台湾海峡 一九四九 09年
2021年2/1〜2/2タブレット端末にて執筆し脱稿 2/4 14時投稿
物語としては色々疑念を抱き兼ねない作品ですが 一度は読んでおく価値は有る本かな? 彼等のモノの見方が参考になるやも知れません。
千島湖事件の詳細については反中華人民共和国なサイトの方が書いたブログや日本語版ウィキ参考に追記したモノです。
【 後ろ暗い史実が多過ぎて国民党側のみならずアメリカ軍や中国人民解放軍側すらも敢えて詳しくは取り上げようとしなかった陰惨な戦い=国共内戦1927年〜1950年 時代の変化に翻弄され他人を踏み躙りまたは踏み躙られた無数の民衆はあの時代をどう感じどう生き延びたのか? 何処までが嘘で勘違いなのかも含め客観的な証拠は彼等から提供されたスケッチと肖像写真だけ だからノンフィクション形式で有りながら小説として後世に残す 最後まで執筆者を含む様々な証言者の視点や立ち位置で描かれるから 全体読み終えないと色々見えて来ない物語。 】
★読んでて連想したのがパウル・ル・カレの書いた独ソ戦三部作の其れでした ちなみに中華人民共和国では人心惑わすとの理由で販売禁止 但しあくまでも外省人視点で纏められた物語 別視点で描かれた物語も読みたくなります。
写真や証言集を集めた形式の小説……多分
原題:大江大海1949
意味合いとしては大河流れる大陸と何処までも広がる海
微妙に華夷秩序思想入ってるのが正直引きますが
他人に親切な日本人や内省人が異形なのかも知れません
龍應台 著
翻訳版は2012年 白水社より刊行
ちなみに名前に台が入ってるのは外省人二世だけ
華人はその名前から出自が分かります
2021年2月上旬 中共じゃ相変わらず頭がお花畑のWHOが武漢コロナ克服記念館訪れ査察どころか世界中に災厄撒き散らした共産党を賛美してる映像がまんま彼等のシンパばかり揃ったNHKの子供ニュースで流され視聴者の顰蹙買いまくってる様ですが 日本のみならずメディアの信用性は既に汚泥に塗れてますので今更ですね お金貰って蝿すら近寄らない得体のしれない赤い生ゴミを今巷で大人気の料理だと宣伝するアホウ共々、本気で見捨てようかと思います
ミャンマーじゃ中共の協力者だったアウン・サン・スー・チーが票操作やって軍のクーデターで失脚し アメリカじゃ中共資本とメディア各社の力借りて合州国大統領(偽)となったアホに関する反発が強まる中 何故世界中で忌み嫌われる特亜大陸の近代史を取り上げ 世界中に疫病のみならず他人を踏み躙り顧みない白豪主義の其れとどっこいどっこいな華夷秩序の価値観を植え付けた彼等の物語を読もうなんて思ったのか 人の振り見て我が振り直せと言う先人の残した知恵を思い出したからだと書いときますか
本州や海外大手報道機関から駄々流れしてるテレビ/新聞/ラジオのオールドメディアのみならずSNSやネットニュースも左寄りな経営者主観の検閲が罷り通ったりしてる昨今 客観的な視点で世の中の流れを読み取ろうと思ったら 無数の人々が撒き散らすさり気ない言葉の羅列や相手の反応から色々読み取る能力が必要になってくるのかなと考える様になったのと 自身の其れも含めて思い出を元にした証言とやらは必ずしも信頼出来るモノじゃ無いと感じる出来事が多々有ったから 人の記憶って案外簡単に変えられるし映像や写真すらも解釈を入れるだけで相手に与える印象が全く違います 何処ぞの半島国は炭鉱で働く日本人の写真を自国から強制連行された鉱山奴隷だと言い張り謝罪と賠償金要求してますが 10年毎に犠牲者数が万単位どころか倍々ゲームで増える南京大虐殺同様、情報の発信者や報道陣に悪意さえ有ればどんな荒唐無稽な出来事も史実だと捻じ曲げる事が可能なんです
