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準備

「つまり、神界の人間ということなのですか?」

「そうかもしれないし、違うかもしれないな」

「どういうことです?」

「一口に神界といっても、単純じゃないということだ。まあこの話は置いておこうか」

 沙希の問いに対し、アーガスは曖昧な答えを返した。沙希は腑に落ちていないようだったが、それ以上の追求はなかった。

 漂流者(ドリフター)は存在自体が稀なので、その実態も含めて世間にはほとんど知られていない。疑問に思うのも無理はないだろう。

「我々協会の者は漂流者(ドリフター)を保護を行っている。ところが、これに相対する者たちがいてね。彼らはなんと漂流者(ドリフター)を処分しようとしているのだよ」

「処分とはまた、随分と乱暴なお話でございますね。何故そのようなことを?」

「彼ら"掃討者(スイーパー)"にとっては漂流者(ドリフター)、ひいては迷宮そのものがこの世界に対する異物であり不必要な存在なのだそうだ。もっとも、彼らの中にも過激派と穏健派がいるようだがね」

「物騒な話ですね」

 とりあえず同意しておく。

「そこで最初に話を戻すのだが、迷宮融合(フューズサイド)の最中に探索を行い、万が一漂流者(ドリフター)を発見したのならば保護して協会までつれてきて欲しい、というのが今回の依頼の全容だ」

「質問があるのじゃが」

 小春が声をあげる。

「なにかね?」

「なぜ、わしらなのかの?」

 さらりと、小春が質問する。

「わしらは確かに先の試験で結果を残した。それを高く評価してくれていることには感謝しておる。……じゃが、逆に言えばそれだけじゃ。もっと名のあるふさわしい者たちなど、それこそ協会の者ならよく知っておるのではないのかの?」

「なるほど、もっともな質問だ。もし今回の依頼内容が、例えば"はぐれ"の討伐などといったことであればそうしただろう。――しかし今回の用件は保護だ。そのためには、できる限りの安全策を講じなければならないのだよ」

「安全策、ですか?」

「この地に長い者には、掃討者(スイーパー)の声がかかっている疑いを捨てきれないのだ。彼らの思想はそれほどに浸透を深めている。その点、君たちはこの街に来てまだ日が浅い。加えて色々と難儀な事情を抱えているようだ。……すまないが、少しだけ調べさせてもらったよ」

 アーガスがそう答えた。

 用意周到なことである。果たしてどこまで知っているのだろうか……仮にあのことまで知られているのだとすれば、この話を持ちかけてきたことにも納得がいく。

 反面、疑念はさらに深まったが。

「報酬は軍資金として前払い十万ドレン、探索後に九十万ドレンだ。そして、もし漂流者(ドリフター)を保護できた場合は……エリクシルの手配に尽力しよう」

「ちょっと、それ本当でしょうね?」

「エリクシルのことかね? 少し時間をもらうことになるとは思うが、希望に沿うことはできるはずだ」

 アーガスの言葉にイリスが食いつく。破格の報酬だった。それだけの価値があるということなのか、それとも――。

「さて、良い情報を伝えたところで、悪い情報も話しておこうか。一面的なことだけを伝えるのは、悪徳な者のすることだからね」

 アーガスの柔らかかった口調に、硬さが混ざり始めた。

「迷宮内での出来事は全て自己責任となることは知っていると思う。では、そこに迷宮融合(フューズサイド)が加わるとどうなるだろうか? しかも周囲には掃討者(スイーパー)が大勢という状況で、だ」

 国法も慣習法も適用外とされる地帯、それが迷宮だ。すなわち……。

「素敵な殺し合い(パーティー)の始まりでございますね」

「セシアさん、なんだかその表現すごく怖い気がするのですが」

「見知らぬ連中に襲われるほど、こっちはお金持ちでもないし恨まれてもいないつもりなんだけど?」

「だが掃討者(スイーパー)でもないだろう? 味方ではない、それだけで彼らから襲撃を受けるのには十分なのだよ。さらに言えば、彼らは恐らく相当の数を投入してくるはずだ。鉢合わせになる可能性は極めて高いといえる」

