03
数週間、読み書きの練習を繰り返し、実践と称してめげずに難しい本にかじりついたお蔭で、シアナは小難しい本も読めるようになっていた。偶に辞書を引かないと分からない言葉もあるが、読書と称して手当たり次第に本を読んでも不自然ではない程度になっただろう。
「ノーラ、今日は書庫に行きたいわ。本も大分読めるようになったし、もう入ってもいいわよね?」
邸の中に書庫があることは知っていたが、両親には「もう少し大きくなってから入ろうね」と言われていた。貴重な書物を子供が雑に扱うことを懸念されたのだろう。
因みに最近読んでいた本は、シアナの求めに応じてノーラが選んで持ってきたものだ。自分で選んでみたい、と当初から言っていたが、ノーラには「難しい単語はまだ読めないので、ご自分で選ぶのは難しいと思いますよ」とかわされていた。
その難しい単語も読めるようになったのだ。ノーラの理由はもう使えないはずだ。
「旦那様か奥様に許可を頂けたら入ってもいいかと思いますが……」
ならば、とシアナは椅子から下りた。
「お父様に許可を貰ってくるわ」
侍女が勝手に許可を出せるわけがないのだから、初めからそうすべきだった。
早速部屋を出ようとするシアナを、ノーラが慌てて止める。
「旦那様にお時間があるか聞いて参りますから、少々お待ち下さい!」
ノーラはそう言って慌ただしく部屋を出ていった。
子供が父親に会うのにいちいち“今から行ってもいい?”と訊かなければならないのは本当に面倒だとシアナは思う。
結果として面会はすぐに叶ったし、最近の読書の様子から本を丁寧に扱っているのも伝わって、書庫に入る許可はすんなりと貰うことができた。
シアナはその足で書庫へと向かった。
(ここが書庫……)
書庫と言うには想像以上に広い部屋にシアナは少し唖然とする。これなら小さい図書室と言った方がいいかもしれない。
「お嬢様、いつもお読みになっている本はこちらですよ」
ノーラは最近シアナに持ってきていた子供向けの本がある棚に連れていこうとする。
「いいわ、ノーラ。今日は自分で読みたいものを選ぶの」
「ええ、ですから、こちらの棚にお好きな本が揃っておりますよ」
「違うものが読みたいの。全部見て回って自分で決めるから、しばらく放っておいて?」
漸く言いたいことが伝わったのか、ノーラは納得がいかなそうな顔をしながらも「かしこまりました」と呟いてシアナの後ろへと退がる。
「高い所にある本は私が取りますので、お申し付け下さい」
「ええ、それだけは頼むわ」
ノーラにそう返して、シアナは書架に並ぶ本を眺めていく。
(一応分類みたいなものはあるんだ……)
歴史書や過去の領地の記録など、似たようなものは同じ棚に収まっている。
(圧倒的に歴史とか記録系が多いな……あと、こっちは魔法関係か。これも多い……)
全体の半分以上がそれらで埋まっている印象だ。
シアナが読む練習のために使っていた子供向けの神話や付随する物語の本はそれほど多くはない。恐らく、子供の勉強用として置かれているのだろう。
(魔法も気になるけど、今は貴族名鑑を探さないと……あ、それっぽいの発見!)
“ベネディア王国貴族史”と書かれた本を見つけて、シアナはそこを指さす。名鑑ではないようだが、貴族の名前がいくらか出てくるだろう。
「ノーラ、あれを取って。深緑の本よ」
「これ、ですか……? 貴族に関する歴史書ですが……お嬢様には難しいかと……」
自分で選ぶとあれほど言ったのに、とシアナはむっと顔を顰める。
「難しい単語も読めるようになったわ。試しに読んでみて分からなかったら、違うのを読むからいいの」
はぁ、とノーラは生返事をしながら本を取る。
違うのを読むといった手前、もう一冊は何か部屋に持ち帰った方がいいだろう。
何にしようか、魔法書もいずれ読むだろうから、そちらでもいいだろうかと、手近にあった魔法書を取り出していると、上から声が降ってきた。
「何故シアナがここにいる?」
「おじい様!」
振り向いた先にいた人物に声を上げ、シアナは慌てて本を棚に戻して軽く会釈をした。
シアナの顔の造りは父親似で、その父親は祖父に似ている。つまり、ややつり目なのは祖父も同じで、厳格な雰囲気と相俟って自然と背筋が伸びてしまうような相手なのだ。
礼儀に関して煩く言われたことはまだないが、祖父に会って淑女らしい会釈をしないという選択肢がシアナの中にはなかった。
「お父様に入る許可を貰ったのです」
「ほう? この辺りの本は子供が読むにはまだ難しいはずだが?」
「たくさんお勉強しました」
「ノーラ、本当か?」
