回想
――冒険者。昔であれば、一般的にはならず者や流れの傭兵などの不定職者を指す肩書きだ。
だが近年、それは大きく変化した。
迷宮探索という生業の、門戸開放のためである。
迷宮――それは別名"神々の戯れ"とも呼ばれる、古より存在する不可思議な未開の地帯だ。
世界にいくつか存在が確認されているそれらには、神界と呼ばれる異界から司らされたとされる見たこともない凶悪な怪物が跋扈しているとともに、神界の遺産と呼ばれる奇跡の道具や書物の存在も確認されていた。
昔は国家が独占して探索をおこなっていた時代もあったが、今では冒険者協会がその管理をおこなっており、協会から許可さえ貰えば誰であっても探索できるようになっている。
もし神界の遺産が発見できれば、国が高価で買い取ってくれる。このため腕っ節に自信のある冒険者たちにとって、迷宮はまさに一攫千金の好機を得る場所となっていた。
無論それは、命の危険と常に隣りあわせであることも意味しているのだが。
そうしていつの頃からか、冒険者とは迷宮探索を生業とする者たちを指し示す言葉となった。
危ないと自分で分かっていながら今はそんな冒険者を目指しているのだから、まったくもって数奇といわざるを得ない。街で働いて覚えた経理の知識は、残念ながらこれからの生活ではほとんど使えそうにもなかった。
その日のことはよく覚えている。それほど日がたっていないということもあるが、その直前の悪夢のような戦闘のことも含めて、多分一生忘れることはないだろう。
それこそ、何度も夢で見るくらいには。
――目を開けると、視界には見慣れない白い天井が広がっていた。
すぐ近くに殺風景な壁が見えることから、どうやら小さな一室であることがうかがえた。
背中からは硬いベッドの感覚。どうやら、寝かされているらしい。
「秋人! 気がついたかえ?」
声のするほうへと首を動かし顔を向けると、そこには着物姿の小春が立っていた。
体を起こしてまわりを見れば、小春のほかにも沙希、イリス、セシアがその後ろに控えてこちらを見ていた。
ようやく経緯を思い出す。
「よかった……みんな、無事だったんだね」
仲間の無事を確認すると、安堵のため息がこぼれた。
「おぬしはどうなのじゃ?」
言われて、自分の現状を確認してみる。
胴にも四肢にも大きな痛みはない。どうやら、ひどい怪我はせずにすんだようだ。
「大丈夫だと思うよ」
そう言った途端、突如として布触りを通したやわらかい感触に顔が包まれた。
「よかった……本当によかったのじゃ……」
小春の声が頭の上から聞こえてくる。察するに、どうも彼女に抱きかかえられているらしい。
押し付けられた着物越しの胸元から、ほんのり甘く優しい香りがした。
しばらくそのままにしたあと、落ち着いたであろう頃を見計らって小春の肩を優しくはたいて体を離させる。
そしてもう一人、どこかで見たことがある白衣を着た妙齢の女性がそばに立っている。
「治療師のナギです。気分はどうですか? 本当にどこにも痛みはありませんか?」
どうやらここは、街にある治療院の一室らしい。あの戦いのあと、仲間たちによってここ運び込まれたのだろう。
「体がとてもだるいですが、特に痛いところは――ぐっ!」
ない、と言いかけたところで急に左腕に激痛が走る。
痛んだ場所を見ると、二の腕に見知らぬあざのようなものがあった。……あざ? いや違う、これは……。
「やはり、その場所が痛みますか」
当たってほしくない予想が当たってしまったといった顔と声で、治療師のナギがそう告げた。
そう、これはあざなどではない。魔法印、それも忌まわしき呪いの類の刻印だ。
「治療師様、やはりあれは……」
「セシア? どうかしたの?」
気がついているセシアと、気がつかないイリス。
「……これは恐らく、負の刻印の呪術式――いわば呪いです。腕の痛みはすぐに消えますが、放っておけば陽の気が減少し続け、やがて衰弱から死に至るでしょう」
