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前夜

 迷宮の探索を明日へと控えた夜。

 誰もが寝静まったそんな夜中に、ひっそりと部屋のドアを開ける者がいた。

「遅かったね」

「なんじゃ、起きておったのか」

 現れた小春は、ベッドに座っていた自分から声をかけられると少し驚いたような表情を浮かべた。

「なんとなく来る予感がしてたんだ」

「ふむ、そうじゃったか」

 寝間着を着た小春が、後ろ手でそっとドアを閉じる。ランプによる淡い光だけが、狭い部屋を照らしていた。

「それで、どうしたんだい?」

 そばまで寄ってきた小春に尋ねる。

「来るのはわかっておったのじゃろう?」

「用事の中身までは、ちょっとね」

 本当はこちらもなんとなく予想はついていたが。恐らくは、昼間のやり取りが原因だろう。

「ここにきてから、もう随分と経った気がするのじゃ」

 "ここ"とは、この街のことではない。

「そうだね……あの日から、だいたい六年くらいかな」

「あの頃は大変だったのう」

「まあ楽ではなかったよね」

 小春が遠い目をしていた。まるで、過去に思いを馳せるかのように。

 自分も記憶を辿る。

 あの日。六年前の、はじまりの日。

 それは、自分と小春がここ――この世界へと流れ着いてしまった日。

 自分と小春は漂流者(ドリフター)だった。

「源次郎に拾われたのは、不幸中の幸いだったのかもしれんの」

「いつか恩返しをしないといけないよね」

 あの日、自分たち二人はまだ現役の冒険者だった沙希の父、源十郎にこの街の迷宮で保護された。

 だが源十郎は、希少価値としては神の遺産(アーティファクト)に勝るとも劣らない存在である自分たちを、なぜか(おおやけ)にしなかった。彼の計らいにより二人はひっそりと地元の家へと連れていかれ、そこに匿われたのだ。

 後年になってそのことを尋ねると、彼はこう言った。

 ――面倒事は嫌いなんでな、と。

 漂流者(ドリフター)の存在が争いの火種となりやすいのは、きっと昔も同じだったに違いない。もっとも、それが源十郎の本心全てなのかは分からないが。

「依頼の件じゃが――」

「ん?」

「アーガスといったか、あやつは信用できん。表面では穏やかな振りをしておるようじゃが、腹の中ではなにを考えておるやら」

「どうして?」

「試験中の事件……あれは偶然ではあるまい。恐らくは誰かが何らかの方法で仕掛けたものじゃ」

「それがアーガスだって?」

「無論、直接ではなかろう。じゃが、手を引いておるのがあやつである可能性は高いとわしはにらんでおる」

「仕掛けた理由は?」

「秋人、おぬしの実力を測るためじゃよ」

 さすがは小春だと思った。

「……実は、ちょうど同じことを考えてたよ」

 思い当たる節はあった。最後の飛行兵の行動、あれはよく考えれば不自然なのだ。

 衝撃砲の砲門は、小春たちに向けられていた。まだ抗戦の構えを見せていた自分ではなく、なぜか既に戦闘不能であった彼女たちへと。

 試験なのだから、追い討ちなどをする必要が全くないにもかかわらず。

 無論、暴走していたためだと言われればそれまでだ。

 しかし仮に、あれが誰かが意図して起こしたことだったとするならば、それは別の意味をもつ。

 例えばあのとき、もし砲門が自分へと向けられていれば、回避と防御に徹して沙希との合流を最優先したはずだ。あんな無茶な行動をとることはなかった。

 すなわちそうさせないために、言うなれば自分に全力を出させるために敢えて小春たちを狙ったのだとしたら。

 依頼対象として適当かどうか、漂流者(ドリフター)であるのかどうか確かめるためのものだったとしたら。

「――とはいっても、確証はないんだけどね」

「まあ、それはそうなのじゃが……」

「それに、きっと漂流者(ドリフター)保護の件は本当だと思うよ。嘘ならもっとましな嘘をつくはずだし、本当のことだからこそこっちに接触を図ってきたんだろうし」

「むぅ……」

 小春が腕を組んで考え込む。

 漂流者(ドリフター)という存在は、自分と小春にとっては無視できない要素だった。同胞を見捨てるのは忍びないとかそういった簡単なものではなく、複雑な事情がそこにはあった。