例え正義感から始まろうとも嘘を交えてしまえば捏造となる 本来見てくれた或いは読んでくれたお客さんを楽しませる娯楽作品として作られた映画や小説を真実だと思うな 真実は得てしてつまらなかったりショボかったりするものです 本当はもっとわかり易い例えも有るのだけれどかなり下品だから其処は自重します。
【 前に "砲艦サンパブロ 66年" でも色々書きましたが インドやアラブに東南アジアそしてアフリカ同様、民族対立やイデオロギー的な様々な要素により 自分でモノを考える事が出来ない=近代化に徹底的に乗り遅れた人々が選んだ生存戦略は 猛き者に従うと言う自尊心何処行ったな其れでした 勝っている間はご主人様にひたすら諂い負けた瞬間に手の平返す 上は李登輝元総統から下は名もなき庶民まで原作者が可能な手段駆使して集めた証言の中には信憑性に些か欠けるエピソードや明らかに偏見に歪んだ過去騙りが存在します とは言え証言者の大半が程なく鬼籍に入ってますしスケッチや写真 残された証拠も必ずしも真実とは言い切れません 読む際は留意して楽しんで下さいな。 】
★原作者が此れをノンフィクションでは無く小説だと言い切るのはそんな理由から 流石に彼等証言者に見捨てられた死者達にはインタビュー出来る筈が有りません 其れが出来るのはアチラの世界に居るかも知れない閻魔大王ぐらいさね。
☆下手すると6時間モノの映画が5本立てとなりそうな内容とコロコロ変わる登場人物 到底纏めるのは不可能ですのでかなり内容端折ってます 図書館から借りて読むか何れ文庫化されるのを待つしか無いです。
■プロローグ:私たちを守ってきた街路樹 /19歳の息子に語る家族の歴史とあの時代
まずは原作者の自分語りから、評論作家となり政治家としても其れなりの成功を収めた彼女が驚いた息子からの問い 変動期の嵐から街路樹の様に龍應台を守ってきた両親がどんな風にあの時代を生きて来たのか……19歳当時の私は考えもしなかった まぁそれだけのエピソード 両親はかなり呆けながらも執筆時点では未だ健在 息子さんは当時ドイツに移り住んでいた。
■第1章:手を離したきり二度と……父と母の漂泊人生
龍應台の母 美君が人民解放軍に追われる形で故郷・浙江省淳案を離れ 夫=憲兵隊長 龍槐生の元へ向かう旅を始めたのは24歳の頃 海南島から台湾への逃避行 国民党軍と人民解放軍の戦闘に巻き込まれる形で次々と海へ落ち溺れ死ぬ人々の姿はまるで煮立った鍋に放り込まれる水餃子の様だったと言う 助けようとする者は誰も居なかった。 高雄に流れ着いた夫婦が始めたのは避難民を顧客にした様々な雑貨売り 何れ戦争が終われば幼い息子や両親が待つ故郷へ戻る……彼女が故郷へ1時帰宅を果たせたのは50年後。
旅行目的でビザを取得した目的地=淳案はダム湖と化していた 既に両親は死去、集落の顔見知りも強制移住で散り散りバラバラとなり連絡が取れない 島となった故郷の山で見付けたのは半ば水没し打ち捨てられた父親の墓 心折れた母は数年前から龍應台の事を認識出来なくなっている 二度と故郷に戻れない母の代わりに大陸へ 龍應台が預け先の子供となった兄 應楊と再会を果たしたのは1987年の事 幼少期は事ある度に国民党の息子で有る過去を詰られた彼の心に焼き付く母との別離 父=龍槐生は何処で産まれどうあの時代を生き抜いたのか 第1章はあまりにも過酷だった父の半生と其れに関わった人々の証言で締められる。
