兄妹の絆
僕は小学3年生、東裕也て言う。
僕には小学1年生の妹がいる。妹はいつも僕について来ようとする。これだけなら可愛いものだけど、あれしろ、これしろと命令しワガママを言うからたまらない。
そりゃあ、少しのワガママなら叶えてあげるよ。でも、毎日毎日僕にくっついて来てワガママを言うのだ。僕が拒否しても自分の命令が叶えられるまで駄々をこねる。僕は妹の家来でも奴隷でもない。
……妹なんかいなくなれば良いのに。
晩御飯を食べ終えて僕はDSで遊ぼうと電源スイッチを入れた。
「お兄ちゃん何やってるの?」
晩御飯を僕に遅れること5分くらいで食べ終えた妹が声を掛けてきた。
「DSだよ」
僕はゲーム画面から目を逸らさずに答えた。
「あたしもDSやりたい」
「僕がこのステージをクリアしたら貸してあげるよ」
ダメだといえばダダをこねることは今までの経験から分かっている。
「はい、次このステージお願い」
「はーい」
妹は、夢中でDSをしている。
僕がDSを貸してから30分が経った。
妹はゲームが下手だ。次のステージを未だにクリアできずにいる。
何度ゲームオーバーになる気なんだろう。
「優花、そろそろ代わって」
「嫌」
イラッとした。でも、大丈夫。いつものことだから。
「あっ、優花そこ走ってジャンプしないと――」
また、クリア出来なかった。
「うっお兄ちゃんが邪魔するせいでまたクリア出来なかった!」
「は!? 何だよそれ。僕は邪魔なんてしてないぞ!」
「お兄ちゃんがうるさいから集中出来なかったんだもん!」
うるさい? 僕が口に出したのなんてさっきの1言だけじゃないか。クリア出来ないのは僕のせいじゃなくてお前がど下手なだけだ!
「もういい! 優花じゃいつまで経ってもクリアできない! 僕に代われ!」
「クリアできるもん!」
いつまでもクリア出来ず代わろうとしない優花に腹が立ってDSを取り上げようと引っ張った。優花もDSを渡すまいと引っ張っていたが僕のほうが力が強いからDSは僕の手に渡った。
「返して!」
「これは僕のだ!」
DSを取り返そうと僕を叩いてくる優花を無視して僕は立ったままDSをプレイし始めた。
「うわーん。お兄ちゃんのバカ」
優花は大声で泣き出した。
すると、階段を登ってくる足音が聞こえる。足音が止むと僕達のいる子供部屋のドアが開いた。
「どうしたんだ?」
父さんが部屋に入ってきた。
それを見て優花は父さんに駆け寄りしゃがみ込んだ父さんに抱きついた。
父さんの頬が緩む。
「あのね、お兄ちゃんがね、DS貸してくれないの」
僕はDSを貸した。優花が返してくれなかったのがいけないんだ。
「雄也、DS貸してやりなさい」
「貸してやったよ。でも、優花がずっとゲームやってて返してくれないから……」
父さんはやれやれというような顔をした。
「少し遊んだらまたDSを貸してやりなさい」
「でも……」
「でもじゃない。意地悪しないで貸してやりなさい。お前はお兄ちゃんなんだから妹を泣かしちゃダメだろう。少しくらい我慢しなさい」
「…………分かった」
父さんが子供部屋から出て行った後僕は3分くらいゲームをして優花にDSを渡した。
喜ぶ優花と対象的に鏡の中では不満そうな自分の顔が写った。
「優花、風呂入るぞ」
「うん」
今もまだDSを夢中でプレイする優花に声を掛ける。
優花を風呂に入れるのは僕の役目だ。
1年くらい前から僕ら2人で風呂に入っている。その前までは両親のどっちかと3人で風呂に入っていた。
3人で入っていた時、優花は自分で体を洗っていた。頭も自分で洗うし手がかからなかった。
「お兄ちゃん体洗って」
2人で入るようになって1ヶ月くらいは自分で洗っていたけど、今では全部僕にやらせる。
