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愛と哀しみのボレロ 81年

2015年9/4ガラケー投稿 2021年12/26タブレット端末による改稿開始〜12/28取り敢えず作業完了

【 1968年 毛沢東思想に染まった平均年齢10代後半〜20代前半のお馬鹿ちゃん達が起こしたフランス5月騒乱(革命)でド・ゴール体制寄りのファシスト呼ばわりされ14年 鬱屈した思いと悔しさ抱え日陰者(米国出稼ぎ)生活やってたクロード・ルルーシュ監督の海外向けメジャー作品復帰作(勿論フランス政府資金持ち出し) 何でこんな色々面倒臭いシチュエーションにしたのかに付いては 流言飛語に踊らされ自分虐めた映画業界と流行病(毛沢東崇拝)に掛かった阿呆共の安易な掌返しにかなり戸惑っていたらしい 実在の人物使ったノンフィクション形式の物語なのに何故別名なのかに付いては版権と肖像権のトラブル対策だそうです。 】


★変なおっさんは不思議な踊りを始めました……小学生が観た名作映画の光景~あれから数十年 やっぱり感想同じだったりして(笑)


☆全体主義と革命思想に溺れたクソ野郎達が無責任に他人を責め立てる そんな要素多かったのは勿論奴等を到底許す気になれないから こんな作品撮った真相はそんな所だと思うけど敢えて口にしないのは大人の挟持


原題:LES UNS ET LES AUTRES

私とその他の人々⇒要するに "人其々(ひとそれぞれ)"

主題歌翻訳すると島倉千代子さんのあの歌(人生色々)になります(笑)

フランス 劇場公開作品

同年 日本 劇場公開作品

❖オリジナル版は4時間20分/DVD&劇場公開版は3時間5分


 令和3年12月26日 彼此れ6年ぶりに軽く通しでこの映画見た感想は只1つ 何故こんな人々の人生を混ぜ合わせた様な映画が撮られたのか そんな詰まらない事情は知らないし体験した事もない貴方は幸せなのかも知れないよ………此れに尽きるかなと思います。 確かに全共闘時代なんてあの時代の閉塞感綴った古い記録映像と写真しか知らないし 其れより遥か以前の第二次世界大戦下で起きたユダヤ人に対する組織的な民族根絶やし 何故ナチスのみならず共産主義の脅威に怯えるヨーロッパ全域の人々が見て見ぬ振りするどころか積極的に虐殺に加担したのか 全てはナチスがアドルフ・ヒトラーが悪い事にされた歴史の捻じ曲げに至っては客観的な資料や証言から推測するしか無い訳ですしね


物語のバックグラウンドに使用したのは元々バスク系で流れ流れてフランス国籍取得した作曲家 モーリス・ラヴェル の代表曲の1つ ボレロ ひたすら同じフレーズの楽曲に徐々に演奏者と楽器が増えてゆくにしたがいクライマックスに辿り着くその演奏は正しく人生そのものじゃ無いか 時代を其々の登場人物が暮らして来た国々をそして世代を越えて受け継がれてきたものはまるで大河の様に流れてゆきやがて跡形も残さず消えてゆく そりゃあ偶々DVDでこの映画見た程度じゃどう纏めるべきか分かる筈もない 


其々の人生と言う物語に圧倒され振り回された挙げ句、見終えた観客に残されているのは単なる残り香だけ 


製作サイドは延々4時間どころかもっと長く続けたかったらしいけど視聴者が拘束される時間は自ずと限られる この監督音楽ライブ感覚で映画撮ってるから度々やらかしてるそうです まんま影響受けたのがユーゴスラヴィア近代史をドタバタ・ブラック・コメディ形式で走り抜けた アンダーグラウンド になる訳だ まあ私はそう解釈致しました 勿論見るお客さんにより受ける印象は全く異なる筈



