第3話−3
直人と由紀子ちゃんは、とても親しげに話した。まだ、知り合ったばかりなのに。その理由は、未来から時間を遡ると真実が見えてくる。二人は切実に、話し相手を求めていた。語るべきことをたくさん抱え、でもそれと無関係なおしゃべりに興じた。二人とも、そうせずにはいられなかった。
二人は思いつくままに、いろんな話をした。山だけじゃなく、環境問題や選挙や海外旅行の話もした。すると由紀子ちゃんが、ちょっと不思議な話を始めた。
「私ね。女って、すぐ死んじゃうと思うの」と、由紀子ちゃんは言った。
「死んじゃう?」直人は、彼女の話にピンとこなかった。
「男の人はね、世の中でいろんな役割をこなせるよね」
「仕事ってことだよね?まあ、そうだね」
「でも、女は違う」
「それって、結婚とか育児の話をしてるの?」と、直人は聞いてみた。
「ううん」と、由紀子ちゃんは首を振った。「そういうこともひっくるめて、全部」
「それは女性が、いろんな分野に進出してもダメなのかな?」
「確かに、頑張ってる人はたくさんいるよ。でもそうするとさ、男だけじゃなく女まで、頑張ってる女の人を悪くいうじゃない。あれが、たまんない」由紀子ちゃんはそう言って、顔をしかめてブルブルと頭を振った。考えるのもイヤだ、というように。
「うむ。それは、そうかも」
「私がクライミングしてることも、みんな悪口言ってるの」
「みんなって?」
「両親も、親戚も」
「あらら」
「私の家系って、昔は武士だったの。ご先祖様は出世したみたいで、そのプライドをまだひきづってるの。メチャ古い考え方するの」
「なるほどねー」直人は、なんとなく話が見えてきた。
「私、もうすぐ21になる。ここに来れるのは、今年が最後かも・・・」
「どうして?」
「お見合いさせられるの。しかも、断れない話」と、由紀子ちゃんは言って、大きなため息をついた。
「そうかー」
「家内って、旦那に呼ばれるわけよ。人間じゃなくて、畳とか材木扱い!」
直人はこのとき、由紀子ちゃんの実家のことをよく聞かなかった。もし、聞いていれば?いや、起こらなかったことに、想像をたくましくしても仕方がない。ここで直人は、抽象的な作戦を選んだ。
時計を見ると、午後二時だった。涸沢ヒュッテの展望テラスは、満席だ。でも由紀子ちゃんと直人は、しぶとく居座った。
「ねえ」と、直人は言った。
「なあに?」
「面倒くさい話してもいい?」
「いいよ」と、由紀子ちゃんは答えた。「天気、快晴。ポカポカしてあったかいし、展望はサイコー!どんな面倒くさい話でもいいよ」
直人はふと、目の前の北穂高岳を見上げた。午後になっても、まったく雲がなかった。キタホは、その巨体を誇るようにそこにそびえていた。最高の眺めだった。
「由紀子ちゃん、ビールまだ飲む?」
「飲むー」と、彼女は答えた。
「おでんも、食べる?」
「食べるー!」由紀子ちゃんは小学生みたいに手を挙げて、それからゲラゲラ笑った。
「女と男について、考えてみよう」と、直人は大げさに言った。
「OK。いいよ!」そう答て、由紀子ちゃんは両腕を肩の付け根からぐるぐる回した。背筋も伸ばした。
「昔、動物や魚を捕まえて食べていた時代。まだ、狩猟社会の頃だね」と、直人は話を始めた。
「しゅりょう?」
「狩りと、猟だね」
「なるほど」と、由紀子ちゃんは少し恥ずかしそうにうなずいた。「ごめんねー。私、漢字苦手なのー(涙)」
「了解です。その都度、わかりやすく言い直すよ」
「よろしくー」と彼女は言って、得意の愛くるしい笑顔を見せた。「で、狩りと猟がどうしたの?」
「この時代は、男と女の役割は完全に分かれてた」
「ほほう」まるで時代劇みたいに、由紀子ちゃんはあいづちを打った。
「毎朝、男たちは今夜の飯を取りに出かける。でもスーパーに、買い物に行くわけじゃない。巨大なマンモスと戦ったり、ちっちゃな手漕ぎ舟でカジキマグロの大物を釣ったりする」
「うん」
「まだ石器時代なので、石を先端につけた棒しかない。銃もサバイバル・ナイフもバズーカーもミサイルもない」
「そりゃそうだ」
「だから、狩りの犠牲者が出る。しょっちゅう葬式になる。『由紀子ちゃんの弟、今日死んだよ』『由紀子ちゃんの婚約者、今日死んだよ』となる。
「そりゃ、楽しくないな」彼女は、顔をしかめた。
「つまり、男は使い捨てだったんだ。おまけにさ、村を出て山や海に出かけるでしょ。毒蜘蛛や毒蛇に噛まれる、悪質な細菌やウイルスには感染する、狼や虎に食べられる、海に落ちて溺れる、サメに喰われる、・・・」
「ねえ、おじさん。最悪なんだけど・・・」
「だから女性と子供は、村から極力離れない。これぞ、『家内』だね。集団で、外の脅威から身を守る。」
「ううむ」由紀子ちゃんは、腕組みしてうなった。
「当時は、獲物を求めて移動する生活が基本だった。遊牧生活みたいなもんだね。だけど、毎日必ず獲物が獲れるわけじゃない。飯抜きの日も、多かったはずだ。だから、村は最小限の人数だった。少ない食べ物を、分け合えって生きていける人数になる」
「で、おじさん。結論は?」
「由紀子ちゃんの意見は、大昔の狩猟社会ならば正しい」と、直人は言った。
「それは、OK」と、由紀子ちゃんは生ビールをかかげた。「でもさ、おじさん。救いはあるんでしょ?」
「その通り」と言って、直人は笑った。「救いは、米や小麦だったんだ」
「はあ???」由紀子ちゃんの顔が、驚きで歪んだ。「意味、わかんないんだけど」
「日本では、稲作が伝播して弥生時代に入る。これは日本、いや世界人類にとって、決定的な線だったんだ」
「せん?」
「生活を一変させる、ラインを超えたんだよ」
「おじさん、それは?」由紀子ちゃんが、身を乗り出した。
「米や小麦は、長持ちしたんだ。常温で保存できて、ずっと後まで食べられる」
「それは、そうだね。確かに」
「肉や魚は、すぐ腐っちゃうよね。野菜だって、果物だってそうだ。大昔に冷蔵庫はない。でも、米や麦なら、倉庫を作って長期保存できる。その結果・・・」
「その結果?」
「人々は、定住生活できるようになった。もちろん、たまに狩や猟には行くよ。でもね、ウサギ一匹取れなくても構わないことになった。米や小麦を食べればいいからね。こうして、世界中に町ができた。日本にも、弥生時代の大規模な住宅跡がたくさん見つかっている」
「おじさーん、難しーんだけど!」由紀子ちゃんが、笑顔でクレームを言った。
「頑張って!この次が、クライマックスだから」
「えー。ホント?」
「このとき、男と女の差は消滅したんだ」
「ごめん、わかんない・・・」