ウインド トーカーズ 02年
2019年6/23〜6/25タブレット端末にて執筆し脱稿 6/26深夜投稿
【 1968年の公文書機密解除に至る迄、存在が秘匿されていた先住民で構成された暗号無線士=コードトーカーをテーマにした物語ですが…撃たれた人間がワイヤーで豪快に空を舞ったり死亡フラグが存在する等々…ジョン・ウー監督独特の要らない脚色や演出入れまくったのみならずダブル主人公の白人に対し子犬みたいに懐いたナバホ族を主人公にしたせいで愛国ポルノ期待したアメリカ人だけでなく当のナバホ族&その他からも総スカン喰らった底抜け超大作。ついでに書いとくと派手な爆発に拘る余り撮影場所が実弾使っても怒られないハワイやカリフォルニア州の海兵隊訓練場に限定されたから突っ込み要素満載な物語になりました。 】
☆それはさながら近所の運動公園で撮影されたテンション高めのサバゲー見せられた気分を味わったそうな(笑)以降CG加工が増えました。
★あくまで私見ですがとても海兵隊員とは思えない主人公達の異様なまでのメソメソ振りもアウトかと思います(-_-;)
原題:WIND TALKERS
風の語り手⇒暗号の語り手と呼ばれる
この物語の暗号無線士のコードネーム
アメリカ劇場公開作品.
同年日本公開作品.
まずは本編の感想書き連ねる前に…この物語に登場するコードトーカーに対する個人的な疑念から書かせて下さいな。一応Wikipedia筆頭にネットで閲覧可能な情報を検索したのだけれど“第1次大戦で活躍した事になっている”先住民”の暗号係が再び集められ研修の末に派遣されたのは第2次大戦後半、しかも苦闘が続くヨーロッパでは無く太平洋戦線限定でなおかつ戦いの趨勢がはっきり連合軍側に傾いたサイパン島攻略〜沖縄戦迄だったってのは何故なんでしょうね? しかも送り込まれた400名に与えられた任務は撃ち合いやってる修羅場の中で砲兵や沖合で待機する艦艇に連絡し前線部隊の障害となる抵抗拠点や砲兵陣地の位置情報を正確に伝える緊急任務。そんな危ない仕事に何故解読するだけでもそれ也に手間暇掛かる暗号を使わなければならないのか?イチイチそんな手間暇掛けてたら敵は移動して攻撃支援は空振りになってませんか?
正直頭の悪い私にはち~とも理解出来ませんでした(笑)
実際志願兵として居留地(強制収容所)から集められたナバホ族やイロコイ族の若者が海兵隊で無線士あるいは偵察員として活躍したのは事実ですが、どれだけややこしく発音が難しくとも所詮人間が話す言葉でしか無いソレが本当に解読不可能な暗号だったのか? 私は正直眉唾ものだと思っています。だいたい第2次大戦以降はコードトーカー自体使われてませんしね。実際の所はジム・クロウ法による就業規制の抜け道(例え敵対国の移民でも合衆国軍従軍履歴が有ればアメリカ国民としての権利貰える=但し1964年の法律廃止までヒスパニック等の有色人種、特に黒人には何も無かった)として作られたデマだと思うのですよ。
勿論彼等が敵に捕まりそうになったら機密を守る為に殺してしまえなんて命令も存在しておりません。公開当時はアレと白人に懐く主人公の描写でブチ切れた元コードトーカーの兵士達による抗議運動まで起きました。
☆実際アメリカインディアンやサモア等委任統治領の人間はアメリカ軍への従軍経験無いと合衆国国民としての権利を何一つ与えられませんし、強制収容所からの出入りや就業、果ては家畜やペット飼ったりとか財産の所有すらも制限されます…よって彼等の人生は“チャック・ノリスみたいな例外除いて”悲惨なモノです。まあその辺りの話は追々取り上げます。日本も戦後そうなりかけたし、サンフランシスコ講和条約でアメリカ統治下に置かれた沖縄もそうなる筈でした。だから占領軍気取りの米軍は嫌われるのです。
★開戦前夜、居留地に押し込められた各部族350000人の徴兵可能対象者の内44000名が“志願兵として”両戦線に送られました…内何名が戦死ないしは負傷兵として後送されたかはまともな資料が残されていません。そもそも過酷な環境で暮らす彼等の平均寿命は貧乏白人以下。
前置きが長くなりましたので感想は手短に纏めます。甚だウンザリしたのは自殺志願者なイタ公・主人公“ジョージEエンダース軍曹”による単独で日本兵700人以上を射殺する爆笑必至なチート描写と事ある度に戦争は嫌だとか生きて家族に会いたいだとかメソメソ泣いてる部下一同。50年代の愛国ポルノなノリでやらかす舐めきった日本兵への差別発言とナバホ族の登場人物達が最初っから白人様万歳アメリカ万歳な態度だったりするアレな映像も満載です。日本兵そのものについては親日的なニコラス・ケイジやジョン・ウー監督の演出介入により殆どイロモノだった“パール・ハーバー”や最近DVD化された極めつけの馬鹿映画“エア・ストライク”よりゃまともだしサイパンの戦闘では日本軍側の主力戦車=95式ポイッのも登場しますが手榴弾や火炎放射器で撃破されるギャグが炸裂しますのでご注意を。日本兵は撃たれて死んでも復活します……平均7〜8回ぐらいは使い回してるのでBlu-rayで視聴のお客様は確認下さい。
