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歪んだ因果の勇者譚 ~世界を救えと言われたが、勝手に選ばれた仲間が問題児だらけで、しかも一人でも追放すると俺が爆散する~  作者: たま8


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第38話 森の奥の三つ首

 ミアの一件から、数日が過ぎた。


 あの日の空気は、すぐには消えなかった。夕食の席に残った沈黙も、転移者たちのぎこちなさも、俺の中に残ったよく分からない引っかかりも、翌朝になったからといって綺麗になくなるものではない。


 それでも、日々というものは案外しぶとい。


 朝になれば腹は減る。依頼の確認はある。報告書は溜まる。ガルドはいつも通りに大きな音を立てて扉を開け、リリアはいつも通りに俺との距離を詰めてくる。ラッキィは荷物の整理をしているはずなのに、なぜか前より物を増やしている。爺は今日も、何を言っているのか分からない。


 ミアも、いつも通りだった。少なくとも、表面上は。


 もともとミアは、誰とでも近い距離で接する人間ではない。転移者たちも何かを気にしているようだったが、ミアがいつもの顔でいる以上、誰もそこへ踏み込めなかった。


 そうして数日も経つと、俺たちの周りには、何事もなかったような日々が戻ってきた。


 いや、戻ってきたように見えただけなのかもしれない。


 俺の耳には、まだあの夜の声が残っていた。寝具の奥で押し殺すように漏れていた、ミアの嗚咽。恩師を失った悲しみなのか、昼間の言葉への後悔なのか、それとも俺などが考えても届かない何かがあったのか。


 分からないまま、時間だけが進んだ。


 そんな折、王から呼び出しがあった。


 城へ向かうと、通されたのは大げさな謁見の間ではなかった。そこまで広くない部屋に、王と数人の側近がいる。机の上には地図と、何枚かの報告書が広げられていた。


 王は俺を見ると、軽く片手を上げた。


「やあ、レイ君。悪いね、急に呼び出して」


 口調はいつもと変わらない。


 だが、表情は少し違っていた。笑ってはいる。けれど、何かを面白がっている顔ではなかった。


「南の大森林で、少し厄介なことが起きている」


「南の大森林、ですか」


「王都からだいぶ離れた場所だ。深い森で、人が好んで入る場所じゃない。ただ、薬草の原生地がある。薬師や治療院から依頼を受けた勇者パーティーが、採取に向かうことはある」


 王は地図の一点を指で叩いた。


 王都から南。街道からも外れた、広大な森林地帯だった。俺も名前くらいは知っている。魔物の多い土地だ。人の手がほとんど入っておらず、森の奥は昼でも薄暗いという話を聞いたことがある。


 ただ、完全に人と無縁な場所というわけではない。


 王が言った通り、薬草の原生地がある。採取依頼を受けた勇者パーティーが入ることもあるし、薬師ギルドが護衛を雇って向かうこともある。危険な場所ではあるが、危険だと分かっているからこそ、入る者は準備をする。


「そこで被害が出た。一件目は重傷者。二件目は死者が出ている」


 部屋の空気が、少し重くなった。


 王は声を荒げなかった。怒りを見せることもない。ただ、先ほどより少しだけ低い声で続けた。


「魔物の多い土地ではある。だから一度だけなら、運が悪かったとも言える。だが、続けて二件だ。しかも、向かったのは素人じゃない。森に入る準備をした勇者パーティーが、だ」


 王は報告書を一枚、俺の方へ滑らせた。


 そこには、生存者の証言がまとめられていた。


 見たことのない姿。


 巨大な獣。


 黒い霧のようなもの。


 火のようなものを吐いた。


 どれもはっきりしない。恐怖で記憶が乱れたとも考えられるし、本当にそれだけ異様なものを見たとも考えられる。


 ただ、ひとつだけ引っかかった。


 火のようなものを吐いた?


 魔物は魔法を使わない。


 牙で噛み、爪で裂き、毒を持つものもいる。体が大きいものもいれば、群れで襲ってくるものもいる。だが、それらはあくまで害獣の延長だ。人間のように魔力を練り、何かを放つような存在ではない。


