第44話 アジトにて
「つまり、小国の工房が儲かっている、と」
「露骨な言い方をすれば、そうなります」
向かいで茶をすすっている執政が、落ち着いた顔でそう言った。
ここは俺たちのアジトである。
もともとは、仕事の合間に戻って寝て、飯を食い、装備を置くための場所だった。勇者パーティーの自宅兼倉庫。そう言えば聞こえは少し悪いが、実際そんなものだった。
それが最近では、こうして小国の執政が茶を飲みに来るようになっている。
一応、俺はその小国の国主ということになっている。なってはいるが、国の運営に口を出しているわけではない。というより、出せるわけがない。
実務はほとんどこの人に任せている。俺が下手に何か言ったところで、邪魔になるだけだ。だから俺の役目は、こうして時々報告を聞き、分かったような顔をして頷き、あとで胃を痛めることくらいだった。
「もう少し、国主に夢を見せる言い方はないのか」
「では、国庫の回復が想定より早まっております」
「同じ意味なのに、急に立派に聞こえるな」
「言葉は大事ですので」
執政との話し方は、以前よりずいぶん砕けた。
最初の頃は、俺も一応国主らしい口調を意識していたし、執政も必要以上に丁寧だった。だが、長くは続かなかった。
国のことを本当に分かっているのは執政で、俺はほとんど分かっていない。俺が偉そうに頷いたところで、三つ先の話になるともう置いていかれる。しかも、執政の言うことはだいたい正しい。
そういうことを何度か繰り返すうちに、俺は国主らしい口調を諦めた。執政の方も、敬語こそ残っているが、遠慮はだいぶ薄くなった。
「で、その工房が今はそんなに忙しいのか」
「ええ。魔法剣の需要が想定以上に伸びておりますので」
執政は茶器を置いて頷いた。
「王国の工房だけでは、数が追いつきません。特に地方へ回す分となると、どうしても不足が出ます。そこで、我が国の工房にも声がかかりました」
「元敵国の工房に、王国側から?」
「元は元です。今は違います」
さらりと言われて、俺は少しだけ言葉に詰まった。
確かに今は違う。違うのだが、ついこの間まで王国と敵対していた国の工房が、今では王国の魔獣対策の一部を担っている。そう考えると、世の中の流れはずいぶん早い。
「もともと、我が国は武器開発に力を入れておりました」
「王国と戦うために?」
「端的に言えば」
「否定はしないんだな」
「事実ですので。ですが、その蓄積が今は役に立っております。皮肉なものです」
小国の工房は、王国の大工房ほど大きくない。人も設備も限られている。だからこそ、少ない材料と人手でどう回すかを、かなり細かく詰めていたらしい。
材料の置き場。職人の動き。工程ごとの受け渡し。失敗した部品の戻し方。使う道具の配置。
聞けば聞くほど地味だった。
だが、地味だからこそ強いのだろう。大きな工房が人と設備の多さで押し切るところを、小国の工房は無駄を削って補っていた。今では王国側の役人や職人が、そのやり方を学びに来ているという。
「王国が小国から学ぶのか」
「規模で勝てない側には、勝てない側なりの工夫があります」
「それを考えたのも、あんたなのか」
「私一人ではありません。ただ、方針を決めたのは私です」
「本当に何でもやるな」
「やらなければ、国が残りませんでしたので」
そう言われると、少し返しに困る。
この人は、かつて王国にとって厄介な敵だった。だが同時に、小国を残すために必要なことをやってきた人間でもある。
そして今、そのしぶとさが、魔獣相手の備えに変わっている。
「その結果、国庫の回復も早まっている、というわけか」
「はい。今すぐ豊かになるわけではありませんが、当初の見通しよりはかなり早いかと」
「十年単位って言ってたよな」
「言いました」
「じゃあ、少しはましになったんだな」
「かなり、です」
「そこは強く言うんだな」
「成果ですので」
執政は淡々と言った。
その成果の一部は、俺のところにも入るらしい。名目上の国主だからだ。
生活に余裕が出るのは悪くない。悪くないのだが、俺は以前より確実に忙しくなっているし、転移者たちの面倒まで見ている。差し引きで考えると、よくてトントンではないかという気もする。
それでも、ありがたく受け取ることにした。
金は悪くない。金が悪いのではなく、金の出入りに胃が痛くなる状況が悪いのだ。
執政が帰ったあと、俺はしばらく空になった茶器を眺めていた。
小国の工房が忙しい。国庫の回復が早まっている。俺の実入りも少し増える。
言葉だけ並べれば、悪い話ではない。
むしろ、良い話のはずだった。だが、その金がどこから来ているのかを考えると、素直に喜んでいいのか少し分からなくなる。
魔獣が現れたから、武器が売れる。武器が売れるから、工房が回る。
俺たちが巻き込まれた騒動の結果、小国の立て直しが早まる。
良いことなのか、悪いことなのか。