「なんじゃと……」
「どうしてそんなものがあるのよ!」
「……"はぐれ"の仕業、と考えるのが妥当でございましょうか」
「解呪はできないんですか?」
沙希がナギに問いかける。だが彼女は力なく首を横に振った。
「呪術とはもともと強力な術式が多いのですが、これはさらに解呪に対して妨害がかけられています。念のため中和する術式は試しましたが、効果はほとんどありませんでした。正直にお伝えすれば、今生きていること自体が奇跡に近いことかもしれません」
力不足で申し訳ありません、と頭を下げるナギ。
「そう、ですか。わかりました」
唐突に伝えられる、迫り来る死。極力平常心を保とうとするが、声が沈むのを隠すことはできなかった。
彼女たちを救うことができたのがせめてもの幸いかもしれない。そう思えば、少しだけ気が楽になった。
「そんな……お兄さんが……」
「どうにか、どうにかならんのかえ?」
小春が悲痛な声で問いかける。
「……解呪の可能性について、こんな話を耳にしたことがあります」
意外にも、そんな希望の言葉がナギから告げられた。
思わずその顔を見つめる。
「――霊薬エリクシル。迷宮にのみ存在する限られた素材を用いてのみ作成でき、万病に効果があると謳われる秘薬。それを触媒にすれば、高位の呪術であっても解呪できるのだそうです」
「それはまことか?」
「解呪の信憑性については、あくまでうわさ程度の代物です。……ただし、霊薬エリクシルというものが実在することは間違いありません」
「エリクシルという名は、私も聞いたことがありますわ。ですが、確かあれは……」
ナギにセシアが同調する。しかし、その表情は暗い。
「どうしたのよ、セシア。歯切れが悪いわね」
「一憶ドレン」
「なによ、そんな大金がどうかし……まさか?」
「エリクシルの相場と聞き及んでいますわ」
セシアの言葉に周囲が固まる。当然ながら、ここにいる誰もがすぐに用意できるような金額ではなかった。
結局話は振り出しに戻る。誰も言葉を発することができない。
そんな沈黙を破ったのは、小春だった。
「一憶ドレン、それだけあればいいんじゃな」
「小春さん?」
「どうする気よ、小春」
「必要ならば、集めるしかなかろう」
小春が、当たり前のようにそう答える。
「どのようにしてお集めになられるおつもりですか? ……もしや、非合法な方法を?」
「そのような怖い顔をするでない。なにも悪事を働くつもりはありはせんよ。第一、そんなこと秋人が許すわけがないじゃろ」
「……そのとおりですね。私としたことが、あまりに失礼な発言でございました。どうかお許しください」
「でも小春、それならいったいどうやって?」
「のう秋人。実はこれは前から考えておったことなのじゃが――」
少し言葉を区切ると、小春が再び口を開いた。
「わしは、冒険者になろうと思うのじゃ」
冒険者。それは、迷宮を探索する者たちの総称だった。
「そんな危険なこと、小春にはさせられないよ」
「じゃがな、もしおぬしが死ねばわしは後を追うぞ? それよりはましだと思うのじゃが、どうかの?」
「ッ!」
さらりと軽く告げられたとんでもない宣言には、だが嘘や冗談のような響きはなかった。つまり引く気はないということなのだろう。
「小春さんがそうするのなら、沙希もついていくのです」
「沙希?!」
驚いて声を上げてしまう。
「お兄さんがいなければ、きっと沙希は生きていなかったのです。いえ、沙希だけでなくこの街も。今度は、沙希が助ける番なのです」
「沙希が行くのなら、私も行かないわけにはいかないわね。恩はきちんと返しておかないと、ブルーフィールド家の名がすたるわ」
「私は、お嬢様にどこまでもお供していくだけでございます」
「二人まで……」
自分を思ってくれることを喜べばいいのか、巻き込んでしまったことを悲しめばいいのか。もうなんだかよくわからなかった。
