ヨーロッパの解放② 70年
映画公開時は第1部/第2部を1本の映画として上映した作品です
【ドニエプル川突破作戦】
1943年8月24日~12月23日
前回の「クルスク大戦車戦」と当時同時公開。
トイレタイムの休憩映像
(昔の大作映画でお馴染みのテーマ曲を流すアレです。)
を挟みまるで拷問の様に続いた続編です
前回同様に溜め込んだ約十年分の無駄知識と大量の資料を参照しながら色々寄り道しながら書きます
いやぁDVDにしてくれて本当に助かったわ(笑)
昔TVの深夜映画劇場で5週間ぶっ続けで流した事が有りましたが大体会議のシーンで寝てまして(笑)
第3部の「ノルマンディー・ニーメン」の間抜けな最後しか覚えてません。
後のレンタルビデオ時代は早送りで戦闘シーンだけ見てたから内容知りません
という訳で前回せっかく生き残った対戦車砲部隊がまるで死神(看護婦)に狙われる様に全滅するエピソードとなります(オイ)
…一瞬「ふざけている」と思ったでしょうが実は本当に前回の「クルスク戦」にて生き残った兵士や戦車/火砲/航空機を補充分も含め無理やり全て投入
11月28日~12月1日にテヘランで行われる連合軍会議で戦果を報告して主導権を握る為、スターリンは主要都市の奪還を厳命。
特に大都市「キエフ」はいかなる犠牲者を出しても11月7日までに取り返せと指示していました。
結果、天候不順でろくに情報収集も行えない状況下にあり合わせの資材で無理やり渡河作戦を強行した為
150万人に及ぶ莫大な犠牲者が発生した戦いです。
※ドイツ側は推定40万人が戦死&行方不明
映画では存在そのものが無かった事になってますがこの作戦で
初めて空挺師団を投入
間違えて武器と人員をてんでばらばらな方向に降ろしてしまった為、全滅しました。
降下作戦自体も天候不順で輸送機が集まらず何回かに分けて降下
(住宅ローンの返済じゃないんだから守る方は鴨撃ち状態)
以降、大型爆撃機部隊/戦車機甲師団と並び立つエリート部隊
「空挺師団」は2度と空挺作戦を行いませんでした
余談ですが、今回全滅したセルゲイ君達が扱う大砲は発射速度の速さから専ら対戦車砲として使われた76.2㍉砲
ドイツ軍から「ラッチェ・バム」と呼ばれてます。
発射音→弾が命中する音が同時に聞こえる事からその音が渾名となりました。
戦争勃発直後に現物&工場丸ごと実弾まで大量に確保したドイツ軍も各戦線に配備。
全く役に立たなかった37㍉対戦車砲の代わりに使ってます
(別名:ドア・ノッカー(笑)世界中に販売されて実は太平洋戦争中、アメリカ陸軍も使用。
散弾使って狙撃兵狩りにも活用してます
例の南京攻略戦ではナチスドイツの派遣将校の指導の元、中華民国陸軍が日本軍戦車を皆殺しする際大量使用されました。大半の国の戦車には駄目でしたが日本の戦車なら1発で貫通したそうです)
T34戦車やその他のソビエト/フランス/チェコスロバキアの戦車同様に再利用&友好国に販売しました。
※ドイツ軍の戦力数に正確な表記が出来ない理由は
特に各部隊で自給自足の傾向が強い東部戦線の場合、現地調達した武器/志願兵の報告を誤魔化す事が多かったからです。
例えばあるSS歩兵師団の場合資料では車のみ→実際は戦車40台に偵察用の複葉戦闘機まで保有(笑)
免許持ちや整備修理出来る兵士が交代で運用していました。
迂闊に報告して取り上げられたら間違いなく悲惨な目にあいますから。
第2部のエピソードは意外と細かいです順番に進めます
【ムッツリもといムッソリーニの失脚→グランサッソ救出作戦】
1943年7月25日~9月12日
ソビエト軍が主役の映画なんで無理やり短縮したエピソードになりました(笑)
ある意味世界中に影響を与え、対テロ特殊部隊の創設「人質奪還作戦」の良い見本になった事件です。
名作小説&テレビ映画「鷲は舞い降りた」のモデルにもなっています
クルスク戦が始まった頃、連合軍のシチリア島占領~イタリア本島の上陸作戦 成功に動揺した軍の穏健派とイタリア王室は戦争継続を断念
敗北の責任を押し付け国内が戦場となるのを阻止する為、首相ムッソリーニの誘拐&逮捕に踏み切ります。