2人で風呂に入るようになったのは優花が1人で体も頭も洗えるようになったからだったのに。
「自分で洗えよ」
「嫌」
僕はもう体も頭も洗い終わった。
このまま風呂を出ていくことも可能なんだけど風呂を1人で出ると母さんに優花のことを聞かれる。優花1人で風呂に入っていると言うと母さんに怒られる。
なぜ怒られるのかというと風呂で溺れでもしたら大変だからだそうだ。
僕は風呂で溺れたりしないと思うんだけどと母さんに言うと母さんの妹は小さい頃に風呂で溺れかけたことがあるそうだ。
そういうわけで僕達は1人で風呂に入らせてもらえない。
それを聞いてからも1人で風呂を出た時に理由を聞かれて優花が体を自分で洗わないことを告げて母さんを風呂に連れて行くと優花は自分で体を洗っていて僕が嘘ついたと怒られたことがある。
だから、1人で風呂を出るということは怒られることを覚悟しないといけない。
一々怒られたくないから僕は渋々優花を洗ってあげる。
ボディーソープを泡立ててタオルで優花を洗う。
「お兄ちゃんくすぐったい」
そう言って優花は身を捩る。
「このくらい?」
少し強めにこする。
「うん、そのくらい」
右腕から左腕、首からお腹を洗い背中まで洗ったら立ち上がらせて股と尻、右足と左足を洗う。最後に髪が細くて絡まりやすいから頭を慎重に洗う。
「これで終わり」
僕は優花を湯船に促して一緒に湯に浸かり10数えて風呂を出た。
風呂を出て歯を磨く。磨き終えると優花は僕に向けて自分の歯ブラシを渡す。
僕に自分の歯を磨かせるためだ。
僕達は2~3歳くらいまでは母さんに歯磨きをしてもらっていた。
1週間くらい前に僕はそのことを思い出してよせば良いのに無性に母さんを真似て誰かの歯を磨きたくなった。
それで優花を実験台に歯を磨いた。
1度優花の歯を磨くと僕は満足した。だが、優花はそれを気に入ってしまったらしく毎日、夜の歯磨きを僕にやらせようとするのだ。
「自分で歯磨きしてよ」
優花は首を横に振った。
「お兄ちゃんにして欲しい」
「分かった」
これは断ることはできるけど自分から始めたことだから優花が飽きるまで僕がしてやると決めた。
ただし、1度は自分で磨いてというけど。
「どう、痛くない?」
「大丈夫」
歯磨きで1番磨くのが難しい場所は奥歯だ。僕は慎重に奥歯を磨く。
しばらく磨いていると優花の歯と歯ブラシのこする音はシャカシャカという音だけだったが、それに混じってキュッキュッという音も聞こえ出す。
この瞬間が僕は好きだ。確かに綺麗になっている実感できるから。
優花の歯を磨き終えた。
僕は歯磨きを終えた後、指で綺麗に磨けたかこすって確かめる癖がある。
無意識に優花の口に右手の人差し指を突っ込んだ。優花の前歯を指でこする。
綺麗に磨けていれば歯のぬめりはなく指は滑りにくくなっているはずだ。
前歯のぬめりはとれている。僕はさらに優花の口の奥へと指を突っ込んで歯のぬめりがとれたか確かめる。
「おにいひゃん。くるひぃ」
「あ、ごめん」
本当に苦しかたんだろう優花の目が少し潤んでいる。
喉に手を突っ込むと異物を吐き出そうする。この時、涙も一緒にでてくる体験を僕もしたことがある。
指を突っ込みすぎたみたいだ。
僕は優花の口から指を取り出した。指には優花の唾液がいっぱい付いていた。
指を洗い優花にうがいするように指示して子供部屋へ戻った。
やるべきことを終えたので僕はいつでも寝る準備万全だった。
子供部屋の2段ベッドの上に登る。
子供部屋は僕と優花の2人のための部屋だ。
ここで僕達は勉強をしたり、遊んだり、寝たりする。
友達の家では兄妹別々の部屋を使っているところもあって僕はそれが羨ましかった。
1度父さんに僕だけの部屋が欲しいといったことがある。
