第30話 力試し
翌日、俺たちは王都近郊の訓練場へ向かった。
北の友好国へ向かうのは明日。今日は休めと王から言われている。休めと言われれば聞こえはいい。だが、実際に休めるわけがなかった。問題だらけのうちの仲間に、別の世界から来たという四人が加わったのだ。何も確認しないまま旅に出る方がどうかしている。
少なくとも、こいつらが何をできるのか。それだけは、先に見ておく必要があった。
訓練場には、うちの仲間も全員連れてきた。ガルド、ミア、爺、リリア、ラッキィ。そして転移者四人。俺を入れて十人。改めて並ぶと、なかなかひどい人数だった。
「で、誰からやるんすか?」
シャドウは、黒いぼろぼろのマントを肩にかけていた。昨日までは大事そうに抱えていたそれを、今日は堂々と身につけている。擦り切れた黒い布にしか見えないのだが、本人は立派な装備のつもりらしい。
いや、実際にただの布ではないのだから厄介だ。
「まずはシンゴだ」
俺が言うと、シンゴは首を鳴らしながら前に出た。
「いいぜ。で、誰が相手すんだ?」
口調に遠慮がない。悪気はないのだろう。だが、この世界に来てまだ間もない人間としては、やはりどこか態度が大きい。本人にとっては、これくらいが普通なのかもしれないが。
俺はガルドを見る。
「ガルド、相手をしてくれ」
「ああ」
ガルドはいつもの調子で前に出た。
訓練とはいえ、ガルドが相手なら不足はない。むしろ、普通なら過剰なくらいだ。ただ、相手は敵ではない。しかも自分の子供と言ってもおかしくないくらい年の離れた若者である。ガルドもさすがに、本気で叩き潰すような真似はしないだろう。
その加減がどう出るか。 俺は少しだけ不安だった。
「武器なしでいいよな」
シンゴが言う。
「構わん」
「じゃあ、いくぞ」
速い。言い終わるより早く、シンゴが踏み込んだ。
ただ筋肉任せに突っ込むわけではない。足の運び、腰の入り方、相手の重心を見る目。拳を振るうというより、距離を詰め、組みつき、体勢を崩すための動きだった。
ガルドはそれを受けた。
だが、ほんの一瞬、踏み込みが鈍ったように見えた。相手を壊さないようにしたのか、本気でぶつかる理由が見つからなかったのか、俺には分からない。
その一瞬を、シンゴは逃さなかった。
「もらった!」
シンゴの腕がガルドの体に絡む。片腕で首のあたりを抱え込み、もう片方の腕で胴を制する。そこから力任せに持ち上げるのではなく、腰を深く入れ、ガルドの重心を自分の上に乗せるようにして、巨体を浮かせた。
ガルドの足が地面から離れる。
次の瞬間、シンゴの体が大きく反った。
「エンド・オブ・ザ・ドラゴン!」
叫びと同時にガルドの体が宙で回り、頭から落とした。
そう見えた瞬間、俺は血の気が引いた。訓練場で試す技にしては危険すぎる。いくらガルドが頑丈でも、首をやればただでは済まない。
だが、落下の寸前、シンゴの手がガルドの頭と首に添えられていた。
叩きつけるように見えて、最後のところで角度を逃がしている。首が折れないよう、頭が直接潰れないよう、きちんと守っていた。荒っぽい技なのに、その一点だけは妙に丁寧だった。
ガルドの背が訓練場の地面に落ち、鈍い音が響く。
「……ほう」
倒されたまま、ガルドが短く息を吐いた。痛そうではある。だが、首は無事らしい。
シンゴは立ち上がり、得意そうに鼻を鳴らした。
「俺の世界にはプロレスってのがあってな。こういう技があるんだよ」
「ぷろれす?」
俺は聞き返す。
「世界最強の格闘技だ」
シンゴは少し胸を張って言った。
「たぶんシンゴの説明だと伝わってないっすよね」
横からシャドウが口を挟む。
「戦うだけじゃなくて、見せるっていうか――」
「魅せる、だ」
シンゴがすぐに訂正した。
