「夢現」という加護
リシアとラーナは、静かに森を抜け、精霊界の奥深くへと歩みを進めていた。
木漏れ日が木々の間をすり抜け、足元の苔や草を柔らかく照らす。足に伝わる感触が、静かな確かさを与える。
リシアは自然と呼吸を整えながら、一歩一歩、前へ進んだ。
二人は静かに、精霊城へと向かって歩みを進む。
数十分後、進路の先に精霊城の外壁が姿を現した。
その威容はリシアの想像をはるかに超えていた。
重厚な石造りの城壁は長い年月を刻み、その上にそびえる白銀の塔は木々の隙間から差し込む光を受けて淡く輝く。
人工物でありながら、城は森の一部であるかのように自然と調和していた。
門をくぐると、広間には数十の精霊たちが立ち並んでいた。
風の精霊は羽を小さく震わせ、火の精霊は手元の炎を指先で制御しながら互いに視線を交わす。
水や土の精霊は少し距離を取り、目を丸くしてリシアを見つめていた。
「……人間?」
「なぜ、ここに?」
「精霊王の御前だぞ……」
小さな声が途切れ途切れに広がり、リシアの耳に届く。
そのざわめきに応えるかのように、周囲の光や炎がわずかに揺れ、空間全体が生きているかのように変化した。
リシアはラーナに手を引かれながら、一歩ずつ広間を進んだ。
近くを飛んでいた水色の精霊が驚いて羽をバタつかせ、宙を一回転して距離を取る。
火の精霊は手の炎を小さく弾き、互いに視線を交わした。
広間の最奥に腰を下ろす精霊王が、ゆっくりと顔を上げた。
その姿は圧倒的な存在感に満ちていたが、威圧するような気配はなく、ただ静かに座しているだけで空間全体を支配していた。
王の視線がリシアに向けられると、広間のざわめきは一瞬にして止んだ。
水の精霊が羽を震わせ、火の精霊は手の炎をさらに小さく制御し、誰もが息を潜め、玉座の王とリシアの間に漂う空気に見入った。
――ここが、精霊界の中心。
そして、精霊王の御前。
広間の奥で精霊王がわずかに首を傾げ、静かにリシアを見つめる。
周囲の精霊たちが再び小声で囁き合う。
「……人間が、ここに立っている……」
「なぜ許されたのか……」
リシアはそれに気づきながらも、緊張を押し殺し、ただ一歩前に踏み出した。
長く銀色に光る髪、澄み切った瞳。威厳と冷静さが、場の空気を圧する。
リシアとラーナは一歩前に進み、片膝をついた。
「精霊王。今回はこちらの人間を精霊界に住まわせる許可をいただきたく参りました」
精霊王はゆっくりと目を上げ、ラーナに一瞥をくれると、そのままリシアに目だけを動かし、視線を移した。
数秒間、広間は静寂に包まれる。
その瞳に、リシアの人間である存在が映った。
『なぜ人間がここにいる』
その問いは、誰かを責めるためのものではなかった。
ただ、そこに「在る」こと自体を不自然と捉え、確かめるためだけの声。
それでも、言葉に含まれた威圧だけで、場の空気は一段重く沈んだ。
玉座に座した精霊王は、微動だにせずリシアを見下ろしている。
視線は鋭いが、感情の色は一切感じられない。
それは人を見る目ではなく、存在を測る目だった。
「精霊王。こちらの人間は——」
『よい』
短く、即座の制止だった。
ラーナはそれ以上何も言わず、頭を垂れたまま待つ。
精霊王は、再びリシアへと視線を戻す。
次の瞬間、広間の空気が、ほんのわずかに歪んだ気がした。
——そして彼は視た。
人間の身に刻まれた、異常なまでに濃い祝福の重なりを。
一つだけでも、人の器には過ぎるはずのものを静かに、当たり前のように共存していた。
(……神経開花か、これはまた珍しい加護を持っているな)
過剰すぎる加護だった。
本来なら、精神は簡単に崩れ、理性は暴走の波に飲まれてもおかしくない。
だが、目の前の人間からは、混乱の気配も、暴走の兆しも一切感じられなかった。
(……妙だ。これは、……星宿無尽か?)
あり得ない、と精霊王は思った。
そもそも、人間が二つ以上の加護を持つことなど、不可能に近い。
それに、時間に縛られない加護――不老不死の加護まで、彼女は有している。
命に関わる加護であれば、人間一人の器にはあまりにも小さすぎるはずだ。
だが、否定のしようがなかった。
さらに――。
(……何だ、これは)
夢と現の境界が、ふわりと重なり合うような感覚。
祝福とも異物ともつかない、不思議な手触り――。
精霊王は、いつもなら即座に下すはずの判断を、初めて保留した。
(名を持たぬ……いや、まだ我が知らぬだけか)