 どうやら、これは思っていた以上に危険な橋のようだ。敵の真っ只中に突っ込むのにも等しい。

 要するにアーガスは、手垢のついてない手勢を増やしたいだけなのだろう。

「さて、では結論を聞こうか。急な話で君たちにはすまないが、判断はここで即決してもらいたい。こちらには、あまり時間が残されていないのでね」

「……どうしようか」

 意見を求めようと、仲間を見渡す。

「そんなの決まってるじゃない」

 腕を組んだイリスが、一番にそう声を上げた。

「引き受けるわよ。そこに少しでも可能性があるなら、乗らない手はないわ」

「私はお嬢様に従うまででございます」

「沙希も、できることがあるならやってみるべきだと思うのです」

「だそうじゃ。みながそういうのであれば、わしに意見はない」

 ほとんど悩む素振りも見せずに、みながイリスに同意する。

「でも、聞いた限りだとかなり危険な案件だよ?」

 水を差すような発言であることを承知しつつも、ただ勢い任せなのではないかと不安になる。

「わかってる秋人? あなたの今の状態だって十分に危険なのよ。それにこれくらいで怖気づくようなら、そもそもこんなところまで来たりしないわ」

「お嬢様も、たまには良いことを仰せになるのですね」

「……このメイド、ほんっとうに失礼ね」

「お兄さんが沙希たちを心配しているように、沙希たちもお兄さんを心配しているのですよ?」

「ふふふ、愛されておるのう」

 こうまで言われては、断るわけにもいかない。心の中で感謝を伝える。

「わかりました、引き受けましょう」

 アーガスに向き直ってそう伝えた。

「協力に感謝するよ。これが探索許可証と前払金の証書だ」

「確かに頂戴しました」

「それと、これを持って行きたまえ」

 アーガスが、青い石が繋がれた首飾りのようなものを渡してきた。

「これは……?」

「外界の魔力の残滓などに反応する、特殊な魔石だ。漂流者(ドリフター)に近づけば、青白く光って反応するはずだ。……非常に貴重な代物なので探索後には返してもらうがね。そういうわけで、管理には十分に気をつけてくれたまえ」

「わかりました」

 渡されたものを、腰の鞄にしまう。

「明日の迷宮融合(フューズサイド)の出現は黄昏時だと予測されている。遅くとも十六刻ころまでには迷宮に入っていた方が良いだろう。無茶な依頼をしておいてなんだが、無事に報告が返ってくることを期待しているよ」

「無論です。それより報酬の準備は滞りなくお願いしますね」

「ふっ、承知した。依頼終了後については再び(ふみ)を送ろう。……ではこれで失礼させてもらうよ」

 そういうと、アーガスたちは林の奥へと静かに消えていった。

「さて、私たちも移動いたしましょうか」

「どうするのですか?」

「明日の準備をしなくてはいけませんわ」

 沙希の問いに、セシアはそう答えた。



 街に戻ってセシアが向かったのは、様々な商店だった。

 水、携帯食料、常備薬、魔石、その他探索に必要なものを買い込んでいく。このあたりの知識に関して、セシアにぬかりはない。

 逆に言えば、武器は防具なんかは必要ない。武器はそれぞれが専用の得物を所持しているし、防具なんかもそれぞれが正装があるので不要なのだ。

 正直、巫女服やらドレスやら通常で考えれば冒険には不向きこの上ないのだが、そこはそれ。由緒正しい装備だったり特注の品だったりなので、なまじ市販の防具より優秀なのだ。

