イリス
――また、昔の夢を見る。
思えばイリスとの仲は、当初は決して良いものではなかった。
沙希と仲の良かったか彼女からしてみれば、自分は"急に沙希の近くに現れた怪しいヤツ"くらいの存在だったのだろうと思う。
そんな彼女と顔を合わせれば「なによ、あんたに用はないわよ!」だの「沙希に近づかないでよね!」といった具合で、当然の如くいつも警戒されていた。
セシアはいつも申し訳なさそうにしていたし、沙希は沙希でどうしていいのかわからずおろおろとしていたので、そういうときは黙って自分が立ち去ることが多かった。
もっとも無視されることだけはなかったので、きっとそれが当時のイリスにとって可能なぎりぎりの配慮だったに違いない。
小春だけは、なぜか微笑ましい顔でその光景を見ていた。いつだって大人びている彼女がそのとき何を考えていたのかは、今もって分からない。
そんな関係が変化したのは、二年を過ぎた頃だった。
彼女たちの心身の成長に伴い、日常に修行という時間が加わった。
沙希とイリスはそれぞれの家族に、自分は小春に、武を学び始めたのだ。
名を馳せる家系である二人とは違い、自分は別に強くなる必要があったわけではないのだが、何か少しでも二人の役に立ちたいとの思いから小春に頼み込んだ。小春は、昔から文武ともに秀でていたからだ。
訓練が始まり、まず才能が開花したのは沙希だった。
時空を司るとされ神流家で代々伝承されてきた神器――"空宮白守"。神器との親和は決して簡単なことではないらしいのだが、彼女は難なくそれを成し遂げた。
自由に喚び出すことに成功しただけでなく、複製や操作にもすぐに慣れ親しんだという。
歴代とは違い、そのまっすぐな心をもって白守をまるで良き友人のように扱っていたのが、あるいは功を奏したのかもしれない。
日を費やすにつれて、沙希はみるみると技術を高めていった。
一方の自分は、小春の普段の柔らかい口調とは裏腹な容赦のない特訓によって、それなりには鍛えられていった。今の自分の風の術式が使用に耐えうる領域にあるのは、ひとえに彼女のおかげである。
特にも、魔力付帯の才覚を引き出すことができたのは大きかった。お世辞にも自分の運動能力や術式技術は、さして高いものではなかったからだ。
――過出力と魔力共鳴はこの時点では会得していないし、そもそもが副産物である。
"例の知識"のおかげか幸いにして工作にもある程度通じていたため、沙希の父、源十郎の資金的な計らいもあり、それからは並行して魔力付帯に適した魔装の開発に取り掛かった。
狙獲する輝星は、それこそ三桁に及ぶ改修の末に完成した代物なのだ。
そして、対照的に難航したのがイリスだった。
第五元素練成師の家系である彼女は、当然の如く練成の特訓を開始する。
だが錬成自体は成功するものの、そこからの発展につまづいていた。
例えば、ただ剣や槍を創るだけであれば、流通している武器を使うのと何ら変わりない。さらに言えば、錬成物にただ術式を重ねるだけでも、出来損ないの付帯術者にしかならない。
第五元素練成がその本領を発揮するためには、独自の何かが必要だった。
例えば彼女の父は、剣の錬成速度と氷の術式に特化していた。
その効果は、錬成した武器が接触した瞬間に凍結の術式が即時に発動し、対象と一緒に凍りつく。短期的には行動の阻害になり、長期的には体温を奪い戦闘力の低下を導いた。通称、『氷結の障害』。
第五元素練成は、個々の資質や適性といった面の作用が大きく、その解を探すには何かきっかけが必要だという。
イリスは、それを探して一人でもがいていた。誰にも相談せず、たった一人で。
だが何も解決しないまま、無常にも時間だけが過ぎていった。
そんなある日、それは起こった。
「イリスが帰ってこない?」
「そうなのでございます。私がちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまわれて……」
