作戦
警戒していた夜間は無事に何事もなく過ぎ去り、そして迎えた迷宮での朝。
なぜ起こさなかったのかとひどく不機嫌なイリスを宥めながら簡素な朝食を取り終えると、今後について作戦を立てることとなった。
日の光が届く洞窟の入り口近くで円を作り、座り込む。
「そもそもとして、このまま篭城するか、それとも強行突破を試みるかなんだけど……」
まずそこをはっきりさせる必要があった。
「迷宮融合っていつまで続くのかしら?」
「その時々によって様々なようでございます。数日のときもあれば、十日を超えることもあったと文献には書いてありましたわ」
「……終わるまで待つのは、分の悪い賭けになりそうね」
「となれば、ここに居座るのは厳しいかもしれんのう」
備蓄残量、体調管理、掃討者、徘徊者。憂慮すべき事象は複数あり、備えていても全て回避できるとは限らない。
篭城に利がないのであれば、残された方法はひとつだけだ。
「では、管理門を強行突破ですね!」
沙希の言葉に、異をとなえるものは誰もいなかった。
"管理門"――それは、外界と迷宮とをつなぐ不可思議なる通り道のことだ。材質不明とされるアーチ型の大きな石門を潜り抜け、そこから続く短い一本道を抜けることで、迷宮に進入あるいは脱出できる。
ただし、外側にある入り口は一つだけなのに対して、迷宮内には複数存在していた。加えて、一度到達した迷宮内の管理門は、強く思い描くことで任意に入り口先として選択することができる。
このあたりの突拍子のなさも、迷宮だからとしか説明ができない。学識者たちによると迷宮内の次元やら位相やらが原因らしいが、それがわかったからといってどうにかなるものでもなし。
このため冒険者の探索は、到達した管理門を基点としながら次の新たな管理門を目指すのが基本となっていた。
そして、愉快な子猫団の今の最終目標でもある。
「付近を偵察した結果、ここから近い管理門は二箇所だったのです」
「戦場としてみたときに、狭いのはどちらでしたか?」
「えっと、そういう意味でしたら北側にあったほうが狭いと思うのです。周囲が木々で覆われている小さな広場になってました」
沙希が地面に広げた手製の簡易地図には、おおよその目標物が書き込まれている。
北側の管理門まではおよそ一時間といったところか。
「では、そちらを目標といたしましょう」
「どうして狭いほうを?」
「いかに敵方が多数の戦力を抱えていたとしても、狭い場所ならば備えられる人数に限りがございます。多少立地上で不利があるとしても、人数差を埋めるほうが先決になりますわ」
自分の問いに、セシアはそう答えた。なるほど、そういう考えもあるのか。
「じゃあ目標は北かしら。あとは、どうやって突破するかよね」
「策のない正面突破は推奨できかねますわ。何らかの罠が仕掛けられている可能性もありますし、そうでなくともこちらの消耗が激しくなりますので」
「じゃが警戒されておる現状では、生半可な奇襲は成功せぬじゃろうな」
セシアと小春、二人の言っていることはもっともだった。ある意味、前回の戦闘がそれだけの戦果だったとも言える。
前と同じようにはいかない、か。
「……先に言っておくけど、また私と沙希をのけ者なんかにしたら今度こそ許さないわよ。自分たちだけが被ろうだなんて、お節介もいいところだわ」
「イリスちゃんも私も、いつかは通る道なのです。早いか遅いか、それだけのこと。今更あえて覚悟するようなことでもないのです」
イリスの刺すような瞳と、沙希の見通すかのような瞳。視線にはそれぞれの決意がこめられている。
武の道を志す女の子とは、かくも強いものらしい。
「その件は悪かったと思ってるよ。どのみち今回は、状況が許してくれそうもないしね」
「とのことでございますわ、お嬢様」
「わしはもともと反対はしておらんよ。秋人に従ったまでじゃ」
「ふん、分かってるならいいのよ。ね、沙希?」
「ふふっ、そうですね」
とりあえずは、二人とも許してくれたようだ。
しかし、結局のところどうしたものか。
「提案があるのです」
沙希がそう切り出した。
「沙希が上空から奇襲をしかけます」
「『天座』か。確かにあれならば奇襲にはなるかもしれぬが、しかし……」
「危険でございますわ」
「確かにそうだね」
先の戦いで飛び込んでいった自分が言うのもおこがましいが、単身での行動は危険が伴う。加えてもしも集中砲火を浴びた場合に、空中では助けることができない。
「先に私と小春が前に出て、敵を攪乱するわ。あくまで牽制に徹しながら、注意をこちらにひきつける。それならどう?」
イリスが名乗りを上げる。
「そして沙希たちが時間稼ぎをしている間に、セシアさんに術式で道を切り開いてもらうのです」
「要は管理門にたどり着ければいいんでしょ? なら全ての敵を倒す必要はないはずだわ」
どうやら、沙希たち二人で作戦を考えていたらしい。
「さりげなくわしも組み込まれておるのじゃな。まあよい、どうする秋人?」
手としては悪くないと思えた。ただ、予想外の事態への対応が気になるところだ。
沙希とイリスには、共通の弱点がある。といってもまだ発展途上である二人に対して、それを弱点と評するのはいささか酷かもしれないが。
二人の攻撃は、術式強度が足りないのだ。
手数の多さ、射程範囲、応用の幅。それらは脅威であり、紛れもなく強力な武器である。
だがそれは、牽制から始まり足止めへと繋げる戦術、すなわち護衛と時間稼ぎにおいてもっとも真価を発揮するものだ。
例えば『強化術式』や『術式防壁』などで防御に徹している相手を圧倒するようなことは、あまり得手ではない。
この小隊において殲滅力はセシアと、そして自分が担っていた。しかし今の自分の状態は万全ではなく、セシアは多数を相手取る消耗戦が不得手だ。
何かの要因で、突破ではなく殲滅へと作戦の切り替えを強いられる状況になったとき、恐らく戦況は厳しくなるだろう。
本当に確実を期すのであれば、あと一手、何か奥の手が欲しいところだった。
「あのー」
「セシアは、大丈夫?」
「お嬢様の頼みとあれば、断るわけには参りませんわ」
セシアはさも事もなげといった表情で、そう答えた。
最善ではないが、やむをえないか。
「なら、それでいこう」
「ふむ、では決まりじゃな」
「そうですね」
「あのー」
うん?
