唐山大地震 10年
2015年9/30ガラケー投稿 2020年4/23タブレット端末にて改稿開始〜2021年10/17深夜作業終了 とあるレンタル店でDVD見付け再視聴 こんな感じで纏めてみました
【 1976年7月28日 夏の早朝3時42分に始まった巨大地震は炭鉱の街 唐山を完膚なき迄に破壊しある家族の運命を永遠に捻じ曲げた 2008年の四川大震災で再び再会する母と子のドラマ中心に家族愛テーマに展開される年代記。 物語の中でやたら文化大革命時代の中共政権に対する愛国心とか中国共産党や人民解放軍が美化されてますのでご注意を 此れから見るならNHKの連続テレビドラマ "坂の上の雲 2009年" か当時の雰囲気出そうとした "タイタニック 1997年" みたいな作品だと割り切る事をお勧めします あくまでも史実ベースにしたフィクションだしな。 】
★映画では死者24万2419人で負傷者16万人以上 但し実際の犠牲者数は行方不明者も入れると65から80万人以上 (そもそも今も昔も中華人民共和国にはまともに機能してる戸籍制度は有りません) 再調査予定は現在の所皆無 映画では描写無いけど作業断念で生存者放置とか暴徒化し処刑された者も其れなりに居ますが彼等は人数にすら入ってません。 そもそも人海戦術だけじゃやれる事とやれない事が有る
原題:唐山大地震
英題:AFTER SHOCK
余震或いは広い意味で後遺症
香港 (中華人民共和国 検閲済) 劇場公開作品.
日本のみタイミング悪く東日本大震災により
2011年⇒2015年に公開変更し上映
■当初 "想い続けた32年" のサブタイトル入る予定でした
2015年当時 何故新作扱いのこのDVD……しかも面白いかどうかも不明な段階で借りたのか全く覚えていません(苦笑) 多分他の作品見てた時に予告編気に入って借りた可能性が高いです。 地震の名前や被害状況は知らなかったけど小学生の頃、家の近所のさとうきび畑に山の様に捨てられてた朝日&毎日新聞社出版の副読本じゃ "唐山の街は全て崩れ落ちたけど犠牲者は僅か100人以下で済んだ……中国の地震予報は日本や欧米より優れてる" とネズミやカエルが入った水槽の前で記念撮影する人民服姿のオッサン達の写真と共に掲載されてたのを覚えてます。 勿論全部嘘だった訳で恐らく資料回収による証拠隠滅か本屋で売れなかったから不法投棄されたかな? 祖母の家で風呂の焚き付けに再利用させて頂きました いや火の番してると燃やすついでについつい読んじゃうのね。
実際の所、大躍進政策〜文化大革命の時代に作られた耐震性ゼロの急造住宅や採掘施設が建ち並び急速に増える出稼ぎ労働者で溢れかえる炭鉱の街 "唐山" は夜明け前にマグニチュード推定7.8な最初の地震で実に97%もの建物が完全崩壊 人民解放軍が救助のため現場に到着したのは震災から2日後の事。 近隣の寒村からトラックで乗り込み略奪やってた阿呆の逮捕処刑から始めなければならなかったとかで初期の人命救助対応に見事に失敗 激怒した毛沢東の命令で救助救援活動は途中打ち切りとなり 以降この街は10年間もの間、立ち入り禁止区域となり侵入者は逮捕或いは射殺。 海外への情報公開と瓦礫の1部撤去が始まったのは毛沢東が死去し、文化大革命を推進した指導者達の裁判が終わってからの事になります。
なお震災の詳細知ったのはリーマン時代あちらこちらの食堂やコンビニに置かれてた怪し気なエログラビア入った真相究明本とか雑誌 ガラケーでも閲覧可能だったグロサイトからの情報ですのでイマイチ信用無いかも(汗)