【 そういや何故か朧げながら覚えているのだけれど 沖縄では極東放送(後のFM沖縄)で毎週日曜日に夜8時からやってた "スクリーンへの招待" でタイアップ企画の様なモノをやっていた記憶が有ります。 映画本編ではBGM扱いだった主題歌 愛と悲しみのボレロ の歌い手違いバージョンとか サントラ盤には収録されていないちょっとしたBGMが毎回流れ………当時子供だった私は何故こんな映画の宣伝やってるのか不思議でしょうが無かった 調べてみるとこの番組延々49年も安谷屋真理子さんパーソナリティで令和3年9月末まで続いてました 何にせよ長年の生放送お疲れ様でございます。 】


★私を映画好きにさせた原因の1つ AM放送時代は創業時キリスト教布教用の放送局だったけど徐々に若者ターゲットにした内容に FM東京と提携してからは深夜放送でもお世話になりましたが 試験放送期間中は24時間約2ヶ月程の間アニメや映画のサントラ全曲CMもMCも無しで放送してたから タイマー録音機能付きのラジカセとカセットテープ大量に買ったなぁ


☆極東放送時代は確か土曜日お昼1時〜1時55分まで 数年後夕方6時〜6時55分 FM沖縄移ってからはず〜と日曜夜8時


ひとりの人生は2つか3つの物語しか生み出さない だが其れは何度も繰り返すのだその度に始めて体験する様な残酷さで  by:ウイラ・ギャザー


 警句じみた手描きのメッセージと出演者の紹介 そして凱旋門の上に設けられたコンコルド広場を中心に据えた夜のパリが一望出来る特設ステージでカール・クレマーが指揮するオーケストラの演奏をバックに踊るのはソ連から亡命したバレエダンサー/セルゲイ・イトヴィッチを中心とした大勢の踊り手達 このステージは赤十字とユニセフによる生放送チャリティー番組の目玉だったが、(セルゲイ)は知らない 選択された楽曲ラヴェルのボレロは彼を生んだ母=タチアナと父=ボリス・イトヴィッチを結び付けた曲でも有る事を 物語はまずソビエト連邦/フランス共和国/ナチス・ドイツ第三帝国/アメリカ合衆国 1936年〜1981年までの45年間 其々の理由で音楽に携わる4組の男女の出会いや成功譚から始まった 


とは言えだ………かなり内容端折った筈の劇場公開版&DVDでも軽く3時間 その昔レーザーディスクで限定販売されたノーカット完全版ともなると4時間半軽く越える訳だし細かなエピソードはばっさり削るので勘弁して欲しい 出来りゃ他にもガラケー原稿から追記手直ししたい作品紹介沢山あるし 今読み直すと支離滅裂だったり誤字脱字のみならず説明不足だったり逆に過多な旧稿も多いのだ 下手すると延々直してる内に人生終わるかも知れないし 音楽で結び付けつつも互い違いに舞台と登場人物がいれ替わりやがて混ざり合う演出は本編で楽しんで貰うとして此処では其々纏めて進めさせて貰う。


 1つ目はソビエト連邦・モスクワ 音楽家ボリス・イトヴィッチが新進気鋭のバレリーナ/タチアナを見染めたのはボリショイ劇場のプリマドンナを選出する1936年のオーディション 決勝戦で惜しくも選を逃したのはタチアナだったが色々有って即座に結婚 だが幸せな生活はそう長くは続かなかった 1942年から始まった独ソ戦の戦況は悪化の一途を辿り 16歳から55歳までの五体満足な男性は全て徴兵が決まりボリスが派遣されたのはスターリングラード攻防戦 勿論生きて帰る事は無かった シングルマザーとなったタチアナは戦後バレエ教師となり同僚と結婚 


