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終章

とある田舎町の外れ。

そこにはオレンジ色の屋根をした小さな家がある。


木々の影が壁を渡り、日の光が庭に落ちていた。

その片隅には手作りの花壇があり、色とりどりの花が風に揺れている。

風が通るたびに花は揺れ、眩い光をはじいていた。


花壇の前では、幼い兄妹がしゃがみ込んでいる。

植えたばかりの花に手を伸ばし、指先を土の色で染めていた。


家の門扉が軋む音がして、彼らの父親が帰ってくる。


「あっ、おまえたち。花壇の花に触るなと。」


低い声に、兄妹ははっと顔を上げた。

兄は指に花びらをくっつけたまま固まり、妹は口をへの字に結ぶ。


「ああ、またやっちゃったか。」


地面に散らばった花びらを見て、父は苦笑した。

しゃがみ込んで、小さな二人の背丈に合わせる。


「花もびっくりしてるぞ。せっかく咲いたのに、引っぱられたって。」


兄妹は揃って縮こまった。


「もうしないって約束できるか?」


そう言って、父は落ちた花びらを拾い上げる。


「ごめんなさい……とうさま……」

「うん……」


彼は拾った花びらを土の上に戻して、目元を緩めた。


「分かったならいい。さあ、こっちへおいで。」


差し出した腕に兄妹は顔を見合わせ、尻込みしながらも近づいてくる。

そして二人を順に抱き上げ、わしわしと豪快に頭を撫でた。

兄妹はくすぐったそうに身をよじって、小さな庭にきらきらとした笑い声を響かせる。


家の扉が開き、エプロン姿の母親が顔を出した。

肩でまとめた髪が風に揺れ、陽光を帯びる。


「ふたりとも、お昼寝の時間よ。」


「かあさま!」


嬉しそうに返事をすると兄妹はぱたぱたと駆け出して、家の中へと消えていった。

彼女は後ろ姿を目で追って、視線をまた戻す。


「おかえりなさい。」


「ただいま。」


彼は細い腰を引き寄せると、触れるだけのキスを落とした。

短い帰還の印。

そのささやかな仕草の中には、ふたりが積み重ねてきた年月が滲んでいる。

離れたあとで、互いに微笑みを交わした。


──そんな日々が、もう五年も続いている。


五年という歳月は、ふたりを確実に変えていた。

国境を越えた後、幾つもの国を渡り歩き、さらに定住の地を求めて転々とする。

やがて辿り着いたこの小さな町。

居心地の良さに惹かれて留まっているうちに、いつの間にかそれがふたりの居場所になっていた。


街路には夏草が伸び、枝先で小鳥が囀っている。

穏やかな風が石畳の通りを抜けてゆき、子供たちの笑い声を運んできた。

通りの向こうでは、老いた夫婦が肩を並べてゆっくりと歩いている。

そんな街の風景の中に身を置いていると、遠い都での出来事などまるで別の物語のように思えた。


ラミエルとルゥは、穏やかに暮らしていた。

街外れにある小さな家には、弾んだ声と笑い声が絶えない。

幼い兄妹が庭を駆け回り、小さな靴が土埃を巻き上げてゆく。

その様子を見守るふたりの眼差しは、あの暗い夜を知る者たちには信じがたいほどに柔らかなものだった。


過去は変わらない。

けれど、人はそれを抱えたままでも歩いていける。

ふたりは過ぎ去った日々を胸の奥に沈め、少しずつ今日を積み重ねていった。


しかし過去が動かぬものでも、未来は描き足してゆくことができる。

傷跡の上にも季節は巡り、新しい芽が息づいていくのだ。


この町に越して、間もない頃のこと。

傾いた木柵の修繕を手伝っていた際、手元にあった石灰と炭を使って土質の違いを説明してみせたことがあった。

不思議そうに見つめていた隣の少年に原理を語ると、つられて近くの農夫たちも耳を傾けてくる。

それが、妙に人目を引いたらしい。


「おまえさん、人に何かを教えたりはできるかね?」


そう声をかけてきたのは、町の寄合で帳簿を扱う老人だった。


ふたりが渡った国──アルセナ自由領は、国として成立してまだ歴史が浅い。

制度も文化も未だ揺らぎの中にあり、教育の分野に至っては帝国の何倍もの遅れが見られた。

当然、教壇に立つ者の数も不足している状況だ。


彼が大国の皇子であったこと、かつて戦場で軍を率いていた将であったことを知る者はいない。

