本番
合図とともにイリスが前方へ駆け出す。同時に、先頭を切った彼女へ向けて地上と空中の機械兵から火炎弾が放たれる。
それを見て、沙希が両手を広げた。
「冷徹なる雨よ。此に集い疾く貫け」
すると沙希の周囲の空間が歪みはじめ、やがてそこに何十という『白守』が姿をあらわした。それらはまるで主である沙希を守るかのように、周囲の中空に無数に展開し浮遊している。
幻影ではないその多数の懐剣は、沙希の指し示した方向――飛び来る火炎弾へとその切っ先を向ける。
あわせて、セシアも両手に持つ箒の先端を前方へ向けて腰だめに構えた。
……戦闘は、損耗を嫌って長引かせてはいけない。惜しみなく最大の火力を投入することが、却って消耗も抑えることになる。それがあの戦いで学んだことだ。
必要なのは、最も攻撃が効率的となるような状況とタイミングを構築すること。
提示した作戦内容を思い返す。
――まず必要になるのが敵の火炎弾の相殺だ。担当は、空が沙希で地上がセシア。そして二人が防いでる間に、イリスには術式の射程に機械兵が入るまで前進してほしい。
――承知いたしましたわ。
――沙希も頑張るのです。
――ふふん、私が切り込み隊長ね、悪くない役だわ。
「行けっ! 『氷雨』!」
「猛りなさい――『奔放なる焦熱の軍勢』」
沙希の声によって数多の懐剣が空へ向けて急速に飛び向かい、またセシアの箒からは拳大の大きさをもつ複数の火球が発射され、イリスへ襲い来る火炎弾を迎え撃つ。
放たれたそれぞれの術式は、互いが引き合うかのようにぶつかり合い、そして相殺する。……ここまでは、さきに合格した梟と全く同じ作戦だ。遠距離からの火炎弾を捌く術がない小隊は、大抵がここでつまづく。
かといって遠巻きに撃ち合うだけでは、回避能力の高さから決定打を与えることができず、消耗戦となりやがて敵に押されてしまうだろう。敵の能力を考えれば、どこかで中近距離戦を狙わなければならないのだ。
二人がけん制している間に接近したイリスが、疾走したまま前方にいる地上の敵へと両手の双銃を構える。
――で、次はどうするのよ?
――氷の術式、あれを撃って欲しいんだ。
――でも多分あれじゃ倒せないわよ。威力が低すぎるわ。
――倒さなくてもいいんだ。狙うのは……。
「弾頭術式――『氷撃弾』!」
宣言とともにイリスが引き金を引く。その銃口から発射されるのは、凍結の現象を内包した魔弾の術式だ。
彼女の銃は形状こそ神界の遺産である銃を模倣して造られているが、その仕組みは全く別物である。
薬莢は魔力がこめられているだけで雷管はなく、撃鉄は刻まれた印による術式起動に過ぎず、弾頭は術式の核となる情報を込めるだけで発射はしない。銃である必要性は彼女の適正に他ならず、特筆するほど威力が高いわけでも有効射程が長いわけでもない。
だが錬金術の研究過程で生まれたとされる彼女の第五元素練成は、術式の事前準備に特化させることで、発動による消耗が極めて少なく連続発動が可能であるとともに汎用性に優れるという強みを獲得していた。
継戦能力において、彼女は他の仲間の追随を許さない。
彼女が、この小隊における"攻勢前衛"である所以だった。
イリスは迷わずそのまま双銃を連射する。彼女が持つ複動発射方式回転式拳銃の装弾数は五発。計十発の魔弾が放たれる。
しかし、地上兵は履帯による高速移動を駆使して全ての弾を回避した。外れた魔弾が床にぶつかり、周囲を凍結させる。すでに残弾はない。
だが彼女の行動に焦りはなかった。
「まだよ!」
イリスが両手の拳銃を捨て去る。手を離れた銃は、持ち主を失ったためかすっと虚空へと霞のように消えていく。
「第五元素練成・再造!』」
そしてその手に、再び新たな拳銃が作り出される。第五元素練成師である彼女には、弾丸の再装填などという手間は不要なのだ。――銃弾ごと銃を再び練成してしまえばいいのだから。
「逃がさないわ!」
練成を繰り返しながら、イリスが氷の弾を連射し続ける。終わりのない術式が地上兵にあびせられ続け、そしてついにその姿を捉えた。
着弾したのは、胴体ではなく脚部にあたる履帯だった。別に外れたわけではない。初めからイリスには、その場所を狙うように指示していた。
術式は、履帯を床ごと凍結させて胴体をその場につなぎとめる。地上兵の身動きを取れなくさせるのが、当初からの作戦だった。
だが近づきすぎたイリスを、今度は地上兵の砲門が隙を見て狙い定める。
「お嬢様!」
「分かってるわ!」
――イリスが地上兵に命中させる頃には、今度は近づいたイリスが狙われ始めると思う。だから……。
――だから?