 メイド服については……触れないほうが良いだろう。箒やら暗器やらを仕込んでいるびっくり箱のような服を、普通のものと比較できるわけがない。 

 やがて店めぐりも終盤に差し掛かり、セシアが最後に指定した店へと向かう。だが到着したその店は、どうにも今までのそれとは違う様相を呈していた。

「とりあえず聞いてみるけど、なにを買うつもりなの?」

「年頃の女の子は、色々と入用なのでございますよ」

 そこは、女性向けの服飾店だった。

「申し訳ありませんが、秋人様はここで少し待っていてくださいまし」

 セシアにそう言われ、店の前で待機を余儀なくされる。下手にどこかへ動くわけにもいかず、かといってすることもなし。

 このような事態を想定してなのか、用意されていた店頭のイスに一人腰掛ける。単独だと立っているだけでも疲労が蓄積されるのだ。

 姿勢はそのままに、さりげなく店の中へ意識を向けると、小さくだが声が聞こえてきた。

「セシア、いきなりなんなのよ」

「メイドの勘が、今回は長丁場になると申しておりますわ」

「それがどう関係するのです?」

「女性たるもの、身の回りには常に気を使わなければなりません。なれば、ここで十分な用意をしておくべきでございます」

「つまりなんじゃ」

「ここで下着を揃えろって言いたいわけ?」

「さようでございます」

 はっきりと断言するセシア。

 幸か不幸か店の中の会話は筒抜けだった。声量をさげる様子がないので、多分誰も気づいていないのだろう。

 これはまずい、きっと耳をそむけたほうがいい。そう思いながらも、すりよる煩悩には打ち勝つことができなかった。

「いらっしゃいませ。なにをお求めでございますか?」

「迷宮に長く潜ることになりそうなのよ。肌着類で冒険向きのものってあるかしら?」

「ええ、揃えております。最近は神界の技術の解析も進み、衣類についても色々と新しい試みが為されておりまして。例えば、これです」

「なんじゃこれは」

「見たことがあるわ。確か"ブラザー"じゃなかったかしら」

「それはアルーフ語で"兄弟"ですわ、お嬢様」

「えっと、こちらはブラジャーというものでして、胸部を揺れなどの痛みから保護する下着になります。なんでも、神界に住まう女性たちがみな着用しているものなのだとか」

「……揺れる胸の」

「……保護、ですか?」

 そう言ってイリスと沙希が沈黙する。

 残念ながら、彼女たちには揺れに悩むほどの代物はない。

「特にこの新作は、丈夫さのために布が厚手になっていた従来のものに比べ、術式を用いた特殊加工品を使用することでずっと薄手で軽量になり、吸湿性も向上しているおすすめの一品でございます」

 店員が、声高らかに宣伝をするが。

「わしには不要のものじゃな」

「……沙希も遠慮するのです」

「ふん。べ、別に焦って用意しなきゃいけないものでもないわ」

「あら、では私が試着してまいりますわね。店員様、別の大きさのものはございますか」

「はい。こちらへどうぞ」

「……」

「……」

「……」

 あの場にいなくてよかった。本当によかった。心の底からそう思った。

「ま、まあ年齢差があるから仕方がないこともあるわ」

「沙希たちはまだ成長期なのです」

「それもまた、わしには関係のない話じゃな」

「……」

「……」

「冗談じゃよ」

 本当に、よかった。

 それからは普通の買い物が繰り広げられ、各々が必要なものを購入していたようだった。

 沙希が黒い色の何かを手に取ったと聞こえたときは、いささか動揺したが。

「お待たせいたしましたわ」

「いや、問題ないよ」

 四人が店から出てくる。実際、たいした時間はたっていなかった。長かったように思えたのは恐らく揺さぶられた感情のせいだろう。

 小春に支えられてイスから立ち上がる。

「さて、明日の探索に備えて本日は精の出る料理にいたしましょうか」

「では沙希はお肉を所望するのです。お兄さんも、いいですよね?」

「あんた、太るわよ……」

「食べ過ぎなければ大丈夫だと思うよ。成長期なんだし」

「ふむ。よかったの、沙希」

「あ、別に小春に当て付けしたわけじゃないよ!」

「……ふーん。秋人、どうしてその話を知っているのかしら」

 イリスから、吹雪のように冷たい視線が向けられている。横では小春が意地の悪い笑みを浮かべていた。

 くっ、まずい。嵌められた。

「……もしかして、見ていたのですか?」

「あらあら、まあまあ」

「乙女の花園を覗くなんて、いい趣味ね」

「ち、違うよ。覗いてなんかいないって」

「つまり見るのではなく、聞いていらっしゃったわけですね」

「うっ」

 セシアが止めを刺す。万事休す。

「さてと」

 小春がいるほうとは反対側へイリスが回り込み、がっちりと腕を抱きかかえられる。

「買い物をしながらゆっくりお話を聞かせてもらおうかしらね。お題は――好みの体型、でどう?」

「沙希もお付き合いするのです」

「ふむ、面白そうじゃの」

「あらあら、まあまあ」

 自分を囲むかのように寄ってきた彼女たちの目は、まるで捕食者のようだった。

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