43 慎ましい子
雷が直撃したかと思ったら、元の世界に戻っていた。
正直何が起ったのかわからない。は?
朝の通勤ラッシュで人が多い中、私は駅構内で立ち尽くした。
迷惑そうな顔で通り過ぎていく人々。私と落とした携帯を避けて人が通り過ぎていく。その先で、私が通学でいつも利用している電車の扉が閉まるのが見えた。次の電車何分後だっけ。そもそも今何時。
のろのろと携帯を拾い上げる。表示された日時は私が異世界召喚されたその日その時間。イヤホンから洩れる曲も、直前まで聴いていたものだ。
(時間が進んでない? 止まってたってこと?)
異世界召喚に詳しくないから、この状態をなんと言うのかわからない。雷に打たれたと思ったのに無事な理由もわからない。
そう、最後の最後にあのクソガキがやりやがった。
あれだけみーちゃんに拒否られていたのにガッツを出して、ちゃんとさよならの挨拶ができるみーちゃんに帰っちゃいやだと最後の足掻きを…。
(みーちゃんどこ)
召喚される直前に帰ってきたなら、召喚されて隣に居たみーちゃんは、今どこにいる?
私に齧り付いて、服を握りしめて、ちゃんとくっついていたはずのみーちゃんは。
魔王にあれほどまでに熱望されていた勇者は。
――――ちゃんと帰ってこられた?
食道を氷塊が滑り落ちて、腹の底が凍る。
まさしくそんな風に血の気が引いた。
…遠くで、子供の泣き声が聞こえる。
私は震える足を動かして、泣いている子供を探した。
結論から言えば、私はみーちゃんを見つけられなかった。
泣いていたのはみーちゃんじゃなかった。知らねぇガキだった。
舌打ちをして周囲を見渡すけれど、他に泣いている子供はいない。泣いている子の親御さんらしき姿も見えない。私は二度目の舌打ちをして、駅員さんに声を掛けようと踵を返した。
以前の私だったら素通りだ。気付きもしなかったかもしれない。
泣いている子には気付いても、周辺に保護者がいるものと当たり前に考えていた頃が懐かしい。意外と傍にいないんだな保護者。子供がすばしっこいから、置いていかれ気味。
しかし私が駅員さんを呼ぶより早く、慌てた足取りで泣いている子に駆け寄る人影があった。親かと思えば学ランを着た学生で、泣いている子を見下ろしながら携帯片手に何か言い聞かせている。
知り合いがいたっぽいので駅員さんに声を掛けるのはやめて、私はみーちゃん捜しを再開した。
子供の泣き声は一つだけ。だけど子供は一人じゃない。
みーちゃんが泣いたのは母親と引き離されたからだ。ちゃんと親御さんと一緒にいるみーちゃんは泣いていない。泣いていないはず。泣いていないから私が見つけられないだけだ。
ぐるっと見回して、端から端まで歩き回る。
電車が何本か通過した。学生の数が減って通勤姿のサラリーマンの姿も見えなくなる。だいぶ時間が経過して、今から電車に乗っても学校には間に合わない。
だけどそんなことはどうでもいい。
(みーちゃんがいない)
どこにもいない。
小さいから見つけらんないのか。大きな声を出していないから目に付かないのか。親と手を繋いでいるのは男の子だった。抱っこされていた女の子は髪が短い。母親の隣で飛び跳ねている子供も違う。みーちゃんはスカートだった。あれ、でも何色を着ていたっけ。召喚されたときのみーちゃんの服装はどんなだった。
(みーちゃんの声が聞こえない)
私と一緒にいなくても、あの子は泣いていないだろうか。
泣いて、ないな。だってお母さんの傍にいるはず。帰ってきたなら、お母さんが傍にいるはず。それならみーちゃんが泣くはずない。大喜びで、私のことなど忘れているだろう。
でも。
(帰って、来てなかったら?)
