カーツーム 66年
2021年5/27〜5/28タブレット端末にて執筆し脱稿 新規割込み投稿
ベルセルクの続き見る筈がついふらふらと……ストーリー大部端折りましたが長いのもアレだしそのまま投稿しときます 本文でソビエト=ロシア罵ってる辺りやっぱり何かが囁いたのかな
【 足りなければ余所から奪え 異民族なんざ女は犯し男や老人に子供は皆んな殺してしまえば良い アラブ系とアフリカ系をメインとした200もの種族が其々の文化/価値観/宗教やらイデオロギー剥き出しにして絶滅戦争続けてるから何とか止めさせようと纏めて支配しようとしたらいきなり逆ギレして全勢力から袋叩き スーダンのみならずアラブ〜アフリカ諸国をメインにした紛争地域は何処も大体こんな感じですが……いっその事勝手に殺し合えと見捨てた方が清々するかも? 主人公達を襲った悲劇見てるとそんな気分になる歴史スペタクル 】
★なお舞台はスーダンだけど出演者はモブを含めて全員外国人 唯一のサービス場面でベリーダンス踊ってるカンボジア人には凄く見覚えが(笑) 他のハリウッド大作にも沢山出てた筈 何にせよ令和3年の今現在も小競り合い続け難民問題放置し余所様に多大な迷惑を掛け 自国の客観的な歴史解釈委ねてる阿呆には反論する権利は全く有りません。 植民地支配が悪い? 私達は被害者だ? 知るかと言わせて貰います。
原題:KHARTOUM
スーダン共和国の首都 本来の意味はアラビア語で"象の鼻"
象牙と黒人奴隷の一大輸出港でも有りました。
英語読みではハルツームとなります イスラム原理主義誕生の地
イギリス/アメリカ合作劇場公開作品
同年日本劇場公開
金銭的に困窮している者に対する経済支援や技術供与は何れ感謝や友情となって帰って来るが 心根が卑しい者に施しを与えると其れに依存した挙げ句やがて仇となって帰って来る 支援され優遇されるのが当然と開き直った段階で其れは何処の世界でも人では無い………食用家畜以下のケダモノだよ。 確か士郎正宗の描いた攻殻機動隊に登場する外務大臣がそんな台詞吐いた記憶が有るのですが全く同感です アフガニスタンで農民の為に緑を取り戻そうとした故 中村哲也医師が何故殺されたのか 特亜3ヶ国の国民の大半が何故あんなにも惨めなヒトモドキなのか この物語に登場する主人公ゴードンと彼に忠誠を誓う七千人の兵士や士官達は何故悲惨な最後を迎えなければならなかったのか ドラキュラ伯爵みたいに思い詰めた挙げ句、独裁者として自国民皆殺しにしたり何処かの赤い彗星みたいにアクシズ地球に落っことそうとする訳です(笑)
と言う訳で、この間公明党と野党勢力に加え自称地球市民気取りな底なしの阿呆な政権与党の政治家達によりお流れとなった入管法改正案の其れと 武漢コロナの蔓延でまたしても公開延期となった "閃光のハサウェイ" と色々相通じるモノが有ったのでこんな作品を取り上げてみようかと
嘘です 本当はDVDパッケージに書かれた "マフディー戦争" に釣られました アニメ版がマフティーなのはそうしないと日本に暗殺者送り込まれるから(笑)
正直言うとスーダン? ああダルフール紛争における平和維持軍派遣で自衛隊に散々迷惑掛けたあの国か………どうでも良いわとなったんだけど 何か惹かれるモノが有ったから試しに視聴 そこそこ面白いけど私みたいにマフディー戦争或いはスーダン戦役に対する歴史知識が皆無 チャールズ・ゴードン常勝将軍がどんな人生歩んで来たのか知らないと途中退屈な映画になるかも 大体私自身相当良い歳になるまで19世紀〜20世紀のイギリス軍が、市民権や居住権を餌に植民地をメインに諸外国から掻き集めた兵士と 兵士1万に対して精々数十人の本国出身士官で構成された組織だとは思わなかったしね こうなったのはナポレオン戦争〜クリミア戦争による成人男性の枯渇が元凶だったそうで 今じゃ純粋なイングランド人は少数民族 嘲笑うべきなんでしょうか?