2015年当時は DVD見てる途中に挟み込まれた本物の写真からその事思い出し 途中から始まった日常パートで "さあ泣けさあ感動しろと" と言わんばかりのベタな演出に色々冷めて早送り&画面スキップ 実は本当に心を揺さぶられたのはドラマ本編終了後、 恐らくあんな甘く無い人生を送ったと思われる実年齢以上にボロボロになった生存者の登場と巨大さと無機質な印象与える慰霊碑に御参りする記録映像でした 街の再建は地盤沈下の恐れも強く殆ど断念される事になり 慰霊塔の周りだけが更地となり街そのものは隣へ移転 高層ビルが建ち並ぶ世界と隔絶するかの様に並ぶ "一部犠牲者" の名前が刻まれた壁と森に侵食される瓦礫の山 (その多くはまともな捜索行えず未だ放置されたまま) 元々人々の出入りが激しく殆どの名簿は紛失 早朝だから火災こそ少なかったものの夏場だから傷み激しくて身元が分からないまま急ぎ荼毘にふされた遺体も其れなりに多いとなるとね。
【 1976年7月27日 夏の盛りを向かえようとしていた河北省の街 唐山を覆い尽くしていたのは大量に羽化し街を離れようと飛び続けるトンボの姿 怯える双子は姉のドンと弟のダー 大嵐が来るのかも……加え煙草でそう呟く父親ダーチアンも杭州から此処に移り住んだばかりで今ひとつ確信が持てない 大躍進政策により急速に需要が増えた大量の石炭が埋蔵されている地に設けられた巨大都市 それ以前は何も無い場所………何故ここに誰も住んでいなかったのか? 古来人が住まない土地には住めなくなった理由が大概存在するのだが人は何度も過ちを繰り返す。 】
★なお今作の主人公ドンとダーの生活環境は同時代における香港在住中流家庭レベル 令和3年現在の日本人が見たら懐かしいとなる所ですが 映画冒頭出て来るアイス盗んだクソガキよりも遥かに恵まれてます 普通は2世帯……下手すると3世帯同居が当たり前だったそうです。
喧嘩早い姉 方登と甘えん坊な弟 方達 父 方大強は軍退役後、トラックを購入し運送業を営み 母 李元妮は洋裁工場でお針子務める共働き 共同住宅に住み下手な炭鉱夫よりも遥かに恵まれた生活しているものの 日本も当時そうだったけど今の様にエアコンやクーラーは存在せず 涼を取りたいならアイス齧るか水で冷やしたトマトや胡瓜を食べるしかない 勿論扇風機だって贅沢品 特に夏場は4人が並んで眠ると暑いから 少々狭い部屋に吊り下げた蚊帳で眠るのは姉弟だけ 両親は大切な私有財産でもあるトラックの運転席か荷台で寝泊まり
24時間3交代で採掘続ける街は深夜もそこそこ騒がしい どうせ暑くて眠れないからと3人目作ろうと荷台にしけ込む両親を襲ったのは 空を覆い尽くす紫の光を前兆とした大地震 マグニチュード推定7.8 建物は一瞬の内に薙ぎ倒され多くの人々が瓦礫に押し潰される形で即死 二人の子供助け出そうと官舎に飛び込んだダーチアンも地割れの中へ 辛うじて難を逃れた人々は肉親や配偶者に子供の名前呼びながら素手で瓦礫をどかそうと必死だが埒が明かない 度々繰り返す余震に追い打ちかけるように降り注ぐ大雨 広場のそこかしこに並べられる犠牲者達の遺体 救援も未だ届かず負傷者達も次々と息を引き取る 姉と弟は生きていた 瓦礫の下敷きになっており何方かを助ければ片方は生き埋めとなる状況下 母ユェンニが選んだのはダーの救出
地震から2日後、漸く人民解放軍が唐山へ到着 左腕潰され昏睡状態のダーと錯乱寸前のユェンニは野戦病棟へ搬送 瓦礫の山と化した市街地では人海戦術と僅かな重機を使い懸命な救出活動が続くが掘り出されたその多くは既に手遅れ 降り続く雨と野晒しの犠牲者達 生き埋めとなり死んだ筈のドンは奇跡的に息を吹き返す 廃墟と化した街を彷徨い歩く幼い少年少女は兵士達により保護され臨時の孤児院施設に預けられた
