カポーティ 05年
2017年1/18ガラケー執筆&脱稿 1/19投稿 2025年7/26タブレット端末にて追記
【 偶々予告編を観た時の話ですが かん高い声に変な笑い声なこの白い奴どっかで動いて喋るの見たぞ? 名探偵登場で御年52歳の銀幕デビュー 全力悪ふざけやってるラスボスでした。 ●●ケル●ャクソンと似たような駄目人間の香りがしたのは……同族だからですかね きっと。 】
★なお此れ書いた数年後、カポーティが本当に断筆に至った経緯が明らかにされました。 別館[ブラックライト 96年]でネタにしたので此処では詳細省きますが"自分が嫌がらせ目的で雑誌掲載した小説で相手が飛び降り自殺"したとなるとそりゃあ居た堪れないわな。
原題:CAPOTE
Truman Garcia Capote
アメリカ/カナダ合作 劇場公開作品.
2006年 日本劇場公開
★84年に急逝した小説家。カポーティは義理の父親のファミリーネームですが普段は何故かファーストネームの“トルーマン”を多用してます。出世作“ティファニーで朝食を”のヒロインのモデルにもなったキグルイ気味のトンデモ生物とはいえ仮にも母親の自殺に関わる義父と初めてまともに話し合ったのは彼女が死んだ後……色々思う所があったのかね? 実の父親ハーペイはぶっちゃけ単なる詐欺師。そっちについては愛憎含めて何の感想も有りませんでした。本気で嫌う人間に対しては普通に無関心。基本嘘つきで見栄っ張りさらには同性愛者としての厄介な性癖…かなり面倒くさい人生歩んでる人です。
俳優フィリップ・シーモア・ホフマンが“身長以外は声まで再現”した演技でアカデミー主演男優賞受賞した作品ですが彼は2014年薬物中毒で変死・享年46歳。その以前から長年アルコール中毒にも苦しんでいた様です他人事では無かった訳だ。実は2016年・年末までこの映画の存在自体全く知りませんでした。興味本位で借りたのはメルブルックスの映画プロデューサーズのオマケで見ちゃった予告編から。世の中大体そんなもんですよね?
映画本編では取材対象の死刑囚に感情移入し精神不安定化。彼が苦手になった人は、物語の中における彼の薄情さを色々上げつらい好き勝手書いてますが…ノンフィクション映画って“作り手側の感情移入しかはいってませんよ”ドキュメンタリーも大概そうですが実際の所、その時周囲が感じた事や彼の発言を再現しただけじゃ本当の所は誰にも解りませんぜ。 ちなみに映画の最後に記された字幕は微妙にウソ。長編小説やノンフィクション方面への挑戦を行う事が無かったという表記が正確です(苦笑) 以降も書けないスランプじゃとぶっちゃけながらも亡くなる直前まで様々な中短編小説書いて次々出版しますし、仕事の中心が映画やテレビドラマの脚本中心になっただけです。小説まで書いてたら物理的に死ぬレベルの忙しい生活送ってます。“冷血”映画化の際は犯人役の出演者2人と記念撮影、雑誌の表紙にもなりました。
むしろ同じくこの事件に関わった幼なじみで作家ネル・ハーバー・リーが事件に当てられ、50年近く新作出せなかったエピソードが描かれなかったのは片手落ちです。最近新作というか出来がいまいち気に入らなかったから金庫に放置プレイして忘れていた未発表の処女作を怪しい編集者が勝手に編集・出版して話題になりましたが本人はノーコメント。真相究明はどうなるやらな展開です。 物書きは基本嘘つきです。見知らぬ他人を頭の中で製造し、自分自身を騙すことなんざ結構簡単です。やり過ぎると自分で自分が分からなく辺りは詐欺師や役者と一緒。書き上げた作品で性格バレる事も多分にありますがその辺りが作家=ヤクザな商売呼ばわりされる理由だったりします。
という訳で小見出しの件についてですが最初はHELLSINGの少佐みたいなオジサン→本編観てパタリロ殿下→そういや子供の頃テレビで見た名探偵登場(76年)って映画で変な名前に変な笑い声のおっさんが…DVD借りて調べたらやっぱり本人でした。そっちについてもいずれ書きますけどこの映画観て主人公に感情移入しちゃったお客さんは色々ぶち壊しな内容でしたから覚悟してご覧下さいな。 尚この話を書いてる段階で私が見聞きしたカポーティ作品はせいぜい“ティファニーで朝食を”程度です。勿論原作も未読のまま。
記憶もあやふやな幼児期に観た映画ですから覚えているのは、あらすじどころかせいぜい窓辺でギター片手にムーンリバー歌う主人公の姿ぐらいです。あのシーン後々日本のコメディドラマや映画で軒並みパクられてますな。もっとも殆どの家屋がバルコニー付きテラスが存在しない純日本家屋でしたから瓦屋根の上でギター演奏。挿入歌をヒットさせてます。名前は出しませんよ。