 だからこそ、報告書から漂う曖昧さが、どうにも気持ち悪かった。


「変ですね」


「うん。変だ」


 王はあっさり頷いた。


「だから君たちに見てきてほしい。普通の討伐隊を増やしてもいいが、原因が分からないまま人数だけを足すのは、あまり賢いやり方じゃないからね」


「……俺たちですか」


「君たちだ」


 王はそこで少しだけ、いつもの調子に戻った。


「変なことには、だいたい君たちが向いている」


「それは褒めていますか」


「半分くらいは」


「残り半分は何ですか」


「俺の本音かな」


 やめてほしい。


 そう言いたくなったが、たぶん言っても無駄だ。


 王は軽く笑ったあと、すぐに地図へ視線を戻した。冗談めかしたやり取りはそこまでだった。


「それと、転移者の四人も連れていってほしい」


 俺は一瞬、返事に詰まった。


「……連れて行くんですか」


「北の友好国での、大牙の件もある。彼らが強いことは分かっている。ただ、今回の相手は正体が分からない。異常な魔物を相手にした時、彼らがどう動くかも見ておきたい」


 軽い言い方ではなかった。


 王は王で、転移者たちをただ珍しい客人として扱っているわけではない。力がある以上、どこかで使う。危ういなら、危うさも含めて見極める。


 それはたぶん、王としては正しい。


 正しいからこそ、俺の胃には悪い。


「十人で行けと」


「そうなるね」


「胃が持たないんですが」


「そこは頑張ってほしい」


「王命ですか」


「お願いだよ」


 王は柔らかく言った。


 だが、その顔はもう決めた顔だった。


 こういう時のこの人は、柔らかく笑っていても引かない。命じているように見せないだけで、実際には行き先も人数も、ほとんど決まっている。


「死人が出ている。放ってはおけない。けれど、何がいるのか分からない以上、誰を送るかは慎重に選ぶ必要がある。君たちは面倒な組み合わせだが、面倒な状況には強い」


「嬉しくない評価ですね」


「でも、間違ってはいないだろう?」


 間違ってはいない。


 そこが腹立たしい。


 俺は小さく息を吐いた。


「……分かりました」


「助かるよ」


 王はそう言って、ようやく少しだけ笑った。


 その視線が一瞬、俺の後ろにいたミアへ向いた気がした。


 だが、気のせいかもしれない。王はすぐに地図へ視線を戻したし、ミアも何も反応しなかった。俺も深く考えないことにした。今はそれどころではない。


 翌朝、俺たちは南へ向かった。


 俺たち六人に、転移者四人。


 北の友好国へ向かった時と同じ顔ぶれだ。人数だけ見れば前にも経験しているはずなのに、今回の方が妙に重い。理由は分かっている。今回は、すでに死人が出ている。


 おかしな魔物。死者。正体不明の報告。


 人数が多いことより、その言葉の方がずっと胃に悪かった。


「南の大森林っすか。なんか、いかにもって感じっすね」


 道中、シャドウが少し弾んだ声で言った。


 黒いマントを揺らしながら歩く姿は、相変わらず自分が物語の登場人物になったような雰囲気をまとっている。本人に悪気はないのだろう。実際、悪人ではない。北の友好国で大牙と戦った時も、こいつらはちゃんと戦った。


 ただ、それとこれとは別だ。


「見たことない魔物って、どんなやつなんすかね。大牙より強いんすかね」


「でかいなら、また力比べになるかもな」


 シンゴも肩を回しながら言う。


 その顔には、怖さよりも期待の方が先に出ていた。大牙との戦いをくぐったせいで、余計にそうなっているのかもしれない。自分たちは強い。強敵とも戦える。そういう実感を持つこと自体は悪くない。


 だが、それがそのまま油断に変わるなら話は別だ。


「浮かれるな」


 俺は言った。


 シャドウがこちらを見る。


「死人が出ている。遊びに行くわけじゃない」


 少しだけ空気が止まった。


 シャドウは口を閉じ、シンゴも肩を回すのをやめた。ヒナが気まずそうに視線を落とし、サチコは杖を握り直している。


「……すみませんっす」


「分かればいい」


 それ以上は言わなかった。


 言いすぎても仕方がない。こいつらが命を軽く見ている、とまでは思わない。大牙との戦いを経て、危険をまったく知らないわけでもない。ただ、自分たちの知っている物語に似たものが目の前に現れるたび、危険の重さより先に、期待や興奮の方が顔を出してしまうのだろう。


 たぶん、それが一番危うい。


「でも、レイさんの言う通りだと思う」


 ヒナが小さく言った。


「大牙の時も、正直、最初はどこかで……すごいことが起きてる、みたいな感じがありました。ちゃんと怖かったはずなのに、あとから考えると、少し変だったと思います」


「変って何がだよ」


 シンゴが聞く。


「うまく言えないけど、現実なのに、現実じゃないみたいに見てたところがあったというか」


 ヒナは眉を寄せながら言った。


 シンゴは少し黙ったあと、ばつが悪そうに鼻を鳴らした。


「まあ、分からなくはないけどな」


「そういうところが危ないって話だ」


 俺が言うと、シンゴは何も言い返さなかった。


 シャドウも、今度は軽口を挟まない。


 それでいい。


 俺だって偉そうに言えるほど大した人間ではない。勇者学校を出たといっても、成績は中の中だった。魔法も使えない。今だって、自分がちゃんと勇者をやれているのかは分からない。