だが言葉の端々に滲む知恵と人となり、それが老人のどこかに引っかかったのだろう。

一見思いつきのようでいて、実は本質に気づいていたがゆえの問いだったのかもしれない。


そして学校とは名ばかりの、机も椅子も揃わぬ教室で、ラミエルは教える者として言葉を伝えてゆくことになった。


地のかたちを読むための知識。

天を測るための数。

誰かを傷つけるのではなく、守るための教え。

剣ではなく、言葉によって伝えられるもの。


ラミエルが培ってきた知恵が、教室で活かされた。


彼は相変わらず多くを語らない。

怒ることも、叱ることも滅多にない。

ただ静かに視線を向け、子どもたちの思考が動くのを待っている。

けれど佇まいの中には、確かな導きの気配があった。

彼はいつも、そうして子どもたちに向き合っていた。

そんなラミエル先生でも、星や月などの天体の話になると──少しだけ言葉が多くなる。

いつもより声が弾み、どこか楽しそうに語るのだと、子どもたちは言っていた。


人に何かを教えるということ。

それは、きっと過去に失くしてしまったものを、もう一度拾い集める作業に近いのかもしれない。

かつては“限られたひとり”にしか届かなかった言葉だったが、今は受け取ってくれる相手がちゃんといる。

誰かの瞳に小さな灯がともるのを見るたびに、自分の歩んできた日々が次の誰かへと続いていくのを実感していた。

そう思って、彼は今日も学校に通っている。


ラミエルが教壇に立つようになってからほどなくして、ルゥもまた自分なりの道を歩みはじめていた。


五年の歳月を経ても、彼女は変わらず少女のような雰囲気を纏っている。

ふとしたときに浮かぶ面差しには、今もあどけなさが残っていた。

けれど子供たちと向き合う時の顔には、確かに“母”の輪郭が刻まれている。

危ない遊びをしようものなら、驚くほど鋭い目でそれを制した。

声を荒らげることはないが、静かな叱責に子どもたちも背筋を伸ばす。


彼女は今、町の診療所で診療補助の仕事をしている。

きっかけは、子どもたちの風邪を診てもらったことだった。

いつの間にか手伝うようになり、やがて薬草の扱いを学びはじめるに至る。


家事と子育てに加え、誰かの役に立てることに心から喜びを覚えているようだった。

それはかつて“罪人の娘”として気配を潜めて生きていた頃の彼女には、想像もつかない姿なのかもしれない。

けれど今の彼女は、迷いなくその道を歩んでいる。


命に寄り添うこと。

何かを学び、積み重ねていくこと。

そうして日々を耕す彼女の背には、どこかラミエルと同じように “人生をやり直している”気配があった。


そんな日々を重ねていたある日、あの不遜な男がわざわざ報告書と銘打った手紙を寄越してきた。

どこで居場所を聞きつけたのかは知らない。

だが「ラミエル・ウィスタリア先生」という宛名で、それは確かに届いたのだった。


封を開くと、そこには件の“花火”──帝都を混乱に陥れたあの事件の顛末が淡々と記されていたので驚く。

どうやら帝国は今も混乱の只中にあるらしい。

徹底した仕事ぶりに、思わず苦笑が漏れる。


そして手紙の最後には「忠実な犬」や「厳格なご婦人」のその後も記されていた。


「忠実な犬」は、相変わらずの堅物ぶりを貫いているらしいが──どうも長く閉ざされていたその門に、ようやく春の季節が巡ってきたらしい。

「厳格なご婦人」はというと、眉間の皺がさらに深くなったとか。

本人の知らぬところで、もはやひとつの権威のように扱われているという。


など、いずれも相変わらず人を小馬鹿にしたような調子の筆致で。

それでも、あの黎明の門を潜るときに黙って手を貸してくれた連中の消息を知れたのは、悪くなかった。

くだらないと思ったが──どこかでは安堵も覚えているのも事実だ。


その日、ルゥはラミエルに告げた。


「あ、の…………また、増えそうなんです。」


最初、何のことだか分からなかったラミエルは目を瞬かせる。

しかし間をおいて、ようやく意味を飲み込んだ。


「三人目……?」


彼女は小さく頷く。


「そうか……そうか。」


それ以上は何も言わず。

細い肩を抱き寄せ、腹の中の小さな命ごとルゥの身体を抱きしめた。