「は、はい。専門用語になりますと、まだ辞書が必要なこともありますが、読むことはおできになられます……」
意味の理解はまだできないとノーラも思っているのだろう。
「まぁ、何事も試してみるのは良いことか……」
再び視線を向けられて、シアナは更にピンと背筋を伸ばす。
祖父ファウスティノ・クローデルは早々に父に爵位を譲って隠居はしたものの、まだ五十歳という若さだ。普通に現役でやれるのでは? と常日頃から思うくらい、威厳も風格も当主のようなそれだ。
「今持っていたのは魔法書か。魔法にも興味があるのか?」
「は、はい」
ふむ、とファウスティノは考える素振りを見せる。
「計算は読み書きよりも早くに終えていたな……難しい言葉も読めるようになったのであれば、魔法について教え始めても良いかもしれんな」
意外な人から早い許可が貰えそうになり、シアナは軽く目を見開く。
「お、大旦那様、流石にそれは早過ぎではありませんか……? 普通は十歳を過ぎたあたりで学ぶものかと……」
「計算や読み書きが遅くともその歳くらいで終わっているからだ。それが基準ではない。現にルークは去年から学び始めた」
ルークとは一つ違いなので、今のシアナと同じ歳から始めたということだ。
(ルークってやっぱり優秀なんだ……)
引退したとはいえ、当主だった人間が直々に教えるほどだ。家令になるための英才教育を受けているというシアナの予想は当たっているのだろう。
「ルーク、魔法の基礎はもう頭に入っているか?」
ファウスティノは後ろで静かに控えていたルークに声をかける。
「はい、基礎でしたら全て入っております」
「ならば時間がある時にお前がシアナに教えなさい。まずは基礎からだ」
(え……)
予想外だったのはルークも同じだったようで、侍従としてあまり表情を変えないように指導されているはずのルークが呆気に取られた顔をしていた。
「は、私が、ですか……?」
「人に教えるのも勉強だ。ただ魔法書を読み聞かせるのではない。相手の理解度を見ながら、分かりやすく説明する。そのためには己がしっかりと理解できていなければならない。他者に教えられる者とそうでない者の差は明確だ。――自信がないか?」
「いえ、旦那様のご命令とあらば、全う致します」
侍従らしく答えるルークにシアナは内心拍手を送る。自分だったらあのように言われて、堂々と返せる自信がない。
「シアナ、ルークに教えるように言ったが、ルークも忙しい。魔法の勉強は週に一度だ。アルフレードには私から言っておく」
「はい、分かりました、おじい様。ありがとうございます」
やったぁ! と内心歓喜の声を上げながら、シアナはファウスティノに向かって礼を言う。
魔法が学べることは確定したし、今日は貴族史と魔法書を一つ持って部屋に戻ろうと、先程手にした本を再び取ろうとすれば、横から骨ばった皺のある手が伸びてきた。
「初学者はこちらの方がいい」
ファウスティノはそう言って、同じ列の別の本を取り出してシアナへと差し出す。
「おじい様、ありがとうございます」
雰囲気が厳格過ぎて勝手に身構えてしまうが、実際は親切で優しいのだ。
シアナは本を受け取ってノーラと一緒に書庫を後にした。
貴族史については、何となく聞き覚えのある家名がいくつか出てきた。クローデル家と同じ公爵家や建国当初から続いているような有力な家名だ。
ただ、家名を見ただけでは特に何かを思い出すことはなかった。歴史書に近いため内容も難しく、理解できないことはないが、読むペースは格段に遅くなっている。
(まぁ、攻略対象って基本名前で呼んでるもんなぁ。名字も一緒に覚えてたら何か引っ掛かると思ったけど、この様子だと名字まで覚えてなかったんだろうなぁ……)
傲慢王子ことクリストハルトにしても、デルヴァンクールという王家の家名は偶に聞いていたのに本人の顔を直接見るまで思い出さなかった。
余程印象に残っているキャラクターでもない限り、家名から思い出そうとするのは難しいのかもしれない。
(外に出なくていい一番の方法だと思ったんだけど……)
シアナの思い出し作業は前途多難だ。
一縷の望みをかけて貴族史をそのまま読み続けている内に、約束の魔法の勉強の日がやって来た。
流石に全く手を付けていないのはまずいと、シアナはルークを待つ間に祖父が薦めてくれた魔法書を読み進める。
初学者向けなだけあって、貴族史よりは読みやすかった。魔法は女神が与えたものであるとか、序盤は既に知っている知識が多かったからかもしれないが。
「――お嬢様、もう既に勉強を始められているのですね」