英才教育を受け育ったセルゲイはやがて成人しボリショイバレエ団のエースとなるが1961年、パリ公演に出演した際に通訳女性に一目惚れ 劇的な政治亡命騒ぎの末にフランス国籍取得し夫婦は後に独り娘タチアナを授かる チャリティーイベントに参加したのはこの番組がテレビ&ラジオで世界中に生中継されるから 亡命してから20年 連絡も渡航もままならない祖国で暮らす両親に 自分が今も健在で有ることと妻と娘の姿を見せたい そんな理由から久しぶりにステージへ



 2つ目はフランス共和国首都パリ 歌い手を変え そしてフランス語からドイツ語更には英語歌詞で歌われる楽曲は 映画オリジナルソングFolies(フォリー) Bergere(ベルジュール)=羊飼いの愚行 歌詞は本編字幕スーパーで楽しめるし規約違反になるからオミットするが パリが魅力的で有る事を称えつつもまるで尻軽ビッチを思わせる浮気癖をおちょくり捲ったフザけた歌詞 1937年 フォリーベル・ジェール座 舞台の目玉は後年アメリカのテレビでサタデー・ナイト・ライブ 日本のテレビでは 8時だョ全員集合!やシャボン玉ホリデーで花開く歌と踊りにコメディを欲張りに取り込んだレビューショー サーカスと同じで才能のみならずチームワークが要求されるバラエティだから人の入れ替わりも割と多いが 劇団員には人種差別も階級闘争も存在しない


美しいユダヤ系バイオリニスト/アンヌの心を射止めたのは 新人ピアニストで同じくユダヤ系のシモン・メイヤー 喧嘩になるから、なるべく宗教色を薄めた結婚式で2人が披露したのは玩具の楽器使った感謝のデュエット 彼等の運命を歪めたのはナチスドイツだった 1942年から始まったフランス国内での執拗なユダヤ人狩り 強制収容所送りとなった2人は少しでも息子ダビットに生き残るチャンスを与えようと手持ちの財産とメモ括り付け線路へ置き去りに なお田舎のフランス人は普通に鬼畜だった 赤ん坊から指輪と財産毟り取った男に教会に捨てられたダビット・メイヤー⇒ロベール・フラは牧師の息子として育ち アルジェの独立戦争に徴兵 様々な出会いと別れ繰り返しながらも弁護士となり息子パトリック・フラは海軍士官 色々有って軍を辞めミュージシャンの道を目指す。


シモンがガス室で処刑されたのは1943年 断末魔の苦鳴や嘆きを周辺住民から誤魔化すため行われた悪名高い 死のオーケストラ 皮肉にもバイオリニストだった事から隠蔽活動に徴用されたアンヌは奇跡の生還果たす 演じる場所を失った元劇団員の仲間達と共にフランス国内を転々と バイオリンは2度と引かない アコーディオン演奏者となった彼女は生きているかも知れない息子ダビットの行方を探し何度も彼を下ろした駅へと立ち寄る様になった。 やがて老い心労と罪悪感から記憶もあやふやに 精神病棟に預けられた彼女が夫シモンと瓜二つに成長したダビット=ロベールと再開したのはちょっとした偶然とパトリックが人気アーティストになった事 人種の垣根軽く超えた団員達はアンヌの心を助けるためタビットの捜索を諦めて居なかった お母さんアナタの孫のパトリックが今夜のイベントに参加する 共に彼の大仕事を観に行こう 2人は観客席に居る。



 3つ目はナチスドイツ政権下のベルリン1937年 総統官邸に招かれピアノ演奏を披露したのは後の大演奏家 カール・クレマー 芸術に予算回す余裕は無い 何もかも軍備が優先される独裁政権下でやっと掴んだ出世のチャンスを喜び合う妻マグダのお腹には初めての息子が宿る やがて始まった第二次世界大戦 宣伝相の伝手で軍楽隊の指揮者となったカールは占領されたフランス・パリへ そのイケメン振りと音楽の才能から忽ちパリジェンヌからの熱烈なアプローチに晒される かつてはフォリー・ベルジェールだったナイトクラブで知り合ったのは羊飼いの愚行(フォリー・ベルジュール)をドイツ語で歌う元楽団員のポーランド人女性エブリーヌ 共に生き残るために望まない仕事してる二人は急接近 不貞の末に生まれたのがエディットだったがカールはその事を知らされないままパリを奪還した連合軍の捕虜となっていた


