庭園遊戯
「室内遊戯」の続編です。
王宮のいくつかある庭園のひとつに迷路がある。
庭師と設計士が丹精込めて作り上げた迷路は、生垣と樹木を上手く配置して作られている。迷路といっても小さな東屋や花園を通路で繋いだもので、分岐は少なく迷うこともない。
今年三十七になる国王は午前の執務を終え、気晴らしに庭園を散策していた。天気は良いがまだ汗ばむほどの暑さではなく、時折吹く風が心地よい。次は王妃も誘って散策を楽しもうかと考えていると、迷路の入口に立つ騎士が目に留まった。
見覚えのある騎士は第一王子の護衛騎士の一人だ。
「オリバーが中に?」
「はい。ネヴィル伯爵令嬢とヴィランデス伯爵令嬢とご一緒です」
王妃の従姉妹でもあるネヴィル伯爵夫人と、ヴィランデス伯爵夫人は結婚前から王妃と仲の良い友人であった。それは結婚後も変わらずに続いている。同じ年に子どもが生まれたのもその一助となった。
私的な訪れに同伴していたせいか、子供たちの仲も良い。最近では子供たちだけで遊んでることも多いと聞く。
しかし、伯爵家の子供はどちらも令嬢なので、そろそろ同性の友人を選んでやらなければならないだろう。どこの家の者にしようかと、考えながら国王は庭園迷路を進んでいく。
生垣の向こうから、何やら子どもの声が聞こえてきた。息子たちだと判断した国王は、三人がどんな遊びをしているのかこっそりと見たくなった。
後ろに付いていた侍従と護衛に「静かに」と合図を送れば、二人とも微笑ましげに頷く。心優しいオリバーは王宮の人気者でもあった。
音を立てないようにゆっくりと移動していく。生垣が切れた先は、少し開けた空間となっている。小さな池が鑑賞できる東屋のほかに子どもが遊べるブランコがある。
国王は子どもたちがブランコで遊んでいるとばかり思っていた。おそらく、付き従っていた侍従と護衛もそう思っていたはずだ。だが、予想と違う光景に国王は眉を顰めた。
「なぜ、あやつは倒れているのだ?」
東屋とブランコの間にある芝生の上に護衛騎士が倒れていた。側に座り込んでいるのはネヴィル家の令嬢で、向かい合うように立っているのがヴィランデス家の令嬢だ。オリバーの姿を探せばヴィランデス嬢の斜め後ろにいる。
子どもたちを見守るように侍女や他の護衛がおり、その様子から緊急性はなさそうに見える。
「何をしておるのだ」
「なんで、ございましょうか……」
「護衛の位置が少々甘いようですな」
奇妙な雰囲気の中に入っていっても良いものか。あくまでひっそりと見るつもりだった国王は躊躇った結果、生垣から顔を覗かせるという変質者のような行動に出てしまった。
子どもたちの側に控えている侍女が、国王一行に気がつき一気に顔を蒼白にした。慌てて子どもたちに声をかけようとしたその時、ヴィランデス嬢がネヴィル嬢に指を突きつけて声を上げた。
「観念することね!イスメラルダ!」
声高らかに呼んだ名前はネヴィル嬢の名前ではない。なのに、ネヴィル嬢はショックを受けたようにやや大袈裟によろめいた。体を支えるために地面についた両手にグッと力がこもる。俯いているせいで乱れた赤い髪が表情を押し隠しているが、全身から漂うのは怒りか緊張か。
緊迫した様子に思わず固唾を飲む国王一行。声をかけそびれた侍女が行き場の失った手と視線を彷徨わせている。
「………なんの証拠があって、そのような戯れ事をおっしゃるのかしら」
意を決したように顔を上げたネヴィル嬢は真っ直ぐにヴィランデス嬢を睨みつけた。その瞳の力強さに皆が息を呑んだが、ヴィランデス嬢は不適な笑みを浮かべる。
「証拠はここにあるわ。そう!殺された青年が教えてくれたのよ!」
ジャジャジャーンというバイオリンの音が鳴る。
目を凝らせば、東屋の影に楽師が隠れていた。なぜそんな場所に隠れているのか、国王一行にはさっぱり分からない。目だけで問いかけるが、侍従も護衛も首を振るのみ。
「犯人と揉み合った時にもぎ取ったのでしょう。彼はこんな物を握りしめていたわ」
ヴィランデス嬢が握っていた手のひらを開く。だが、小さいせいで国王にはよく見えなかった。
「なんだ?何があるのだ」
「……真珠、のようですな」
首を伸ばす国王と侍従の後ろから、視力の良い護衛が令嬢の手にある白く丸い物を言い当てた。「お前、あれが見えるの?」と国王が驚き、最近視力が低下している侍従も羨ましそうに見上げた。
「その真珠がなんだというの?」
「明確な証拠ですわ。ねぇ、イスメラルダ。貴女の袖を見せていただける?」
「なぜ、そんなことを……」
分かりやすく右手で左の袖口を抑えていては自白したようなものである。
