華麗なるギャッツビー 74年
2015年8/5ガラケー執筆し投稿 2023年3/18タブレット端末にて改稿開始〜
【注意:正真正銘の人間の屑そのものなヒロインが出て来ます→でも視点を変えると全部ひっくり返る。凄く怖い話です】
2013年に「ディカプリオ」主演で通算5回目の映画化作品
テレビドラマや舞台劇、マンガ化までされてる話ですし
ネタばれ全開でいいよね?
とゆう事で自重一切無しで書いてみます
(いや・いつもそうじゃん(笑))
ちなみに今回は「ロバート・レッドフォード」出演の1974年バージョンです。
原作もさることながら作品化された全てのバージョンが物語の解釈違い、
どの立場で見るかにより
微妙に内容が違うんです
それぞれのストーリーや作られた時代背景も結構面白い作品です。
「女が昔の男を何時までも想っていると思ったら大間違いよ」
「全ての女が自分と同じだと思ったら大間違いだぜ」
※反論して来た事に、本当は君も分かってるんでしょう?と苦笑しながら
「男って本当にどうしようもないロマンチストね」
出典:アニメ「カウボーイ・ビバップ」より昔の女の犯人隠匿を疑う「ジェット・ブラック」
過去の記憶が無いヒロイン「フェイ・バレンタイン」が犯人を追い詰めた時のやりとり。
…実は当時このアニメ本編観てる時は気付かなかったんですよね。
合間にクソガキ(エド)と犬が茶化してますし尚更気にも留めない。
あれから数十年も経って今回紹介するこの映画の主人公「ニック・キャラウェイ」と同じ視点で
「人間の屑」と「Jギャッツビー」の虚しい関係に怒りを感じながら映画を観た後に眠った翌朝
ふとこの会話思い出したんです。
なんか鳥肌立ちました。
「そうか、そういう事か……」
謎は全部解けた。そんな感じです(笑)
では某憑き物落としの拝み屋さん風に
「宴の支度を始めましょう」
今迄観た映画や物語の中で人間として最も最低の存在、人間の屑そのものなヒロイン「デイジー・ブキャナン」と
最も純真であるからこそ実は全て理解していたとしか思えない
優し過ぎる登場人物
「Jギャッツビー」
全て理解していたから物語の最後に裏切った「屑」を救い出す事をあきらめ。
人生の最後に出会った最高の友人を巻き込まない様にあんな行動をしたんでしょうね。
ある意味ヒドい男です
物語の主人公にして傍観者「ニック・キャラウェイ」の視点から眺めたこの話、
実は大まかなストーリーも結末も知っていました
公開後にこの映画の影響受けた「ギャッツビー」ブランドの男性向け化粧品が大ヒットし
今程存在が広まっていないから気付かなかった「腐女子」「貴腐人」な人達が2人の友情に密かに「キャーキャー」やってたんですよ(笑)
※当時はコミケもネットも存在しないから本当に密やかにです。但し何か「寒気」と異次元の「恐怖」
は感じてました(笑)
※ちなみに2013年版がいまいち売れなかった原因はやはり「ミスキャスト」だったと思います。
もちろん実力のある2人はもう充分なくらい頑張りました。
ただし「腐」に人生捧げた人達は「萌え」なかった(笑)
女性客の半分を敵に廻したも同然のミスです
…オイ!理由はそれかい!!(殴)
ただまあ悲劇の原因があの究極の馬鹿女がやらかした事だとは知らなかったんですよ。
事実知って「あまりに醜い振る舞いに」余計に腹立ちました
※全て理解したがやっぱり主人公と一緒で存在そのものに興味が失せた「ヒロイン」以降はほとんどの場所を「屑」で書かせて下さい(笑)
感情と理性はやっぱり別物です。
「屑」の夫で主人公の学生時代の友人。
「トム・ブキャナン」も「屑」に負けず劣らずの糞野郎だから尚更でした。
別に必要を感じない「妻」と「娘」を見栄の為に飼育し
単なる気紛れと弱い立場の人間が苦しむのを見るのが楽しいから「愛人」を作る
この男にとって「愛人」も「妻」も「娘」も全てお気に入りのオモチャでしか有りません。
幼児レベルの生き物ですから場合によっては「かじってポイッ」です
親の努力を自分の才能あるいは神から与えられた幸運と勘違いしている本当に幼稚で惨めな「底無しの大馬鹿野郎」
今も同じ様な存在が隣の中華○○共和国に多数、この駄文読んでくれた奇特なあなたの近くにも必ず居る筈です。