では簡単にあらすじ辿りながら今回は割と軽めに進めます。真面目な感想では有りませんので御容赦下さいませ。シリアスは史実通りの殺人事件~死刑執行再現シーンで充分です。高々70ドル前後の小銭混じりの生活費とポータブルラジオの為に家族皆殺しやらかした阿呆な実行犯の2人に司法取引で逃げ切った糞野郎1名様についても特に思う所は有りません。 どんな悲惨な境遇だろうがやらかした罪は消えません。映画ではひたすら同情的な扱いだったせいで余計に腹が立ちました。あれだけの事やらかして死刑執行程度じゃ甘くないか?だからと言ってもっと重い罰って存在しないのがもどかしい話です。
★ネル・ハーバー・リー作品“アラバマ物語”は人種差別と冤罪をテーマにグレゴリー・ペック主役で映画化。未だに全米図書館の推薦作品で世界中で年100万部も売れ続けてる小説です。ちなみにカポーティの"ティファニーで朝食を"は長らく州法で販売禁止になった所が多いそうです。カンザス州ではエロ本扱いでした。 自由の意味を履き違えた馬鹿…馬鹿に失礼か書き直して訂正します。
“●グネスチャンや元SEALDs(笑)みたいな社会のゴミ”は昔っから存在します。自分が嫌いな思想心情は全否定。団体によるヤクザじみた脅迫めいた嫌がらせをやらかし他人の人権を土足で踏みにじる底無しのゴミ。例え殺されても似たような粗悪品が次々誕生する辺り繁殖力だけはゴキブリ並みなんだコレが。
アラバマ物語は後々発生する裁判物語に影響を及ぼし、あの逆転裁判の原典にもなりました。
【文学史的な位置付けはともかくあの事件が社会に知らしめたのはアメリカの栄光が弱者を踏みにじり成し遂げられた結果でしかない事でした。西部劇の世界は終わって無かったんです。】
物語は1959年11月15日寒々しい朝。カンザス州西部、都市部近郊の農村ホルカム村クラッター家で起きた家族4人皆殺し事件発覚シーンから始まります。農業委員会のメンバーでアイゼンハワー大統領とも交流のあった名士が犠牲者となった事件は翌日全国ニュースとなり全米に広まりました。 犠牲者が抵抗不可能な拘束された状態で酷たらしい別々の殺され方をしている事。平和的な生活が当たり前におこなわれていた村全体を疑心暗鬼に陥れた事。そもそも何故こんな事件が起きたのか誰も説明出来ず捜査の進展も芳しくない等々。
捜査が迷走した最大の原因は被害総額の少なさにも有ります。戦前の大恐慌時代ならともかく、ある程度の収入がある家庭は銀行口座を開設し預金や収入を振り込んでいました。日本と違って極端な格差がある合衆国の場合、意外と銀行口座持ってない家庭がいまだに実在します。 偶々新聞記事のセンセーショナルな内容に着目した主人公カポーティは、雑誌ニューヨーカーの編集部と交渉。幼なじみで作家仲間のネルと共に列車に乗り込み現地取材の為、記者会見を行うカンザス捜査局を訪問します。
ついで犠牲者宅、最初の目撃者で犠牲者の同級生ローラ・キニーとアポイトメントを取る為学校へ訪れますが甲高い声に女性的な振る舞いの怪しいオジサンは接近失敗。ネルの細やかなフォローと本人の天性的な人たらし能力で漸く目撃者や最初の容疑者として疑われた男性。最終的には捜査担当官のアルビン・デューイ警部とも家族交じりで夕食を楽しめる程の信頼を得る事になります。
列車のエピソードや現地取材での振る舞いに関しては映画公開後にネル・ハーバー・リー本人から再現度絶賛されたそうです。
口が悪く、驚異的な記憶力をひけらかす自信家な一方で友人ネルのデビュー作大成功を共に祝い、スランプ中の恋人で作家仲間のジャック・ダンフィとも電話で夜遅くまでのフォローと連絡を欠かさない細やかさ。
色々言われながらもその人たらし能力でパーティーで活躍した理由が何となくわかる描写でした。 捜査の進展が進まない中クリスマスも過ぎたある日、ネバダ州ラスベガスにて偶然詐欺行為で捕まった犯人2人の余罪捜査過程でクラッター家殺害事件との接点が判明。
更に司法取引でかつてクラッター家に雇われた経験がある収監者フロイド・ヴェルズの証言で容疑者リチャード・ヒコック(通称ディック)ペリー・スミスの両名が捜査線上に浮かび上がり、残された遺留品や押収した品々から12月30日に実行犯と確定。 1960年1月6日カポーティとネルをはじめ多くの観衆が見守る中容疑者連行。ようやく事件の真相究明が始まります。既にラスベガス側の捜査関係者との信頼関係を構築済み。新聞記者と違って独占的に捜査状況を把握していたカポーティは保安官事務所に拘留中の犯人に接見。
裁判所や刑務所でも人たらし能力を存分に発揮、実行犯両名・特にペリー・スミスとは弁護士を紹介したり個人的な手紙をやり取りする程の信頼関係を構築します。 その一方でホルカム村の人々や捜査関係者とも交流。犯人以外の証言や想いをまとめ上げ“冷血”というタイトルも決まった作品の制作が着々と進んでいました。同時に“ティファニーで朝食を”の映画化決定&脚本や撮影状況の立ち会い。ハリウッドのセレブ達や作家仲間達との交流。
30年もの同棲生活を共にする。恋人ジャック・ダンフィとのバカンス兼執筆活動で約束していたスペイン旅行等“ぶっちゃけ寝てる暇も無い多忙な日々”を送ります。 映画の通り犯人の告白による殺害についての真相究明に辿り着けず落ち着かない日々を送ってたかどうかはねぇ……?