【 イギリスがエジプト支配下のスーダンで起きた民族反乱=マフディー戦争に巻き込まれたのは エジプト軍の前近代的な装備や緩んだ軍規 先住民に対する執拗な弾圧行為を見兼ねたからでも有りますが 清で起きた太平天国の乱や インドのセポイの反乱同様、イスラム原理主義に染まった狂信者により始まった後先考えない民間人虐殺やレイプ略奪行為を阻止するためでも有り そんな行為を繰り返す蛮族にまともな戦争出来る筈が無いと言う侮りも有りました 砂漠地帯に誘い込まれた派遣軍は次々と皆殺し この辺りは中国共産党の大陸躍進と全く一緒です 戦死者数は反乱側が遥かに上回るけど後先考えない戦い方は確かに勝ちはするのよ ソビエトみたいにその後が地獄になるだけで。 】
★念の為に書いときますがこの映画は史実をベースに多分こうであったら面白いな捏造描写入ったフィクションです 傍から見てると恥ずかしいから 何処ぞの自称評論家の様に揚げ足取ってマウンティングするのはお止め下さい
☆オープニングのナイル川云々で始まる映像はアスワンハイダム建造(1960年建築〜1970年完成)により水に沈む遺跡群 エジプト当局だけでなく多くの国々の強力で移築が行われたが全てが移動出来た訳でも有りません。
北アフリカ 2011年に南スーダンが分離独立を果たすまで アラブ諸国でも最大の領土(総面積は日本の3倍)を誇ったスーダン 1819年トルコ支配下のエジプトがこの国を侵略したのはアラブの食糧庫と呼ばれるこの国のナイル川沿岸部と温暖な南部を手に入れトルコ⇒後にイギリスから課せられた莫大な借款の返済に充てられるためだった 以降62年に及ぶ異民族支配 過酷な重税に加え主に北部砂漠地帯に住むアラブ系民族の収入源だった奴隷売買が、エジプトの新たな主人=イギリス人総督により禁止となった事で治安は悪化 その結果、1881年預言者ムハンマドの子孫を名乗るイスラム原理主義の教主アフマドが救世主=マフディーとして武装決起
当初は暴徒として処理された彼等は スーダン総督府の不手際により不満分子を吸収する形で武器を手に入れ勢力を拡大 人的被害を無視した都市部での人海戦術と砂漠地帯での巧みなゲリラ戦により警察部隊も総督府軍も次々と壊滅 1883年夏、事態打開のためエジプトから派遣軍が送り込まれた。 ウィリアム・ヒックス退役将校と12人のヨーロッパ人将校に指揮され 部隊装備は其れなりに整ってはいるものの主力となる歩兵はファラヒーンと呼ばれる元黒人農奴で騎兵はバシバスタと呼ばれる傭兵部隊 何れも砂漠地帯での戦いどころか実戦経験皆無
敵は盗賊に毛が生えた様なモノだから偵察や事前調査も必要ない
端から敵を舐めていた派遣軍は沿岸部の村や都市を守るため次々と兵力を分散配置 砂漠地帯での追跡劇は数ヶ月にも及ぶ やがて携行食糧も水もカツカツとなった派遣軍に襲い掛かったのは完全装備で待ち受けるマフディー軍 11月5日、後にエル・オベイドの戦いと呼ばれる戦闘は派遣軍に襲い掛かる4万人の大部隊により9000人の派遣軍は指揮官諸共壊滅 マフディー軍は1万もの銃に大砲4門と機関砲6門 大量のラクダに軍馬に加え使い切れ無い程の弾薬と砲弾を手に入れる。 事此処に至り、エジプト王室は慌ててイギリス政府に泣き付くが 拡がり過ぎた各植民地の反乱と民衆蜂起に悩まされていたグラッドストン総理率いるイギリス内閣は、此れ以上の厄介事には対処出来ないと撤退を決断
スーダンに駐留するエジプト軍7000人のみならず ヨーロッパ各国の大使や民間人2万7000人の脱出指揮を誰に委ねるのか? また戦争かとリベラル派の新聞が大騒ぎするからまともな兵力は一切出せないし失敗すれば今度は保守派のマスコミと冷遇されてる軍が騒ぎ出す 白羽の矢が立てられたのは元スーダン総督の経験が有りアロー戦争や太平天国の乱で現地人の民兵を率い度々成果を上げて来たチャールズ"チャイニーズ"ゴードン少将 度々独断専行を繰り返しマスコミを騒がせるロマンチストの冒険主義者 イギリスの国益より愚かで野蛮な異民族の待遇改善を優先した事で中国人と揶揄される英雄に火中の栗を拾わせる事に成功したもの 今更ゴードンの人間性に危惧を抱いた内閣は軍の内部監査を担当していた諜報部のジョン・スチュアート大佐を副官兼御目付役に抜擢
新聞記者兼大使も含めゴードンに与えられた部下は僅か3人 これだけの戦力じゃどう考えても撤退作戦は失敗するだろう。 エジプト軍や外国籍の民間人が幾ら死のうが責任は英雄殿に押し付ける そもそもマフディー軍はヨーロッパ列強の介入恐れ民間人は殺さない筈だ 此れで大義名分は果たした 此の後に及んでもイギリス政府は事態を楽観視している だが度重なる連戦連勝で血に酔ったマフディー軍の最終目標は聖戦の継続と革命の輸出 令和3年の今もそうだが紀元前で頭が立ち枯れている1神教の狂信者は自分と違う価値観が理解出来ない エジプト政府の非協力的態度により援軍のメドが立た無い状況下、スーダン国内の悲惨な状況を調べ上げたゴードンは包囲されたハルツームの人々の大歓迎を受けながら総督に就任 穏便な解決を目指して召使いのカリールの伝手を使い単独でマフディーと密会するが 事態は既に扇動したマフディーにも手の施しようがない状況だった。
