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パットン 大戦車軍団 70年

2014年3/15投稿 2018年11/28改稿開始〜.

子供の頃は単なるクソジジイの暴走映画と思ってました。

2014年再視聴時、今見ると結構いい人じゃんと評価変わりました。 戦争馬鹿なのは変わりません⇒2020年1月現在、本当はもっと評価されても良い人なんだと色々調べて思っています。

【ジョージ・スミス・パットン・ジュニア…パットン将軍は今で言うところのアスペルガー症候群或いはサヴァン症候群だった可能性が高いそうです。 子供の頃から使用人の名前と顔を全員覚えており地図や言葉は認識出来ても文字の類は全くこれっぽっちも判読する事が出来なかった彼が行ったのは、家庭教師や母親が読んでくれた全ての教科書と歴史本 果ては教会の神父さんの説話を “1語1句完璧に暗記してしまう” という異才ならではの学習方法。 勿論士官学校もそんな形で苦労しながら学科単位を習得。 但し対人関係は最後までトラブル続きでした。】


★邦題から戦車軍団を全て指揮したイメージが付いて回りますがアフリカ&ヨーロッパ戦線で戦ったアメリカ軍機甲師団の実質的な指揮官は映画監修したオマー・ネルソン・ブラッドレー元帥です。 第1次大戦で指揮を任されたのがアメリカ軍初の戦車部隊だった事と平時に口頭記述して貰った"貧者の岩石スープの話⇒浸透戦術=戦車戦の権威"という評価は予想外のモノだったそうな。


☆遺族からの映画化許可を貰えなかったから (息子ジョージ・スミス・パットン4世も当時軍人⇒少将で退役。という事情から父親の伝記映画協力はちょっと勘弁して欲しいという理由。) 2人の人物が書き残した伝記から物語をピックアップ。 勿論演出 というか危ないエピソード満載だったから映画の基準に合わせて発言自重してます。 ちなみにパットン4世の生涯の親友となったのはロンメルの息子さんであのマンフレート・ロンメル (2013年死去) 2004年にパットンが亡くなるまで友情は続きました。



原題:PATTON

パットン

アメリカ劇場公開作品.

同年日本公開.

実質的な原作: ラディスラス・ファラーゴ著 PATTON:ORDEAL AND TRIUMPH

パットン:勝利と試練 (検索出来なかったけど恐らく50年代出版)

及び オマール・ネルソン・ブラッドレー著 A SOLDIER'S STORY

ある一兵士の物語 1951年 アメリカで出版



 この映画を初めて見たのは確か小学校低学年の頃、場所は当時コザ市と呼ばれていた沖縄市の集合住宅の7階辺りに住んでいた叔父夫婦の家。 お中元届けるついでに当時コザ限定だった "エイサー" を堪能するためでした。 既に母も運転免許取得してたから親父達は日没までビールを堪能 当時高い所が大好き(こわいものしらずなバカ)だった私はベランダに貼り付く様に絶景を楽しみ、それに飽きたら叔父が所有する "横溝正史の金田一シリーズ" や "丸や世界の艦船等のミリタリー誌" を読み耽っていた記憶が有ります。 祭り見学して帰りはドライブイン……具体的にはA&Wの屋宜原店に立ち寄りハンバーガーやスーパーフライを食べ持ち帰る……中学入学までは其れを毎年楽しみにしてました。


まあ考えてみれば曾祖母が晩年過ごした首里城となりの屋敷同様、今の自分を作り出した全てのモノが其処に有った訳ですが あれから数十年 集合住宅とやらは跡形も無くなり今やリゾートマンションが立ち並び叔父夫婦は離婚し一家離散。 実は此れ書いてる今 2020年1/10に亡くなった叔父を一晩看取るため此れから出掛ける所だったりします まあ時は流れるモノです。 家の近所にそびえ建っていた巨大団地も近々解体工事が始まり跡地には総合病院が建つ事になりました。 考えて見ると団地=ステイタスなんて価値観は平成初めには終わってましたね。


ちなみに当時は田宮模型から1/35スケール(ロンメル/モントゴメリー/マッカーサー/アイゼンハワー/パットンの5体セット)&1/25スケールで単品バラ売りのプラモデル……もとい兵隊フィギュアが売られていました。 値段は覚えてませんが子供の小遣いでお気軽に買えるレベルでガンプラよりも安かった其れを⇒戦車やジープに乗せて遊べた筈でした 今よりも第二次大戦が身近なネタとして通用した訳です。 とは言え戦車のプラモは其れなりに高かったから"日本兵バンザイ突撃セット"や"ソビエト軍突撃セット"と並べて 「捕虜だー」 と遊んでた記憶が有ります。 


今思い出すと斬首作戦じゃねーか(苦笑)




[ストーリー]

 物語は士官学校での演説シーンから始まります(実際は○○○○や○○○○○等放送禁止レベルの下ネタ満載で大爆笑の渦だったそうです)


流石に映画でも無理なんで可能な限り上品に………………それでもこのレベルかい!な内容です(笑)


1906年~第2次世界大戦まで軍人やってるジジイに怖い相手はおりません。


1938年から「出してくれ!俺は戦争がしたいんだ!!」と暴れるジジイの第2次世界大戦デビューは、57歳の時でした(北アフリカ)→物語はその1年後から始まります。


チュニジア→シチリア→イギリス→フランスでの戦い、奇行については映画本編で楽しんで貰うとして、遊び要素も入れてウラ話を。


 あんまり過激にしないでくれ。と親族&監修したブラッドレー将軍の意見もありかなりソフト

(見た人に総ツッコミされそうですがアレでもです(笑))

に描写されてます。


[海外評価は高いけど]

 グデーリアン、イギリスのフラーと並びパットンの機動力を重要視した戦術は著作物で随分前からドイツ軍に注目されてます。


「奴がいつ来るのか?」と注目されていたので映画みたいに誰コイツ?では有りませんでした。


逆にアメリカ国内では貴族的な振る舞いと、世界恐慌時代・デモ隊相手に戦車突っ込ませる等の過激な行動で


人権がどうこう言う新聞屋にはメチャクチャ嫌われていた様です。


 友人で後輩のブラッドレー、左遷先で友人となったアイゼンハワーのフォローが無ければ引退まで出番無しだった人物でした。


 戦国時代の武将の様に歴史に精通し、戦場で詩を吟じ、伊達と酔狂を愛した人物です。

後方で管理するタイプが多い米軍の将校とは馬が合わないのは当然かも知れません。


明らかに産まれる時代を間違えた男は、左遷直後の12月に事故で亡くなりました。



そう言えば映画の中でアイゼンハワーとの友人関係は見せてません。何か都合が悪かったんでしょうか?

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― 新着の感想 ―
[良い点] アイゼンハワーとの友情なんて、命令無視で先に<都市>到着と言う名の<占領>の時点で崩壊したでしょうな(笑) [気になる点] 叔父様と首里城は残念で御座いました。 [一言] 上には<中指>、…
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