別の声が聞こえた気がして振り向くと、ぶすくれた顔をしたユキが座っていた。
「私、忘れられてる気がするんだよ」
「だってあなた、護衛対象じゃない。非常事態ならばともかく今は戦列になんて加えられないわよ」
すぐさまイリスが突っ込みを入れる。
ユキとほかの仲間たちは、自分が気絶している間にやりとりがあったらしく、既に打ち解けていた。
「違うもん、私だって仲間なんだよ」
「それは、どういった意味でございますか?」
耳聡いセシアが食いついた。そういえば、昨晩のことは説明してなかったかもしれない。
戦闘を前に無用な情報は避けたかったのだが、やはり隠すことはできない、か。
「あー、実はなんだけど……」
仕方がないため、ユキを仲間に加えたいこと、件の儀式の契約に加わったことを説明する。
術式を改変するなどという離れ業に、セシアだけが驚いていた。
「あとで説明しようとは思ってたんだけどね」
「秋人、後回しにしようとすることのうちのほとんどは、速やかに行うべきものだって今すぐ覚えたほうがいいわ」
「……反省してます」
「まあ、薄々予想はしておったがの」
「では、ユキさんも小隊に加わるのですね! よろしくなのです! ……あれ? では依頼はどうするのです?」
「そうよ、依頼はどうするのよ?」
沙希とイリスからの、当然の疑問だった。
「確か依頼の内容では、協会が保護することになっていたかと記憶しておりますが」
「そこは、協会に相談をして……」
「ダメだったらどうするのよ」
「それでも、何とかするよ」
イリスの言っていることはもっともだ。だが、ここは譲れない。
「あまりあっくんをいじめないで」
何か言おうとした矢先、ユキが割って入った。
「私にできることなら、何でもするから。だから一緒にいさせてほしいの」
「それが不都合だから困ってるんじゃない、もう」
「お嬢様」
セシアが、取り成しに加わる。
「当初の目的を考えれば、お嬢様のおっしゃることはもっともでございます。しかし現状を考えれば、赤の他人なら格別、知り合いと思しきかたを売るような形で目的の成し遂げても、秋人様は喜びませんわ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「わしは秋人に従うまでじゃ」
「沙希もお兄さんに任せるのです。そもそも、多分お兄さんは折れないですよ。あの顔、久しぶりに見た気がするのです」
どうやら三人は認めてくれるようだ。
「あーもー、なんで私が悪者なのよ、理不尽だわ。分かったわよ、好きにすればいいじゃない」
納得がいかないといった表情で、額に手を当てながらイリスが首を小さく振っていた。
「みんな、ありがとう。それと、改めてごめん」
再度、頭を下げる。
「……まったく、いつのまにかまた増えてくんだから……」
「ん? イリスさん、何が増えるんですか?」
「とにかく! 仮に仲間だとしても、ユキ、あなたは戦力にならないんだから後ろで大人しくしていること。いいわね!」
沙希の問いを無視して、イリスが強引にそうまとめた。当のユキが、こちらに視線を送ってくる。
「イリスの言うとおり、僕のそばで隠れていて」
「うん、あっくんが言うならそうするね」
「なんなのこれ、すっごく納得がいかないわ」
「イリスさん、どーどー、です」
「さて、ではそろそろ行きましょうか」
セシアがそう切り上げ、会議は終了した。
それから手短に後始末をすませると、洞窟を出て森の道へと足を踏み入れ、慎重に進んでいく。
決戦の場となるであろう、管理門のある場所を目指して。