祖国奪還のため余りにも多くの血が流れ過ぎた そもそもマフディー軍はエジプト軍占領下で公職追放されたり その信仰が仇となり執拗な弾圧受けた今で言うISIS=つまりテロリストや犯罪者を多く含む民兵組織の寄せ集め 外国人や異教徒に対する嫌悪感と憎悪は1度や2度血を見た程度では収まらない ゴードン卿、貴方は既得勢力の反対を押し切り奴隷売買制度の廃止を行った英雄で有り私個人は尊敬の念すら抱いているが所詮外国人だ……明らかに無茶振りな命令無視して脱出しろ 何もエジプト軍やハルツームで好き勝手やって来た異民族に義理立てし彼等を守る必要は無い筈だ わかり易く今風に言い直すとこんな内容になるのだが自身を慕い助けてくれと泣き付いた人々を見殺しにするぐらいなら共に戦って死んだ方がマシだ
1884年3月15日 外部との連絡手段で有る送電線は絶たれた ゴードン総督は追い詰められた人々や残存エジプト軍兵士と共にハルツームの死守を決断 異教徒と外国人は老若男女関係無しに皆殺しにするマフディー軍に対し端から負け戦を覚悟。 ハルツームの防備を固め立て籠もりに備え食糧を運び込む1方 可能な限り時間を稼ぎ少しでも多くの民間人を水路や陸路でエジプトへ脱出させようとする両軍の対峙は壮絶を極めた 当初は独断専行を咎め上官を狂人扱いしていたスチュアート大佐は苦悩しながら防衛戦に挑むゴードン総督に絆される形でイギリス政府に増援部隊を要請するも 到着したのはゴードンの帰国を促す為に派遣された僅か20人 グラッドストン内閣に軍派遣を認めさせるにはイギリス王室や報道に怒りを顕にした市民の抗議のみならずスチュアート大佐をロンドンに向かわせる必要が有った
だが漸く到着したガーネット・ヴェズリー将軍指揮下のイギリス正規軍は総理の密命を受けておりハルツームに向かう積りはさらさらなかった。
エジプト人士官による食糧の横流し マフディー軍による執拗な砲撃と蔓延するコレラによる大量死 大量の民間人を乗せ脱出を図るスチュアート大佐は下流で待ち構える敵により悲惨な最後を遂げ ハルツームの有力者達はマフディー軍に降伏する為、大勢の市民を連れて街を出るが彼等がどうなったかは誰も知らない マフディーは敢えてゴードン総督と接触、見せしめのため殺し保存していた外交官や武官達の生首を見せ尚もハルツームからの単独退去を求めるがゴードンは其れを固辞 1885年1月26日ハルツームに残り共に滅ぶ事を決断した4000人の市民とエジプト軍 そしてゴードンを慕う元黒人奴隷の志願兵2300人は街を包囲するマフディー軍5万人を相手に絶望的な戦闘を開始 壁を破壊し雪崩れ込む敵に対し敢えて指揮棒を手に現れた主人公にたじろぐも 恐怖に負けた愚か者の槍がゴードンの身体を貫く……享年51歳 気勢を上げる兵士達に文字通りバラバラにされた彼の遺体は首を除いて部下達同様ナイル川へ投げ捨てられる。
結局その日ハルツームに残った兵士も民間人も皆殺し 総攻撃の前に必ず無傷で捕えろとあれ程厳命したゴードンの生首を槍に突き立て持ち帰った副官アブダラに激昂し 不気味な予言を伝える救世主 ムハンマド・アフマドことマフディーが死んだのはその僅か半年後 享年41歳 死因ははっきりしていないがアブダラが全てを引き継いだ マフディー軍統治下のスーダンはその後近隣諸国に侵略戦争を開始、国内でも情け容赦無い粛清の嵐と疫病、原因不明な天候不順により飢餓が発生 僅か13年でスーダン国内のみだけでも800万人が命を落とす ハルツーム陥落の2日後、漸く戦場に現れたヴェズリー軍の先遣隊は何も出来ないままエジプトへの帰途に付いた 結局ゴードンとハルツームに立て籠もる兵士達を見捨てたグラッドストン内閣は総辞職に追い込まれるも 後任の内閣も予算不足を理由にスーダン奪還には動けずイギリス軍がエジプト軍と共に再びスーダン全土を取り戻したのは1898年 ホレイショナ・キッチナー将軍指揮下の1万人を越える正規軍は機関銃と大砲でマフディー軍を殲滅したが……イスラム原理主義までは滅ぼす事が出来なかった
映画は後年ハルツームに建立されたゴードン提督像とナレーションで幕を閉じる。 多分スーダン独立後は70年代に掛けて再びイスラム原理主義が台頭、度重なる内戦と大虐殺に略奪は今も続いているから何も残ってないんだろうな。
失敗したアラビアのロレンスなんて言われてる微妙な大作映画 でも投入されたエキストラの数と派手な戦闘シーン それなりに雰囲気出してるテーマ曲は中々 でも多分読まれないから割込み投稿にしときます。