1945年ナチスドイツは何もかも巻き添えに滅びた 1年以上に渡る捕虜生活の後、フランスからベルリンへ連行 漸く解放されたカールを出迎えたのはマグダ 自宅は爆撃で全焼、家族で唯一の犠牲者となったのは顔も見ないままだった息子 ナチのシンパ扱いされているカールとマグダの音楽界復帰は苦難の連続 1961年ベルリン・フィルの主席指揮者となったカールに向けられた執拗なバッシング 殴られたなら自身の演奏指揮で殴り返す 嫌がらせの極みだったニューヨーク公演 嫌味全開なマスコミの質問 結局夫妻の戦いは終生続いた 


ナチの子供身籠った裏切り者 連合軍の慰問コンサートでやって来たジャック・グレン率いる楽団の演奏で迂闊にも 羊飼いの愚行(フォリー・ベルジェール)を英語で歌ってしまったエブリーヌは魔女狩りを続けていたフランス人達に捕まり丸坊主にされリンチを受ける パリを追放され今はフランス北部に暮らす両親の元へ 数年後此処でも始まった魔女狩りに追い詰められた彼女は娘エディットを残し自殺 やがて成人したエディットはアルジェから戻って来る筈だった夫に嫁ぐためにパリへ 彼は行方不明となっていたが今更故郷へは戻れない 割と意地っ張りだった彼女(エディット)はセルゲイが経営するバレエ教室の掃除婦 やがて自らもバレエ習いミュージカル映画のバックダンサー目指すが下手なスター顔負けの美貌が仇となり失業 今度はテレビ局のアナウンサー試験を突破しニュース・キャスターへ 一時期はお上りさん時代に知り合ったロベール・フラとも愛人関係持ったが長続きせず破綻 


チャリティー番組を企画したプロデューサーと懇意となりセルゲイやカールそしてグレンの娘サラとロベールの息子パトリックが出演するイベントの司会者に なお彼女(エディット)はドイツ/アメリカ/ソ連からやって来た彼等が同時に自分の人生を変えた縁者でも有る事に気付いては居ない カールも彼女の面影に何か気になるモノを感じたがマクダを愛し続け未だナチの悪名と戦い続け 今回のチャリティーイベントの成功を担う責任者でも有る彼にしてみれば瑣末事でしか無かった。



 最後はアメリカ合衆国ニューヨーク1939年 ハドソン川で行われたジャック・グレン楽団のラジオライブ 週末の金曜日の夜誰もが浮かれ騒ぐイベントでグレンが披露したのは長女サラの誕生祝いを兼ね作ったオリジナル曲 漸く首が座って来た娘を抱えながらベットの上でサプライズプレゼントを貰い笑み崩れるフランス人の妻スーザン・グレン だがその日は9月1日 ドイツ軍がポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発したと臨時ニュースが入り目出度い席に冷や水浴びせる 心を強く保ち不測の事態に備えよう 2つ目のオリジナルソング披露はポーランドと英国そしてフランスの健闘を祈る楽曲に変更となった やがて戦線は拡大の一途を辿り日本政府に対するあからさまな挑発行為を切っ掛けとした大東亜戦争も勃発 日本のみならず同じ枢軸国のナチス・ドイツやムッソリーニ政権下のイタリアへ宣戦布告した合衆国は戦時体制へ突入 グレンも彼が率いる楽団も徴兵され戦地慰問に駆り出される