父さんはまだ早いと言った。だったらいつになったらくれるのかと聞いたら僕が小学6年生になったら、今物置として使っている部屋をくれると約束してくれた。
「お兄ちゃん、一緒に寝よ」
ランドセルに明日持っていくものを用意していた優花がベッドの階段を登って僕に声を掛けてきた。
正直、1人で寝たい。
理由は2つある。1つは優花がおねしょをしないか心配なこと。でも最近はおねしょをしなくなったので問題ない。
問題は優花の寝相だ。優花が2段べッドの下の方のベッドを使っているのは寝相が悪くベッドから落ちる可能性があるからと父さん母さんが心配したためだ。
今のところ1度もベッドから落ちたことはないが掛け布団なんかはしょっちゅう落ちてる。
一緒に寝て殴られたり蹴られたりする確率は100%だ。
だから、優花と一緒に寝たときは必ず1度は体の痛みで起こされる。
そんなだから僕は優花と一緒に寝ることを拒否するんだけど優花は小学生に上がってから悪知恵が働くようになった。
僕が眠ってから僕のベッドに潜り込んでくるのだ。そして、僕が起きるよりも早く起きている。それを指摘するととぼける。
「お兄ちゃんのベッドでなんか寝てないよ」
そう言うけど僕はお前がベッドに潜りこんでることを知っている。
確率100%なんだぞ。優花は気づいてないかもしれないけどお兄ちゃんはここのところ毎日お前に起こされてるんだよ。朝起こしてくれるのはありがたいけど夜中に何度も起こすのは止めて。痛いし眠いんだよ。
今月が6月でもうすぐ終わりだから約3ヶ月くらいずーと一緒に寝ている。
つまりこの3ヶ月間、僕はほぼ毎日妹に殴られ蹴られして夜中に起きてるんだ。
だから朝起きられずに
「お兄ちゃん起きて、遅刻するよ」
と優花に揺さぶり起こされる。
仕方ないなあという風な優花の顔を見ると誰のせいだと思ってんだと言いたくなる。それを言うと泣くだろうし最終的に僕が悪者になっているだろうから言う気はない。
1度殴られて起きた時、妹を起こしてなんで僕のベッドに居るのかと問い詰めたら寝ぼけて潜り込んじゃったと言われた。
それを言われると「ふざけんな! 毎日寝ぼけて僕のベッドに入ってくるなんてありえないだろうが!」と言えず「そうか……」としか言えない。
この時、妹に僕のベッドに入ってこないでと直接頼むのは無駄だと悟った。
直接が無理なら間接的に止めさせればいいと思い母さんに相談したが
「一緒に寝るくらい良いでしょ。お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」
と言われた。
優花の寝相の悪さも睡眠中に殴られる痛みも知っているはずなのにそれを我慢しろと言われた。
母さんはアテにならない。
そこでこの問題を解決する良い方法を考えついた。
まず優花と一緒に寝ることを承諾し優花が眠りに付くのを待ってから空きのベッドのほうで僕が寝るという方法だ。
いい方法だと思ったけど優花が夜中にトイレに行ってベッドに戻ってくるということがたまにある。
そういう時は僕のいるベッドに潜り込んでくるのでこの作戦の意味が無くなる。
この作戦を考えついた当初はこの欠点に気が付かなかった。安全だと思って警戒心0で眠りについたら突如顔面に痛みが走る。警戒していなかったのでいつもより痛かった。
一緒に寝ようと言ってくる優花に僕は返事をした。
「分かった。良いよ」
この作戦に欠点があることは分かっているが他に良い方法がないためこの作戦を続けていくしかない。
僕の返事を聞いた優花は嬉しそうに僕のベッドに入ってきた。
学校の授業が全て終わり下校時間になる。クラスメイトたちがゾロゾロと教室を後にする。