★ちなみに美君は危うく千島湖事件の犠牲者になる所だった 94年3月 裕福な台湾人観光客を狙った武装集団による遊覧船での強盗殺人は当初放火事件として処理され殺された30人は台湾側の検死を拒否する形で即座に火葬処理 遺骨のみが引き渡された 後日、犯行当時は刑務所に収監中だった2人の死刑囚が犯人とされ銃殺 明らかに人民解放軍幹部と思われる真犯人は未だ明らかにされていない。
■第2章:弟よここで袂を分かとう……少年達の決断
1949年 国民党軍諸共追い詰められ台湾や香港へ脱出したのは兵士とその家族だけでは無かった 戦場と化した故郷から子供達を一時避難させ守る 学童疎開に参加した子供達を教師諸共国民党軍に或いは人民解放軍に仕立て上げる双方の思惑と惨劇 兄と弟或いは姉と妹の何方かが生き残り生還を果たしたら必ず助けに行くから……その多くが共倒れに終わった史実 香港島へ向かった多くの避難民が体験した悪魔山=自殺の名所と化した難民キャンプでの思い出に 龍應台が幼い頃、台湾の埠頭で目の当たりにした避難民達の共同生活の光景 中にはCIAの招集に応じサイパン島に設けられた祖国潜入のための訓練施設での体験談 アメリカ軍占領地を飛び立ち祖国を共産党から取り戻すために 僅かな活動資金と武器食糧を携えパラシュート降下で送り込まれた少年兵達はほぼ全員が飢えた故郷の住民達に捕らえられ 又は親族や肉親の密告により刑場の露に消えた。
★学童疎開の末に国民党軍に編入された子供達の中にはタイやベトナムへ辿り着いた者も其れなりに多い その多くが今も故郷に戻れないまま荒野やジャングルで眠る。
■第3章:私たちはこの縮図の上で大きくなった……名前に刻まれた歴史
数千年も続く疫病と戦争 リスク分散目的で台湾のみならず世界中に移住した華人の独特な名前の付け方から始まる今章の物語は ドイツと中国大陸双方で繰り返された殲滅戦と敵対勢力による民間人虐殺を報道陣にアピールするプロパガンダの体験談 カメラマン到着まで42日間も街中に山積みにされた腐り掛けた遺体と泣き叫ぶ映像撮らせるため拘束されたその親族 西暦2000年にロシアの半ば放棄された精神病棟で見付かった哀れなハンガリー兵士ペーテル(本ではそんな名前だったけどトマ・アンドラーシュの間違いかも? 2000年8月帰国 妹が引き取り2004年3月に亡くなってます 享年84歳)の物語 ドイツ軍の軍服着てるのにマジャール語しか話せない彼は狂人扱いされ捕虜収容所から精神病棟へ強制連行 18歳の頃から縛り付けられ薬物を投与され続けアルツハイマー症となった80歳 自身の記憶もほぼ奪われた彼がその後変わり果てた故郷に戻れたかどうかは定かでは無い。 少年兵として国民党軍に攫われた子供達の中には6歳前後の男女幼児も多数存在する 彼等の大半は人間の言葉を喋り理解する二足歩行の家畜として砲弾運びや憂さ晴らしにより使い潰される。
★数少ない生還者が提供してくれた広報用写真 軍楽隊の扮装をさせられた彼等の顔はどれも無表情 笑ったりしたら馬鹿にされたと怒られる 戦闘時に逃亡し辛うじて命拾いした彼の顔は今も引き攣ったまま戻らない 彼を除いて全員が死んだと言うが証言者自身も程無く鬼籍に入り真相究明は叶わなかった。
■第4章:軍服を脱げば善良な国民……包囲戦という日常