戦地とニューヨークを行き来する生活 マンハッタンに程近いグレン家では息子ジャクソンも生まれますます黒人家政婦エマがてんやわんや 隣に住む青果店を経営するイタリア人夫婦とは友人関係に ことある度に殴り合いの喧嘩繰り返すロバートとドナルドは軍服姿のグレンに憧れやがて第82空挺師団のエリート軍人に そして始まるノルマンディー上陸作戦 降下前も殴り合いの喧嘩やってるロブとドンを待ち受けていたのは対空砲火の嵐 お隣さんの様に美人のフランス娘を嫁に貰う夢は自らの命諸共泡と消えた パリでの慰問コンサートで多少のトラブル有ったものの無事祖国へ戻る 彼を出迎える先に戻った楽団員達の演奏とミュージカル形式の演出で始まるサプライズイベント 同じ頃馬鹿息子2人の帰りを待ち続ける青果店夫妻の前に現れたのは…………。


娘サラの数度の結婚と離婚等、色々有ったけど人生順風満帆だった筈のグレン家を悲劇が襲ったのは60年代 グレンの妻スーザンが交通事故死 やがて家族はグレンの再婚切っ掛けに一時期は散り散りバラバラに 兄ジャクソンの自殺未遂 サラが取り憑かれた病を契機に再び親子は二人三脚の音楽活動を再開 フランス………かつて羊飼いの愚行(フォリー・ベルジェール)と呼ばれた歴史有るライブハウスでフランス人興行主とテレビ局プロデューサーに持ち掛けられたのはカールが楽団を指揮しセルゲイが踊るバレエ=赤十字とユニセフのチャリティーイベントに歌手となったサラが参加する事に 歌うなら共演者が要る熾烈なオーディションを勝ち進み栄光手にしたフランスの歌い手はロベールの息子パトリック 色々有って意気投合した2人は次第に愛を育んでゆく そう言えば俺も此処でスーザンと知り合った やがて初孫生まれ 自身がそろそろお爺ちゃんと呼ばれる時代もそう遠く無いのかも 右肩上がりに盛り上がるステージを眺めてみると何故か懐かしい顔ぶれが


他にもアルジェ独立戦争生き残ったロベールの友人達のエピソードとか フォリー・ベルジェール劇団の元メンバー達のエピソード等 色々入りますがごちゃごちゃしてくるからこの辺りで纏めに入ります ラヴェルのボレロをクライマックスに集った人々のちょっとした遣り取りを映し出し漸く終焉迎える大イベント 観客も出演者も去り夜明けを迎えるパリの全景 凱旋門の特設ステージからは撤収作業終えた二機の大型ヘリが飛び立ち 地上では救急車3台を先頭に大量の撮影機材や荷物を乗せたトラックや大型バスの移動が始まる やがて空撮続けるヘリに搭載されたカメラが捉えるのは今も45年前のあの日あの時もとうとうと流れるセーヌ川を映し出す 


人も歴史も流れ続け変わり続ける残されるのは僅かな残り香と幻影の跡



本編とは無関係だから敢えて後書きで綴りますが 私がラヴェルのボレロを知ったのは確か小学校低学年か幼稚園児だった頃 番組名思い出せませんが毎週末日曜日朝やってた海外の風習や旅行記綴った番組終わった後、スポンサーCMで流された日本の古典音楽や雅楽で使われる楽器使ったこの曲の演奏映像でした 古い動画がごく当たり前に検索閲覧出来る時代となりずっと探してたんだけど何故か見付からない(汗) もしかして私が見聞きしたアレは本当にテレビで見た物なのか 実は自信が有りません 今も時々とんでもないモノ見たフラッシュバックが入るしね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 改稿お疲れ様で御座いました。 やはり<超大作>で御座いまいしたか。 自分が見た時は2時間30バージョンだったと(笑) [気になる点] 正直、あらすじを見るだけで圧倒されますな。 ゴッド・フ…
[良い点] この映画、確か長時間版をTVで見た覚えがありますが、内容はサッパリ覚えておりません(笑) 複数家族の話だっとは記憶にありますが。 [気になる点] 米国では男女問わずこの<ボレロ>を大舞台…
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