夜になってもイリスが家に帰らないことを心配して、セシアが沙希の家に訪れていた。
残念ながら、この屋敷には来ていない。
「イリスちゃん、どこへ行ってしまったのでしょう」
沙希が不安そうな表情を浮かべる。
「恐らく、そう遠くには行っておるまい」
なぜなら彼女は行きたいところがあるわけではなく、帰りたくないだけなのだから。
「僕も探すよ」
「ならば、わしも行こう」
「さ、沙希もっ!」
「いや、沙希はここに残ってて」
はやる沙希をとどめる。
「ど、どうしてです?」
「全員いなくなると、イリスがもしこの家に来たときに引き止める人がいなくなっちゃうからね」
「……分かったのです」
単なる方便だったが、沙希はしぶしぶ納得してくれた。
日が暮れてだいぶ時間がたつ。さすがに沙希を連れ出すわけには行かなかった。
「大事にしたくないので、まだお館様にはお話しておりません。ですが、このまま見つからなければ致し方ありませんわ」
そっと、セシアが告白する。
「その前に見つければいいんだよね」
「では、手分けするとしようかの」
家を出て、三方に分かれる。実は、一箇所だけ思いつく行き先があった。
駆けること、十数分。
そこは、少しだけ山を登ったところにある開けた草原地帯だった。
屋敷からの外出を許可されてから見つけた、いくつかのお気に入り。その中でも、特に気に入っている場所だ。
小高くまわりに明かりがないため、星がよく見えるが特徴だった
一度だけ沙希に話したことがあったのだが、確かそのとき、イリスも一緒だったはずだ。
もしかすると――。
「こんなところで、何してるの?」
そこにイリスはいた。彼女は一人、いつものドレス姿で草原で膝を抱えてぽつんと座っていた。
「……なによ、あんたに用はないわよ」
いつも言われている言葉が、いつもとは違う口調で吐き出される。
「ここは、いつだって星がきれいだね」
空は、満天の星で埋め尽くされていた。
「どうせ、あの子に言われて探しにきたんでしょ?」
「うん、そうだよ」
イリスは、顔を膝にうずめたままだったので、もしかしたら泣いていたのかもしれない。
そっと、隣に腰を下ろす。
「ふん、どうせあんたも私を笑っているんでしょ? いつも大きなことを言ってたくせに、ふたを開けてみたらこんなザマだって」
「そんなことないよ」
そもそも学んでいる技術が違うのに、修練速度で優劣が付くわけがない。仮に同じだったとしても、誰もそんなことは思わないだろう。
「どうして、こうなっちゃうのよ……」
彼女は悩んでいた。そして一人で悩み続けて、きっと疲れてしまったのだ。
「ねえ、イリス?」
「……」
「僕には、君の悩みを解決することはできないんだ」
「――ッ」
「でもね、相談に乗ることはできるよ?」
「……どういうことよ?」
「イリスが話してくれるのなら、僕は話を聞くし、それに答えてあげることもできる。それが役に立つのかは分からないけど、でも少なくとも何かを与えることはできると思うんだ。もちろん、それをどう使うのかはイリスが決めなければいけないけど」
「……」
「だからさ、よかったら何でもいいから話してみてくれないかな」
「……」
沈黙をしばらく続けてイリスは、ふと空を見上げ、それからこちらを向いた。
「私、自分の適性が分からないのよ」
ぽつりぽつりと、イリスが話し始めた。
「剣、斧、槍、弓、色々なものを錬成してみたわ。錬成自体は成功するの。でも、しっくりこないのよ」
「どんな感じ?」
「なんていうのかしら。それからどうすればいいのか分からないのよ。可能性を感じないっていうの? いえ、違うわね。はっきりいえば気に入らないのよ」
どうやら、これという自分の得物が決まらないらしい。
「一番ましだったのは何だった?」
「そうね……弓、かしら。あとは、投擲するやつとか」
近接用の武器はお気に召さないらしい。
しかし弓がダメだとすると、弾弓も難しいだろう。ならば弩だろうか。
「小回りがきいて、遠くでも使えて、それでいて万能なものがいいわね。……そんなもの、あるはずもないでしょうけど」