「そう、それっす。強さとか痛みとか根性とか、そういうの全部込みで客を沸かせる格闘技っす。シンゴ、めちゃくちゃ好きなんですよ」
「好きっていうか、憧れだな」
シンゴは照れもせずに言った。
「いつかはリングに上がりたいと思っている」
りんぐ。
また聞き慣れない言葉が出てきたが、今は流すことにした。
ガルドはゆっくり起き上がり、肩を回す。
「面白い技だ」
「だろ」
シンゴは満足そうだった。
俺はそれを見ながら、頭の中で情報を整理する。単純な筋力だけではない。技もある。相手を傷つけすぎない加減もできる。本人の性格はともかく、戦力としては十分すぎるほどだ。
次はシャドウだった。
「じゃあ、次は俺っすね」
シャドウはそう言って、当然のように俺を見る。
嫌な予感がした。
「勇者同士ってことで、レイさん、よろしくお願いします」
「やらない」
「え」
「俺は弱い」
即答した。
シャドウは露骨に不満そうな顔をした。
「勇者なのに?」
「この世界の勇者は、お前が思っている勇者とは違う」
「でも、勇者っすよね」
「ただの職業名だ」
「ええ……」
まるで納得していない顔だった。
その顔に少し腹は立つ。だが事実なので仕方がない。俺が相手をしたところで、何の確認にもならない。俺は指揮を取る側であって、正面から派手に戦う側ではない。
「ガルド、もう一度頼む」
「構わん」
ガルドは、先ほど投げられたことなど気にしていないように前へ出た。
シャドウはマントの下へ手を入れながら、少し困ったような顔をした。
「でも俺、武器ありの戦いしかできないっすよ」
「訓練だ。刃は潰すか、寸止めにしろ」
「いや、そういうことじゃなくて。そういうのは、ちょっと俺っぽくないというか」
その言い方に、ガルドが低く笑った。
「構わん。そんな細い兄ちゃんが刃物を持ったところで、どうにでもなる」
「言いましたね」
シャドウの目が少し楽しそうに細くなる。
「俺、そういう油断されるの嫌いじゃないっす」
「なら来い」
ガルドは腕を下げたまま、軽く顎をしゃくった。余裕を見せている。いや、実際に余裕だったのだろう。少なくともこの時点では、ガルドだけでなく俺もそう思っていた。
「じゃあ、行くっす」
シャドウがマントを払い、両手を広げると、その手の先に黒い穴のようなものが浮かんだ。
空間そのものが丸く抜け落ちたような、底の見えない黒。その黒の中から、二振りの剣が引き出される。細身の双剣。刃も柄も黒に近く、光を吸い込むような質感だった。
「……闇?」
リリアが小さく呟いた。
その声には、はっきりとした驚きが混じっていた。
「今の、闇魔法なの?」
闇魔法。
その言葉だけなら、俺も聞いたことはある。古い記録やおとぎ話の中に出てくる失われた魔法だ。少なくとも、今の時代に使い手がいるなどという話は聞いたことがない。
シャドウは双剣を構え、得意げに笑った。
「こういうスタイルがいいなって思ったんすよ」
「思っただけで……?」
リリアの声が、少し硬くなる。
「闇から剣を出す感じ。かっこいいじゃないっすか」
願い。
昨日聞いた言葉が頭をよぎる。こいつは、そういう戦い方を願い、そしてそれが形になったということか。
ガルドが踏み込む。
シャドウは正面から受けなかった。マントを翻し、足元の影へ沈む。次の瞬間、ガルドの背後の地面から現れ、双剣を振るった。
ガルドは振り向きざまに受ける。
だが、わずかに遅れる。
影に入り影から出る。双剣を振るい、また消える。
動きそのものに、長年の戦士らしい重みがあるわけではない。経験の浅さも見える。だが、その能力がすべてを補って余りあった。
ガルドが押されている。俺は思わず息を詰めた。ガルドは強い。少なくとも、俺の知る限り、正面から戦って簡単に崩されるような男ではない。そのガルドが、何度も後手に回っている。
