ブレスト要塞大攻防戦 10年
2021年9/28〜9/30タブレット端末にて執筆し脱稿 即日投稿
此れ纏めてた9/29 先月辺りから昏睡状態だった父方の祖父が亡くなりました 享年9☓歳 祖父が沖縄戦=ハクソー・リッジの戦いを生き延び捕虜となったのは17歳の頃 こんな作品選んだのも因果かね?
【 ドイツ軍機械化歩兵師団おおよそ2万以上と戦車や大砲に爆撃機vs国境警備隊にNKVDと要塞駐留軍計2000人の混成部隊と大砲4門にFA-1装甲車1台 民間人6000人を守り時代遅れな要塞に立て籠もるソ連軍が抵抗続けほぼ壊滅するまで戦った (と言うよりも抵抗しないと嬲り殺されるだけだから抗う) 史実を大量の爆薬と人々動員し実物大の要塞まるごと再現し徹底的に破壊してみせた 生存者の証言ベースのノンフィクションドラマ 其れまで国策映画やドラマでかなり美化された嘘デタラメを可能な限り排除してます 胸糞描写や死体損壊等のグロ映像満載 】
★勿論配給会社はアルバトロスの系列 2021年デジタルリマスターDVD&Blu-ray版再発売に伴い殆どの店舗でレンタル終了 見掛けたらお早目に
☆要約すると独ソ戦版 "アラモ砦" の国策映画なんですがドイツ軍を単なる悪党にしない等、割と捻ってます。 撮影のために実物大のブレストの街と要塞作り爆薬使って吹き飛ばす 予算のみならず土地も無いと本当に無理です
原題:BRESTSKAYA KREPOST
英題:FORTRESS OF WER / THE BREST FORTRESS
ブレスト要塞
ベラルーシ共和国/ロシア共和国 合作 劇場公開作品
2015年日本 イベント上映
同年DVD発売&レンタル 2021年リマスター版発売
令和3年9月28日 猛威奮った武漢コロナのワクチン接種による封じ込めが漸く効果上げてきた今日この頃 こんな季節に今更何で独ソ戦映画とお思いでしょうが偶々サーバーに残ってた後味最悪な物語 "草原の実験 14年" 見た後感想纏めようとしてたら同作発表したアレクサンデル・コット監督が撮った ちょっと変わった戦争映画が有ると知りつい好奇心に駆られレンタル 愛国映画なのにかなりえげつない描写と悪趣味なユーモア 後味最悪なオチすらも豪快に吹き飛ばす爆発シーンについ惹き込まれ この物語を取り上げてみようかと ちなみに劇場版・幼女戦記で描かれたクライマックスのモデルになったのはこの要塞都市を巡る戦いでした
元ポーランド領ブレストはモスクワ侵攻の補給線伸ばすのも その逆にヨーロッパ全域へ侵略する拠点としても鉄道使った物資集積&配送拠点地として最適の場所だったから 絶えず争奪戦が繰り返された土地でも有ります。 独ソ戦開始時推定5万の住民が暮らしてましたが内半数近くはユダヤ系 よって1941年8月8日にこの街で赤の脅威から解放されたポーランド系市民と民族解放に参加した部隊謁見する予定の総統閣下と首領が到着する前に何もかも綺麗に片付けておけ 既に警告は出してある 街に残っているのはどうしょうもない間抜けとユダヤ人にアカだけだ 結果何が起きたのかを可能な限り再現してみた物語。
当初は負け犬、或いはさっさと降伏した卑怯者扱いだったブレストの戦死者と生存者の名誉が回復したのはスターリンが死んで10年以上経た1965年 処刑された軍人や民間人 推定約2万5000人の遺体回収と身元確認は中々進まず BBCの報道では99年にアパート建設予定地から後頭部銃で撃ち抜かれた1000人程の老若男女の白骨死体見付かったなんて話も有りましたけど続報は無し ドイツ軍側の資料もまともなモノはネットに残されて無いので 私が知ってるのはパウル・カレルが纏めた独ソ戦三部作と高校時代文庫本で読んだハインツ・グデーリアンの回顧録程度 実際どの様に戦い壊滅したのかは正直公平に纏めた資料皆無です テーマとして取り上げられただけでもマシな方かも知れません 少なくとも慰霊碑有るしな
