44 未来がわかっていても
みーちゃんをみーちゃんだと思ってしまったらもうだめだった。
他の名前になんかできないし、他の候補も「み」から始まったり「み」で終わったりするものしか思いつかなかった。
もうだめ。この子はみーちゃん。汝がみーちゃん。
そうなると時系列が狂っているけどあそこは異世界。どんなファンタジーが起こってもおかしくないと自分に言い聞かせた。そう、何が起こってもおかしくない。なんならずっと意味わからなかった。卵が先か鶏が先か。召喚陣だって異世界にローマ字だったし。絶対時間の流れが歪んでる。狂ってる。
私がみーちゃんとはじめて会ったとき、結局みーちゃんの名前も年齢もわからなかった。自己紹介で三本指を立てていたから、多分三歳だとは思う。
あの異世界での出来事が私の妄想や夢幻、幻覚の類いでないとするなら、我が子は三歳で異世界に召喚されるということになる。
(ふざけんな)
なんで過去の私を同行させた。今の私を連れてけよ。
(ふざけんな)
こんな小さくて柔っこくて私がいないと生きていけない生き物を、どうして魔王討伐に連れて行けると思った。改めてあのときの顔だけ王子と、母の立場を奪おうとしていた自称聖女に苛立つ。
(ふざけんなよ)
どうしたら…どうしたら異世界召喚を阻止できるんだ!
このままだとみーちゃん…慎子が三歳になるころに、私の手が届かない場所へ連れ去られてしまう!
怖かった。
大事に抱えていても、するりと存在を抜き取られる虚しさを知っていたから。どれだけ強く抱えていても、密着していても、微かな余韻だけ残して消える重さを知ってしまっていたから。
いずれ私の腕の中から取り上げられるとわかっていたから、怖くて怖くて仕方がなかった。
だからみーちゃんが歩けるようになっても手を放せなかった。みーちゃんは一人で歩きたがったしそうさせるべきなのに、手を放すのが怖かった。つい「手を放しちゃだめ」と何度も叱った。叱ってから、私がみーちゃんに叱られた内容と全く一緒で胸が苦しくなった。
みーちゃんはお母さんに叱られたから、ああやって言葉に出てきたのだ。つまり私は自分の言葉で我が子に怒られたのか。なんだよ自業自得じゃねぇか。胸が痛い。
しかもなんだよ。街を歩いて見かけるアニメのポスター。「異世界召喚~」なんて流行らせるのマジやめろ。気になって調べちまっただろ。もしかしたら異世界召喚阻止に役立つかもと読んじまっただろが。
ほとんどが二度と帰ってこられない系じゃねぇかマジでやめろ。骨を埋める覚悟をするな。恋をして愛に生きる選択肢辛い。それをするならせめて十代後半にしてくれ。うちのみーちゃんは多分三歳だぞ愛に生きる選択肢は早すぎる。
くそ、やっぱり魔王にとどめを刺すしか選択肢はないのか。それを別世界にいる私ができるのか?
頼むから、世界なんか救わなくていいからさっさと帰ってきてくれ。
五体満足じゃなくてもいい。生きていればそれでいいなんて消極的なことは言わない。怪我一つなく帰ってきてくれ。
トラウマなんて抱えずに、ちょっと迷子になっていましたって気安さで帰ってきてくれ。
親から子を奪うなんて許せない。絶対に許さない。世界の危機だろうと関係ない。うちの子じゃないとどうしようもできない世界なんて諦めろ。そんなの救わなくていい。何も奪われないで帰ってきて。
そう思うと、周囲が驚くほど過保護になった。
驚かれはしたが私にとって初めての子供だったので、誰も深くは考えなかった。
わかるわかる心配だよね。でもそんなに神経質にならなくていいんだよと宥めるか、自分が代わりに見ているから休んだ方が良いとか、常識的で優しい大人ばかりだった。常識的な大人ばかりだったから、逆に異世界転生でみーちゃんが誘拐される未来を知っているなんて言えなかった。
だって私が行方不明になった事実などない。時間も経過せず、私の記憶にしか残っていない異世界での奮闘。夢じゃないと立証できないことを説明できやしない。むしろ夢であれ。夢ならみーちゃんは誘拐されない。
落雷のたびに怯える。
魔王がみーちゃんを探しているのではないかと雷のたびにみーちゃんを毛布で包んだ。みーちゃんは遊んでいると思っていたが、盗られると思ったのはヘソではない。可愛い我が子だ。
ああこのままじゃ過保護すぎる毒親になる。我が子のためとか言いながら自分のためでしかない。こんなの絶対によくない。わかっちゃいるのにいつまでもみーちゃんを抱っこしてしまう。
せめてと思って礼儀正しく、自分に身についていなかった部分をしっかり教育した。くっそ、教育するたびしっかり教育されていて偉かったみーちゃんを思い出す。
様子のおかしい私に夫は気付いていたが、私のやりたいようにやらせてくれた。全部が全部みーちゃんを思ってのことだったし「うちの子可愛いから誘拐されないように教育は大事」と好意的だった。
義弟もしょっちゅう遊びに来てはみーちゃんに「向こうが自己紹介したからって簡単に名前を教えちゃだめだぞ。仲良くしたい子だけだ。お菓子くれたからってついていくなよ。ありがとうございますさようならだ」と繰り返していた。クッキー片手に神妙に頷くみーちゃん。なるほどその教えでみーちゃんの個人情報は全く出てこなかったのか。間違ってねぇから訂正もできねぇ。三歳児に臨機応変なんてできるわけねぇもん。
異世界云々はおいといて、誘拐されないように教育は大事だ。敵は異世界だけじゃねぇ。現実世界だって変態が多くて舌打ちが止まらない。うちの子可愛いからってガキに群がるんじゃねぇよ。
しかし現実の変態はまだ対処ができる。
できないのは確定している異世界誘拐。
みーちゃんが歳を重ね健康にすくすく育つのを嬉しく思いながら、三歳の誕生日が来るのを恐れた。
みーちゃんにできることが増えるのは嬉しい。嬉しいのに。純粋に、我が子の成長を喜びたいのに。
(ああクソ! どうしたら、みーちゃんを守れるんだ!)
