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3-9

玉座の間は、重苦しい気配に包まれていた。

天蓋の高みから射し込む陽光が、白金の座を冷たく照らしている。

光で満たされながらも、この空間には温もりが欠けていた。


中央に据えられた座には、帝国そのものを体現するかのような存在──皇帝が端然と腰掛けている。

動かず、語らず。

身じろぎひとつしない姿が、言葉なき威圧で場を支配している。

ただそこに在るだけで、誰よりも強く空気を圧していた。

衣擦れの音さえも、許されざる不敬のように思えるほど。

沈黙の中で一同は膝を折り、頭を垂れ、ひたすら息を潜めていた。


召集された今日の会議。

詳細は明かされていない。

ただ「南部で不穏の兆しあり」とだけ伝えられている。

戦火が上がったわけではない。

しかし帝国において“兆し”とはすなわち“芽吹き”であり、芽吹くものは素早く摘み取られるのが慣例だ。

そうして長い間、威厳を保ち続けてきた。

その厳然たる掟は、今日も例外なく貫かれている。


玉座の直下、右側に控えるは皇太子ナイジェル。

笑みを浮かべていたが、その微笑はどこか作り物のようだった。

瞳の奥底に覗く光は、冷たく鋭利である。


一歩進み出て、深々と頭を垂れた。

そして、正面を見据える。


「恐れながら申し上げます。

このところ、辺境南部において不穏の兆しが立て続けに観測されております。

初めは局地的な事案として扱われておりましたが、複数地域にまたがる形での動きである可能性が示唆されましたため、ご報告申し上げる次第にございます。」


ナイジェルは玉座の前より身を引き、視線を列の一角に向ける。

応じるように年嵩の文官が前に進み出た。

文書を恭しく広げ、一礼ののち報告が始まる。


「辺境南部第四監察区におきまして、過去二旬のあいだに徴税使の襲撃が数件報告されました。

いずれも日没後の巡察路にて仕掛けられ、荷駄および徴収金の一部が奪われております。


またアレス郡およびその隣接にて、軍需倉庫への放火が複数で確認されております。

いずれも日没後の監視の手薄な折。

軍糧穀および備蓄兵装の一部が焼失いたしました。


さらに、第四監視区域に属する抑留地において、旧兵籍の者たち二十余名の所在が確認できず。

現地監察は『計画的に逃がされた可能性が高い』との見解を示しております。


そのほか、マグレーン村および周辺域において、兵糧や塩などの備蓄物資が不自然に減耗しているとの報告が複数上がっております。

倉庫の鍵は厳重に管理されていたにもかかわらず、定数との誤差が確認されており、何者かが持ち出した形跡がございます。」


文官はそこで一礼し、書類を抱え直した。

玉座の間にざわめきが広がる。


「徴税使が襲われただと?」

「物資の焼失だけではない、備蓄の減耗。」

「計画的に逃がされただと?一体誰の指示で。」


列に並ぶ廷臣たちは互いの顔色を伺い、囁き合った。

疑念は連鎖しながら静かに膨らみ、波紋のように広がってゆく。


「まさか組織的なものなのか?」


得体の知れぬ“意志”の存在。

一同が動揺に包まれる。

そうした中で、ナイジェルは反応を味わうかのような様子で沈黙を守っていた。


「調査によれば、こうした一連の動きの背後には明確な意図と系統だった連携が見て取れるとのことです。」


彼は再び進み出る。

まだ静まらぬ場をよそに、落ち着いた声を響かせた。


「徴税使の襲撃、倉庫の放火、そして備蓄物資の不審な減耗。

いずれも僻地の村や郡で、似た手口によるものが相次いでいます。偶然とは考えにくいでしょう。

また、襲撃や放火の対象が「補給」「徴発」「集積」など、軍政の後方機能を担う拠点に偏っている点も看過できません。

表立って注目されにくいが、軍を動かすうえで不可欠。

まさに、そうした要所ばかりが狙われております。

そして特筆すべきは、所在不明となっている旧兵籍の者たちの多くが、帝国暦863年以前に徴募され、従前の粛清対象から外れていた一群と重なっている点でございます。

監察局は、これらの動きについて、盗賊や地ならしによる散発的な犯行とは捉えておりません。

組織的な意図に基づく可能性が高いものとして、調査を進めております。」


間を置いて、息を継ぐ。

そして、一息に言葉を放った。


「かの忌まわしき叛徒、皇弟レオルドに連なる影が、いまだ帝国の底で息を潜めているのではないかと。

ローデリヒ、フェルゼン、シュタウフェルト、ジグバルト──いずれも、その残党と目される者達の可能性が高いと考えられております。」


名が挙がった瞬間、廷臣たちの列にどよめきが走った。


「残党だと?だが、主たる者はすでに処されたはず。」

「まだ、生き延びていたというのか?」

「いや、それより。なぜ今になって……」


信じがたいという声が、あちこちで弾ける。

玉座の間は衝撃に揺れた。

そんな中で。

臣下の列に立つ第一皇子シアトリヒは、いつも通り無表情のまま佇んでいる。

けれども、その端正な顔には冷ややかな影が落ちていた。

ナイジェルは玉座へ向き直り、恭しく頭を垂れる。


「詳細を掌握次第、改めてご報告申し上げます。」


皇帝は何も応えない。

沈黙こそが、帝国の威を雄弁に語っていた。



会議が終わると、玉座の間には私語のざわめきが広がった。

囁きと衣擦れの音を残して、臣下たちは退出していく。

それらを見送ったナイジェルは玉座に背を向け、粛々と退出した。


陽光が高窓から差し込む回廊は、光と影が交錯している。

静寂の中、靴音が一定の間隔で響いていた。

柱の陰で気配が動き、歩みが止まる。


「兄上。」


視線の先、光と影のあわいにシアトリヒは立っていた。

彫像のように整った顔に感情はなく、無表情が威圧となって迫る。

固唾を飲み込み、兄を見据えた。


「お珍しい、わたくしに用事とは。」


「そなたは──何を知っている。」


ナイジェルは目を瞬く。


「なんのことでしょうか?」


間が落ちた。

けれど互いの視線は、鋭く交錯している。

沈黙の重みが緊張を引き上げていた。

ナイジェルは空気を和らげるように、柔らかく微笑む。


「兄上は、やはりわたくしのことをよくご存知だ。」


声音は穏やかだったが、奥には愉悦が潜んでいた。

意図して放った毒が確かに届いたという手応え。

確信を得た彼は、間を置かず次の一手を放つ。


「今晩、少しお時間をいただけますか?

いいワインが手に入りまして。兄上にもぜひ、ご賞味いただきたい。」


シアトリヒは何も答えない。

陽光の中で、黙然と弟を見つめていた。


「こんなに長い付き合いなのに、兄弟ふたりきりで酒を酌み交わすのは初めてですよね。

とっておきの一本なので、どうか楽しみにしていてください。」


言い終えると、ナイジェルは再び歩を進める。

背中に刺さるような視線を感じていたが、振り返らない。


お前は来るしかないはずだ。

可愛い女が絡めば、罠と知りつつも踏み込まずにはいられない。

その時こそ、積年の片をつけてやる。


沈黙があとを追った。

胸にひそかな喜びを抱いて、ナイジェルは光の先へ歩み去った。

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