数ヶ月後、再建活動が始まった唐山の街 未だ誰にも心開かず口も噤んだままのドンは人民解放軍の将校 王徳清 薫桂蘭 夫妻に引き取られる 子供達の写真は官報に載せられ各地に設けられた避難所や被災者受け入れた病棟にも掲示されたがその多くは家族との再会が叶わなかったと言う 義父母からヤヤと愛称で呼ばれ愛情注がれた結果、漸く言葉が話せる様になり王登となった少女の再出発 同じ頃、親族が引き取るとか色々有ったものの避難所から仮設住宅⇒唐山に小さな家を購入した母子=ユェンニと片腕となったダーも二人暮しを始める 1976年9月 国父・毛沢東の死去と全国で行われた追悼式典 年月は忽ちの内に流れてゆく
1986年 母の反対押し切り大学進学を断念したダーは 同世代の仲間達と共に杭州へ集団就職 ドンは同じく杭州医大への進学が決まり義父母と離れ初めての寄宿舎生活 唐山に独り残り亡き夫と娘を弔い続けるユフェンニは繁華街で洋裁店を開き自活 妻と子に先立たれたお隣りの電気屋 牛に猛烈なアプローチを受けるが…………まぁこの辺りのドタバタは書いててもあまり面白く無いので運良くレンタル店で見掛けたらお客さん自身の目で楽しんで欲しい そもそもヒロインのドンもユェンニもはっきり言ってモブ顔だし 性格その他も何かもううじうじしててイラッと来るし(苦笑) 仲間と共に杭州で自転車タクシー会社を始めたダーと娘の様子見に度々杭州訪れる義父ダーチンとのニアミス 互いの境遇語り共に頑張ろうと意気投合する二人が無関係じゃ無かったと知ったのは随分年月が流れてからの事
義母グイランは数年後、癌で早世 悲しみに暮れるドンにさらなるトラブルが降りかかる 大学の先輩 楊志の子供を妊娠 墮胎勧める先輩とその家族に追い詰められたドンは医大を中退 申し訳無さから義父ダーチンに事情を話せず行方を眩ませた 娘の窮地を知ったダーチンは大学へ押し掛けヤンを責めるが共産党員でも有るやり逃げ男は家族共々海外へ逃亡 1995年春節 杭州で運送会社の社長となったダーは婚約者 小河を連れ久し振りに唐山へ 老境迎えた母ユフェンニに杭州での同居を提案するが 二人の菩提を弔い続ける母の心は頑なだった 同じ頃、香港で独り娘を産んだドンは英語学びながらシングルマザーとして必死に働いていた 数年後ダーとハーの間にも長男誕生 奇しくも二人の子供の名前は共にティエンと名付けられる 1997年春節 娘の行方探しながら独身生活続けるダーチンの前に現れたドンとティエン 怒ったり孫の誕生喜んだり挙げ句の果てに娘ドンが16歳年上な外国人と結婚しもうすぐカナダ国籍取得すると知りパニック状態
とにかく飲もう! 春節の集まり放り出し家族会議してた友人を心配する元軍の同僚からの電話に感無量な表情浮かべるダーチン そして月日は再び流れる
2008年 中国とカナダへ生き別れとなった家族の再会の切っ掛けは四川を襲った恐ろしい大地震 唐山救援隊=医療物資や食糧乗せた車列を指揮し被災地て向かうダー 夫を説得し此れから編成される海外からの救援隊の現地通訳ボランティア兼看護師として乗り込み人命救助にあたるドン 瓦礫に挟まれた娘を助けるため両足切断を決断する母親に衝撃受けるヒロインの描写はさみ漸く再会果たす姉と弟 当時の面影は微塵も残っていない唐山への帰郷 娘が生きていたと知り情緒不安定となった母ユフェンニとの愛憎混じった遣り取り 父の墓の隣に建立された中身の無い自分の墓 互いに32年に渡る思いを吐露し号泣し抱き合う母と娘 何れ此処に私も眠る……教科書と衣類が収められたドンの墓は撤去される事なく残される
2008年 中華人民共和国政府は漸く瓦礫の一部撤去が終わった旧唐山市郊外に犠牲者の名前を記した慰霊碑を設置 この物語のモデルとなったソン・ソウジュの経歴と65歳を迎えた元工員の姿を映し出す 自転車で此処を訪れた彼が声を掛けたのは両親と妹の名前が記された巨大な壁 春節の日、此処には今も多くの遺族が花を捧げるために訪れる。
にしてもさぁ泣けと言わんばかりの描写はちょっとね……………日本人にはうけるのかも知れませんが




