来訪
雲ひとつない快晴のもと、穏やかな昼下がり。肌寒さを感じることはなく、かといって暑すぎもしない、外出にはもっとも適しているであろう時間帯。
迷宮をお膝元に抱えることにより目まぐるしい発展を遂げた大都市フォレスタの大広場も、多聞にもれず買物客であふれ返っていた。
石畳で整備された空間には、木の箱に入れられた果物をはじめたくさんの商品が所狭しと並べられ、場を彩っていた。
その脇では、奥様方による今晩の献立相談といった雑談から商人同士の激しい商談まで、様々な話題が繰り広げられている。
まごうことなき、平和な街の白昼。
そんな中を、人目もはばからず幼い少女たちを四人もはべらせながら歩いている少年がいた。
少女たちは少年を取り囲むようにして並んでおり、あろうことか左右の二人にいたってはそれぞれ寄り添うように腕を強く抱きかかえている。
まるで見せ付けられているかのように感じたのだろう、周囲からは不審と軽蔑が混ざったような視線が差し向けられていた。時折聞こえるひそひそとした声や舌打ちの響きも、同様のことを意味しているに違いない。
例えばこれが、きらびやかな格好をしたどこぞの富豪や、あるいはやんごとなき王家筋の人のようであったのなら、諦めと羨望の眼差しが混ざった程度で済んだかもしれない。
だが実際は、庶民風のいたって普通の布製の衣服と皮製の簡易的な防具を身に着けた格好――いわゆる、ありふれた冒険者然としているわけである。
加えて中央にいる男の顔つきは、彼女ら曰く仕事に疲れきった苦労人に似ているとのことだから、周囲の少女たちの華やかさとの落差によって、なお一層怪訝に思われているのだろう。
やせ気味だが鍛錬でそれなりに引き締まった長身の体型も、こういった場合は不気味さを増すことにしか貢献しない。
年齢は推定十代後半、名前は如月秋人――何を隠そう、自分のことである。
「ふぅ……」
置かれている状況に、思わずため息がこぼれる。
それなりに覚悟はしていたのだ。この街に来る道すがらとは、住んでいる人の数も状況も違うのだからと。
だが実際にそういった展開になると、どうしても気疲れを感じずにはいられなかった。
「どうかしましたですか? もしかして気分が優れませんか?」
「いや、大丈夫だよ」
小さく首を振って否定する。
「ならいいのですが……でも無理はしないでくださいね? お兄さんはすぐに無茶をするんですから」
自分の右腕を、両腕で胸に抱え込んでいる小柄な少女――神流沙希がきれいな瞳で不安げに自分を見上げていた。
こちらの肩よりも背の低い彼女は、白妙と紅緋で彩られた巫女装束を身に着けている。緋袴に千早といった服装はあからさまに周囲から浮いているが、巫女の系譜である彼女にとってこれは防護も兼ね備えた神聖かつ立派な正装であり、何らおかしいところはない……そう彼女は思っている。
耳のすぐ上で細く結わえられた左右の黒髪は背をたおやかに流れており、幼げな彼女の可愛らしさをより押し上げていた。抱えられた腕からは温かさとともにかすかな柔らかさを感じ、幼かった頃の彼女とは違うということを頭の片隅で再認識させられる。
率直に言えば美少女である。
「全く、せっかく秋人のためにこうして外を歩いてるんだから、もう少し景気のいい顔をしなさいよね。これじゃちっとも面白くないわ」
「迷惑をかけてすまないと思ってるよ」
「べ、別に迷惑だとは言ってないわよ。だから、その、私といるんだからもっと楽しそうにしなさいって言ってるのよ」
そう不満げに言いながら顔をそむける、沙希と同じくらいの背たけの少女――イリス・ブルーフィールドは、だが左腕を抱える力を緩めようとはしなかった。
生粋のお嬢様である彼女は、青と白を基調とした豪華なドレス風の衣服を身に纏っている。装飾も見事なそれは、絢爛さとともに実用性も兼ね備えた戦闘衣装と呼ばれるものであり、彼女が特注であしらえた代物だった。
金色に輝く長い髪のうち側面部を後頭部に回して結わえたその髪型と整った顔立ちは、美しさとともに気品も感じさせるものとなっていた。
率直に言えば美少女である。
「うむ、今日はよい天気じゃの。やはり外出してよかったのじゃ。のう秋人?」
「そうだね、ありがとう」
「なに、礼なぞ不要じゃ。当然のことをしておるだけじゃよ。……わしにはその義務があるのじゃから、の」
二人よりももう少し背の低い少女――小春が目の前で可憐に振り返りながらこちらに語りかける。
彼女は、花柄をあしらえた淡い桜色の風流な着物を身につけていた。背中には、腰ほどまで伸びた長く美しい銀髪をたなびかせている。
だが何より目を引くのは、髪の間からのぞかせている耳の存在だ。それは普通の人間とは異なり、とてもふさふさとしていた。まるで獣、とりわけ猫のように。