【 ブレスト要塞が建設されたのは1842年 当初五稜郭と同じ様なデザインで直径1.8kmのレンガの壁と深い堀で守られた構造だったが 時代の変遷により次々と主を変え増改築を繰り返す内に要塞機能を損失 この物語の主人公にして語り手のアレクサンデル・アキーモフ=通称サーシュカが暮らしていた頃は 国境警備隊の兵士宿舎とその家族が滞在する官舎 度々繰り返された対外戦争と赤軍大粛清で孤児となった子供達の保護施設 そして病院や未だ需要が多い軍馬の訓練施設が隣接する小さな街に変貌している 1941年6月21日時点 要塞に滞在する軍人や軍属と民間人は約8000名 緊急時の脱出経路建設は予算不足で中々進んでいない 皮肉にもその高い城壁が避難を妨げる枷となった。 】
★登場人物の殆どは本名記載ですが撮影当時まだ健在だった主人公ペトヤ氏はサーシュカに改名 人物名は出た⇒死んだとなるキャラもかなりの数にのぼりますし日本語吹替は無しですので全員の名前は分かりません
☆冒頭場面は42年頃の冬ドイツ軍により廃墟と化した要塞都市の成れの果て 火炎放射器で焼き尽くされた地下壕の壁に残る兵士の遺言=俺は死ぬ、だが降伏はしない さようなら祖国
1941年6月21日 土曜日を迎えたブレストを闊歩するのは両極端な人々の群れ 共産党の公式見解を妄信し根拠無き楽観主義に溺れる人々と兵士達は陽気に誘われるかの様に街を散策し 独身の将兵は此処ぞとばかりに地元の娘達と市立公園でダンスに勤しむ 第333軍楽隊見習い少年兵アレクサンデル・アキーモフことサーシュカは同僚に請われるまま兵舎から持ち出したチューバを駆使し演奏を披露 其れは地元娘とダンスを楽しむ唯一の肉親にして砲兵将校の兄オーシカの恋を除き見するためだけじゃ無く 最近交際を始めたキジェトワ上級中尉の長女アーシャの気を引くためでもある 未だ子供扱いな15歳カップルの幼い恋を応援する周囲の人々 次女と長男抱きかかえ妻と母をエスコートしている当の上級中尉はまだ気付いてない 広場では折角だからと写真屋が家族で記念撮影を呼び掛け その隣では微炭酸飲料クワスを売るスタンドがひっきりなしに訪れる客を捌いていた
だが同じ頃、ブレスト駅では貴重品を持てるだけ抱えた大勢の民間人が街を脱出しようと押し合いへし合い もうすぐドイツ軍が攻めて来る 噂の出処は、数週間前から数名単位でソ連領に逃げ込んでくるポーランド系ユダヤ人達と軍の上層部らしいがはっきりしない。 ブレストへ妻子を呼び寄せるため優先席購入の直談判に訪れた政治将校フォーミン大佐はそんな状況に戸惑い隠せず汗だくな駅長に問い掛けるが上手く言い含められる NKVD第13大隊指揮官の小太りな中尉も捕虜やスパイの報告からドイツ軍の攻撃は必ず有るモノと考えていたが政治将校の立場上その事を公言出来ず 要塞指揮官の友人ピョートルことガブリロフ少佐の懸念を窘めないといけない立場に有る。
軍払下げのトラックに映写機とフィルム積んで地方を回る映画技師コーリャは 今度こそ売店の看板娘ソーニャにプロポーズすべく花束抱え気合いを入れ 国境警備隊転属で長年の夢=馬の調教を任されたトゥグシェフ軍曹は愛馬と共に草原を駆け回る ピョートルは不安を抱きながら家族と過ごし コーリャはプロポーズ成功させソーニャと初めて閨を共に サーシュカも家抜け出して来たアーシャと夜遊びに興じ釣りデートの時間まで兄からガメた煙草を一服 だが既にドイツ軍の侵攻は始まっている 深夜ブレスト駅に機関車乗入れ降り立ったのはソ連軍に化けた1個小隊程の特殊部隊 お人好しな老警備員を刺し殺し街に潜り込んだドイツ軍は水道と電気設備を破壊 6月22日 早朝4時前 要塞抜け出し溜め池で釣りデート楽しむサーシュカとアーシャを唖然とさせたのは空を覆い尽くす様にやって来たドイツ軍の爆撃機 爆弾は要塞地区のみならずブレスト市全域に容赦無く降り注ぐ 手塩に掛けた愛馬が死んでゆく 燃え落ちる厩舎からトゥグシェフ軍曹は1頭でも多くの軍馬を安全地帯へ逃がそうと奮闘するが多くの兵員共々やがて爆風の中へ消える