「貴女が自慢していたそのドレス。襟元、袖口に真珠があしりゃ……あしらわれてましたわね」
誰もが「噛んだ」と思ったが、あえて口にはしなかった。ヴィランデス嬢は一度咳払いをすると気持ちを切り替えした。耳が少々赤い。
「不思議でしたのよ。エリべ女王の『真珠のドレス』を完璧に模したとうかがっていたのに、袖口の真珠は二つ。正教の熱心な信者でもあるエリべ女王の持ち物は、聖数字の『三』を基調にして作られているはず。袖口の真珠が二つのはずが無いのですわ!」
ジャン!ジャジャジャ、ジャーン。とバイオリンの音が響く。その後を追うようにフルートの音色が混じり、チェロが低音を紡ぐ。哀愁漂うメロディは物語の終盤に相応しく、爽やかな庭園という場に違和感を覚える。
愛憎の末に及んだ凶行の一部始終を滔々と語るヴィランデス嬢演じる探偵令嬢。ネヴィル嬢改めイスメラルダは「彼を愛しただけなのに」とさめざめと泣く。
項垂れ騎士に連れらるネヴィル嬢。何やら締めのセリフを熱弁するヴィランデス嬢。控えめながらも盛り上がるバックミュージック。
東屋はさながら劇場であった。
音楽が終わると共に、周囲から拍手が湧き起こる。もちろん国王一行も拍手していた。最近涙脆い侍従はハンカチで目を押さえていた。
拍手に合わせて、ヴィランデス嬢とネヴィル嬢が並び立ち、二人に招かれるようにオリバーがその間に立つ。三人で手を取り合うと高々と振り上げ、ゆっくりと下ろしながら膝を曲げて礼をとる。
拍手をしながら国王は内心で首を傾げた。
オリバー、おまえは何役だったのだ?
午後の政務の合間に、国王は侍従から報告を受けていた。内容は子どもたちの東屋での劇である。
「演目の原作は、令嬢探偵シリーズの『殺人は蜜月の後で』という小説で、シリーズ中でも高い人気を誇る作品です」
「は?」
「原作は令嬢探偵シリーズの……」
「そこじゃない。なんだ、その児童書とは思えないタイトルは」
令嬢が探偵というのも荒唐無稽だが、児童書に「蜜月」や「殺人」とはいかにも物騒すぎる。
驚く国王を前にして侍従はしれっと答えた。
「児童書ではございませんので」
「は?」
「こちらは、ご婦人方に大変人気のロマンス小説でして、不倫、三角関係から五角関係なんでもござれ。はたまた禁じられた恋愛などを匂わせる描写もあり、最近では紳士の間にも愛好者がおられるとか」
「はぁあ!?ちょっと待て。なんでそんな小説を子どもたちが知っているんだ」
「大変申し上げにくいことですが、ヴィランデス伯爵夫人とネヴィル伯爵夫人の愛読書の一部のようです。そして、王妃様も愛読していると伺っております」
「…………」
けしからん。と怒鳴るつもりが、王妃の愛読書ともなれば怒鳴りつけるわけにもいかない。
愛妻家の国王の妻は同時に恐妻でもあった。
厳重注意としたいところだが、伯爵夫人たちと王妃は大の仲良し。話術に長けた夫人たち相手に勝ち目はない。それが三対一では被害は計り知れない。
いや、しかし、子供たちの情操教育には良くない。
「よし。ヴィランデス伯爵とネヴィル伯爵にそれとなく奥方に注意するように伝えておけ」
熟考の結果、国王はそれぞれの夫に丸投げをした。無論、己の妻にも注意する予定であった。
数日後、満身創痍の夫たちが目線だけで苦労を分かち合ったという。
結果として、夫人たちの愛読書は子供が手にしにくい高い棚に移動されたので、奮闘の甲斐はあったようだ。
子ども用の書架からオリバーが選んだ本は「騎士とドラゴン」という男の子に人気の児童書であった。
「そちらになさいますか?」
「うん」
侍女の問いかけに頷き手にした本を渡す。他にも何か読もうかと見ていたが、不意に首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「どうして、リジーやナビアが読む本がここには置いてないのかな?」
不思議そうに問う王子を前にして侍女は笑顔が引き攣りそうになった。
それは、ここは王子が読んでも良い本しか並んでないからですよ。なんて一介の侍女には言えない。
あの二人の令嬢が特殊なのですよ。なんて言えない。
「お二人はご令嬢ですから、殿下とは読む本が違うのかもしれませんね」
「そうか。その通りだな」
純真無垢に微笑む王子を見て、侍女は心の中で土下座した。王子のためならばウソもつきましょう。
あのお二人といるのに、純真無垢な王子尊い。
「話についていけない時は少し寂しい」と本音をこぼす王子マジ天使。
どうかそのまま成長して欲しいと願う侍女であった。
お読みくださりありがとうございます。
劇中でオリバーは探偵令嬢の助手ワット君の役です。