抱っこしていたのに、瞬きの間に消えた温もり。
しがみ付いていたのに、なんの抵抗もなく消えてしまった重さ。
一度経験した喪失感が去来する。
確かめたい。言葉を交わさなくても、一目見て安心したい。みーちゃんがちゃんと親御さんのところに帰ってきたのだと実感したい。
その思いで歩き回ったのに、みーちゃんにそっくりな子供はたくさんいたが、みーちゃんはどこにもいなかった。
焦燥で腹の底がねじ切れそうだ。
私は歯を食いしばりながら、召喚されたときにたっていた場所まで引き返した。黄色い線の上を歩きながら、また聞こえた泣き声に顔を上げる。
先程見た子がまだ泣いていた。
泣いているガキの横で、学ランが途方に暮れたように立っている。
知り合いっぽい奴が来たけど、子供が落ち着く様子はない。なんなら学ランも泣きそうだ。
今までだったら素通りだ。保護者というには頼りないが知り合いもいるっぽいし、気にせず通り過ぎていた。
「…ねえ、その子アンタの知り合い?」
「えっどちら様?」
だけど泣いている声がどうしてもみーちゃんを思い出させて。
私は舌打ちを連発しながら学ランに話しかけていた。
「うるせぇどうなんだ童貞」
「俺なんで暴言吐かれてんの…?」
泣いている子は学ランの最近できた年の離れた義弟だった。
もうこの情報だけで複雑な家庭。深掘りするのはやめた。
私も学ランも制服姿。本当は学校があったけれど、私はそんな気分じゃなかったのでサボることにした。学ランは保護者が義弟を迎えに来られないらしく、このまま一度家に帰るらしい。指針が決まっているのに途方に暮れていたのは、義弟がいつまでたっても泣き止まないからだ。
どうやら義弟になってから三日目らしく、全然距離が測れていない。小さい子と接したことがないからどうすればいいのかわからない…と。
まず屈め視線を合わせろちゃんとくっつけなんなら抱っこしろ。拒否されてもやれ。おいギブアップが早いだろ怯えんな幼児は軟体動物だと思ってちゃんと抱えろおい私にパスすんなクソガキこの巨乳に埋もれるには十年早いぞ…寝やがった。
制服をしっかり握りしめてクソガキが寝やがったため、私も学ランの家まで同行することになった。
おいふざけんなよ。
ぶち切れる私と、ひたすら怯える学ラン。
女子高生の私と、男子中学生の学ラン。
みーちゃんが見付からなくてイライラする私と、なんでか義弟が私に懐いて巨乳に突撃していくので八つ当たりを受けることになる学ラン。
私はずっとみーちゃんを探して、探して、探して…私の記憶の中だけにいる幼女を探す頭のおかしい私の周りを、学ランと義弟はうろちょろし続けた。
私が女子高生から女子大生にランクアップして、就職してからも。学ランが高校も学ランのまま成長して、スーツを着るようになってからも。義弟がすくすく育って学ランを着るようになってからも。
みーちゃんが、もうみーちゃんじゃなくなるくらい時間が経過しても。
私はずっと、みーちゃんを探し続けていた。
私が学ランと結婚して、出産するまで。
生まれてきた女の子は、小さかった。マジでこれ生きてんのかって疑うくらい小さかった。
この赤子、自分の腹から出てきたのか…なんて呆然と抱っこする私に、感謝と称賛の言葉を投げ続けていた夫。平凡だし頼りないけど、年の離れた義弟と一生懸命向き合う姿からいいお父さんになりそうだなと思ってプロポーズを受けた。
娘が生まれてから数日後に現れた義弟は生まれたばかりの姪っ子に興味津々で、好奇心と期待に目を輝かせていた。
「ほんとうに俺が名前を決めていいの?」
「決めたいって駄々こねたのお前だろ。やべえと思ったら言うから、候補だしてみろよ」
名前はこれから産まれてから決めればいいと、特に気にしていなかった。おかしな名前じゃなければそれでいい。私が我が子に望むのは、健やかな成長だけだ。
私の言葉に、義弟はワクワクした表情で告げた。
「じゃあ、慎ましい子って書いて『慎子』がいい。ねーちゃん乱暴者だから、似ないで慎ましくありますようにって。みつこのみーちゃん」
「おいクソガキ相変わらず生意気…だ、ぞ…?」
世界が停止した。
実際に止まらなかったが、それくらいの衝撃が遅れてやって来た。
「みーちゃん…?」
不思議そうな義弟を置き去りに、私はすやすや眠っている赤子を覗き込んだ。
真っ赤な顔で、ふにゃふにゃで、なんとなく夫に似てるかもなと思える部分が多い我が子を覗き込んだ。
どくどくと、考えもしなかった可能性に心臓が壊れそうだ。
(おいまさか…まさかの我が子かよ…!?)
みーちゃん。
ずっと探していた、小さな勇者。
時系列がおかしくて頭が混乱する。そんなわけがないと思いながら、一度そうだと思うとみーちゃんに見えて仕方がない。いいや、私の頭がおかしいだけかもしれない。名前なんて偶然で、みーちゃんなんてよくあるあだ名だし。やっぱり時系列がおかしいし。
それに。
我が子がみーちゃんなら。
(…誘拐される)
身体が震えた。血の気が引いて、言葉も出ず唇が戦慄く。
(うちの子が、異世界に、誘拐される…!)
あの日。
誘拐されたみーちゃんが帰ってこられたのか、私は確信を得られていない。
自分の記憶の中にしかいないみーちゃんを探し続ける睦美と、なんだかんだ会うと手伝ってくれるお姉さんに性癖を歪まされたのちの旦那と、巨乳なお姉さんに懐いて義姉まで漕ぎ着けた義弟。
みーちゃん捜しを否定しなかったのと義弟のお世話に四苦八苦しつつ一生懸命向き合っていたので高ポイント。
と思って結婚、出産したら、探していたみーちゃんがこんにちは。
将来確実に「異世界召喚(誘拐)」される未来が確定しているので、一気に血の気が引いた新米お母さん。
感想欄で睦美とみーちゃんの関係性に勘付いている読者さんもいて「大正解です!!」と返信しそうになりました。大正解でした!!