柔らかい微笑みを浮かべているその顔は、可愛らしさとともにある種の幻想性のようなものを秘めていた。
率直に言えば美少女である。
「ふふっ、今日も楽しい一日になりそうでございますね」
ちらりと後ろに視線を送れば、沙希たちよりも少しだけ背の高い少女――セシア・フォアミストが、概ねいつもと変わらない位置取りをしながら、概ねいつもどおりの暖かい笑顔でこちらを見守るように歩いていた。
白と黒が大半を占める装飾の少ない質素で古風なメイド服を着込んだ彼女は、肩下で短く切りそろえた薄紫色の髪をわずかに揺らしている。短めにしているのは、なんでも本業に差し障りがないようにとの配慮らしい。
イリスの専属メイドである彼女だが、その落ち着き振りから相応の衣服をあしらえて紅茶と本などを用意すれば、深窓の令嬢といっても過言はないに違いないと思えた。
率直に言えば美少女である。少々、棘があるが。
「……秋人様、なにかおっしゃられましたか?」
「いや、なんでもないよ」
「では、気のせいでございましたか。失礼いたしましたわ」
首筋を嫌な汗が流れる。
訂正しよう。彼女は気立てのよい素敵な少女に相違ない。
「あらあら、うふふ」
そして色々な意味で非常に優秀で万能なメイドである。そう、色々な意味で。
――そんなやり取りをしながら、周囲の視線に晒されたまま五人で街を歩いていく。
邪推されても仕方がない状況であり、しかしこれは必要な行為であってそれもまた仕方がないことだった。全員が分かっていることで、だから彼女たちは何も言わないし、自分もあえて何か言うことはない。
今日も今日とてやむを得ずハーレムを形成し、足を進めるのだ。
そうこうしながら街を歩いている内に、気がつけば徐々に人通りの少ない通りへとたどり着いていた。
今日の散策は着いたばかりの街の調査も兼ねていたため、表通りだけでなく普通は避けるような様々なところもまわっていたのだが、案の定というべきか閑散とした細い路地裏に出た頃にその連中は現れた。
がっちりとした体格に粗末な服を着て嫌な笑いを浮かべている、一言で言えば柄の悪いといった四人組の男たち。いかにも粗暴に見えるその四人組は、自分たちが近づくと通行を邪魔するように立ちはだかる。
その目は、まるでいい獲物を見つけたとでも言わんばかりにぎらついていた。
「おう兄ちゃん、可愛い子を四人も連れてるとは景気がいいなあ、おい」
「ちょうどこっちは景気が悪くてなあ。ちょっと貸して欲しいんだよ、そうだな……ほんの四人ばっかし」
「ヒヒッ、大丈夫大丈夫、ちゃんと返してやっからよう。ちっとばかし味見するかもしれないけどさぁ」
好き放題に言っている男たちを尻目に、小春が困ったようにこちらを見る。他の三人の少女も同様に視線を向けてた。
「さて、こう言っておるがどうする? 秋人」
揉め事の対応の如何は、最終的には自分が決めることになっていた。
少しだけ体に気力を入れて、声を出す。
「すみません、なにか気を悪くしたのなら謝りますので、どうかそこを通してもらえませんか?」
軽く頭を下げながらとりあえず低姿勢を主張した。別に進んで荒事を起こしたいわけではない。謝る程度で済むのなら、安いものだ。
しかし。
「謝るだなんてとんでもない。オレたちは感謝してるんだぜ、ゲヘヘヘ」
「飛んで火にいるなんとか、だったか?」
やはりそう簡単にことは運ばないらしい。
「ふぅ……」
天を仰ぐ。本当にままならないものである。
この呪いは、もしかしたら副次的な効果のほうがよほど性質が悪いのかもしれないと改めて思った。
「……あまりひどい怪我はさせないように頼むね」
「ふむ、善処しよう」
「わかりましたです」
「ふん、まあ覚えてたらそうするわ」
「あらあら、困りましたわねえ」
少女たちが正面の男たちを見定める。
「あん? なんだその目つきは。やろうってのか?」
「おいおいやめとけよ、手をつける前に傷物にするのはさけたいんだぜ?」
「ガキどもが、いきがってんじゃねーぞ!」
反抗的な態度を取られたことで、急に激高する男たち。
「……わしにむかって"ガキ"とは、いい度胸じゃのう?」
だが最後の余計な一言で、どうやら小春にも火をつけてしまったらしい。
ふいに風が吹いたかと思うと、一瞬にして先の発言をした男の眼前に小春が詰め寄っていた。着物を可憐にはためかせた彼女の右の手のひらは、男の胴にそっとかざされている。
「へっ?」
「――『風払』」
直後、小春の手のひらの先に発現された風の力により、男は驚く間もほとんどないままに後方へ吹き飛ばされた。路地をごろごろと長く転がった後で、やがて男はピクリとも動かなくなる。
「なっ!」
「てめぇ、やりやがったな!」
「……おぬしらのような小悪党なぞ、わし一人で十分じゃよ」