「雄也、バスケしに行こうぜ」
「おう、いいぜ」
クラスメイトの水樹大輔がバスケに誘ってきた。
僕も大輔もバスケが好きだ。だから、放課後はグラウンドでバスケをしてから家に帰る事が多い。
大輔と僕は仲が良い。もう少し友情を育んだら親友と呼んでもいいくらいだ。バスケがともに好きなコトと大輔にも妹がいてよく互いに愚痴を言い合うから自然と仲良くなった。
グランドに出るといつもバスケを一緒にする仲間がすでに集まっていた。
「遅いぞ」
「おお、悪い」
全く悪いと思ってないけどとりあえず謝った。言うほど遅くないしね。
さて、日頃のストレス発散に楽しくバスケをしますか。
「お兄ちゃん」
さあチーム分けしようとしていたら背後から妹の優花が声を掛けてきた。
「何だ?」
いつもなら僕がバスケをしていても先に帰るはずなのに。
「あたしもバスケしたい」
「え!?」
どうしようかな。僕は仲間を見る。優花じゃ足手まといになるからな。出来れば入れたくない。
「いいんじゃないか」
「うん、入っていいぜ」
「優花ちゃん入りなよ」
みんな優花が入ることに賛成のようだ。最後のセリフは大輔だ。
ここにいる奴らはみんな優花のことを知っている。
それは家に呼んだ時に何度か会っているからだ。
普段僕に何かとくっついて来てワガママ放題で言うことを聞かない優花ではあるが他人がいると途端に聞き分けの良いよくできた妹になる。
ゲームで遊んでるとお菓子やジュースを持ってきてくれたりするから友達は優花に好印象を持っている。
こういう可愛くて優しい妹がいたらなと言われたがいつもはこんなんじゃないと言ったが信じてくれなかった。
まあ、可愛いのは認めるけどね。サイドテールとか似合ってるし。優花は肩まで伸びた髪を普段サイドテールにしている。
優花を入れてバスケが始まった。優花は僕と同じチームだ。
僕はドリブルでバスケゴールまで走る。敵が2人が僕を阻む。たまらず後ろにいた味方にパスを渡した。
パスを渡した味方選手は優花にパスする。
優花はドリブルでゴールを目指すが明らかにトラベリングだ。
その後も優花は僕らのチームの足を引っ張った。
シュートを放つも一発も入らず、ドリブルするもトラベリング、パスを放てば敵選手にとろくに活躍しない。
それでも僕以外の味方は優花にパスを出し続ける。僕はたまらず優花をチームから外すことにした。優花がいるとゲームが成り立たない。
「優花、悪いけど見学しててくれる?」
「あたしまだバスケしたい」
悲しそうな顔で僕を見る優花。
「いいじゃん。させてやろうぜ」
「そうそう。初めてなんだし下手なのはしょうがないよ」
「優花がいるとゲームが成り立たないじゃないか。僕らのチームまだポイント取ってないんだぞ」
味方はボールが来ると優花にパスするし、僕は敵にマークされっぱなしで20ポイント以上敵が取っているのに僕らは0ポイントで点が入らない。
「ごめんなさい。でも、あたしみんなとバスケしたいよ」
優花がみんなに謝る。その姿に同情したのか味方の友達が
「落ち着けよ」
「そんな怒るなよ」
「楽しくやろうぜ」
「これから巻き返そうぜ」
と言ってきた。お前らが優花にパス出しまくるから1ポイントも取れないんだろうが。
なんとか腹が立つのを抑えようと必死で耐えていると敵チームの大輔が
「まあまあ、雄也落ち着けよ。お兄ちゃんなんだから少しくらい多めに見てやれって」
苛立ちを抑えようと必死で我慢してたのに大輔の奴が僕の大嫌いな言葉を吐いた。
お兄ちゃんなんだから! この言葉が僕は大嫌いだ。それをよりにもよって妹にお互い苦労させられている大輔の口から聞くことになるとは思わなかった。大輔なら僕の気持ちを分かってくれると思っていたのに!