いつの間に来たのだろうか。あれこれと考え事をしながら本を見ていたため、全く気が付かなった。
「ルーク。おじい様のお仕事はもういいの?」
午前中は忙しいから、午後の空いた時間に授業をしてくれると聞いていた。
「はい、一時間ほどお嬢様の勉学に充てるようにと言われて来ました」
主人であるファウスティノから命じられれば、それはルークにとって仕事だ。
もしかしなくても、仕事を増やしてしまったのだろうと、シアナは申し訳なく思う。
「ごめんなさい、ルーク。私が勉強したいと言ったから、ルークが休む時間が無くなってしまったのよね……?」
「いえ、お嬢様に勉強を教えていなければ別の仕事が割り振られていましたから、休息の時間が無くなったわけではございません」
「なら、いいのだけれど……」
だが、他人に教えるためにある程度復習をしなければならないはずだ。その時間は流石に仕事の時間を割り振れないだろう。
(早く勉強できるって喜んじゃったけど、ルークにとっては迷惑だったよね……)
ファウスティノは人に教えれるようになってこそだ、といったようなことを言っていたが、大変なことに変わりはない。
「私、頑張って早く覚えられるようにするね」
シアナの言葉に、ルークは苦笑するだけで何も言わなかった。
「魔法書の方はどこまで読まれました?」
「まだ最初の方だけよ。魔法は女神様が与えてくれたもので、他の生き物も使えて……色んな人がいっぱい調べて、この国ができる時にはもうある程度魔法について分かってたってところまで」
「では、その先から説明致しましょう。魔法には、属性とランクがあります。属性についてはご存じですか?」
「六種類あるのよね? 火と風と水と土と、光と闇」
「はい、その通りです。属性は女神の眷属である精霊が司っています。そしてどの精霊と相性が良いかで使える魔法の種類が変わってきます。私の場合は、光と風です」
何とも爽やかな組み合わせだ。ルークの雰囲気とよく合っている。
「属性ってどうやって知るの……? 試しに魔法を使ってみるの?」
「昔はそういう方法も取られていたようですが、今は魔道具で判別します。次の授業で使用できるか、大旦那様に聞いてみましょう」
その魔道具はシアナの家にもあるらしい。
シアナは今のところ自分で魔道具を使ったことがないため、魔道具というものがどれ程普及しているかは知らない。シアナが知らないだけで、身の回りに溢れているものなのだろうか。
(あとでノーラに訊いてみよう)
「次にランクですね。各属性ⅠからⅤまでランクが分かれています。Ⅰが一番弱い魔法で数字が大きくなるにつれて威力の強い魔法となります。ランクⅠの魔法は生活魔法とも呼ばれ、平民でも使えるものです」
「女神様は、皆に魔法をくれたのよね? じゃあ、生活魔法は皆が使える?」
「自分と相性がいい属性の魔法であれば。火属性ですと火起こし、水属性ですと生活に必要な水を出せたりします」
風属性だと弱い風を操ることができ、土属性は土を耕したりできるらしい。
後者は農作業に向いているだろうが、前者は何に向いているのだろうか。
シアナが尋ねると、ルークは「色々ありますが、一番分かりやすいのは運河などの帆船を動かす仕事でしょうか」と答えてくれた。
川に浮かぶ小さな帆船を想像して、シアナは、なるほど、と頷く。
風が常になければ帆船は動かせないが、海と違って川はそれほど強い風が吹いていない。何人もの漕ぎ手を雇うよりも、風魔法が使える者を一人雇った方がいいのだろう。
「そうなのね。じゃあ、私も生活魔法のどれかは絶対に使えるのね」
「ええ、もちろん。もっとも、お嬢様はクローデル家にお生まれになったので、もっとランクの高い魔法も使えるでしょうが」
そうだといいのだけど、と思いながらシアナは自分の手を見る。
皆魔力があって魔法が使えると聞いて育ったが、自分にも魔力があるという実感は特にない。
身近な人達が魔法を使っているところも見たことがないため、まだ少しだけ半信半疑な気持ちが残っている。
「ルークとかノーラも生活魔法を使ってるってことよね……あんまり見たことがないけど……」
「私はまだ訓練中の身ですので、魔法を使う仕事には携わっておりません。ノーラも、お嬢様のお傍にお仕えするのが仕事ですので、あまり使う機会はないでしょうね」
ちらりと、脇に控えているノーラに目を向けると、肯定するように小さく頷いていた。
「炊事場や洗濯係などはよく使っていますよ。あとは庭師も」
「あ、お庭にお水を撒いたり?」
