人が大敵を望むのは
人類の歴史は敵との歴史である。
それは大衆から個人に至るまで何も変わらない。
敵を作ることが人類の歴史だがそれが現代までの技術、文化の発展を築いたといえよう。
敵の種類は時代ごとに変わるだろう、例えば紀元前人類が誕生したばかりの時代は敵は自然だったと言える。
環境災害が人の命を奪う最も恐ろしい大敵であったのだから、また人類以外の生物も大敵であったと言える。
それは現代にも繋がる生物闘争、食物連鎖の上位を目指した闘争の一部である。
確かにその闘争は人類を成長させるものになったであろう。
しかし人類史を見ればその成長はたった少しである、現代が形成されるためにこの二つの大敵は必須だが、人類を最も成長させたのはこの二つではない。
では何か、それは人類の歴史を少し遡ればすぐにわかる。
人類を最も成長させたのは「人類」である。
ではなぜ人類は人類どうしで闘争を開始したのか?
それは他二つの敵の消滅でもなければ、同族嫌悪でもない。
人類が人類と争う理由は一つ、最も近い場所に、自分と同等もしくはそれ以上の相手がいたからである。
大敵を求める人類の性質が、人類同士の戦いを生んだ。
それはさまざまな形で実行された、「戦争」、「論争」、何より行動することで。
それは人類の性であるが故に、仕方ないことなのであろうか?
それは違う。
前述でも言ったが、人類の最初の敵は災害や他の生物である。
であるならば、人類は人類同士であらそわずとも、人を大敵とせずとも成長し、ともに未来へ歩めるはずである。
最後に一つ、人類は人類を敵にするのではなく、最も近くにある、人よりも近くにある、夢に、未来の理想に挑戦するのが今の人類が見るべき大敵、望むべき大敵の姿なのではないであろうか?