「うるさい! 分かった! もう勝手にしろ!」
僕は怒ってその場を離れた。
僕が家につく頃、外は雨がポツポツと次第に強くなって優花が帰ってくる頃には土砂降りになっていた。まるで今の僕の気分のようだ。
「「「「いただきます」」」」
家族4人、席について夕食を食べる。
「お兄ちゃんお茶取って」
無言で優花にお茶を渡す。
「注いで」
無言でコップにお茶を注ぐ。
僕は黙々と料理を口に運ぶ。
「今日ね、あたしお兄ちゃんとバスケしたんだよ。いっぱいパス貰っていっぱいドリブルしたの。シュートも撃ったんだけどね、全然入らなかったの。でも楽しかったよ」
楽しそうに話しかける優花に父さんと母さんは顔を綻ばせる《ほころばせる》。
「あら、良かったわね。試合には勝てたの?」
母さんが尋ねる。
「途中までしかしなかったの。でも負けちゃってた」
「途中まで? ああ、雨が降ってきたからか」
父さんは疑問を口にして勝手に自分で納得した。
「違うの。あたしとね、お兄ちゃんは一緒のチームだったの。相手のチームはバスケがすごく上手だったの。だからね、1ポイントも入れられなくてお兄ちゃんが怒って帰っちゃったの。だから最後まで試合してないの」
嘘は言ってない。相手チームに上手な奴が多いのは事実だった。僕が怒って途中でゲームを投げ出したことも事実だ。だが1ポイントも取れないから僕が怒ったかというとそういうわけじゃない。僕は勝つために最善を尽くしたかった。でも、味方チームの奴らは優花を喜ばせるためのゲームをしていた。少しくらいなら別に文句はなかったのに頻繁に優花にパスがいき敵チームにボールを奪われるを何度も繰り返していたから僕は腹が立ったんだ。優花は別に悪くはなかった。頭では分かっているが優花が一緒にバスケをしようとしなければこんな思いをすることはなかったと思うと優花を憎く思う。
「雄也、自分の思い通りにならないからと癇癪を起こすのは良くないぞ。お兄ちゃんなんだから妹の見本にならないとな」
父さんが厳しい表情で説教する。僕は構わず黙々と料理を食べる。
「ごちそうさま」
父さんを無視して僕は食器を片付ける。
「おい、雄也!」
それも無視して2階の子供部屋に戻った。
僕はイライラしていた。誰とも口を聞きたくなかった。特に、優花とは話したくないので優花には絶対に口をきこうとはしなかった。ただし、いつも通り風呂に入れてやったし、歯も磨いてやった。寝付くまで添い寝もしてやった。
朝起きると昨日の大雨が嘘のように青空が広がっていた。
「よう」
「ああ、おはよう」
大輔が教室に入ってきた。気まずそうに僕を見て右手を上げて挨拶してきた。
僕は無視しようか少し考えて思い直し挨拶を返した。
「昨日はゴメン。お兄ちゃんなんだからって言葉はイラッとするよな。ちょっと言ってみたかったんだ。でもあんなに怒るなんて思ってなかった」
大輔は僕の席の近くまで来ると深々と頭を下げた。大輔は僕がその言葉を嫌いなことを分かっていたみたいだ。真摯に謝ってもらったことと何故怒ったのか理解してくれていて僕の溜飲は少し下がった。
「……もういいよ」
大輔は廊下でこっちを見ている昨日のバスケメンバーをチラリと見た。
「スマン。ありがと。あいつらも反省してるんだ。優花ちゃんに気に入られようと振舞ってバスケをつまらなくさせたこと、だから許してやってくれないか」
チラチラこちらを見てくるメンバーを見て僕は1つ溜息を吐いた。
「分かったよ。また楽しくバスケしたいし。今回のことは水に流す。僕もあれくらいでキレたこと後悔してるし」
いつもならなんてことなかったんだけどな。最近、疲れがたまってるし寝不足だしで怒りっぽいのかも。
「そうか、ありがとな」
安心したのかフーと息を吐いて大輔が礼を言う。
こちらの話が聞こえていたのかメンバーが僕の周りに集まってきた。
次々に謝罪の言葉を口にするので僕はだいぶ怒りが収まった。
家に帰ってきて喉が渇いたので冷蔵庫に向かう。牛乳を飲んでいると母さんと優花が帰ってきた。
「「ただいまー」」
僕はおかえりとも言わずちらりと様子を伺う。母さんの手には買い物袋があった。一緒に買い物していたみたいだ。
僕はリビングでソファーに座って漫画雑誌を読む。
「お兄ちゃん何してるの?」
僕は何も言わず漫画を優花に見せた。
「あたしも読むー」
僕の横に座って漫画を読もうということなんだろう。優花が隣に座ってくるので漫画を渡して僕は風呂掃除をすることにした。優花と一緒に漫画を読みたくなかったから。
「お兄ちゃん?」
「……」
僕は無視して風呂場に向かう。その後を優花がつけてくる。
「ねえ、お兄ちゃんお風呂掃除するの?」
僕は頷く。
「あたしも手伝う」