「今は水属性の魔法が使える庭師がいないので、水撒きは他の使用人に頼むか、水だけ溜めて貰って手で撒いてますね。まぁ、水魔法で水を撒く時は一気に全体に行き渡らせるので、お嬢様がお外にいる時はしないと思います」
下手をするとシアナが濡れ鼠になるということだろう。
使用人が仕事をしている場には近付いてはならないと言われているが、単に邪魔をするからという理由だけではなく、そういった理由もあるのかもしれない。
「ノーラは何属性なの?」
「私は火属性でございます」
「火属性なのに、ご飯を作る担当じゃなくていいの?」
「他にも火属性の者はおりますから」
ノーラは苦笑しながら答える。
「お嬢様、ノーラは下級貴族の出です」
「えっ、そうなの?」
「貴族の傍仕えは主を守るだけの技量も問われますので、生活魔法しか使えない平民はなれないのですよ。逆に、炊事場の仕事は平民でもできます。なので、火属性だからといって必ずしも炊事場に配属されるわけではありません」
「そうだったんだ……ノーラのこと、何も知らなかった……」
ずっと身近にいたのに、と少し落ち込んでいると、ノーラが「お嬢様」と口を開く。
「下級貴族といっても男爵家の傍系なのです。父は伯父と共に領地の運営をしておりますが、それほど広くはありません。従兄弟――伯父にも子供がおりますので、私と兄は家を出て出仕することを選んだのです。幸いにも、私や兄は男爵家の出の割には魔力量が多かったので……」
そうなのか、とシアナは公爵家との違いを思い浮かべる。
公爵家の領地は広いため、シアナの家では領地は父方の親戚と協力して治めている。祖父や曾祖父の兄弟の家系が、領都以外の大きな町に館を構えて、その辺一帯の管理をしているのだ。
しかしそう広くもない領地であれば、一人二人いれば十分なのだろう。兄弟がいるからと、領地を分けていけばいずれ自分達の食料も賄えないほどの狭い領地になってしまう。それを防ぐためにも下級貴族の傍系は家を出る必要があるのだ。
男爵家や子爵家はそうやって成り立つ仕組みなのかもしれない。
家名や相応の魔力があるから貴族ではあるかもしれないが、爵位を継いでいく直系とは立場などもまた違うのだろう。
「じゃあ、ルークも……?」
将来は家令になるのかもしれないが、今は祖父の傍仕えをしている。さっきルークが言ったとおりなら、彼は平民ではないのだろう。
「はい。色々と事情があって家にはいれなかったので、似たようなものです」
「そっか……」
シアナのように上級貴族の直系に生まれて、家を出されることもなく育てられるのは、傍から見ればかなり恵まれているのだろう。
シアナの場合は、王太子の婚約者となり、聖女に嫉妬して瘴気の沼と同化して十七歳で死ぬという末路が待っているので何とも言えないところだが。
(特権階級の貴族は、平民より良い暮らしをしてると思ってたけど、貴族でも色々と抱えてるものがあるんだ……)
今まで自分が誰になったのかや、自分の運命についてばかり考えてきたが、少しだけこの世界の実情に触れたような気分になった。
「話が逸れてしまいましたね。ですが、魔法の属性とランクについてはお分かりになられたようですので、今日はここまでにしましょうか」
まだ一時間は経っていないが、ルークには次の仕事もある。早めに解放してあげた方がいいだろう。
「うん、分かったわ。教えてくれてありがとう、ルーク。またよろしくね」
「かしこまりました。では、私はこれで失礼します」
一礼をして去っていくルークを見送って、シアナはノーラへと目を向ける。
「今お茶を淹れますね」
そういう意味で視線を送ったのではないが、ノーラはそう思ったらしい。
「ありがとう……あの、ノーラは、お家を出ることになって嫌じゃなかった?」
「最初は雇ってもらえるかどうか不安もありましたが、こうして公爵家にお仕えすることができたので、今となっては家を出る決断をして良かったと思います」
一先ず肯定的な答えが返ってきて、シアナはほっとする。
「出仕せずに何処かの家に嫁ぐとなると、相手を見つけるので大変だったでしょうね。ドレスを仕立てるお金を工面して、毎夜のように夜会に参加して……今考えてもぞっとします。私はこちらの方が性に合っておりますので、心配なさらずとも大丈夫ですよ」
「そう、よかった……」
シアナに対する気遣いがどれほど含まれているかは分からないが、全くの嘘というわけではないのだろう。
あまり気にし過ぎてもノーラがやり辛くなるだけだ。
シアナは頭を切り替えて魔道具について訊くことにした。
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