最後に、シャドウがガルドの影から出た。
双剣の片方が、ガルドの喉元に突きつけられる。
「そこまでだ」
俺が言うと、シャドウは嬉しそうに剣を引く。
「勝ちっすかね」
「今のは、お前の勝ちだ」
認めるしかなかった。
ガルドは喉元を指で撫で、面白そうに笑っている。
「影から出るとはな。厄介だ」
「っすよね」
シャドウは満足そうだったが、俺は満足できなかった。
強い。間違いなく強い。だが、その強さの理由が分からない。鍛えた結果ではない。積み上げた技術でもない。本人が憧れた戦い方が、そのまま与えられている。見ていて、どうにも落ち着かなかった。
次はヒナだった。
魔法を見るなら、リリアに見てもらうのがいい。そう思ったが、いきなり直接ぶつけるのは危険すぎる。そこで爺に結界を張ってもらうことにした。
「爺、頼む」
「黒枝沈黙、薄氷祈祷、無牙壁、夢受止」
相変わらず何を言っているのか分からない。
だが、爺が杖を軽く地面に突くと、訓練場の一角に淡い膜のようなものが広がった。空気が薄く歪み、そこだけ別の場所になったように見える。
「大丈夫なのか」
俺が聞くと、爺はゆっくりこちらを向いた。
「多分」
そこは言い切ってほしかった。
ヒナが結界の内側に入る。結界の対角線上には、木製の標的を置いてある。人の胴ほどの大きさの板で、中央には黒い印が描かれていた。普通に狙うだけなら、魔法をまっすぐ飛ばせばいい。
だが、ヒナの魔法はそうならなかった。
「何を使うの?」
リリアが問いかける。
その声には、魔法使いとしての興味があった。
「えっと……たぶん、光の魔法です」
「光?」
リリアが目を瞬かせた。
「さっきは闇で、今度は光? どっちも今の時代には失われた魔法じゃない。なんでそんな簡単に……」
「そうなんですか?」
ヒナは不思議そうに首を傾げる。
その反応に、リリアの表情が固まった。
「じゃあ、いきます。光よ!」
ヒナが手を前に出すとそこに、光が集まる。
ただの炎でも、雷でも、風でも、水でもない。俺が見慣れてきたこの世界の属性魔法とは、明らかに違う光だった。
次の瞬間、ヒナを中心に、細い光の線が一斉に走った。
数えきれないほどの光が、扇を開くように外側へ広がる。細い線は結界の内側を埋めるように伸び、空間そのものに白い筋を刻んでいった。
だが、その広がりは一瞬だった。
外へ伸びた光の線が、次の瞬間、すべて向きを変えた。まるで見えない手で引き絞られたように、数百の光が標的へ向かって一気に収束する。
扇状に散った光が、一本の線へ変わり、標的の中心を貫いた。
音は遅れて来た。
結界が軋み、爺の肩がわずかに揺れる。
「……なに、それ」
リリアの声は、いつもの調子ではなかった。
普段なら、リリアはこういうものを見れば目を輝かせる。珍しい魔法だろうが、危ない術だろうが、まず興味を示し、どういう仕組みなのか考えようとする。少なくとも、俺の知っているリリアはそういう魔法使いだ。
だが、今は違った。
「今の、どうやったの?」
問いかける声は明るくしようとしていた。けれど、うまくそうなっていない。
「たぶん、こういう魔法なんだと思います」
ヒナは困ったように答える。
「たぶん?」
リリアが小さく繰り返した。
「たぶんで、今のが出るの?」
その声の最後が、少し震えた。リリアの目に、うっすら涙が浮かんでいた。
俺は息を呑む。
リリアが泣くところなど、そう見たことがない。少なくとも、魔法を見て泣くような女ではないと思っていた。
「……ずるい」
その声は、ほとんど聞こえなかった。
「え?」
「ううん。なんでもない」
リリアは笑おうとした。だが、頬を伝うものまでは誤魔化せていなかった。
爺もまた、結界の向こうに残った光の筋をじっと見ていた。