ソビエト連邦の重要拠点だったレニングラードと旧満州国の大都市・長春の共通点は共に残虐非道な飢餓を体験した過去 国共内戦で国民党軍と多くの無辜な民間人 小説では敢えて描かれて無いが関東軍に置き去りにされた数百人を越える日本からの開拓民を含む30万もの人々を襲ったのは深刻な食糧不足 満州国の残党を1人たりとも残すな。 包囲戦に参加した将兵達に厳命されたのは女子供も含めた全ての人々を餓死へと追い込む事 鉄条網を潜り抜け助けを求める人々を射殺する兵士達 長春では死んだ者が次々と糧となったが最後には自ら命を絶った 後日包囲戦に参加した指揮官含む全ての兵士達は朝鮮戦争に送られるか事故死の形で口封じが行われ ゴーストタウンと化した長春には強制的に集められた移民が送り込まれ何も無かった事にされる。
国外に逃れた元人民解放軍兵士達や包囲戦から奇跡の脱出果たした一握りの証人達の其れは 中米友好或いは日中友好を叫ぶリラベルの圧力により長年顧みられる事は無かった。 国民党軍のみならず人民解放軍や途中参戦した日本軍も活用した民工と呼ばれる荷物運び 僅かな日当で戦死者の埋葬や食糧弾薬を運ぶ彼等は例え弾除けとして撃ち殺されても戦死者としては数えられない 国共内戦末期に始まった北京や上海からの資産移送 途中多くの船舶が沈められ多くの民間人も犠牲となっている 生き延びた証言者から語られる金品を満載したコンテナに押し潰され波間に沈む親子の姿。
★餓死や人民解放軍に撃たれ死んだ人々の遺骨……中には明らかに切り刻まれ調理された痕跡が残る其れが何処へ送られたのか 勿論南京虐殺記念館だった。 展示スペースに積み重ねられたおびただしい遺骨は全て日本軍がやった事にされたのは言うまでもないだろう。
■第5章:われわれは草履で行軍した……一九四五年、台湾人が出迎えた祖国軍
1945年8月11日 台湾に居住する日本人を驚かせたのは僅か一晩で街中を覆い尽くした中華民国の国旗とアメリカ海軍の船で進駐して来る国民党軍への歓迎式典参加 そして日本人への報復や略奪を呼び掛ける大量の印刷物 日本人と同等の教育に社会サービスを受けつつも何もかも平等と言う訳では無い内省人知識階級の不平不満 特に民族主義を拗らせた現実が見えて無い学生運動家達は中華民族の栄誉復興に舞い上がる 8月15日 上海では暴徒化した学生運動家と各地から魔都へ逃げ込んで来た避難民による日本兵や在留邦人を狙った略奪と暴力行為、果ては日本兵や民間人に対するリンチ殺人が続発 偶々現場を目撃した英国人ジャーナリストが証言するエピソードは中国人警察官に処刑され群衆によりナタや包丁でバラバラにされる日本兵の姿 生殖器官を毟り取り踏み躙っていたのは年端も行かない少女達だったと言う
アメリカ海軍の揚陸艦が上海で乗せたのは台湾への進駐を命じられた乞食の様な兵士達 物資は途中で横領され最前線で人民解放軍や日本軍と戦って来た国民党軍の装備は竹で作ったヘルメットに自分達で編んだ草履 まともな靴どころか軍服すらも無い上、動けなくなった途端に何もかも毟り取られ捨てられるから全身から蛆が湧いていたり片手片脚だったりするのは当たり前 船内に寿司詰め状態で押し込まれた兵士達はトイレにも中々行けず垂れ流し 船酔いに加え疫病も蔓延し途中で死んだ兵士は生ゴミと共に海上に放り捨てられた 散々地獄を潜った国民党軍にしてみれば台湾の華人は日本軍に味方し甘やかされた裏切り者 何が起きたかは言うまでも無いだろう。