新しい命の予感が、胸を満たしていく。


子を育てるということは、思いのほか大変なことだった。

夜泣き、発熱、食べない、泣き止まない。

思うようにならないことばかりで、二人とも幾度も途方に暮れた。


ラミエル自身、父という存在に温かな記憶はない。

帝という絶対者として、常に冷ややかな眼で見下ろされていた。

だから、自分が父になったとき、果たして愛せるのかという不安があった。

ルゥもまた、幼い頃に両親を亡くしている。

その喪失を胸の底に抱えたまま、母となることへの恐れを隠しきれなかった。


けれど──子が生まれてみれば、そんな不安はただの杞憂だった。


ソラリスとステラ。


太陽と星を戴く名を授けたふたりの子どもは、掛け値なしに可愛かった。

泣き声も、笑い声も、小さな寝息も、何ひとつ見逃したくない。

小さな命たちのためなら、どんな夜でも越えられると心から思えた。


彼らは、かつて失ったもののすべてを埋めてくれるわけではない。

それでも確かに、“いま”という時間を照らしてくれている。

だからこそ、またひとつの命を迎えられることが心から嬉しかった。


余暇の日の午後。

家族で庭に出る。


陽光が降り注ぎ、木々の間からこぼれる光が土の上で揺れていた。

小さな靴音が地面の上を駆け抜け、笑い声が風に乗って空へ舞う。

ソラリスが走れば、ステラも負けじと追いかける。

ふたりの影が重なり合い、光の中で跳ねていた。


軒先の椅子に腰を下ろしたルゥは、子どもたちの様子を穏やかな眼差しで眺めていた。

腹に手を添え、ときおり淡く微笑む。

ラミエルも庭の隅に立って、刈った草の束を手にその光景を見守っていた。

そして、ふと呟く。


「もっと賑やかになる。」


「ええ。」


「名前を考えておかないと。」


嬉しそうに呟く声には、子どもたちを誰より大切にしている子煩悩な彼らしい温かさが滲んでいた。

ルゥは頷いて、まぶしそうに目を細める。


見捨てられた皇子と罪人の娘。


かつて暗がりで孤独に震え、互いのぬくもりにすがることしかできなかった二人は、こうして自分たちだけの小さな国を築いた。

もう夜の中で泣いていた彼らはいない。

いまはただ、太陽の下で寄り添いながら、同じ未来を見つめている。


その傍らではステラが笑い、

ソラリスはステラの袖の土を払ってやっていた。


光の中で弾む笑い声は、夜を彷徨っていたふたりが掴み取った“いま”そのものだった。


──これが、あの手紙への答えなのだろう。


今ならはっきりと思える。

彼女があの手紙で必死に伝えてくれたことは、何ひとつとして間違いじゃなかった、と。


「痛みにすべてを委ねないで」

「あなたにしか出会えないものや、あなただけを待っているものが、きっとすべてを乗り越えた先で待っている」


ずっと答えを出せず、胸の奥で抱えていた。

けれど今ようやく、その意味をまっすぐに受け取ることができる。


巡り巡って、ようやく辿り着いたその先で見つけたもの。

それは長い夜を越えて──陽の光の中できらきらと輝く、かけがえのない楽園だった。

これで完結です。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


好きなものを、存分に詰め込みました。

わかりにくかったことなどがあると思います。

つたない物語ですが、感想などをお寄せいただければ光栄です。

また誤字脱字など、ご指摘いただけますと幸いです。

※2025年11月1日

誤字脱字、言い回しの捻れ等のご指摘有難うございます。

引き続き、見つけた折にはご指摘いただけますと幸いです。

※2025年12月12日

指摘のありました文章を、若干変更しました。

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― 新着の感想 ―
読み専でしたが、初めて感想を書かせていただきます。 最高でした! あとがきで「好きなものを、存分に詰め込みました」とありましたが、本当にどの章も素晴らしかったです。それぞれ雰囲気があって。 2人が孤…
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