し中庭に撒き散らされた書き損じを犬と一緒に眺めながらお猶が逝ってしまった事を理解した鉄蔵は空を見上げていた。


「なんだ…ちゃんと独りで来れたじゃないか……。」


文化13年(西暦1816年) お猶の四十九日の法要が明けた頃、とある理由から疎遠気味だった歌川国直(うたがわくになお)が善次郎に憑いた形で長屋へやって来た。何でも深川の芸鼓の中にとても見事な彫り物を背中に背負う女が居るらしく飲み比べに勝てば見せてくれるのだと言う噂話に乗った善次郎と鉄蔵が適当な口実設けていそいそと出掛けるのを呆れた顔で見送り書き損じで遊ぶ犬を時折構いながらお栄が描き上げたのは、満開の百日紅の咲く庭でお土産に届けた金魚を無心に眺める振袖姿のお(なお)の姿。最後のモノローグはあいもかわらず多くの人々が行き交う両国橋の上から……90まで生きて絵を描き続けた鉄蔵や色気溢れる枕絵の絵師“淫斎英泉(いんさいえいせん)”として大成した善次郎(ヘタぜん)の思い出 


やがて画面は平成時代の両国橋の風景へと変わり暗闇から舞い落ちる百日紅の花弁をバックにスタッフロールへ……という感じでいつもの1.5倍に増量した今作のあらすじを終わります。ではまた次回。





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