日本軍に志願したり軍属或いは出稼ぎ労働者として働いていた台湾人は約20万人 大陸やベトナムにパプアニューギニア等々……志願兵や軍属として働いていた民間人とその家族による命懸けの脱出行 本州からは当時留学生だった李登輝等が台湾へ帰国 彼の目撃した国民党軍の印象とか各地で行われた様々な蛮行の数々については列記してもキリが無いから本編を読んで欲しい
■第6章:フォルモサの少年たち……捕虜収容所にいた台湾人日本兵
台湾に進駐した国民党軍がまず始めたのは大陸に巣食う人民解放軍や八路軍と戦うための兵隊募集 其れは山岳地帯に暮らすプユマ族の様な中国語を喋れない人々をも掻き集め送り出す容赦無き徴兵制度 平和な山村で暮らす先住民や都会の生活しか知らない華夷秩序に染まる愛国学生が体験したのは文字通り想像も出来ない様な地獄絵図 その多くが最初の冬を越せないまま徐州の大地で凍死し壕に打ち捨てられる
日本統治時代に南方戦線へ志願した兵士や軍属が任されたのは捕虜収容所の看守任務 半ば孤立したラバウルに取り残された彼等は多くの日本兵と共に食糧の自給生産に従事し戦死者や病死した兵士達の埋葬を手伝ったりと多忙な日々を送る 戦後捕虜生活を体験した連合国軍兵士達の復讐対象となった多くの台湾兵士や軍属達の体験談 死刑判決を受けた自身の運命よりも巻き添えにする形で戦犯に仕立て上げられた華人の恩赦を訴える日本軍将校達の記録 生きて祖国へ戻った台湾人達の名誉が回復する迄、長い年月が必要だった。
★敢えて省略したけど今章で描かれるのは日本兵を蛮族と罵り今も嫌悪感を顕にする元連合国軍捕虜の虐待証言と様々なスケッチ……言いたか無いけど突っ込み所満載です それって白豚達が黒人やインディアンにやってた事じゃん。
■第7章:田村という日本兵 /ニューギニアに残された日記、生き残った国民党軍兵士
宣戦布告の無いまま始まった日中戦争で捕虜となった国民党軍兵士達は何処へ送り込まれたのか 4日間の激戦の末に南京の戦いで捕虜となった八百壮士と呼ばれる生き残り100名の英雄達が辿り着いた終焉の地は南京老虎橋収容所 1945年収容所開放で生還を果たしたのは僅か36人だと言う 国民党軍捕虜の内1500名程は建設労働者として南方戦線ラバウルへと送られた内終戦まで生き延びて祖国へ凱旋したのは400名余り 物語の終焉が近づくにつれ証言者の口述に書き残されるのは残虐非道な日本軍に対する罵り言葉 日本軍のみならず解放軍として現れた連合国軍も国民党軍か台湾人の関係無しに収容所へ押し込め疫病を蔓延させた史実をバッサリ省略してる辺り色々突っ込み要素満載です。
何が有った原作者(笑)
■第8章:じくじくと痛む傷……一九四九年の後遺症
今章は原作者の反省会 日本軍に代わりに現れたイギリス政府のマレーシア統治に反発し中華民国へ亡命して来た華僑の若者達がそのまま台湾居着いたエピソードとか 台湾島の周囲に広がる小さな島々で国民党と人民解放軍の対立に巻き込まれた離島の人々の小噺 此処では自称民兵による陰惨なテロ事件の記録が残る。
■エピローグ:尋ね人
国共内戦終結から60年 今も台湾や大陸双方の新聞に掲載される尋ね人の広告 結局の所、中国の統一は未だに成されて居ない……そんな後書き。
❖2025年3月、トランプ政権下の情報公開で明らかとなった沖縄県キャンプ・キンザー内のCIA施設・通称"ベトナム村" スカウトした亡命中国人使い中華人民共和国へパラシュート潜入、破壊工作や共産政権打倒の裏工作が軒並み失敗したのは実はCIAの中にがっつり共産党シンパの破壊工作員が多数潜り込んでたので なお台湾側によると捕まり処刑されたのは数千人に上るらしい