――すぐに撤退して欲しいんだ。
――前言撤回。全然切り込みじゃなかったわ。
――ヒットアンドアウェイという作戦ですね!
「ニ連弾頭術式――『風召弾』! 『衝裂弾』!」
イリスが新たに銃を練成すると、腕を交差して左右の銃を前方と後方それぞれに向ける。右手の銃からの魔弾を撃つとほぼ同時に、左手の銃を正面へ撃つ。
『風召弾』は、弾道上の空間に干渉し擬似的に風の通り道を作る殺傷力を持たない術式。そして『衝裂弾』は、任意の空間で炸裂し周囲全てに強い衝撃波を放つ術式である。
これを組み合わせることで、衝撃の反動で自分を風の流れへと乗せる高速移動術式となる。難点は無理な体勢になるため移動距離の調整が難しく、緊急避難か博打の体当たりにしか使えないことだ。
術式によって即座に後方へ跳ね飛んだ直後、まさに直前までイリスがいた空間へ複数の火炎弾が殺到した。
「……っと、間一髪だったわね」
「ひやひやモノでございましたわ」
自身のところまでイリスが退いたのを確認すると、セシアが再び箒を強く握り締めその先端を狙い定める。
――イリスが戻ってきたら、次は……。
――私の出番でございますね。
――まあ、あんたがこの小隊の主力だしね。
セシアが深く集中する。
「薙ぎ倒しなさい――『奔放なる焦熱の蹂躙』」
箒の前に、拳大の火球が生まれる。だがそれは、徐々に先ほどの術式とは比にならないほどの大きさへと成長していき……そして放たれた。
目標は、地上の機械兵。いかに高速移動が可能だったとしても、氷漬けにされていれば回避は叶わない。
人をも飲み込む大きさを持ったその火球は地上兵へ命中し、そして爆発した。
あともう一体。
セシアが、再装填するかのごとくその場で箒をくるりと一回転させた。
「――『第二撃』」
さしたる間もなくニ発目の火球がセシアから発射される。予定通り、それは残りの地上兵を直撃する。
セシアは炎の術式の使い手である。その術式は強力であり、彼女が全力をかけた一撃は通常時の小隊の中で一番の威力を誇る。ただし消耗も激しいため、その運用には細心の注意を払わなければならない。
立ちふさがる敵を後方から粉砕していく彼女は、小隊に無くてはならない"火力要塞"である。
これで、残りは飛行兵のみ。
「沙希!」
「了解なのです」
――沙希が空の敵をけん制している間に地上の敵を倒すのが第一の作戦。それが上手くいったら、あとは空の敵だけだ。
――具体的にはどうするのじゃ?
――あの敵は素早いうえに上空にいる。狙撃はかなり難しいから、地上から倒すのなら高威力かつ広範囲の術式で一撃を狙うしかない。
――ですが秋人様、私たちには該当する手持ちの術式がありませんわ。
――そうなんだよね。だから、その役目は沙希にお願いしたいんだ。
――さ、沙希にですか?