そのときふと、源十郎が話していたことを思い出す。
――あれなら、もしかして合致するかもしれない。
少しだけ思考を逡巡させたあと、その場にすっと立ち上がる。思い立ったのなら、あとは行動するだけだ。
「ど、どうしたのよ?」
「ちょっとだけ待っててくれるかな?」
「はあ? 何をする気よ」
「持ってきたいものがあるんだ」
イリスが、ため息をついた。
「連れ戻しにきたはずのあなたが待っていろだなんて、ずいぶんとおかしな話だわ。……いいわよ。どうせすぐ帰る気もなかったし、待っててあげるわ」
「ありがと。全力で戻ってくるよ」
そういって、再び沙希の屋敷へと走り出した。
着た道を全速力で戻り屋敷へとたどり着くと、玄関には座って待っている沙希がいた。
「お兄さん! イリスちゃんは見つかったのですか!?」
「大丈夫、見つけたよ」
「良かった……。あれ、でも姿が見えないのですが」
「実はまだ少し用事があってね。僕だけちょっと戻ってきたんだ」
「……よくわかりませんが、無事ならばそれでいいのです。あとはお兄さんにお任せしますね」
「うん、安心していいよ。そうだ、小春とセシアが戻ってきたらこのことを伝えてあげて欲しいんだけど」
「分かりました、引き受けるのです」
説明もそこそこに切り上げ、玄関をあがり中に入ると屋敷のとある一室を目指す。
ほとんど開かれることのない、貴重品室とは名ばかりの倉庫。源十郎が、ガラクタから神界の遺産まで様々なものを放置している場所。
そこが、目的の部屋だった。
扉には簡易な錠がかけられているが、鍵がすぐ近くの柱に隠されていることも知っていた。
「ごめんなさい、源十郎さん」
そう謝って、鍵を外し部屋の中へと入る。
暗がりの中で目当てのものを探すと、それはすぐに見つかった。箱にしまわれていたそれを、入れ物ごと抱えて持ち出す。
部屋の鍵を閉め、玄関にいる沙希に挨拶をして屋敷を出ると、再び丘を目指して駆け出した。
夜に沈みゆく街を抜け、丘へと戻る。
「……驚いた。本当に走ってきたのね」
息を切らしながらイリスのところへ着くと、そんな言葉をかけられた。
言葉を発することもできず、無言で明かりの確保のためのランタンを地面におくと、持ってきた箱を彼女に差し出した。
「えっと?」
開けてもいいの?、という彼女の視線に答えて首を縦に振る。
「え、これ……って……」
箱に入っていたのは、火薬の流通量が少ないこの界隈では珍しい武器――銃だった。それも観賞用の模造品ではなく、純正の神界の遺産である。
彼女が第五元素練成するためには、実物をもってその構造を把握しなければならない。ゆえに、本物を持参する必要があった。
「こんなもの、どこから手に入れたのよ」
「知り合いから譲ってもらったものなんだ」
当然だが、源十郎のものである。そもそも自分に知り合いなどほとんどいない。
「そうなの」
それだけしか、彼女は言葉を発しなかった。持ち出したことに気づかれて怒られることも想定していたが、どうやら目の前の拳銃に夢中でそこまで考えが回っていないようだった。
それきり彼女は口をつぐみ、銃を手にとって集中し始める。
神界ではS&Wと呼ばれているという、小型の複動発射方式回転式拳銃。
小型とはいえまだ幼い彼女の手にとっては大きい物だが、そんなことは歯牙にもかけず、シリンダーを回したりグリップを握ったりしながら構造を確かめていく。錬金術師の系統に名を連ねる彼女もまた、物体の構造を解析する能力に長けていた。
「これ、撃てるのかしら」
「弾もあるよ」
そう言って、箱から弾を取り出してみせる。
「撃ってみる?」
「いいの?」
正直に言えば、拳銃よりも実弾のほうがはるかに貴重だったりする。だが、彼女のためだ。
「そのかわり、危険だから僕も一緒に撃つよ」
銃に弾をこめると、彼女の後ろに回る。
「え、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「でも、銃身がぶれると危険だから」