 ただ、少なくとも俺は、この世界で人が死ぬところを見てきた。


 怪我が治らなければ腕も足も失う。死んだ人間は戻らない。残された人間は泣くし、死体は埋めなければならない。


 物語のように、都合よく次の場面へ進んではくれない。


 南へ進むにつれ、道は細くなっていった。


 街道から外れ、畑が減り、やがて人の気配も薄くなる。遠くに濃い緑の塊が見えた。南の大森林だ。昼間だというのに、奥の方は光が届いていないように暗い。


 森の手前で、俺たちは一度足を止めた。


「ここからは隊列を崩すな。前はガルドとシンゴ。左右をリリアとシャドウ。中央に俺、ヒナ、サチコ、ラッキィ。後ろはミアと爺だ」


「俺が前か」


 ガルドが口の端を上げる。


「お前を後ろに置いたら、勝手に前へ出るだろ」


「分かってるじゃねえか」


「分からせるな」


 ガルドは楽しそうに笑った。


 こういう時のこいつは頼りになる。腹は立つが、前に置いておくぶんには頼りになる。敵が悪であれば、なおさらだ。


「レイ、あたしはもっと前でもいいよ?」


 リリアが軽く手を振る。


「左右で十分だ。勝手に突出するなよ」


「大丈夫大丈夫。レイのことはちゃんと守るから」


「俺だけ守られても困る」


「じゃあ、ついでにみんなも守るね」


 ついでで守られる側の気持ちにもなってほしい。


 森へ入ると、空気が変わった。


 湿った土の匂いが濃くなる。腐った葉が足元で沈み、枝葉が頭上を覆っている。木々の間から差し込む光は細く、歩くたびに影が揺れた。


 魔物の気配はある。


 ただ、すぐ近くではない。


 しばらくは慎重に進んだ。薬草の原生地があるというだけあって、足元には見慣れない草も多い。細い葉の先に白い花をつけたもの。茎が赤黒いもの。触れると肌が荒れると教わった草も混じっていた。


「これ、薬草っすか」


 シャドウが足元を覗き込む。


「分からないなら触るな」


「了解っす」


「それは毒草です」


 後ろからミアが言った。


 シャドウの手がぴたりと止まる。


「危なっ」


「葉の裏に細かい棘があります。傷口に入ると腫れます」


「普通に怖いっすね」


「普通に怖い場所ですから」


 ミアはそれだけ言うと、また前を向いた。


 その横で、サチコが別の草を見ていた。触れていいのか迷っているような顔だ。


「そちらは薬草です。ですが、摘むなら葉だけにしてください」


「あ、はい」


 サチコは慌てて頷き、そっと葉を摘んだ。


「詳しいんですね」


「僧侶ですから」


 ミアの返事は短い。


 だが、突き放すほど冷たくはなかった。


 サチコは少しだけ嬉しそうに、摘んだ葉を布に包んだ。


「根命残存、来季再緑」


 爺が低くつぶやいた。


 サチコが固まる。


「えっと……」


「根を残せば来年も生える、くらいの意味だと思う」


 俺が言うと、サチコは安心したように頷いた。


「あ……、ありがとうございます」


「合っているかは知らない」


「え……、知らないんですか」


「爺の言葉を完全に理解できるなら、そいつはもう爺だ」


 ラッキィが横で感心したように頷いた。


「ミルルさんの言葉って、たまにすごく大事そうですよね」


「問題は、どれが大事なのか分からないところだ」


「それは困りますね」


「お前もな」


「ぼくですか?」


 本気で驚いた顔をするな。


 少しだけ空気が緩んだ。


 張り詰めすぎてもよくない。だが、緩みすぎてもよくない。俺は周囲を見ながら、足元の枝を踏まないように進んだ。


 それからしばらく、森の中を歩いた。


 途中、小型の魔物が二度出たが、問題にはならなかった。一度目はガルドが殴って終わり、二度目はリリアが軽く指を振っただけで片づいた。転移者たちはそれを見て、また少し目を輝かせていたが、今度は声には出さなかった。