抱きしめていても盗られてしまう。どれだけきつく抱きしめても、抱きしめても、世界はみーちゃんを私から奪っていく。
私が異世界にいる間、時間は動いていなかった。それならみーちゃんが誘拐されるときも時間の流れなど感じないのかもしれない。私が知らないうちにみーちゃんは誘拐され、戻ってくるかもしれない。
だけど戻ってこないかもしれない。
戻って来たとしても、あちらでの経験は疵にしかならない。
私が認知できなかったとしても、みーちゃんにあんな経験させたくない。
そう思うのに、確実に起こるだろう未来を邪魔する手立ては全くなかった。
(こんなん気が狂うわ…!)
絶望と不安でみーちゃんより私のほうが夜泣きしていた。
しかし夫は私が情緒不安定で泣き出してしまったときも、全力で甘やかして大丈夫だと抱きしめてくれた。
くっそ年下のくせにこっちが弱ると包容力出して来やがって生意気な。そういうところみーちゃんそっくり。違うなみーちゃんが夫に似たのか。
無責任に大丈夫とか言いやがって。
何も知らねぇ癖にと思うが、それは私が何も言わねぇからだ。
口にできない事情。それでも慰めようとする年下の夫に縋り付いて、眠れない夜を誤魔化した。
そしてあっという間にみーちゃんは三歳になった。
私の不安は最高潮。
できることなら保育園すら休ませて引きこもっていたかったが、生活していくならそれもできない。保育園でいじわるしてくる子がいると訴えられたときはこれを理由に引きこもろうかと思ったが、そりゃ毒親の一歩だろと歯を食いしばって対応した。
幸いいじわるたっくんの親は女の子が気になるからってちょっかいをかける男の子の心理を温かく見守るのではなく鉄拳落として「二度と口を利いてくれなくなるぞ馬鹿ヤロ!!」と叱るタイプのアグレッシブな人だったのでなんとかなった。私が言うのもなんだけどアグレッシブな人だな。握手しといた。情報交換よろしくお願いします。
まあたっくんなんて、魔王のまおちゃんに比べたら赤子のようなものだ。
まおちゃんの嫌われても拒否されても絶対放さない逃がさない執着は、誘拐犯とは違う部分で驚異的だ。最後の妨害がどう効果を出すのか、みーちゃんはちゃんと帰ってこられるのか、この三年ずっと不安に苛まれている。
そのときに怯えながら、私はみーちゃんに繰り返した。
「迷子になったら、動いちゃだめよ。知らない人にもついて行っちゃだめ。お母さんが絶対見つけるから、みーちゃんは音を出して教えてね」
「うん!」
白いうさぎのぬいぐるみを抱きしめながら、みーちゃんは笑う。もうすっかり「あの日」のみーちゃんそっくりに育った我が子が笑う。
このうさぎのぬいぐるみだって、一歳の誕生日に初孫に喜ぶうちの親がプレゼントしたものだ。これ以外にもぬいぐるみはたくさんあるが、みーちゃんは引きずるくらいの大きさが嬉しいらしく、しょっちゅう抱いて歩いている。
ぬいぐるみを抱っこして、私と手を繋いで、ご機嫌に鼻唄を歌うみーちゃん。突然跳ねてきゃらきゃらと高い声を出す。
どこにでもいる、とても可愛い三歳児。
…お願いだから、泣いてくれ。こっちが辟易するくらい大きな声で泣いてくれ。
そうじゃないと過去の私は気付けない。ちょっと泣いているくらいじゃ放置する。過去の薄情な私がしょうがないなと思うくらい、盛大に大きな声で泣いてくれ。
そうしたら、お母さんが絶対駆けつけるから。
お願いだから。
私から離れていかないで。
異世界召喚を阻止する方法も、同行する方法もないです。だって睦美は勇者でも魔王でもないおまけだったので。こちらは受け身になるしかない。
奪わないで。それだけをずっと願っていた。
ちなみに年下の旦那と義弟、純地球産ですのでご心配しなくて大丈夫です。