いつも手伝いをしてくるわけじゃない。優花は気まぐれだ。飽きたら途中で投げ出したり、余計な仕事を増やしたりする。
僕は無言で優花を風呂場から出す。あっちいけというジェスチャーをする。
だが優花は諦めない。
「手伝いする」
強い眼差しと一文字に結んだ口は僕の言うことを絶対聞かないという証だ。
僕は風呂掃除を諦めた。
優花を風呂場に残してリビングに戻る。その後を不思議そうに優花がつけてくる。
僕は漫画の続きを読み始めた。
「お兄ちゃん?」
無視をして次のページをめくる。
優花は返事をしない僕の腕を揺する。
しばらく僕の腕を揺すっ「お兄ちゃん」という妹を無視して漫画を読み続ける。
「お兄ちゃん! なんで無視するの!」
それも無視した。
無視する理由? そんなの決まってるだろ。ワガママで言うこと聞かないお前が嫌いだからだ。
次第に腕を揺すられる力は弱まりやがて止まった。
「う、うぇぇぇぇぇぇぇぇん」
優花は大声で泣き出した。それを聞きつけた母親が駆けつけてきた。
「どうしたの? 優花」
優花に目線をあわせて尋ねる母さん。それに一旦大声で泣くのを止めてしゃくりあげながら優花は自分がどうして泣いているのか母さんに伝えた。
「お兄ちゃんがあたしを無視するの。何度も話しかけてるのに喋ってくれないの」
それを聞いた母さんが僕に目線を合わせる。
「なんで優花を無視するの?」
厳しい表情で僕を見る母さん。僕は目線をそらす。
「…………なんでもいいだろそんなの。喋りたくなかったんだよ」
「雄也だって無視されるの嫌でしょ。優花の気持ちを考えてあげなさい。雄也に無視されて優花は悲しかったはずよ。お兄ちゃんなんだから妹に意地悪しないの」
いつもそうだ。『お兄ちゃんなんだから』の1言で片付けようとする。好きで兄になったわけじゃないのに。ウンザリだ。
「母さんこそ僕の気持ちを考えたことあるの! いつもいつもお兄ちゃんなんだからお兄ちゃんなんだからって母さんも父さんも僕の話を聞いてくれない! 優花を僕に押し付けて! 優花が泣けば僕が悪者! 優花の寝相の悪さだって知ってるのに何もしてくれなかった! 僕は好きでお兄ちゃんになったわけじゃない! 僕は妹なんてほしくなかった! 優花なんていなくなれば良い!」
言ってしまった。溜め込んでいた思いをすべてぶつけた。
「うぇぇぇぇぇぇぇん」
優花はまた大声で泣き出した。
「バッチン!」
鋭い痛みが頬を襲う。僕は母さんに思いっきり頬を叩かれた。
痛かった。涙が一筋頬を流れる。
「雄也! なんってことを言うの!」
すごく怒った表情で母さんが怒鳴る。
それに負けじと僕は母さんを睨みつけた。それにたじろぐ母さん。
「うるさい! お前なんか大っキライだ!」
僕は手に持っていた漫画を母さんに投げつけて家を飛び出した。
最後に見た母さんの顔はショックを受けたように見えた。
家を飛び出した後夢中で走った。行き先も考えずに走った。少し頭が冷えると僕はこれからどうするか歩きながら考えた。
家には戻りたくない。だから家出しよう。でも、どこに住めばいいんだ? そんなことを考えながらゆっくり歩いていた。
「お兄ちゃん!」
聞きなれた声が後ろから聞こえる。こんな時でも優花は僕についてくるのか。
僕は無視して歩く。
その後ろを何も言わずに優花がついてこようとする。
30分くらい歩いただろうか、僕は橋の真ん中付近の歩道にいた。下は川が流れている。
川は幅30メートルくらいある。水の流れは昨日の雨ですごい勢いだ。水嵩も普段より増している。
「お兄ちゃん!」
また優花が僕を呼ぶ。着いて来るなと言おうとして振り返る。
「なっ!? 何やってるんだ!」
僕は驚愕した。優花は橋の欄干の上に立って歩いている。欄干は人が歩くところじゃない。人が川に落ちることを防ぐ手摺だ。欄干の上を歩くなんて一歩間違えると川に落ちる。
「危ないだろ! 降りろ!」
それを聞いた優花は嬉しそうにした。
「お兄ちゃん、一緒にお家帰ろう」
優花はそう言って欄干から降りようとしゃがみ込もうとした。
その時、優花の体がグラつき足が欄干から離れた。
そして今まさに川に落ちようとする優花のびっくりした表情が僕の脳裏に焼き付いた。
僕は一瞬で様々なことを考えた。
優花を助けなきゃいけない。優花は泳げない。川の流れは速い。どのみち泳げても死ぬ確率のほうが高い。なんで優花を助けなきゃいけない。別にいいじゃないか。いなくなれば良いと思っていたじゃないか。川に飛び込むなんて怖い。死んじゃう。死にたくない。
でもこのままじゃ優花が死んじゃう。助けなきゃ。嫌いなのに? 嫌いじゃない。鬱陶しがっていたじゃないか。死なせたくない。優花はワガママだし僕の言うことを聞いてくれず自分勝手なやつだ。
でも、僕のたった一人の大事な妹なんだ! 僕は優花を助けたい!