「くっ、分かったわよ」
背から抱え込むように腕を伸ばすと、彼女の小さな手の上から自分の手を重ねて銃を構えた。押さえ込むようにして、反動で暴れないように体を固定させる。
必然的に密着する体。途端に、彼女の体がびくんと震えた。
そういえば彼女に直接触れるのは、もしかすると初めてかもしれない。
「……大丈夫?」
「だ、だ、大丈夫に決まってるじゃない!」
初めて銃を撃つのだから、緊張するのは仕方がないことだと思う。
万が一を考え威嚇射撃に留めることとし、銃口を下へと向ける。
「目標は地面にするよ」
「別に何でもいいわ。……ううぅ、なんでこんな近いのよ」
やはり遠い樹を狙う方がよかったのだろうか。しかし日が暮れて視界が悪い中では、安全に万全を期す必要があった。
「準備はいいよ、後は指で引き金を引くだけ。少し力がいるから、思いっきりね」
「――ッ!」
深呼吸をしてから、イリスの指に力がこめられる。
パンッ、と軽い発砲音が響き、草原の地面に弾が吸い込まれるとともに軽く土を跳ね上げた。
「ふぅ……」
「もう一回、やる?」
「……やるわ」
装填した弾丸の数は、三発。それから都合三度の射撃を繰り返した。
撃ち終えた後も、なぜかイリスは微動だにしない。背をこちらに預けるように寄りかかっている、下手に動くわけにもいかず。
「……イリス?」
「はっ!」
声をかけると、彼女は慌ててそばを離れる。その頬は、うっすらと赤みが増していた。
はたして銃は気に入ってもらえたのだろうか。何かのきっかけになればいいのだが。
「どうかな」
「ちょっと待って」
イリスが目を閉じて集中する。胸の前に差し出した手に光の粒が集まると、次の瞬間にはその手の中に銃が錬成されていた。
持ってきた銃と寸分違わぬ形状。やはり、イリスは天才だと思った。
「でも、さすがに銃弾の錬成はできないわね」
「そっか。ごめん、やっぱり役に立たなかったね」
「そんなことないわ。いくつか考えがあるの。きっとなんとかなる……いえ、なんとかしてみせるわ」
そして、イリスがふっと笑った。
「せっかく秋人が用意してくれたものを、無駄になんてできないわよ」
月夜に照らされたその微笑みは、とてもきれいだった。
だが我に返ったイリスは、すぐに笑顔を消してしまう。
「わ、私ったら何言ってるのよ! ほら、もう帰るわよ! っていうかあんた、私を呼び戻しに来たんじゃなかったの?!」
落ち込んでたのが嘘のような彼女の慌てた様子を見て、くすっと笑いがこぼれた。
「そうだったね。ごめん、忘れてたよ。じゃあ帰ろうか」
「やだ、もうこんな時間じゃない! 急いで帰らなきゃ!」
そうして、二人の夜の逃避の一幕は終わりを告げた。
――後日、源十郎が屋敷に戻った際に、勝手に銃を持ち出して発砲したことを報告した。
厳罰も覚悟していたが、言い渡されたのは一ヶ月の庭掃除だけだった。
「本当はよくやった、って言いたいところなんだがな。一応は周囲への示しって奴も必要なんだ。すまんな、秋人」
源十郎は、そう小声で自分に告げた。
あれからイリスは、拳銃を得物に決めていた。肝心の銃弾については、術式を用いて色々と試行錯誤しているらしい。
修練に勤しむ以前の明るい彼女の姿に戻ったことに、セシアからこっそりとお礼を言われた。
このご恩は一生忘れませんわ、などと仰々しいことを言われていた気もするが、きっと彼女なりの謙遜だろう。
そして、源十郎から言い渡された庭掃除の初日。
屋敷の庭、そこにはなぜか箒を持つイリスの姿があった。
「どうして……」
「そんなことどうでもいいでしょ? ほら、さっさと終わらせるわよ」
「でも、手伝いは禁止されてるよ」
実は沙希とセシアが手伝いを申し出ていたのだが、源十郎にそれを禁じられていた。
「あら、私は許可を得てるわよ」
――まったく、とんだ狸親父である。
それからは、イリスがとげとげしい態度を取ることはほとんどなくなった。