※逮捕→裁判とならなかった理由はアフリカ/ギリシャ等の対外戦争ではボロ負けしてたんですが
国内統治については犯罪組織の逮捕&追放、北部の貧困対策等を行ってきた為
そこそこ国民に人気があったからです。
迂闊に処刑した場合内戦となる可能性が有りました。
元祖ファシストの救出
(ヒトラーは先輩面して威張ってますがあの挨拶はローマ帝国の敬礼 独特の格好やファッションは全てイタリアからのパクリです。
ナチスの発明はユダヤ人の虐殺だけ。
実はそれも十字軍の猿真似だったりします)
イタリア軍の戦争離脱を阻止したい。苦悩するヒトラーがふと手に取った書類は
同じオーストリア出身の親衛隊将校が郵送して来た作戦計画の上申書でした。
前代未聞の内容にショックを受けたヒトラーは周囲の反対を無理やり押し切りその人物との面会を決定します。
彼の前に現れたのは
顔面に刀傷金髪でギラギラ輝く青い目をした笑顔が「ジャック・ニコルソン」そっくりな(笑)大男
※後に直接の上司となった親衛隊長官「ヒムラー
(幼女連続レイプ犯みたいな笑顔の人です(笑))
に「何か企んでいる様な笑顔が気持ち悪い」
とガチで嫌われています
実際何回も無理難題押し付け殺そうとしています
…そこら辺りの話はいずれ別の機会にやりましょう。
※参考文献は「ヨーロッパでもっとも危険な男」からですが
実際の情報収集~作戦計画はドイツ空挺部隊:指揮官はクルト・ストゥーデントだったそうでスコルツィーニ大尉はその協力者だったようです。
満面の笑顔(怖…)でヒトラーをびびらせた大男
オットー・スコルツィーニ大尉は
外国語や風習に精通したドイツ人で構成された
「ブランデンブルク部隊」
主な任務は敵の軍服を着て敵陣地の偵察&奇襲攻撃、捕虜の救出など非合法活動専門の「顔の無い忍者部隊」
です
偶々クルスク戦の前哨戦で負傷し部下達とドイツ本国の病院に入院していた彼等は独自の情報網を駆使して行方不明の「ムッソリーニ」の監禁場所を把握。
長年の夢だった
少数戦力による敵指揮官の暗殺&誘拐による効率的な勝利を目指す「特殊部隊の創設」の為作戦計画書を書き上げました。
ヒトラーから直々のOKを貰った彼等は空挺部隊と共にグライダーで監禁場所を急襲
監禁場所はふもとを穏健派の軍隊で厳重警備されたグランサッソ山にある要塞のようなホテルでした
完全な奇襲攻撃となった作戦
敵味方に犠牲者を出さずに
(怪我人は多少出ました)
ムッソリーニの救出に成功。
以降イタリア軍は連合軍に降伏したローマを中心とする南部地区とムッソリーニを無理やり傀儡としてドイツ軍が管理&命令する北部に別れて連合軍も巻き込んだ地上戦に突入します
【キエフ解放作戦】
1943年8月24日~11月6日
セルゲイ君達が沼地で地獄を体験していた頃
救援の為追加でドニエプル川突破作戦に投入される筈だった戦車軍団は突如迂回して別の方向に進軍する事になりました。
目標は大都市キエフ
ドニエプル川で地獄を見ている部隊を囮として市街地に突入したソビエト軍はここでも莫大な犠牲者を出しながら奪還に成功します。
映画のラストはおそらくクリスマス前夜の雪の中、ひたすらドイツを目指し雪の中を行軍するソビエト軍の風景と生き残ったセルゲイ君達登場人物の宴会シーンで一旦幕を下ろします。
【オマケ話:ドニエプル川のルーデルさん】
前回のクルスク戦で空の魔王ルーデルさんは「37㍉対戦車砲搭載のスツーカ:別名大砲鳥」を貰いました→で最低50台以上の戦車を木っ端微塵にした訳ですが(笑)
ドニエプル川の戦いでも勿論大暴れしてます。
例のYouTubeでガンカメラの映像が簡単に検索出来ますから興味のある方はどうぞ
ちなみにこのタイプの機体、操縦が難しくよく墜落し「命中しないゴミ」と馬鹿にされルーデルさん以外殆ど使ってません
…何で命中してんだろ?
オットー・スコルツィーニSS少佐については映画公開当時に写真付きの文庫本が販売されていました。
少年時代思い出の写真~晩年亡命先のスペインでイギリス人の元コマンド部隊指揮官と酒飲んでる写真や街中で新聞読んでる写真等インパクト満点の内容でした。