6月22日、日曜日6時30分 空爆終了のタイミングを見計らい推定2万のドイツ軍歩兵部隊が3ヶ所からブレスト要塞内へ突入 負傷し動けない老若男女へ銃を向け次々と射殺し手榴弾を投げ込む 死んだ母親から離れようとしない幼子を逃がそうと片腕吹き飛ばされた将校が必死に抵抗するが子供は木っ端微塵 ドイツ軍は南東部ヴォリンスク地区の軍病院や孤児院へ突入 弾除けに使うため抵抗する者は容赦無く射殺し家畜の様に追い立てる 正門から逃げ出そうとした女子供達は対岸で機関銃構えるドイツ軍により文字通り皆殺し 北東部ゴブリンスク地区で混乱状態で逃げ回る将兵達を纏め上げたのは 現場に駆け付けたピョートル少佐と唯一の武器で有るチューバを取りに兵舎へ戻って来たサーシュカ 瓦礫の中から使えそうな武器を引っ張り出して来た要塞守備隊は 後刻平原から押し寄せる戦車と突入部隊を迎え撃つ事に 錯乱状態のソーニャ庇いドイツ兵に射殺されたかに見えたコーリャ ブランデンブルグの偽政治将校を射殺し部下と共に肉弾戦に挑む小太り中尉 赴任して間も無いのに第9国境警備隊唯一の将校となり民間人盾にしたドイツ軍を撃ち倒すフォーミン大佐 えげつない地上戦と矢鱈と多い登場人物の見せ場にそろそろ読む方も誰が誰やら分からなくなってると思いますがご安心を
この映画のストーリーDVDで4回追い掛けた私自身も中々顔と名前が一致せず 文字通りの地獄絵図です 此処まで書いて全体の1/4 まだ終わらない(泣)
FA-1装甲車で官舎を回る軍曹が目の当たりにしたのは夥しい民間人の死者 サーシュカとオーシカの保護者やってたボチェルニコフ夫妻の最後 正門に積み重なる死体をボキボキと踏み潰し要塞内に侵入する三号戦車 そのキャタピラはまだ生きている幼い少女をも容赦無く踏み潰す オーシカ改め砲兵将校アキーモフ中尉による命懸けの反撃で3台の戦車と随伴歩兵は皆殺しにしたがサーシュカの兄は戦死 その日夕方漸くドイツ軍による降伏勧告の放送が流れるが生き残った人々はただ復讐の念と憎悪を募らせる 独り戦場を彷徨うサーシュカの枕となったのは死んだ兵士の腕 撃たれて死んだ筈のコーリャは生きていたがソーニャはドイツ兵に攫われた トゥグシェフ軍曹の死体を離そうとしない軍馬の入水自殺としか思えない光景 堀の周りは水を求め撃たれた死体の山
アーニャを探すサーシュカが手に入れたのは1丁のトカレフ 空を舞う味方のポリカルホフI-16戦闘機 メッサーシュミットに撃墜され辛うじて要塞内にパラシュート降下果たしたカリーニン中尉から語られる絶望的な戦況 将兵とその家族達を追い詰める飢えと渇き 歩兵投入が失敗したと判断したドイツ軍はスツーカによる集中爆撃を敢行 NKVD第13大隊は小太り中尉と共に最後の1人となるまで立ち向かい全滅 6月25日深夜、フォーミン大佐指揮下生き残った将兵達は包囲網を突破するべく夜襲を敢行するがただ悪戯に戦力を消耗するだけ 6月26日、遂に組織的抵抗を諦めた主人公達はドイツ軍に民間人の保護を要請 色々有ったが辛うじて生還果たしたアーニャと家族の束の間の再会 キジェトワ上級中尉は部下達や動けない負傷者と共にただ最後の時を待つ 午後3時、高高度からブレスト要塞に投下された2トン爆弾は多くの将兵達を吹き飛ばす
要塞内に投入されたのは火炎放射器を持った兵士達と火炎放射戦車に改装された三号戦車 負傷兵や動けない民間人は生きたまま焼かれ 捕虜となったフォーミン大佐はその場で銃殺刑 あれだけの目に合いながら何故か生きてたコーリャに与えられた仕事は処刑されたソ連兵の徽章集め 偶々慰みモノにされ惨たらしく事切れたサーシャの変わり果てた姿を目撃したコーリャは偶然手に入れた手榴弾を手にドイツ軍将校諸共木端微塵 その後41年9月半ばまで続いた抵抗戦の末、ピョートル少佐は捕虜となるが強制収容所から奇跡の生還し軍への復職を果たす ブレスト要塞で捕虜となった民間人は結局1人残らず銃殺刑に処され皆殺し キジェトワ中尉はサーシュカに国境警備隊の連隊旗を託し自らは囮となり凶弾に斃れた 包囲網を潜り抜け味方と合流すべく独り荒野を彷徨う主人公 そして待望の雨が降り注ぐ
そして物語は老境を迎えたサーシュカとその孫がブレスト要塞跡地に建てられた巨大なモニュメントと慰霊碑を訪れるシーンへと 彼が幻視していたのはブレスト要塞で共に生きた在りし日の仲間たちの姿 死者の魂は悲劇を語り継ぐ者が居る限り人々の心の中で永遠に生き続ける。
❖令和4年3/7追記:1939年までポーランド領だったブレスト 別に残虐非道な虐殺行為しでかしたドイツ軍を弁護する積りは有りませんが この物語の登場人物達が此処で暮らす以前のポーランド系やドイツ系住民は何処へ消えたのか? 勿論シベリアの強制労働施設送りか木の肥やしです
報道によると 9/24に さいとうたかを先生 も逝ってしまったそうですね 私はゴルゴ13よりもサバイバルが好きでした




