第3話−5
俺は20の女の子に、なんて話をしてるんだ?直人は、そう思った。でも、気がついたことがある。彼はかなり、両親の影響を受けている。そう、恋愛観について。
「寂しかったのはさ」と、直人は話を続けた。
「うん、なあに?」
「葬式」
「葬式?お葬式は、寂しくて普通じゃない?」
「と、いうのはさ。俺は、たくさんの人が来てくれると思ったんだ」
「お葬式に?」
「うん。母は部長だったし、父も県庁勤めだったから、年賀状は毎年何百通も来たんだ。俺宛ての年賀状を探すのが大変だった。
事故で死んだとき、両親とも定年退職してた。でも、たくさん人が来ると思った。わざわざ斎場は広い場所を選んで、食事も酒も200人分くらい用意した。だけど・・・」
「だけど?」
「親戚除いたら、20人くらいしか来なかった。信じられなかったよ」
「ねえ、どうして?どうして、そうなるの?」由紀子ちゃんは、少し強い調子で聞いた。若い彼女には、想像できない話なのだろう。
「父と母は、みんなに嫌われてたんだ。みんな、仕事で仕方なく付き合ってたんだね」
「ふーん」由紀子ちゃんは、頬杖をついて考え込んだ。首をひねり、奥穂高岳の方を見た。そこには斜面を滑る、燃えるような紅葉があった。
「だからさ、やっぱり二人一緒に死んでよかったと思ったんだ。なんとなく、だけど」
「うーん」由紀子ちゃんは、考えこんでしまった。
直人は席を立ち、生ビール二つとおでんも二つ買ってきた。由紀子ちゃんは、「ありがとう」と言ってくれたけど、心はどこかを旅していた。
「おじさん」
「うん」
「考えさせられる話を、ありがとう」と、由紀子ちゃんは言った。
「いえいえ」
「ねーえ」彼女は珍しく、恥ずかしそうな仕草をした。
「うん。なあに?」
「私ね、さっき嘘ついたの」
「うん?」
「私、一人っ子じゃないの。兄貴がいたの」
「そうなんだ」いた?
「 10才年上の兄貴で。私、小さい頃の兄貴の記憶って全然ないの。兄貴は、自分の部屋に閉じこもってたし」
「ふーん。インドア派なんだね」
「というより、引きこもりみたいだったなの。それでね・・・」
「うん」
「私が幼稚園で、兄貴が中学生のとき・・・」そこまで話して、由紀子ちゃんは深呼吸をした。
「うん」
「家の近くでね、小学生の女の子が変質者に裸にされる事件が連続して起きたの」
「ええっ!?」
「裸にされて、写真を撮られるんだって。トイレの個室に連れ込まれて」
「へえー」
「私は、あんまり記憶ないの。小さかったから。でも街中の騒ぎになってて・・・」
「それは、大変だね」
「大変な騒ぎだったそうなの」と、由紀子ちゃんは今でも驚いたような顔で語った。「しばらくして、兄貴が捕まったの。犯人だって」
「ええっ?!」
「街は、さらに大騒ぎ。そして、父は激怒してた。警察で兄貴と面会したときは、怒鳴りまくってどうしようもなかったらしいの」
「うーむ。そうだったんだ」
「まだ中学生だったから、兄貴は二年くらいで施設を出てきて。それからは、父が毎日兄貴を竹刀で滅多打ちにしてた。父はそうすれば、兄貴の病気は治ると思ってたみたい・・・」
「それって、つまり・・・」
「うん」
「治らなかったってこと?」
「そうなの」と言って、由紀子ちゃんはまたため息をついた。「私が中学生のとき、兄貴はまだ大学生だったのね。地元の無名大学なんだけど」
「うん」
「8月だった。暑いころ」と、由紀子ちゃんは遠くを見る目をした。視線の先は、過去へ向いていた。「一人暮らしの女性の家に、男が押し入る事件が起きたの。何件も」
「うん」直人は、嫌な予感がした。軽い頭痛と、めまいを覚えた。
「男は女性を脅して、裸にするの。それから、写真撮るの。たくさん」
「うん」
「事件は、報道されていなかったの。でも近所は、その噂で持ちきりだった」そう話す、由紀子ちゃんの唇が少し震えた。でも彼女は、話を続けた。「そんなとき、兄貴が死んだの。殺されたの」
「ええっ!?」直人はまたびっくりして、大きな声を出してしまった。
「夜道で、通り魔殺人にあったの。犯人は、ちょっと頭のおかしい人。すぐに捕まったけど、頭のおかしい人って罪にならないでしょ」
「そうだね。責任能力がないからね」と、直人は答えた。
「その人は、裁判のあと病院に入院して終わり」
「それは、お気の毒に・・・。由紀子ちゃん、大変だったんだね」
「ううん」と、由紀子ちゃんは首を振った。「そのあとが、つらかった」
「どうして?」
「まずね、女性の家に押し入る事件は起きなくなったの。ぱったりと」
「って、ことは・・・」
「犯人は、兄貴だったんだと思う」と、由紀子ちゃん乾いた口調でボソボソッと言った。
「そうじゃない可能性もあるんでしょ?お兄さんが、犯人だっていう証拠はないんじゃない」
「うん。幸い、見つからなかった」と、彼女はささやいた。「見つかる前に、兄貴は殺されたの」
「うん」
「多分、父に」と由紀子ちゃんは、はっきり言った。声は、ひそめていたが。
「えっ!?」
「父は、二度目は許せなかったと思う。家に、ずっと消せない傷をつける。そう思ったんだと思う」
「そんな・・・」
「父なら、やりかねないの。そういう人なの。人に頼んで兄貴を殺し、罪は別の人になすりつける」
「そんな、まさか・・・」直人は、絶句した。
「もちろん、証拠があるわけじゃないよ。でも、都合が良すぎる。家の問題が、いっぺんに解決したんだから」
由紀子ちゃんはそこまで話して、テーブルに両肘をついて手を組んだ。目を閉じ、しばらく黙っていた。まるで祈っているようだった。