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1-2

一年目。


古文書室は厳かな空気に包まれていた。

高窓から射す光は淡く、長く連なる棚の奥までは届かない。

古びた革の匂いと、幾世代の埃が溶け合い、それ自体がこの場所の長い歴史を語っているようだった。


ルナリアは刷毛を取り、慎重に棚を掃く。

音はほとんど立たず。

舞い上がった埃だけが、光の筋の中でゆるやかに漂った。

その揺れは、過ぎ去った日々が細かな粒になって空へ舞い上がってくるかのようでもある。


やがて指先が、一冊の詩集に触れた。

革表紙は擦り切れ、題字ももはや影のように残るばかり。

頁を捲ると紙が軋む。

奥には隠すように忍ばせた紙片があった。

ルナリアは息を整え、それを取り出す。


―――――――――――――――――――――――――


この手紙を読んでいるあなたは、どんな光の下にいるのでしょうか。

高窓から差し込むひとすじの光でも、あるいは燭台の焔でも──。

そのささやかな明るさが、あなたの手元を穏やかに照らしていることを願います。


今日の会議は長く終わりの見えぬもので、責任の重さにいささか疲れを覚えております。

言葉の往来に身を置きながらも、心は別のところを彷徨っていました。

ふと窓を仰げば、夕陽が塔の影を長く伸ばし、街並みを金に染めてゆくのが見えました。

その光景を胸に収めたとき、思わず浮かんだ詩があります。


「鳥は高みへ昇らずとも、空の深さを知る。」


人もまた、与えられた歩幅の中に、果てしない広がりを見つけられるのでしょうか。

そうであれば、たとえ日々に疲れても、立ち止まることに意味があるのかもしれません。


責任というものは、ときに重く、心を曇らせます。

けれど、こうして言葉にすれば少しだけ軽くなるように思うのです。

誰に届くこともなくとも、紙の上に留めることで、痛みはやがて遠のいてゆくでしょう。


―――――――――――――――――――――――――


どの行にも深い静けさが滲んでいた。

古い詩の断章、遠い景色を仰ぐような言葉、日常のわずかな感慨。

「会議が長引いた」「責任ある立場なので少し疲れています」といった控えめな吐露も混じっている。


ルナリアは自然に書き手を女性だと考えていた。

宮廷には高位の女官や宗令院の女監察官がいる。

柔らかで品のある筆跡は、そうした人々を思わせた。


夜。

寝台が並ぶ薄暗い部屋で、ルナリアは小さな燭台を机に置き、その光に照らされながら筆を取った。


今日あったことを書く。

廊下に新しい燭台が据えられ、灯りがいくらか眩しく感じられたこと。

庭の苗木の並びが昨日と少し違って見えたこと。

そして、小さな悩みごと。


「同じ部署に、少し厄介な方がいらして。

書類の整理をすべてわたしに任せて帰ってしまわれました。

わたしには、それを断ることも難しくて。

どうすれば上手く立ち回れたのかと、ずっと考えてしまいます。」


紙を畳み、翌日また古文書室で詩集に忍ばせる。

棚へ戻すとき、指先がほんの一瞬だけためらった。


数日後。

返事は整った筆跡で綴られていた。


「あなたは、とても律儀な方なのですね。

世の中には、自分が背負うべき荷をあっさりと他人に押しつける人間がいます。

それを不器用に引き受け続ける限り、その人はあなたを都合のいい場所に留めてしまうでしょう。

どうか心まで奪われませんように。

時には笑って逃げることも、立派な術なのです。」


紙を見つめ、ルナリアは胸に手を置く。

そこに小さな熱が生まれていて、遠くにいる誰かが支えてくれているような気持ちを感じていた。


文はさらに続く。


「胸の内を話してくれて、ありがとう。

もしよければ──これからも気兼ねなく話してください。

文字を追っているだけで、あなたがどんなふうに笑い、どんなことで困っているのか。

不思議と目に浮かぶ気がするのです。」


もう一度最初から手紙を読み返す。

胸の奥に温かいものが灯されたようにも思え、静かな安らぎが広がっていた。

そして彼女はそのまま穏やかな気持ちで眠りについた。

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