 学習しているだけ、まだいい。


「さっきの、レイさんたちだと本当に一瞬なんすね」


 シャドウが小声で言った。


「相手が弱かっただけだ」


「いや、それでもすごいっすよ。リリアさんの魔法とか、発動見えないし」


「リリアはあまり参考にしない方がいい」


「なんでですか?」


「基準がおかしくなる」


 リリアが少し不満そうに頬を膨らませる。


「ひどくない? あたし、ちゃんと普通の魔法使いだよ?」


「普通の魔法使いは、指を振っただけで魔物を地面に縫い付けたりしない」


「リリアさんも、たいがいチートっすね」


 シャドウがぼそっと言った。


「ちーと?」


「いや、なんでもないっす。褒め言葉っす」


「ならいいけど」


 リリアは少し得意げに胸を張った。


「でも、あたしは別に変な力をもらったわけじゃないからね。ちゃんと努力しただけ」


「努力でそれなら、そっちの方がよっぽど怖いっすよ」


 シャドウは、妙にきらきらした目でリリアを見ていた。指先ひとつで魔物を制圧する魔法使いなど、こいつの好みにかなり刺さるのだろう。

 

「リリアさんって、この世界でもかなり特別なんですよね」


 ヒナが確認するように聞いた。


「当たり前だ。あれを普通だと思うな」


「ですよね」


「納得が早いな」


「この間、教えてもらって分かりました。リリアさんは、たぶん、私が思っていたよりずっと遠いところにいます」


 ヒナはそう言って、少しだけリリアを見る。ヒナがリリアを見る目は、以前とは明らかに変わっていた。たぶん、あの訓練で魔法の基礎を教わってからだ。


 親愛なのか、憧れなのか、それとも別の何かなのかは分からない。少なくとも、普通に先輩魔法使いを見る目ではない気がする。


 ……まあ、今はそれを掘り下げる場面ではない。


 俺はそこで話を切り上げ、視線を前へ戻した。


 森は奥へ進むほど暗くなっていく。木々の密度が増え、風の通りが悪くなる。湿気が肌にまとわりつき、足元の土は少しずつ柔らかくなっていた。


 水場が近いのかもしれない。


 そう思った時、前を歩いていたガルドが足を止めた。


 空気が変わった。


 森の音が薄い。さっきまで聞こえていた鳥の声も、虫の羽音もない。木々の奥が妙に静まり返っている。


 ガルドが低く言った。


「いるな」


 シンゴが息を呑む。シャドウのマントがわずかに揺れ、リリアの目つきが変わった。ミアは黙って周囲を見ている。爺は何も言わない。


 血の匂いがした。


 濃い。


 獣の血だけではない。人の血の匂いが混じっている。


 俺たちは言葉を交わさず、ゆっくりと進んだ。枝を避け、木の陰を選び、音を立てないように足を置く。やがて、森の奥に小さな水場が見えた。


 雨水が溜まり、細い流れが注ぎ込んでできたような場所だった。水は濁っている。周囲の土はぬかるみ、獣の足跡がいくつも残っていた。


 その向こうに、そいつはいた。


 最初に見えたのは、背中だった。


 大牙にも劣らない巨大な体。黒に近い毛並み。だが、ただの獣ではない。体の表面から、煙とも霧ともつかない黒いものが揺れている。森の湿った空気の中で、そこだけ別の場所から染み出してきたようだった。


 そいつは何かを食っていた。


 ぐちゃり、と嫌な音がする。


 水場のそばに倒れているのは、人間だった。


 装備の破片が見える。勇者パーティーの誰かか、採取に来ていた者か。もう判別できないほど崩されている。布も革も肉も骨も、泥と血の中で混ざっていた。


 シャドウが息を呑んだ。


 シンゴの顔から、さっきまでの余裕が消える。ヒナは口元を押さえ、サチコは杖を握ったまま動けなくなっていた。


 そいつが、ゆっくりと顔を上げた。


 巨大な犬のようだった。


 だが、犬ではない。


 太い胴から伸びた首が、三つに分かれている。


 三つの頭が、それぞれ別の角度でこちらを見た。六つの目が暗い森の中で鈍く光り、口元から赤黒い液体が落ちる。ひとつの頭が低く唸り、別の頭が牙を剥き、残るひとつの口の奥で黒い火のようなものが揺れた。


 俺は言葉を失った。


 こんな魔物は知らない。


 少なくとも、俺の知るこの世界にはいない。記録にも聞いたことがない。三つの首を持つ巨大な犬の化け物など、昔話でも聞いた覚えがない。


 だが、俺は別のところでその名前を聞いていた。


 北の友好国。宴の席。


 転移者たちが、当たり前のように話していた。


「こいつは……」


 俺が言葉を探している横で、シャドウが目を見開いたまま、低くつぶやいた。


「……ケルベロス」

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