――そうね、沙希にならできるじゃない。この中で唯一、空中戦が。
「白守、『天座』、いきます!」
その声に応えるかのように白守がその身を淡白く光らせた。
沙希が、空へ跳ぶ。
といっても翼のない彼女に届くのは、地上からほんの少しの高さだけだ。空の敵はまだはるか上空である。
だが次の瞬間、跳躍する彼女の足元に白守が姿をあらわした。空中に設置された白守の柄へと彼女はその片足を下ろし、それを足場にして再び空へと跳ぶ。
自由に作りだされる階段にも似たそれは、さながら天に座すものが歩む回廊のよう。
はたから見ればまるで綱渡りのように危うくも見えるその空中機動は、しかし白守に絶対の信頼を置いている沙希には無意味な心配であり、長年の修練を重ねたその足取りにはまったく不安な様子がない。沙希はそれを示すかのように瞬く間に駆け上がり、飛行兵へと肉薄した。
「おおっ、なんだあれ、すげーぞ!」
「空へ、のぼっているのか……?」
遠くからの観客の驚きの声が耳に入る。
術式の理論が発達した今日においても、滑空でもなく高度跳躍でもない"浮遊"に属するものは、高難度を極める術式として有名である。沙希のそれは厳密には浮遊とは異なるのだが、今日初めての空中戦闘に受験者側も観客席側も大きく沸いていた。
すぐ間近で見合う、沙希と飛行兵。空対空での中近距離戦闘が幕を開ける。
「お願いです! 白守!」
沙希の声に従って周囲に無数の白守が現れると、すぐさま敵を狙って飛び向かう。地上では、イリスとセシアが狙撃体制に入って機会を伺っていた。
対する飛行兵は、地上兵をも上回る俊敏さで立体的な回避を行い、その切っ先を全て受け流した。そして隙を見つけては、沙希目掛けて火炎弾を撃ち放つ。
「はっ!」
だが沙希も、素早い動作でそれらを回避する。白守による足場を作って跳び、あるときは手元に作り出してぶら下がり、機敏に敵と渡り合っていく。
懐剣が舞い、炎が飛ぶ。空対空での互角の攻防は、何度も繰り広げられた。
その均衡を破るべく動いたのは沙希だった。
「やっと動きが読めてきましたです。次、狙いにいきます」
白守の力によって、上空にいる沙希の小さな声が小隊全員へ届く。そして彼女は、直接右手の中に白守を喚びだした。
敵を追い狙う白守と、それを回避する飛行兵。だがその移動先を、沙希は予測して見据えていた。
「そこです!」
握っていた右手の白守を振りかぶり、研ぎ澄ました集中力をもって投擲する。狙い定めたその一撃は、果たして飛行兵の胴の脇に突き刺さった。だが刺さりは浅く、飛行兵の動きを停止させる損傷には程遠い。……一見すればそう見えるだろう。
この攻撃は、いわば道標なのだ。
「捉えましたです。――慈悲無き雨よ。其に集い檻と為せ――『篠突雨』!」
沙希の声と同時に、飛行兵を囲むように全方位に無数の白守が一斉に出現した。それはまさしく懐剣による剣の檻、一分の隙もない。
「――散」
ぱちりと沙希が指を鳴らすと、直後に周囲全ての懐剣が飛行兵を突き刺し、それは文字通り剣による針の山と化した。
比較的攻撃力の低い沙希は、攻撃の手数でそれを補っていた。援護を主としながらもあらゆる場面に対応できる彼女は、この小隊における"全域支援"だった。
いくら浅い攻撃といえど、あれだけの数を被弾すれば少なくとも飛行には支障をきたすはずだ。そして、落ちてきたところをイリスとセシアが止めを刺す。
これが作戦の全てだった。そして、ほぼ全てが思惑通りに運んでいた。
そのときふいに、ばたりという不安な音が耳に届いた。それは周囲の歓声にかき消されそうなほどわずかな音だったにもかかわらず、嫌なくらいはっきりと聞こえた。
音の聞こえたほう見る。
模倣体の術者数人が、全員倒れていた。試験官はそれに気がついていない。何かが起こっているのではという考えが頭をよぎったが、余裕のない今は目の前の敵に集中せざるを得なかった。
そうしている間に、落下する飛行兵が墜落直後に反転して着地した。その砲門をこちらへと向ける。
だがそれは織り込み済みだ。同じ轍は踏ませない。衝撃砲を撃たせる余裕など与えなければいい。
「イリス! セシア!」
「弾頭術式――『速破弾』!」
「疾く貫きなさい――『奔放なる焦熱の瞬撃』!」
身構えていた二人が、即座に風と炎の術式を解き放つ。矢をも越えるほどの速さに特化した術式は、一直線に飛行兵を目指す。狙いも十分、威力も十分、これで決まる――そのはずだった。
だが、前触れなく突如として飛行兵の前に白く輝く光の壁が発現した。二つの術式は、その壁に阻まれて霧散する。
「なっ!」
『防壁術式』、しかも二人分を足してなお破ることができないほどの術式強度。
想定外の事態に仲間の誰もが、あるいは観客も含めて、行動に一瞬の空白ができた。ためらわずに動いていたのは、当の飛行兵だけだった。
中心の砲門が、こちらへと向けられていた。