男の一人が、懐から短剣を取り出して小春へと切りかかる
「なめやがって!」
「遅いのう」
男の攻撃に対して、小春はその場でまるで浮くかのようにふわりと高く跳躍した。空中で逆立ちするかのような姿勢で男を下方に見据えると、その頭上で腕を男へ向けて突き出す。
「――『風落』」
上空から降り注ぐ強烈な風圧を受けたその男は、何かに轢かれたかのようにぺしゃりと地面にひれ伏し、そのまま沈黙した。
そこへ残りの二人の男が、挟み込むようにしながら小春の着地に合わせて短剣を振りかぶった。
「くそがッ!」
「――『風掌』」
それでも小春は、全く慌てることなく術式を発現する。
振り抜かれた短剣は、小春の両の手のひらによって切りつける直前で受け止められる。まるでそこに、見えない盾でも存在するかのように。
宙で止まった短剣を受け流すかのように小春が自分のほうへ引き込むと、力の均衡を崩された男たちの体勢がふらつく。そこへ、するどい手の甲の一撃があごに叩き込まれた。
「ぐぇっ」
「加減はした、感謝せいよ」
小春の声ははたして二人の耳に届いたのだろうか。すぐに倒れるようにして残りの男たちも動かなくなった。
「ふむ、やはりわし一人で十分じゃったの」
汗一つかかず、涼しい顔で小春がそう答える。
「小春さん、さすがですね」
「まあ、このくらい楽勝よね」
「あらあら、出番はございませんでしたわね」
少女たちは、余裕綽々だった。
小春に限らず、彼女たちは強い。そのへんにいるようなならず者なんて、相手にすらならないのは分かりきっていたことだった。
「さて、ではそろそろ帰りましょうか。協会の位置も分かりましたし、日が暮れる前には借家に戻りませんと」
何事もなかったかのように、セシアが次の行動を提案する。
「うむ、明日に備える必要もあるしの。どうじゃ秋人」
「そうだね、じゃあ帰ろうか」
「では急いで帰りましょう! ……実は、沙希はおなかがぺこぺこなのです」
「はしゃぎすぎなのよ沙希は。そんなんじゃ素敵な淑女にはなれないわよ?」
「その言葉、お嬢様にも差し上げたいところですわね」
「ふん! セシアに言われなくても分かってるわよ! ほら秋人、さっさと帰るわよ!」
そう叱咤されて、再び少女二人に支えられながら今度は帰路へとゆっくり向かう。
今日はだいぶ蓄積できた気がする。明日への備えにはなったかもしれない。
「明日は、えっと……冒険者協会へ行くんですよね?」
「そうだよ。そこで迷宮探索の許可を得ないと、迷宮には入れないからね」
借家へと歩く途中で尋ねてきた沙希に、そう答える。
「全く、面倒な仕組みよね」
「迷宮は、都市国家にとって重要な魔石の資源供給地でございます。過去の世界戦争による反省を踏まえて今は一般へ広く解放しておりますが、国家運営のためにはある程度の干渉は必要不可欠なのです。お嬢様もいずれ家を継ぐのですから、世の仕組みは深く勉強するべきですわ」
「もう、うるさいわねぇ。きちんとした管理をしないと裏組織が幅を利かせてくるからでしょう? そのくらいは知ってるわよ」
「それは失礼いたしました。その調子で、さらに精進していただくことを期待しておりますわ」
「……セシアって本当にいい性格してるわね」
「旦那様からは、お嬢様の指導を言いつけられておりますので」
「こっちはいい迷惑だわ」
盛り上がっている二人に対して、小春が別の話をふる。
「確認なのじゃが、目標額はいくらじゃったかの」
「およそ一億ドレンですわ、小春様」
「何度聞いても無茶にしか聞こえなくて笑っちゃうわ。余裕で豪邸が建てられる金額よね、それ」
「で、でもやるしかないのですよ!」
「……本当に申し訳ない」
自分たちに提示された唯一の手立ては、あまりにも無茶な代物だった。
だが、他に目ぼしい方法が見つからないのもまた事実なのだ。
「気にするでない秋人。なにがあろうと、わしは最後まで付き合うからの」
「沙希も頑張るのです、お兄さん!」
「なによ、別にわたしだって投げ出したりはしないわよ」
「私は、お嬢様のなさることに付き従うのみでございますわ」
そういって彼女たちは、屈託のない笑顔をこちらに向けるのだ。
「みんな、ありがとう」
目標額、一億ドレン。
それは、およそ豪邸一棟を建てるのに匹敵するほどの金額。
それは、協会がごくわずかに所有しているといわれる霊薬エリクシルの値段。
それは、五人がこの迷宮管理都市である大都市フォレスタへとやってきた理由。
全ては、この身を蝕む呪いを解呪するため。
この街で、五人の新たな生活が始まるのだった。
(仮)
小春 :? 139 67-49-69
沙希 :13 144 71-51-73
イリス:13 146 72-53-72
セシア:15 151 78-55-79
ユキ :? 140 70-50-70