たぶん、どちらかだけではないのだろう。
そう考えながらアジトの裏へ回ると、木剣のぶつかる音が聞こえた。
「遅い」
ガルドの声がした。
次の瞬間、シンゴが地面を転がった。
「ぐっ……!」
「踏み込みが素直すぎる。でかい技を使う前に、相手が待ってくれると思うな」
「分かってるっつの……!」
「分かってねえから転がってる」
ガルドは容赦がない。
シンゴは立ち上がりながら肩を回した。前ならそのまま力任せに突っ込んでいたところだが、今は一度足を止め、間合いを測っている。
少しは変わったのだと思う。
その横では、シャドウが短い剣を構えていた。
「次、俺っすね」
「来い」
ガルドが木剣を肩に担ぐ。
シャドウの姿が、ふっと沈んだ。足元の影へ溶けるように消え、次の瞬間にはガルドの背後に出る。
「甘え」
ガルドは振り返りもしなかった。
背後へ突き出された木剣が、シャドウの腹にめり込む。
「ぐえっ……!」
「影から出る場所が素直すぎる。お前は自分の技を格好よく見せたがる。だから読まれる」
「い、今のは普通にいい感じだったと思うんすけど……」
「いい感じに読まれてたな」
「評価がきついっす」
シャドウは腹を押さえながら、それでも素直に構え直した。
以前なら、もっと格好つけた言い訳をしていた気がする。今は一応、聞く姿勢がある。何度も転がされ、痛い目を見た分だけ、強がり方も少し変わってきたのだろう。
少し離れた場所では、ヒナが光を細く伸ばしていた。
派手な光柱ではない。小さく、短く、的の端だけをかすめるような光だった。出力よりも精度。壊す力よりも、当てる場所。そういう練習なのだと、横で見ているリリアの表情から何となく分かる。
「今のはいい。けど、撃つ前に肩が動いてる」
「肩、ですか?」
「うん。魔法なのに、体が先に撃つ準備をしてる。相手が慣れてきたら読まれるよ」
「……難しいです」
「難しいよ。だから練習するの」
リリアはさらりと言った。
転移者たちは、確かに強くなっていた。
もともとの力が強い。願いから生まれた技もある。だが、それだけでどうにかなる段階は、もう過ぎつつある。魔獣も増えた。種類も変わった。数で押してくるものもいれば、妙な性質を持つものもいる。
だから彼らも、変わらざるを得なかった。
願いの力に頼りすぎれば、さらに世界を歪めるかもしれない。だが、使わなければ助からない人間もいる。
結局、俺たちはいつも、気持ちの悪い中間を歩いている。
夕食の頃には、シンゴもシャドウもかなり疲れていた。
シンゴは椅子に腰を下ろすなり、背もたれに体を預ける。
「ガルドさん、マジで容赦ねえ……」
「死んでねえだろ」
「基準が荒いんだよな」
シャドウも腹のあたりをさすりながら頷いた。
「俺も今日、何回木剣食らったか分かんないっす。影移動してるのに腹に来るんすよ。理不尽じゃないっすか」
「読まれる動きをしてるからだ」
ガルドは肉を噛みながら言った。
「影に入っても、出る前に分かる」
「それ、もう影移動の意味が揺らぐっす」
「揺らぐくらいでちょうどいい」
「修行の理屈が怖いんすよ」
軽口を叩き合える程度には、彼らはここに馴染んでいた。
だからこそ、ふと気になった。
「元の世界に、帰りたいとは思わないのか」
俺がそう聞くと、食卓の空気が少しだけ変わった。
責めるつもりはなかった。だが、聞かないままにしておくには、あまりにも大きなことだった。
シャドウはしばらく考えてから、困ったように笑った。
「帰りたいかって言われたら、帰りたいっすよ。家族もいますし、学校もありますし。まあ、学校は別に恋しくないっすけど」
「そこは恋しがれよ」
シンゴが突っ込む。
シャドウは苦笑しながら、指先で杯を回した。
「でも、変なんすよね。もっと焦ってもよさそうなのに、そこだけ遠いっていうか」
「遠い?」
「帰れないかもしれないって考えたら、普通もっとやばいはずじゃないっすか。けど、その不安に手が届かない感じがするんすよ」
シャドウの言葉に、ヒナが小さく頷いた。
「分かります。心配じゃないわけではありません。家のことも、学校のことも、気になります。でも、その心配だけが少し離れたところにあるみたいで」
「俺もだな」
シンゴは腕を組み、少しだけ眉を寄せた。
「おかしいとは思うんだけど、今は目の前のことをやるしかねえってなる。それがいいことなのか悪いことなのかは、分かんねえけど」
俺は何も言えなかった。
彼らは帰りたくないわけではない。
家族もいる。学校もある。元の世界に残してきたものもある。普通に考えれば、もっと取り乱していい。もっと焦っていい。帰る方法を探すことだけに執着してもおかしくない。
なのに、その不安だけが薄い膜の向こうに押しやられているように見える。
それが本人たちの強さなのか。それとも、この世界に来る時、何かをそういうふうにされたのか。