「もちろん用心はするよ。でも、とりあえずは話に乗ろうと思う。虎穴に入らずんば、って言うしね」

「承知したのじゃ。おぬしがそこまでわかっておるのなら、わしから何も言うことはない」

「ありがとう、小春」

 小春は少しだけ肩の荷が下りたといったような、そんな安堵の表情を浮かべていた。

「ところで、なのじゃが」

 ぽすんと小春が隣に腰を下ろす。

「体の調子は……どうかの?」

「まあ、ぼちぼちかな。しばらくは無茶できないと思うけど」

 陽気の蓄積が不足していた。連れ添ってもらえば通常行動に支障はないだろうが、単独でできる行動には制限があるだろう。

「そもそも、無茶をしないでもらえると助かるのじゃがの。おぬしが傷ついては元も子もないのじゃ」

「ごめんごめん」

「ともかく、試験前と比べると不足しておるということじゃろう?」

 小春が、すっと顔を近づける。交差する瞳と瞳。彼女の濡れたようなそれは、ひどく扇情的だった。

「おぬしに力を使わせてしまったのは、わしが不甲斐なかったからじゃ。なれば、その責を負わねばいかん」

 きれいなその顔に、すっと赤みが差す。

「だめだよ小春。みんなを起こしてしまう」

「音を立てねば良いのじゃろう?」

「……ッ」

 反論をする前に、彼女の桜色の小さな唇が重ねられた。そのままベッドへと押し倒される。

 本当は力をこめれば撥ね除けられるのだろうが、諦めてその選択肢を放棄した。きっと気づいていないのだろう、震えている彼女の精一杯の強がりを無碍(むげ)にはしたくなかったから。