「優花!」
僕は欄干に上り飛び降りようとした。一瞬、怖いと思った。
でも行かなきゃ。僕は優花の『お兄ちゃんなんだから』。
僕の一番嫌いな言葉は優花を助けるため僕の背中を押してくれた。
優花が落ちてからほとんど時間が立っていないからすぐに優花に追いつくことができた。
暴れる優花を後ろから抱きしめてなんとか川岸に移動しようとするがなかなか川岸に辿りつけない。服が重く息がまともに出来ない。
何とかできないかあたりを見回すと偶然、川岸に結ばれたロープの端が川に流されているのを発見した。
あれを掴めば助かるかもしれない。助かりたいと祈る思いでロープを掴んだ。
僕はロープを手繰り寄せてなんとか川岸までたどり着いた。
肩で息をして途中で暴れなくなった優花を見る。
優花は青白い顔で唇は紫になっていた。僕の顔も青ざめた。
優花は息をしていなかった。
「誰か助けてください!」
僕は大声で叫んだ。するとすぐに人が集まってきた。ざわつき始めて救急車呼べとかなんだなんだとか声が聞こえてきた。
僕には余裕がなかった。優花が息をしていないと知ってからパニックになった。
何とかしなきゃ何すれば良い? 落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせた。
『お兄ちゃんなんだから』という言葉が脳裏に浮かんだ。
そうだ、まずは人工呼吸をしないといけない。僕を落ち着かせたのは、またしても僕の嫌いな言葉だった。
僕は必死で優花の胸を押し、優花の肺に息を送り込む。息をしてくれと願いながら「優花、死ぬな!」と声を掛けながら。
今だけは僕の言うことを聞いてくれ!
「ゴホッ」
優花が水を吐き出し息をし始めた。僕は優花を抱きしめ背中をさすってやった。
優花が息を吹き返して5分と経たずに僕らは救急車で病院に搬送された。
いろんな検査をしたけど僕らは特に異常はなかった。でも念のため1日だけ入院するように病院の先生に言われた。
病院に搬送されて1時間くらいして父さんと母さんが来た。母さんは泣きながら僕らを抱きしめた。母さんは何も言わなかった。父さんも涙ぐんで「良かった。本当に良かった」と僕らの無事を喜んでた。
父さんと母さんが落ち着いてから父さんから話があると病室の外に連れだされた。
川で溺れたことを聞かれて怒られると思った。どうして優花をちゃんと見ていなかったのかとかどうせそんなことを言われるんだと思った。
自販機でジュースを買ってもらい、僕と父さんはベンチに腰を下ろした。
「雄也ごめんな。父さんも母さんもお前のことよく考えてやってなかったよ。確かにお前に優花のことを任せきりにしていたと思う。お前が聞き分けが良いからこれでいいと思い込んでたんだ。雄也がどう思ってるかなんか知らずにな。今度からは気をつけるよ」
目をぱちくりとさせた。僕は何を言われたのかよく分からなかった。
「川で溺れたことは聞かないの?」
「だいたいのこと消防士の人に聞いた。お前たちの状況を見ていた人が何人かいてな。優花が橋の欄干によじ登っていてバランスを崩して川に落ちたって聞いている。それから雄也がその後を追って川に飛び込んだって。それを見てた人が119に連絡してくれたんだ」
父さんは涙ぐんでいた。
「雄也はすごいな。優花を助けようとしたんだろ。普通できないぞそんなこと」
父さんが力なく笑う。
「無我夢中だったから」
「それでもすごい! その後も自力で川から上がって優花に人工呼吸をしたって聞いてる。川で人が溺れた時に泳いで助けるのは良い方法じゃないらしい。一緒になって溺れて死んでしまうことのほうが多いと。でも、その勇気を消防士の方も褒めてくれてたぞ」