俺には分からなかった。
「サチコは?」
ヒナが、隣に座っていたサチコへ目を向けた。
サチコは少し遅れて顔を上げた。自分に話が向くと思っていなかったのか、手にしていた椀をそっと卓へ戻す。
「私も……帰りたい気持ちは、あります」
小さな声だった。
「家族もいますし。心配も、していると思います」
そこで言葉が一度止まる。
サチコは、こういう時にすぐ自分の気持ちを言葉にできる方ではない。何かを隠しているというより、言葉にする前に、自分の中で何度も形を確かめているように見えた。
「でも、少し……分からないんです」
「分からない?」
俺が聞くと、サチコは困ったように笑った。
「家族が嫌いとか、そういうことじゃないんです。悪い人たちではありません。私のことも、たぶん心配してくれていたと思います」
「たぶん、か」
シンゴがぽつりと言った。
責めるような声ではなかった。
サチコは小さく頷く。
「はい。ただ、私はあまり、うまく話せなくて。何を考えているのか分からないって、よく言われていました。もっとはっきり言いなさいとか、黙っていたら分からないとか」
その言葉には、誰かを責める響きはなかった。
家族が悪いと言っているわけではないのだろう。ただ、サチコの中にあるものが、うまく外へ出ていかなかった。周りはそれを分からないと言い、サチコ自身も、どう出せばいいのか分からなかった。
「それで、だんだん何も言わなくなって」
サチコは視線を落とした。
「家にいても、ちゃんとそこにいる感じがあまりしませんでした。ご飯を食べて、学校へ行って、帰ってきて、部屋にいて。ちゃんと生活はしているんです。でも、私がそこにいる意味みたいなものが、よく分からなくて」
食卓が静かになった。
暗い話をするつもりではなかったのだろう。サチコ自身も、言ってから少し困ったような顔をした。
「すみません。変な話をしました」
「変じゃねえだろ」
すぐに言ったのはシンゴだった。
サチコが顔を上げる。
「いるだろ」
シンゴは当たり前のように続けた。
「少なくとも、俺らの中にはいる」
その言い方があまりにも真っ直ぐだったので、サチコは返事に詰まった。
「そうっすよ」
シャドウも頷く。
「サチコさん、めちゃくちゃ周り見てるじゃないっすか。俺、何回助けられたか分かんないっすよ。包帯とか薬とか、俺が忘れてる時だいたい先に気づいてるし」
「それは……たまたまです」
「たまたまが何回も続いたら、それはもう能力っす」
「能力では……ないと思います」
「じゃあ才能っす」
「……もっと違うと思います」
サチコが少しだけ困ったように言うと、ヒナが横から笑った。
「でも、サチコがいなかったら、私たちもっとボロボロだよ」
「そんなこと……」
「あるよ。準備も抜けるし、怪我もそのままにしそうだし、影山君なんて何回か本当に倒れてると思う」
「なんで俺だけ具体的なんすか」
「一番分かりやすいから」
「否定できないっすけど」
シャドウが肩を落とすと、サチコが小さく笑った。
ヒナはその笑みを見て、少しだけ安心したように続ける。
「サチコは、黙ってる時ほどちゃんと考えてるでしょ。私、分かるよ。サチコが何も考えてない時なんて、ほとんどないもん」
サチコは、驚いたようにヒナを見る。
「だから、いなくても変わらないなんてことはないよ。サチコがいると、私は落ち着くし」
その言葉に、サチコは今度こそ何も言えなくなった。
守られているだけではない。
たぶん、この四人はそういう関係になり始めているのだと思った。
危ない時には、シンゴが前に立つ。遅れれば、シャドウが振り返る。言葉に詰まれば、ヒナが気づく。
そしてサチコは、気づかれないところで三人を支えている。水を足し、包帯を替え、薬の残りを数え、誰かが疲れた顔をしていれば誰より早く気づく。
それは派手な力ではない。魔獣を焼く光でも、影を渡る技でも、ガルドと殴り合う強さでもない。
けれど、四人でいるためには、たぶん必要なものだった。
サチコは、守られているだけではなかった。あの四人の中で、確かに必要とされていた。
「……ありがとうございます」
サチコは、ようやくそれだけ言った。
小さな声だったが、さっきより少しだけ、食卓の上にちゃんと届いた気がした。
シンゴは照れたように頭をかき、シャドウはなぜか得意げに頷き、ヒナはただ静かに微笑んでいた。
その様子を見ながら、俺は少しだけ息を吐いた。
転移者。
そう一括りにすると、彼らはこの世界にとって厄介な異物なのかもしれない。実際、彼らの言葉や想像が、魔獣を生んでいる可能性は高い。
だが、目の前にいるのは、ただの厄介者ではなかった。
帰れない不安をどこか遠くに押しやられながら、それでも目の前のことをどうにかしようとしている四人だった。
そしてその中で、少しずつ自分の居場所を作り始めている少女がいた。