「硝子天恵、無垢光刃、無代価星芒……」
何を言っているのかは分からない。
だが、いつものように煙に巻いているだけではないことくらいは、俺にも分かった。その声には、羨望とも、拒絶ともつかないものが混じっていた。
ヒナは、その空気に気づいて困惑していた。
「あの……何か、まずかったですか?」
悪気はない。それが余計に、場を重くした。
最後はサチコだった。
サチコは最初から嫌そうだった。戦うわけではないと説明しても、ずっと手を握っている。見ているだけで、こちらまで不安になるほどだった。
「私は、その……本当に、できるかどうか」
「怪我を治せるんだろう」
「た、たぶん……」
ガルドは、シャドウとの試合で腕に傷を負っていた。双剣の刃がかすめたというには、少し深い。太い前腕に、赤い線では済まない裂け目が走っている。ガルドの腕は、ほとんど鉄の塊みたいなものだ。これまで何度も魔物の牙や爪を受けてきたが、ここまで深く傷ついたところはあまり見たことがない。
致命傷ではない。だが、軽い怪我でもない。普通なら、しばらく腕を使うのをためらうくらいの傷だった。
「だ、大丈夫ですか」
「傷は浅い」
ガルドはそう言ったが、浅いというほど軽くは見えない。
「すみません、失礼します」
なぜか治す側が謝っている。
サチコが手をかざすと、淡い光が傷口を包む。裂けていた肉が、ゆっくりと寄り合っていく。血が止まり、赤く開いていた傷口が閉じる。最後に残った腫れた線も、最後は触ってやっと気づくまで薄くなっていた。
「……へえ」
ミアが言った。
短い声だった。
けれど、その声はいつものものではなかった。いつものミアなら、もう少し冷たく受け流す。興味がないなら見もしないし、興味があっても金になるかどうかを先に考える。
だが今のミアは、サチコの手元を見たまま動かなかった。
「あ、あの……」
サチコが怯えたように身を縮める。
「すみません。何か、変でしたか」
「別に」
言葉だけなら、いつも通りのミアだった。
「謝ることではありません」
だが、声が少し硬い。俺は思わずミアを見る。ミアがそこまで反応する理由が、すぐには分からなかった。俺にとって、回復の使い手といえばまずミアだ。致命傷に近い怪我でさえ、ミアは何度も人を救ってきた。少なくとも俺の目には、回復という分野で彼女の上にいる者など想像しにくい。ガルドの傷にしても、おそらくミアの方がもっとうまく治すはずだ。
だが、そのミアが今はサチコの手元を見たまま動かない。驚きだけではない。羨望とも、悔しさともつかないものが、その顔に浮かんでいた。
「……上手ですね」
褒め言葉のはずなのに、褒め言葉には聞こえなかった。
サチコはさらに小さくなる。
「い、いえ……そんな……」
「謙遜しなくていいです」
ミアはつんとした声で言った。
「見れば分かりますから」
俺は頭を抱えたくなった。
実力は分かった。分かりすぎるほどに。こいつらは強い。だがこいつらは、その強さを手にしたばかりの人間の顔をしている。力の大きさと、それを扱う覚悟が、まだ釣り合っていない。
ガルドは、いい暇つぶしになったとでも言いたげに肩を回している。投げられたことも、喉元に剣を突きつけられたことも、本人は特に気にしていないようだった。
それでも、ガルドが崩された事実は残る。
そしてリリアは動揺し、涙を流した。爺は黙り込み、ミアまで顔色を変えた。
俺には、その理由のすべては分からない。
分からないが、ひとつだけ分かることがある。こいつらの力は、ただ強いだけではない。この世界で力を扱ってきた者たちの何かを、無造作に揺らしてしまう種類のものだった。
悪い奴らではない。たぶん、そこは間違っていない。
だが、悪くないことと、安心できることはまるで別の話だった。