 そっと小春の頭に手を伸ばし、優しく撫でる。

 全くもって、困ったものである。

 こちらだって、なんでも我慢できるわけではないというのに。

 ――ゆっくりと密やかに、夜が更けていった。



 また、昔の夢を見ていた。

 夕闇に沈みゆく小さな部屋に佇んでいる、桜色の着物を着た幻想的な幼い少女。

 それが自分がはっきりと覚えている、人生で最も原初の記憶だった。

「体の調子はどうじゃ? どこか痛いところはあるかえ?」

「ううん、大丈夫。なんともないよ」

 目覚めてすぐのまだはっきりとしない頭で、少女の質問に答える。

「そうか。ならば良かったのじゃ」

「……えっと。君、名前は?」

「わしか? わしの名は小春じゃ」

「こは、る……小春。うん、わかった」

「おぬしは、名は何というのじゃ」

「僕は……秋人。多分、如月秋人」

「ふむ、ではよろしくの、秋人」

 本当は、もっと色々なことに疑問を持つべき場面だったのかもしれない。例えばここはどこなのかとか、何があったのかとか。

 あのときそうしなかったのは、恐らく少女の人形のような精巧な美しさに心を奪われていたからに違いない。

 思えば、このときから彼女に惹かれ始めていたのだと思う。――恥ずかしいので、当人に伝えることはまず一生ないだろうが。

「ふむ、ではよろしくの秋人。……少し話をしたいのじゃが、よいかの?」

「うん、いいよ」

 そして小春と話をしている内に、自分の現状に気がつくのだ。自己の記憶が、名前と一部のわずかな知識を除いてほとんど失われていることに。

 そんな状態を認識しても不思議と混乱も動揺もしなかったのは、優しく微笑み続けていた小春のおかげだったと思っている。

 小春に記憶のことを伝えると、彼女は自分も同じだと伝えてきた。

「僕たち、どうなるのかな」

「わからぬ。じゃが、おぬしのことは何があってもわしが守ってみせる。安心するのじゃ」

「小春はどうして僕にそんなに優しくするの? もしかして僕たち、忘れてるだけで知り合いだったのかな?」

「……まあ気にするでない。わしにはその義務がある、それだけじゃよ」

「義務?」

「あれじゃ、わしのほうが年上だからの。年上は年下を正しく導かねばならんじゃろう?」

「えっ! 年上だったの?」

「……悪かったの、こんな貧相な"なり"で。ほれ、もう寝るぞ?」

 二人の部屋には、誰も入ってこなかった。まるで、誰にも気づかれないように隠されているみたいに。

 その晩、二人は寄り添いあって眠りについた。小春の体温がとても暖かかったのは、今でもうっすらと覚えている。

 翌日。

「……おい、ぼうずと嬢ちゃん。起きろ」

 静かな声で起こされると、目の前には熊のように大きい男が立っていた。源十郎その人だった。

 わけもわからないまま源十郎に連れられ、逃げるかのような移動を開始する。

 道中で二人を引き取るつもりであることを源十郎から告げられ、二人はこれを承諾した。というよりも、自分たちには他の選択肢などなかった。

 幸いにして彼は大雑把で口は悪いものの、人としては善人であった。

「これも何かの縁だろうさ。なーに、ひよっこ二人が増えたところで大した手間にはならねぇよ」

 彼がどうして引き取ろうとしたのか、どんな考えがあったのかは分からない。同情だろうか、発見者という立場の責任だろうか、はたまた他に何か思惑があったのだろうか。

 どれにしても、二人にとっては大した問題ではなかった。手を差し伸べてくれた事実に違いはないのだから。

 そうして、ようやく彼の住む街へと辿り着いた。

「今日からここが、おまえらの家だ」

「大きい……」

「なるほど、さすがは旧家じゃの」

 数日かけて帰郷したその建物は、家というよりは屋敷というほうが正しいと思えた。

 木材で作られた平屋は広く開放的に作られており、母屋の反対には、神社らしきものも見受けられた。

 玄関があり、縁側があり、庭がある。ふと、意味も分からず和風という言葉が頭をよぎった。

「すまんが部屋は一つしか空いてねえ。それなりの広さはあるから、二人で使ってくれや」

「わかりました」

「ふむ、世話になるの」

 正直こちらとしては大いに構ったのだが、文句を言える立場でもなかった。

「お帰りなさい、父さま!」

 突如として小さな女の子が源十郎へ駆け寄り、飛びついた。

「おう、ただいまだ」

「今回は帰るのが早かったのですね、えへへ」

 二つ結いにした髪を揺らす、小さな巫女装束を着込んだ幼い少女。これが、神流沙希と自分たちとの初めての出会いだった。

 沙希は父親にしばらくじゃれつき、落ち着いたところでようやくこちらの存在に気がついた。途端に彼女は、さっと急いで父親の背後に隠れてしまう。

「……父さま、あの人たちはどちらさまですか?」

 少しだけ顔を覗かせながら、恐る恐る父親に尋ねる沙希。

「おう、すまんな沙希。すっかり紹介を忘れてたわ」

 そう言って沙希の頭を優しくなでる。

「こいつらは秋人と小春、わけあって今日からうちに住むことになった。仲良くしてくれよ」

「おうちに、ですか?」

「ああそうだ。こいつらはな、色々あって帰る家がないんだよ」

「……わかりましたです」

 うなづく沙希。

 それを見て、隠れている彼女の近くへと移動する。

「如月秋人です。これからお世話になります。よろしくお願いします」

 失礼のないように、しかしほとんど事務的にあいさつを告げて頭を下げる。まだ、気の効いたことを言えるような心の余裕はなかったのだ。

「わしは小春じゃ。迷惑をかけるが、どうかよろしく頼むの」

 一方の小春は、優しげにそう答えていた。

「がはは、まあそう固くなるな。それともう分かってると思うが、こいつが俺の娘だ。ほら、出て来いよ」

 声をかけられて、沙希がおどおどと背中から前に出てくる。

「さ、沙希です……。よろしく、お願いしますです」

 その顔は、恥ずかしさのためか真っ赤になっていた。

「ちょっと、沙希ー。遅いわよー!」

「イリスお嬢様、あまり走らないでくださいませ!」

 そこへ、新たに二つの少女の声が届く。

 声のするほうを見れば、スカートなのに力いっぱい駆け出している金髪の少女と、それを追いかけるメイド服の少女がこちらに近づいてきていた。

「おう、イリスちゃんにセシアちゃんじゃねーか。なんだ、遊びに来てたのか」

「あらおじ様、帰ってらしたのね」

「お帰りなさいませ源十郎様。お勤めご苦労様でございます」

 金髪の幼い少女は、上品な服装ながらも年相応に元気いっぱいといった様子だった。

 メイド服を着た紫髪の少女は金髪の少女よりも年上のようで、実に礼儀正しく振舞っていた。

「それで、この人たちは誰なの?」

「お嬢様、お客様に対してその物言いは失礼になりますよ」

「ああ、こいつらはな――」

 再び源十郎から説明され、小春とともにあいさつをかわす。

 イリス・ブルーフィールドとセシア・フォアミスト。

 彼女たち二人にも、こうして沙希と同日に出会うこととなった。

 年齢が比較的近かった五人は、それから徐々に仲を深めてくことになる。

 だがこのときは、まさかこの五人で迷宮に挑むことになるなどということは想像もしていなかった。

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