そして撃たれたり大砲による爆発で香港のカンフー映画か“榊原郁恵の出世作になったミュージカル・ピーターパン”みたいにワイヤーアクションで豪快に人が空を舞います(笑)ついでにスローモーションも多用。プロデューサーとやらに何もかも縛られ挙げ句の果てに本物の監修受けてないから部隊編成や装備に人間関係の描写と肝心要の脚本はスカスカ。一応年齢制限低めに設定してあるから血しぶきや内臓撒き散らす描写もアウトだったらしいので苦肉の策だったとは思うのですが色々なげやりです……後はハトが飛べば完璧だなと変なツボに嵌って見てて腹筋が辛かった。とまあそんな理由で独自解釈した粗筋からは“お笑い主人公=エンダース軍曹”の描写はバッサリ削りました。本当のあらすじを読みたい御客様は手間暇掛けますが沢山のライターさんが書いた文章や公式サイト或いはWikipedia等を参照下さいませ。
【 ナバホ ネイション…其処はアリゾナ.ユタ.ニューメキシコに囲まれた不毛の地で有り絶滅戦争を辛うじて生き延びたナバホ族が合衆国政府からギリギリの交渉でもぎ取った最後の独立国。此処に居る限り食糧も住む土地も教育や医療すらも保証されるが、合衆国民で無い我々は仕事を見つける事も出来無いし契約で決められた以上の資産を持つ事も許されず選挙権を含むありとあらゆる法律による保護も受けられない…つまり飼い殺しの人生しか無いのだ。だが親としての自分が志願兵として軍務を果たせば子供達は生まれながらの合衆国民としての自由と資金が手に入る…物語の主人公“ベン・ヤージ”とその親友“チャーリー・ホワイトホース”が軍務を志願したのはそんな理由からだった。 】
★流石に1964年以降は禁止されてますが居留地で生まれたナバホ族の子供は親から引き離され、厳格な愛国者で有りキリシタンとなる様に寄宿学校生活…脱走し行方不明とされたり自殺する子供が多発します。“その大半は寄宿学校跡地で見つかりましたが司法解剖は行われていません。”ダメリカ人がウイグル人弾圧を責められ無い理由はコレだったりします。
☆ナバホ ネイションにはウランを始めとする地下資源が多数有りますが採掘権を持つのは政府公認の白人経営者のみとなります。無茶な採掘を繰り返した結果、河川と地下水脈は全て汚染され甲状腺癌を始めとする様々な病気が蔓延してますが彼等の死因の大半は肥満と自殺そして薬物アルコール依存症による突然死です。そもそも水も無い此処じゃ公共工事以外仕事が無かった(今は観光も増えましたが就業すると家族の補助金出ないから失業率は高いです。)
危険だが給与の保証されたコードトーカー=暗号無線士になれるのは1握りのエリートだけ。激烈な選抜試験を突破し晴れて無線士(2等兵)として送り込まれたのは43年8月半ばにカリフォルニアで編成されたばかりの第4海兵師団。日本人など生まれてこのかた見た事が無い新兵とガダルカナル島やブーゲンビル島で手痛い反撃を受け負傷し後送され現場に舞い戻る者、或いは同僚や上官部下を殺され復讐に燃える男達……それまでの人生で白人しか視界に入らなかった彼等にしてみれば私達ナバホは毛色の違うJAPにしか見えなかったらしい、大半の人間は無視するか憎悪を剥き出しにし居心地悪い雰囲気が漂う中で漸く所属先となる偵察大隊に辿り着く。同郷の先輩“ホワイトホース”と組む事になったのは名門大学を休学し海兵隊に志願したお人好しで楽天家な“ピーター"オックス"ヘンダーソン2等軍曹” そして本当は教師志望だった“私=ベン”の上司として選ばれたのは挙動不審で無愛想なイタリア系“ジョンEエンダース1等軍曹”だった。
本来恩給貰って退役するか第2海兵師団に戻る筈だった1等軍曹が此処に配属されたのは政治的な駆け引きが有ったらしい。43年11月から始まったブーゲンビル島タロキナ岬上陸作戦で戦死した将校に代わり拠点死守を任された伍長は分隊12名全員を犠牲にし、自らも鼓膜と三半規管をズタズタにされる重傷を負いながらも任務を全うした英雄様らしいのだが…よく考えて欲しい。何処の組織でも部下や同僚の命をへとも思ってなくて犠牲者山積みな突撃や死守命令を全うする自殺志願者を上司や部下に欲しがる筈は無い。他の兵士達や下士官達も似たりよったりで士気は高いが下手に投入先を間違えると全滅しかねない役立たず…創設当初から海兵隊上層部が抱いていた懸念は結局大当たりしサイパン.テニアン.硫黄島の戦いで人員がほぼ壊滅=17000もの戦死者を出したこの部隊は沖縄に向かう事なく解隊されるのだが…それを私が知ったのは戦争が終わってからの事。
