42 完遂間際が一番危ない
むしろ今を逃せば帰れないと、セバスチャンは真剣な表情で告げた。
「私だけでなく、誰もがマナの存在を感じています。落雷も災害も、すべて魔王との戦いで起ったこと。人々は今まさに激闘の末、勇者が魔王を討取ったと考えていることでしょう」
間違っていないが違う。
実際にあったのは大喧嘩で激闘ではない。
激しい戦いというなら間違っていないかもしれないがこの世界の人達の考える戦いではなかった。
「勇者が魔王を倒してくれた。勿論我々は功労者の勇者に感謝と敬愛を捧げます。先代の勇者のように望めば報酬も得られるでしょう。しかしそれだけでは済みません。世界を救った勇者には、政治的価値がありすぎる」
先代の勇者に爵位が与えられたのは、そういった政治的影響が関係しているとセバスチャンは告げた。
みーちゃんは幼女なので、養子として引き取り囲おうとするものは必ず現れる。そして現在この国は王族が諸事情で動けないので、それを諫められる人は限られている。なんなら矢面に立たされて、傀儡として王位に就かされる可能性だってある。
私はきょとんとしているみーちゃんを抱き寄せた。
「私より、勇者の存在こそが象徴として祀りあげやすい。傀儡として利用したがる輩は今まで以上に湧きます」
「ただでさえ煩かったのに」
でもわかる。この世界で会った奴ら、そういう奴らばっかりだった。
そういう奴らはみーちゃんに雷を落とされたはずだが、それでも懲りないのか。
だから、今しかないとセバスチャンは言う。
「大量にマナが放出されている今。誰もが魔王討伐成功を喜んでいる今。邪魔されることなくお二人を帰せるのは、今しかありません」
つまり混乱に便乗してずらかるってことか。
私は足元を流れる水を凝視した。みーちゃんを抱えた私をすっぽり囲う魔法陣は、水でできているのに精密に文様を作り上げている。
(…帰れる? 今、すぐ?)
正直、願ってもない。
みーちゃんを取り戻せた今、この世界に心残りなんてない。
「お一人で返還術を使用するおつもりで? いくらマナが豊富だからって、すぐに淀みを生み出すのですか?」
非難していると言うより疑問を純粋に口にしているらしいラスボスが、人外染みた動作で身体を傾ける。
帰るためには50年分のマナが必要だと言っていた。いくらマナが循環しはじめたからと言って、その50年分をここで使えば淀みもすぐに溜まる。
ラスボスの言いたいことはわかるし魔法を使えば淀みも増えていくだろう。
これってつまり次の魔王が生まれる300年計算から単純に50年早くなるってことか?
気にはなかったが余計な事は言わないで欲しい。ここでセバスチャンが「やっぱりやめます後にしましょう」とか言い出したら絶対帰れない。
(そういう問題は、私たちが帰ってからなんとかしろ)
この世界のあり方に、他の世界の人間を巻き込むな。
セバスチャンは魔法陣を発動したまま、ラスボスを振り返った。
「魔王の姿は見えませんが、まだ消えていませんね?」
「そうですね。丁度今とぼとぼこっちに向かってきています」
見えないが近付いてきているらしい。
みーちゃんからは見えているのか、ぷくっと頬を膨らませてつーんっと視線を逸らし、私に齧り付いた。勢いとかじゃなくて本当に齧り付いている。服越しに肩の辺りを噛まれてかなり痛い。
「返還術を発動した淀みで、魔王はどれくらい形を取れますか」
「…何故?」
「魔王にこそ、謝罪と感謝を伝えねばなりません」
は?