悲しく腹立たしい事に「屑」みたいな存在も男女を問わずという条件であれば間違いなく居ます。
「ニック」は尊敬する父親から受け継いだ「人生を楽しむ為のルール」のおかげでそんな存在から遠ざかる事が出来た訳です。
もしそのルールを大事にしなかったら。
生涯最良の友人「ギャッツビー」と
物語の最後に彼の原典である「ギャッツビーの父親」と話す機会がなかったら。
わずか数年後に全てを叩き潰した「世界大恐慌」
とそれ以降のハードな世界を生き残れなかったと私は思います。
結局の所この主人公
「ギャッツビー」以上に優しい人間で
「究極のお人良し」でしたから。
【この物語を観終わった時、彼「ギャッツビー」は満足して逝ったんでしょうか?それだけが私の心残りです】
………byひぐらしの鳴く頃に(笑)
「…君シリアスにとことん対応出来ないのかな。かな?(怒)」
「いっぺん死にかけた私に怖い物なんてないぞ「鉈女」まああんたやあのゲームも無関係じゃないから次章迄待ってて下さい(強気だけど土下座で命乞い中)」
この物語「夏の終わり」を書いた話でもあるからね。
元々無関係でも無いんです。
ちなみに
「初夏→中夏→猛暑→酷暑→死暑→残暑(ただしこっちのは残酷の残です)→たぶん冬(2週間くらい)→再び初夏」のスパンで1年経過する私の住処
「ひぐらし」なんて居ません。
島の北部じゃ「クマゼミ」12月末迄鳴いてるし
「クサゼミ」が2月からうるせーです。
沖縄のセミは涼しく無いと鳴きませんよ
死にますから(笑)
脱線はここまで
主人公「ニック・キャラウェイ」に彼の父親が残した人生のルールから始めます
「誰かを批判したくなった時、自分がどれだけ恵まれた環境で育ったか思い出しなさい。
みんなが君と同じだとは限らないんだ」
夏休みに大金持ちの学友と結婚した従姉妹「屑」を久しぶりに尋ねた主人公「ニック」は
高額所得層向けの
住宅地イースト・エッグに住む
成金趣味丸出しな学友「トム」と「屑」の腐りきった生活に閉口していた。
ある日、対岸のウェスト・エッグで自分が借りた貧乏人向けレンタルコテージの隣に出来た大豪邸からパーティーの招待状が届く。
低額所得層向けの土地に大邸宅を建てた謎の男
「ギャッツビー」は連日の様に招待客を集めそして招待客じゃない人々もパーティーにさえ来てくれたら歓迎してくれる
実は会場には姿をみせた事がない人物だった。
初めての場所で戸惑う「ニック」を執事が案内、茫然自失の彼に優しく声をかけてきた人物が「ギャッツビー」だった。
【ギャッツビー、君に比べたら連中はくだらないよ。束になっても君にはかなわない】
※2人で1本のタバコ吸った後、最後に「ニック」が「ギャッツビー」に言った台詞です。
彼は「ありがとう」としか言えませんでした
主人公の前に現れたその男「ギャッツビー」は物静かで好感の持てる人物だった。
友人関係を続ける内彼の色々な事実を知る事になる。
父親と喧嘩して故郷を飛び出してきた事
第1次世界大戦では勇敢に戦って沢山の勲章を貰った事。
実は「ニック」とはすぐ隣で戦場を共に過ごしていた事。
彼を見て当時の事を思い出し懐かしくてパーティーに招待した事。
国に帰って来た時は無一文でなりふり構わず働いて今の地位を築いた事
そして連日の様に賑やかなパーティーをおこなっていた理由
戦争前に付き合っていた恋人「デイジー(屑)」にこっちを振り向いて貰う為だった。
昔と違い「大金持ち」になった彼はしかし元彼女に再会する勇気がなく
こんなバカ騒ぎを繰り返していたのだ。
主人公「ニック」は阿呆な学友のオモチャになっている「屑」に同情していた。
同時に「ギャッツビー」の人間性を気に入っていた彼は一計を案じて2人の再会~ある意味純愛の手助けに奔走する。
誰もが良かれと始めたそれは皮肉にも
「屑」の醜い本性の暴露と「ギャッツビー」の破滅に繋がってしまう。
話進めといて何ですが一旦休憩してこの与太話入れます。
戯れ言の正体です。
ゲーム版
「ひぐらしの鳴く頃に」のイメージアルバムで「かけら結び」というミニアルバムに
「物凄く綺麗」だけど「物凄く恐ろしい」歌があります。