「でも、ここを離れるんだよ?」
迷宮がある街は、ここからは遠い場所だ。二度と帰ってこれないような場所ではないが、かといって日帰りできる場所でもない。
そして自分と小春はともかく、後の三人は環境が違うのだ。沙希にも、イリスたちにもそれぞれの家族や生活がある。
「多分、沙希のほうは大丈夫だと思うのです。その、お姉ちゃんという前例がありますので」
だが沙希は、さらっとその心配を打ち消す。
そういえば、沙希の父親はとても豪快で奔放な人だったのを忘れていた。後見人になってもらって身としては、それに助けられたこともあるし、苦労したこともある。
加えて彼女の家は、武の道を志す家系だ。以前、修行の旅に出たいといった沙希の姉に対して、二つ返事で了承したのも父親だった。
きっと今回も、修行であると伝えれば許されるのだろう。
「私のほうも、まあ何とかなるでしょ。一族繁栄のためには、この広い世界を知ることも必要不可欠だし。それにそもそもあの二人、基本的に私には逆らえないわ」
イリスは跡継ぎであり、両親は彼女を溺愛していた。すでに力関係は逆転しているらしく、恐らく反対はしても結局止められないのだろう。
「……泣き崩れるお二人をなだめる私の身にもなって欲しいものです」
「大変ね、メイドの仕事って」
「そのほとんどがお嬢様のせいであることを、なにとぞお忘れなきようお願いしますわ」
セシアはイリスの専属メイドだ。むしろついてこない方がおかしいといえる。
どうやら、なんとかなるらしい。……なってしまうらしい。
自分は、本当にすばらしい仲間に恵まれていた。
とすれば、残る問題は。
「僕は、どのくらい持つのですか」
唐突な発言に、沙希とイリスが驚いたような目でこちらを向くのがわかった。
「何も対処しなければ、七日……いえ、悪ければ五日ほどになるかもしれません」
「そんな……」
ナギの答えに沙希が顔を青くして絶句する。与えられた時間はあまりに少なかった。
だが、小春とセシアは冷静だった。
「仮にも治療師ともあろう者が、もし本当に打つ手がないのであれば先にエリクシルのことを話して甘い期待をもたせたりはしないじゃろ」
「それに治療師様は今、"対処しなければ"とおっしゃいました。ということは何かしらの算段があるということ。そうでございますよね?」
「……お察しのとおりです。確かに、手はないわけではありません。陽の気が急速に不足することよる衰弱なのですから、対抗して陽の気を注ぐことで理論上は中和することができるはずです」
全く想像もつかないが、どうやら何か手立てがあるらしい。
ナギが一度言葉を切る。
「ただ呪術である以上、通常の方法では枯渇する速度に対応が間に合わないでしょう。こちらも特殊な方法を用いなければならないのですが……今の皆さんなら問題ないのかもしれません。わかりました。詳しく説明しますので、お仲間の皆さんは一緒に別室まで来ていただけますか」
「承知したのじゃ」
「なるほど……なんとなく予想がつきましたわ」
「どうしたのよ、セシア」
「いえ、なんでもございませんお嬢様。……しかし、お嬢様にはまだ早いのでは……ですが、秋人様のためですし……」
なぜ別室なのか疑問に思っている間にも、自分を除く全員がナギに従ってぞろぞろと部屋を出て行く。
戸が閉められると、誰もいなくなった治療室は急にしんと静まり返った。
することもなく、気だるい体をベッドへと沈める。話をしているだけで疲労を感じてしまうあたり、本当にこの体は駄目になっているらしい。しかも時がたつほどに蓄積していくようだ。
自分は助かるのか、助からないのか。これからどうすればいいのか、何ができるのか。何もかもが分からず、悩んでも答えは出ず、しかたなく考えることを放棄する。
目を閉じるとすぐに忍び寄る睡魔に襲われ、そのまま浅い眠りへと誘われるのだった。