みーちゃんを宥めてせめて噛むのは服だけに…と妥協してもらったところで聞こえた言葉に、私は驚いて顔を上げた。
セバスチャンは、いつも静かな表情をしている。
今も、とても静かだ。
「あなたの言うとおり、魔王と勇者が魔法を使うことによって淀みは浄化されてマナの循環が活性化されました。つまり魔王が世界を浄化するために生まれたというのも正しいのでしょう。浄化するのに生き物を顧みない姿勢も…目的から考えれば、理解できます」
魔法を使用することで世界に淀みを生み続けているのは生き物…人間だ。
そんなことも知らず、脅威として認識し、自分たちの尻拭いをさせていながら排除しようとした。
魔王と呼び出したのは人間の都合。本当は、その存在こそが崇められ敬われるべきだった。
「浄化のためだけに生み落とされ、役目が終われば消えてしまう…そんな存在を世界に生み出させたのは人間です。我々は彼を魔王と呼び悪と誹るのではなく、原因と向きあわねばならなかった。今までの所業も含めて謝罪と感謝を魔王…まおちゃん様にお伝えしたい」
「えー今更ですが?」
「今更だからとすべきことをしないのは違うでしょう」
「えー?」
ラスボスはいやそうに顔を顰めた。
「そんな単純に、ごめんなさいとありがとうでこの世界は回らないですよ。あなたの功績に気付いたので正当に評価します。これからもよろしくねってことでしょう?」
「それでは何も変わりません。今すぐ魔法を手放すことは不可能ですが三百年後…間に合わず次世代の魔王が生まれたとしても、召喚ではなくまおちゃん様との交流で世界をよくしていかねばならないのです」
「えー?」
なんでラスボスのほうが面倒くさそうな対応しているんだ。
セバスチャンの言っていることは本当に今更だし綺麗事だと思うが…洗脳に近い価値観の中で生活していた男だ。私の中では誘拐の共犯だけど、問題点を放置する気がないなら勝手にがんばれって感じだ。
セバスチャンは影響力のある大人のはずだから、改善に動くならすればいい。
私が気にすべきはこっちじゃなくて、産まれて生活してきた世界のほうだ。
未だラスボスは不可解で面倒ですと顔を顰めていたが、セバスチャンは気にせずこちらを振り返った。
「お二人にも。ご迷惑をおかけしました」
「ほんとにな」
ほんとだよ。
繰り返すが誘拐されたと思っているので擁護はできない。みーちゃんを無事に親御さんのところに帰せるのならそれでいい。
正直これ以上の問答はいらないので、さっさと帰して欲しい。
許すも許さないも、語り合うだけ無駄だ。
許さないし、恨み続けるし、もう二度と関わりたくない。
みーちゃんにも関わらせたくない。異世界側の事情なんてこれ以上聞きたくもないし、ヘタに同情してこっちの罪悪感を煽るような真似もやめて欲しい。
私は全部に知らんけどって逆ギレかますが、大人になって会話を覚えていたみーちゃんが罪悪感でトラウマ抱えたらどうしてくれる。ただでさえ厄介なシーンを目撃してるんだぞ。これ以上増やすな。
そんな私の心境を察したのか、セバスチャンは苦笑を浮かべた。察しがいいのに公私を分けて行動するから、憎らしいが恨みきれない男なのがずるい。
悔しいけど、どちゃくそ好みなイケメンだから余計にだ。その顔で生まれたことに感謝しろよ。
足元の魔法陣が光る。私にはさっぱり見えないけど、なんとなく旋風が吹くような、空気が渦巻くような違和感を覚えた。
不思議そうに周囲を見渡していたみーちゃんが、私の服を噛んだまま振り返る。めちゃくちゃ引っ張られたけどこの服絶対もう着ねぇからどうでもいいわ。
多分これ、完全に油断してた。
返還術の精度は考えない。そこ疑ったら切りがない。セバスチャンは政治的利用価値に否定的だから絶対に約束を守る。ラスボスは不満そうだったけど、邪魔をする空気ではなかった。邪魔をするような奴は近くにいなかった。
私の視点では。
「まおちゃんばいばい」
ぶすくれながら、みーちゃんが手を振った。
私には見えないまおちゃんに。こっちにとぼとぼ近付いてきていたらしいまおちゃんに向かって手を振った。
完全に油断していた。
だって私には、セバスチャンには、その姿が見えていなかったんだから。
魔法を使うと淀みが発生する。
召喚魔法同様、返還術には大量のマナが必要で、つまりそれだけ淀みも大きくなる。
それは消えかけている魔王の姿を保つほど…だったのかは、結局返答を得られていなかった。
でも。
『だめ――――ッ!』
嫌われても拒否されても、この世界で唯一からのさよならを見送れない子供が。
その存在すらかけて絞り出せるくらいには、あった。
ドカンと落ちた落雷。私とみーちゃんに直撃した雷。私たちの足元には魔法で出来た水。
雷と水の相性。全身に走る衝撃と熱が心臓を直撃した。
心臓が、とま…。
『――…い線の内側までお下がりください』
まるで走馬灯のように。
聞き慣れたアナウンスが耳を滑っていく。
すぐ横を通り過ぎていく男女。ざわざわと響く喧噪。黄色いブロックの上を歩いている足。無意識にすすむ身体に、私は思わず減速して立ち止まった。
後ろを歩いていた人が私にぶつかって舌打ち一つ。遠くから聞こえる子供の泣き声。繰り返し響くアナウンス。店員の客呼び。
「は?」
ゴトンと手から滑り落ちた、携帯。
その表示は、私が異世界召喚された日時そのままだった。
は?????