メイン・ヒロインのナタ女(笑)「竜宮レナ」さんのイメージソング
「when they cry」
て歌なんですが、性別逆で聞いてみると
まんま「ギャッツビー」の心の叫びの様に聞こえるんです。
ある意味最終章で書くつもりの「屑」の弁明に繋がる理由です。
ではストーリー再開します。
視点は「自動車屋」の妻で旦那に売られて「トム・ブキャナン」の愛人やってる
「マーテル」の物語です
「彼女」は追い込まれていました
不況で生活に困った夫に「商品=愛人」として「トム」に売り飛ばされ臨時収入は何とか有りますが
「愛人=使い捨ての道具」として見ている「トム」は飽きれば容赦なく自分を捨てるでしょう
自分を売った「自動車屋の旦那」にも愛想が尽きました
「マーテル」は「トムの妻(屑のデイジー)」と共謀しある計画を立てます
金で偽警官/医者を準備し
「10ドルで買った子犬」
「屑」にとって贅沢な生活の為邪魔になった「ギャッツビー」
そして「マーテル」自身が自由になる為邪魔になった「夫」を破滅させる計画でした
作戦は大成功。
「ギャッツビー」の愛車の運転を引き受けた「屑」はわざと暴走
「子犬」を犠牲にして車にへこみ、血まみれにする事に成功した「マーテル」は「屑」が準備した偽警官&偽医者と共に担架で自動車屋に
後悔に嘆き悲しむ「マヌケ」を死んだふりして罵りながら計画は第2段階へ
後は「屑」の演技力です復讐心に燃える「自動車屋」に「ギャッツビー」に対する嫉妬を抱き始めた「トム」を上手くけしかけ
「自動車屋」はあの運命のプールへ、最後に「自動車屋」が自殺したのは好都合でした
死なかったら自動車屋で行方不明
もしくは本物の警察官を利用する必要がありましたから
全てが終わり自動車屋のゴミを燃やしておさらばするつもりでいた「マーテル」は車の中から茫然自失の表情で自分を見つめる「ニック・キャラウェイ」に嗤いかけます。
自分は自由です
もう誰にも邪魔はさせないと。
2013年版にはもちろんこんなシーン有りません。
随分昔に読んだ「華麗なるギャッツビー」はプールに血がゆっくりと流れ出すシーンぐらいしか覚えてません。
1974年版のこのシーン映画を見た人の大半が気が付いてないと思いますがどうなんでしょうか。
あの車屋の前を「ギャッツビー」の父親と通り過ぎた時
ゴミ燃やす女性の姿に呆気にとられていたの気付いてましたか?
あれはいったい誰なんでしょう?
私には死んだ筈の
「マーテル」に見えました。
その後に主人公「ニック・キャラウェイ」が薄汚い彼等と縁を切り西部へ向かう決意に納得したのですが原作はどんな終わり方したんだっけ
最後にしっかり迷路に入ってしまいました。
尚、「マーテル」と「屑」の犯行についてはあのシーンを踏まえた上の私の想像です。
本当は「マーテル」はやはり事故で死に自動車屋は勘違いしたまま「ギャッツビー」を殺したのかも知れません。
だとしたら自動車屋の前でゴミ燃やしてた女性は誰なんでしょう?
【屑女:デイジー・ブキャナンに対する弁護です】
本当はこんなゴミ虫みたいな奴どうでも良いんですが
本当、昔好意を持ってた女そっくりだしね。
まあ良いか
「宴の始末つけましょう」
そんな難しい話じゃ有りません。
今の楽しい贅沢な生活がずっと続くと信じ満足していた彼女にとって
「ギャッツビー」も「ニック・キャラウェイ」も単なる「良い人」
※ある意味「どうでも良い人」
飼い犬にとっての「近所の親切なおばちゃん」
ましてや愛情すら抱いてない「トム・ブキャナン」は寄生先でしかないんです。
※むしろ自分こそが主人だと思っている
年端もいかない小さな頃から「ちやほや」されてきた家畜は自分で物事考えません。
とにかく「飼い主」が何とかしてくれる筈。
嫌な話ですが今もそんな人間います。
そんな生き方しか出来ない人間もいるんです。
そして彼女の前に
再び現れた「ギャッツビー」の言葉は家畜となった生き物には全く理解出来ませんでした。
「お前は明日、精肉店に売られるんだここから逃げろ」
外は危険な狼がきっといっぱいいます。
この男は何を言ってるんでしょう?
家畜は飼い主に告げ口する事にしました。