怒られると思ったのに逆にすごく褒められてしまった。僕は照れくさくなった。だから、ベンチから立ち上がり父さんに背を向けた。
「お兄ちゃんなんだから妹を助けるなんて当然だろ!」
「……そうか」
父さんの顔を見てはいないけどきっと優しく笑ってると思う。
顔から火が出そうだった。
「病室戻るから」
僕は早歩きでその場を離れた。
病室に戻って母さんと優花が話していた。
九死に一生を得て安心しきっていて忘れていたが、僕は嫌いだといって家を飛び出してしまったことを思い出して母さんと一緒にいるのは気まずいなと思った。
再び病室を抜けて少し散歩しようとして廊下を出た。
「雄也」
ビクッと身体が震えた。僕は病室を振り返った。
「……」
何も言えなかった。
「ごめんね」
母さんは僕に謝った。たった一言だったけどすごく気持ちのこもったごめんねだということが表情で伝わった。
僕は首を横に振った。
「僕の方こそごめん」
僕もごめんにいろいろな意味を込めた。心配させてしまったことや嫌いだと言ったこと。
心が軽くなった。
「母さん」
「何?」
「ちょっと散歩行ってくる」
「そう、行ってらっしゃい」
「うん!」
うれしくなってつい大声で頷いた。
夜、父さんと母さんは家に帰った。病室には僕と優花だけだった。
病室は暗く月明かりだけが唯一の明かりだった。
僕は溺れてから今まで優花と会話してないことに気づいた。優花は僕を避けているように感じる。珍しく話しかけてこないし、僕のベッドに入り込むこともない。
「優花起きてるか?」
「……うん」
少し間があり返事があった。
「具合悪いのか?」
「悪くない」
「じゃあどうしたんだ? 元気ない気がするけど」
「………………」
返事がない。
「やっぱり気分悪いんじゃないか?」
「あたしは元気だよ」
元気そうに聞こえない。
どうしたら良いのか分からない。怖い思いをしたから元気ないのかな? だったら添い寝してあげたほうがいいかな。一緒に寝るかと僕は言おうとした。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
「ごめんね」
何について謝られたのか分からない。
「溺れたこと? もう気にするなよ。母さんたちにも怒られたんだろ? もう二度とあんな事しないって誓ってくれるならそれでいいよ」
「それもだけど……あたしが生まれたこと」
「えっ!? なんでそんなことを? 謝る必要ないよ」
予想外なことを謝られて少し混乱した。
「だって、お兄ちゃんはあたしのこと嫌ってるもん」
「嫌ってなんて--」
「いなくなれば良いて言った」
「それはその」
言葉に詰まった。確かに言ったからだ。
「ヒック」
気づかなかったけど優花はむせび泣いていた。
僕は確かにいなくなれば良いと思った。だけど、心の底からそういうふうに思ったかというと違った。
「優花はワガママだ。僕の言うこともロクに聞かない。でも、いなくなれば良いなんて今は全く思ってないよ」
「本当?」
「ああ」
優花は少し安心したのか呼吸が穏やかになった。それでもまだ不安そうだ。僕は優花は僕にとって大切な妹だと伝えたかった。でも照れくさくて直接は言えない。だから、いなくなれば良いの反対の言葉を言うことにした。
「優花、ずっと一緒に居ような」
「うん」
優花の声は嬉しそうだった。よく見えないけどきっと笑顔になってると思う。
「優花一緒に寝る?」
「うん!」
優花は力強く頷いた。そして、僕の隣で横になるとすぐに寝息をたて始めた。
いつものように蹴られたが今日はほんの少しだけそれがうれしく感じた。