それなら、まだ大丈夫
星紡ぎの祭り当日、リシアは家で、人間界に行く準備をのそのそと進めていた。
今は昼前。ラーナがもう少しでやってくる時間だ。
リシアは、精霊王に作ってもらったトートバッグに荷物を詰め込んでいた。
そのバッグは、リシアが身に着けているローブとどこか雰囲気が似ていた。
荷物を詰め込むといっても、入れるものはあまりなかった。
地球なら、こういうときは財布やスマホを入れるのだろうか──と、リシアは思った。
その時、彼女はふと気づいた。
――財布。
……財布?
「人間界のお金、持ってない……」
さて、どうしたものか。
お金がなければ、何も買えないじゃないか。
リシアはバッグを抱え直し、ため息をついた。
(どうしよう……)
そこへ、軽やかな足音が近づいてくる。ラーナが、笑顔を弾ませながらやってきた。
「リシア、準備はできたかしら?」
「うん……。でも、ちょっと相談があって」
リシアは小さな声でバッグの中を指差す。
「人間界のお金、持ってない」
ラーナは目を丸くして、思わず吹き出した。
「ははっ、そうね。でも、そんなのとっくに精霊王に用意してもらってるわ」
リシアは少し安心したように肩を落とす。
「そ、そう……、じゃあ、お願いしてもいい?」
「もちろん!」
ラーナはにっこり笑うと、二人は出発の準備を整え始めた。
***
ルミナリア国から王都ステラージュ国までは、辿り着くのにおよそ三時間ほどかかる。
もちろん、リシアは飛行魔術を、ラーナは精霊特有の浮遊の技を使って向かうつもりだ。
リシアとラーナは昼頃に出発し、日が暮れる頃、ようやく王都の門へと辿り着いた。
しかし、王都に着いた時には、リシアはすでにへとへとになっていた。
三時間ものあいだ、休むことなく飛行魔術を使い続けていたのだ。
しかも今は真冬である。
飛行魔術を維持しながら、極寒の中を三時間も休憩なしで耐え続けていたのだ。
彼女の顔はわずかに青白く、足は生まれたての小鹿のように震えている。
その様子に気づいたラーナは、申し訳なさそうな表情でリシアに尋ねた。
「リシア、顔色が悪いようだけど、大丈夫?」
「う、うん。これくらい何とでも…」
その瞬間、彼女の方から「へぷちっ」と可愛らしいくしゃみが聞こえた。
「……光魔術の応用で、保温魔術でもかけておこうか」
「……ありがとう」
ラーナが詠唱を行い、人差し指を円を描くように動かす。
すると、その指先から、わずかな光の粒子が現れた。
光属性の魔術師は珍しい。
さらに、この見た目からすると、ラーナは10歳ほどの少女にしか見えない。
普通、10歳の少女が魔術を使えることなど、ほとんどない。
そのため、周囲の者に見られると少々厄介なことになる。
ラーナは、たとえ門の前であっても誰にも見られないよう、密かに魔術を扱った。
「…...凄いよね。この魔術」
「そう?光の精霊にしては、こんなのは誰でもできるものよ」
「そうなんだ…...」
ラーナは淡々とそう返すと、「さあ、行きましょ」と言いながら前に立った。
「まだ始まっていないようだけど、おそらく結構な人だかりよ。はぐれないようについてきてね」
「分かった……」
リシアはそう思いながら頷き、深く息を吸ってから前へ歩み寄った。
この星に渡ってから、人間と会うのは初めてだ。
おそらく、この星の人間も地球の人間と同じだろう。
息をするように人を騙し、すぐに裏切る。
人間は最悪で、憎悪すべき存在だ。
それでも、今は少なくとも一人ではない。
人間とは、ただすれ違うだけ。
共に話すことも、共に歩くこともない。目線を合わせることすら滅多にないだろう。
(……それなら、まだ大丈夫だから)
そう彼女は思った。
―—物語の幕開けまで、残り24年。