そもそも他人に嫌われる事が大嫌いだったカポーティ。物語の中では敢えて嫌われる事を覚悟の上で何度目かの死刑延期となったペリーに接見。ようやく事件真相に辿り着き事実の重さと書き上げる為のプレッシャー、周囲の期待感に潰されそうになりますが迷ってる内にとうとうリチャードヒコック、ペリースミスの死刑執行決定。色々悩みながらもネルの電話に励まされ、事件の結末を見届ける為、カンザスの刑務所を久しぶりに訪問する事を決断。
事件発覚から6年目 1965年4月14日立会人として2つの刑執行に他の作家仲間を伴わず参列しました。何故か涙を見せペリー・スミスに謝罪するカポーティですが実はあまり悲しくないのですよ。処刑は確かに恐ろしい光景ですが取材の中で明らかになった“被害者が味わったであろう理不尽な恐怖にすら値しない”それはカポーティの心を決して揺らす事は有りませんでした。 微妙な後悔と死に対する恐怖感は帰りの列車の中、受け取る事になったペリーの遺品を調べた時訪れます。本に挟まれた唯一の家族の写真、万感の想いと人間扱いしてくれた彼に感謝を込め描き上げられた鉛筆仕上げの肖像画…。
その夜ネル・ハーバー・リーと電話でやり取りした彼は遅まきながら自分自身も気付いていなかった心の奥に潜む本音を指摘され。物語の結末を一気に書き進める事を決めます。 1965年に発表されたノンフィクションベースの物語“冷血”はそのセンセーショナルな内容と物語としての完成度で評判となり大成功。従来の新聞記事や興味本位で書き立てられたゴシップとは一線をかくしたそれは2年後、実際の殺害現場となった元クラッター家を撮影舞台とした映画となり制作&公開されました。
…とまあ物語本編はこんな形で終わります。カポーティやネル・ハーバー・リー。ジャック・ダンフィ等色々興味深い奇人に変人が次々登場しますが物語自体ははっきり言って地味です。事件発覚から最後まで続く張り詰めた緊張感で一気に魅せる物語ですから退屈さは皆無だけどね。
【オマケ話:前回書きそびれた“焼き畑”の嘘について。メモ変わりに記載しましたから読みたいお客様だけどうぞ。】
機会が有れば書こうと思ってましたがよりにもよって政府機関が特亜(日本政府ODA投入し中華人民共和国主導という事になってる植林事業)に媚びまくりの恥ずかしい文章を公開しておりますので、敢えて書き残して置きます。マジふざけんな!環境省!!
前回もちょっとだけ記載しましたがパプアニューギニアみたいなジャングル=植物と細菌・昆虫の力が人間より遥かに強くしたたかな環境の場合。農業経験でコントロールされた災害=焼畑農法は化学肥料や農薬散布より有効で自然環境の維持というより野生動物の環境にも良い場合が有ります。農業知らない馬鹿政治家が支援するNGOが海外でジャングルでの焼き畑を止めさせる為化学肥料と農薬を強制的に使用した結果、村の土壌を破壊した事件があるのですよ。新聞は沈黙しちょりますがな。
※上手くやってる例は日本の場合、鎮守の森や上社の森を基準値とした森林管理。京都の大文字焼きや芦原の野焼によるアシの地下茎保護。里山という形での野生動物との共存等々。勿論地方によって細かな調整が必要で共通の方法は有りません。
水と多種の生命による土壌回復が異常に早いお米は例外ですが、普通リンや窒素を消費する畑は2~3年目安で休耕(日本の環境下の場合)10年単位の復旧作業後で再び実施。という形なら化学肥料や農薬の世話になる事もないのです。しかし土地が限られた環境下、そうそう美味い話は無く適切な人工調整が必要です。見境なしに土壌栄養分増やしたらバランスは簡単に壊れます。
化学肥料や農薬散布は現在の人口維持に不可欠な存在なのですよ。
で、問題になってるのが利益率優先、工業製品として農作物製造やってる阿呆の暴走です。かつてチグリス・ユーフラテス文明にスペイン王国や中国歴代王朝を滅ぼしたやり方と全く同じで再建不可能な土壌破壊と栄養分略奪→収穫落ちたら放棄し他の土地って蝗みたいなやり方だとどんな生物も存在しない荒野が誕生します。まあ何事も程々にバランス良くやらないとどんな方法もロクな結果にならないというお話です。
単純に焼き畑=自然破壊って訳じゃないのですよ。
ではまた次回