1944年6月、自分達が死地に居ると気付かないまま送り込まれたのは日本の委任統治領で有り絶対防衛圏のサイパン島……其処で目の当たりにしたのは船を沈められ本州への避難が叶わなかった多くの住民を守りながら頑強な抵抗を続ける日本軍の砲火の嵐だった。上空を飛び交う艦載機による航空支援に日本軍のソレとは比べモノにならない頑強な戦車。無線機で正確な位置情報を伝えれば砲兵支援や艦砲射撃がトドメを刺してくれる安全な戦争……だが故郷の同胞を思い起こさせる外見をした日本軍は子供の頃、村の長老達の話すインディアン戦争の英雄譚に登場する様な“最初から死を覚悟した男達”だったのだ。決して良好な関係では無かったが同じ駐屯地で猛訓練を重ねた多くの兵士が敢え無い最後を遂げてゆく中、独り異彩を放っていたのはエンダース1等軍曹。偵察部隊で有り敵兵との銃撃戦より上陸作戦の妨げとなる抵抗拠点の破壊に専念しなければならない筈の我々は、気が付いたら常に突撃の先頭に立つ形となりその結果どこの偵察チームよりも多くの犠牲者を出し又敵指揮所の破壊や無線機の押収等成果を上げる事になる。
まるで櫛の歯が抜け落ちる様に命を落とす同僚達。当初は勝ち戦である事から指揮官に言われるがまま復讐心の赴くままに日本兵に憎悪を向けていた私達が家畜同然の様に思われていたと気付かされたのは敵の計略でオックス2等軍曹とホワイトホース2等兵が罠にかかった時だった。軍刀を振りかざし逆上した日本兵に2等軍曹の首が斬り落とされ暗号を知るホワイトホースが捕虜になるのを阻止する為、エンダース1等軍曹は何の躊躇いもなく彼等を手榴弾で吹き飛ばす。敢え無く敵の虜囚となる可能性が有ればナバホを殺せ。軍の忠犬はそう命令されていたのだと言う。村の長老達は言っていた「親切なカウボーイなどこの世界に居やしない。奴等が親身になるのは下心が有るからだ。」事件を契機に分隊の結束はバラバラになった。
「爺様達がインディアンを動物みたいに狩っていたのは精々50年も行かないぐらい前の話しだ。もう50年もしたら俺達の子孫は日本人と酒を酌み交わしているのかも知れない。」
1944年6月26日、首都カラバンへ続く最後の抵抗拠点タポチョ山。オックスの後釜として分隊の2等軍曹となったイェルムスタッドはそんな与太話を披露しソレを見る事なく命を落とす。12名の偵察部隊は罠に嵌り地雷原と多数の敵兵に囲まれ生き残りは僅か4人……追い詰められた私達を嘲笑うかの様に封印を解いた日本軍の重砲陣地は後方からおっとり刀で駆け付ける戦車や海兵隊員を次々と吹き飛ばしてゆく。どうせ死ぬなら1人でも多くの敵を道連れに戦死してやる……騒乱の中で辛うじて回収出来た無線機で航空支援を取り付けた私は敢え無く撃たれ万事休す。だが動けなくなったナバホを処分する筈の処刑人は私を背負い味方陣地へと歩き出す…もう誰も殺させないと…手足を撃ち抜かれ今度こそ終わりだと覚悟を決めた私達の上空を通過したグラマンは砲兵陣地にナパーム弾を投下し日本軍は撤退してゆく、だが最後の最後に肺を撃ち抜かれたエンダースは命を落とした。末期の祈りを呟きながら。
★マシンガン&2丁拳銃で暴れるエンダースとナイフ使いのヤージ…本来なら号泣必至な名場面になる筈だけどこのシーンだけでも2人で日本兵100人以上殺してます(笑)でも遺体は残りません…様式美ですから。
タポチョ山で後遺症の残る重傷を負った私は独り居留地へ送還された。6月28日、首都カラバンでの民間人を巻き添えにした陰惨な攻防戦とバンザイ突撃を契機にサイパン島の戦いは、総力戦から壮絶なゲリラ戦へ移行し最後の日本軍が戦闘を停止したのは1945年12月1日の事だと言う。
そういやナバホ族を激怒させたとある台詞がインディアンブレッド(コーンブレッドの揚げパン)でした。アレはカトリック&プロテスタントが経営するインディアンの子供洗脳目的な寄宿学校の給食でして質の悪い油と大量の砂糖をまぶした別名=デブの元です。60代以上のインディアンにとっては神父による性的イタズラとか…兎に角嫌な思い出が詰まった食事になる人も居ます。
本来のナバホの主食はトウモコシの粉使ったトルティーヤの亜種みたいな物です。




