第7話-1
由紀子ちゃんのお葬式は、とても寂しかった。ヤクザ風の人ばかり集まって、容易に人を寄せ付けなかった。もちろん、直人はくじけなかった。お通夜にも、告別式にも参列した。それは、茜ちゃん、浅野くん、鈴木くんも同じだった。
葬儀の一週間後、電話をもらった。由紀子ちゃんのお父さんからだ。彼は、直人の家に来たいと言った。休暇中の彼は、いつでも大丈夫だった。電話の翌日、お父さんは天王洲にやって来た。黒いベンツ2台で。直人は、来客用の駐車場を確保した。
直人の部屋には、お父さんだけ上がってきた。部下たちは、二階の応接ルームで待機してもらった。由紀子ちゃんのお父さんは、黒の着物姿だった。彼は娘の喪に服していた。頭は丸坊主で、頬は削げていていた。小柄だけれど、存在感があった。両目は、真っ赤に充血していた。お父さんは、とても怖かった。
直人の部屋に、狭い和室があった。お父さんの希望で、二人は和室に腰を下ろした。部屋は南向きで大きな窓があり、陽の光が差して明るかった。お父さんは正座して、懐中から「遺書」を取り出した。
「由紀子の式に、来てくださりありがとうございます」お父さんは、深々と頭を下げた。
「いいえ・・・」直人も、お父さんと同じく深く頭を下げた。
「あなたが、運んでくださった遺書です。あなたのおかげです。どうか、目を通してやって下さい」
「はい・・・」
お母さん。ずっとわがままばかり言ってごめんね。
最後のわがまま、言わせてね。さようなら。ごめんね。
ミーニャのブラッシング、よろしくね。二日サボると、毛玉になるんだよ。
ミーニャの、話し相手になってね。あいつは本当に寂しがり屋なの。
私の部屋にあるものは、全部捨てていいよ。山の道具だけは、茜にあげてね。
由紀子
由紀子ちゃんの遺書は、それしか書いていなかった。意図的と思えるほど、お父さんのことは書いていなかった。直人は、それがつらかった。
「私のことは、書いてないんです」と、お父さんは事実を確認するように言った。
「・・・はい・・・」直人は、なんとも言いようがなかった。
「由紀子が死んだのは」と、お父さんは言った。真っ赤な目で、直人を真っ直ぐに見つめた。「半分は、私のせいです。由紀子は、私を呪っている。多分、今も」
「そんな・・・」
「もう半分は、家のせいです。それは私もわかる。私だって若い頃は、家を出たかった。ごくごく普通の人間になりたかった・・・」
「はい・・・」
「直人さん」と、お父さんはあらたまって言った。
「はい」
「私たちの仕事はね、死に場所を探してるんです」
「死に、場所、ですか?」
「大袈裟だと、思われるでしょう。でも、私たちは犯罪者だ。反社会勢力です。日陰に生きて、心が休まることがない。だから、せめて価値ある死に方をしようと思うんです。死に場所と死に方で、私という人間の価値が決まる」
最初は、あまりに突飛な話だと思った。でもすぐに、直人は自分にも当てはまると気づいた。だって直人は、美枝子を殺して自分も死ぬつもりだったから。
「なんとなく、わかる気がします」と、直人は答えた。
「ありがとう」と、お父さんは言ってくれた。「こんな話をするのはね。由紀子も、死に場所を探していたからです」
直人は、背筋が寒くなるのを感じた。そうか、なんてことだ。由紀子ちゃんも俺も、涸沢で死ぬことばかり考えていたんだ。二人でおしゃべりしては、死ぬことを少しずつ延期していたのか。
「価値ある死に方、と言いましたが、別の理由もあるんです」と、お父さんは言った。
「はい・・・、その、理由とおっしゃるのは・・・」
「切腹と同じなんです」と、お父さんは少し大きな声で言った。直人は、その迫力に圧倒された。「切腹は、潔く死ぬことを意味します。でも、切腹するのは、恥辱を受けたまま生きていたくないからです。死にたいほどの恥に耐えて生きるより、死んで誉められることを選ぶんです」
恥か。直人は考えてみた。直人にとっての恥は、美枝子に捨てられたことだった。由紀子ちゃんにとっては、クスリで稼いで生きることだった。「考え過ぎだ」とか、「大したことじゃない」と、言われるかもしれない。でも、この恥辱は耐え難いことだった。
「あの子のヘルメットが、前穂高岳の山頂で見つかりました。裏側に連絡先が書いてあったので、親切な人が届けてくれたんです」と、お父さんが教えてくれた。
「そうだったんですか・・・」これで、謎が解けた。由紀子ちゃんは、ヘルメットを捨てていたんだ。直人はそう思った。
「由紀子はあの日、早朝に前穂高岳に登った。山頂でヘルメットを脱いで下山した。途中で、身を投げたんだと思います・・・」
お父さんは、そこでしばらく黙った。両眼には涙が溜まっていた。でも彼は、一粒もこぼすまいと耐えていた。
「・・・大好きな前穂高岳が、由紀子の選んだ死に場所だったんです」
「・・・でも、私が割って入った・・・」と、直人が口を挟んだ。
「そうです。あなたは、あの子の予定になかった」お父さんは、少し前のめりになった。彼は、直人に聞いた。「あの子は、あの子は、何か言っていましたか?」
「はい」直人は、あのときのことを頭に浮かべた。何度も何度も思い出した、忘れることのない光景・・・。
「雪が降っているのに、由紀子ちゃんは『陽が差してきた』と言いました。幻覚を見ていると思いました」
「はい」お父さんは、背筋をしゃんと伸ばして聞いていた。
「由紀子さんを背負うと、『おじさん、なんでここにいるの?』と言われました。でも、『おじさんに会えてうれしい。楽しい』と言ってくれました。下山を始めると、彼女はすーっ、すーっと寝息を立てて寝てしまいました」
お父さんは、両目を怖いほど見開いた。目はさらに、赤く染まって見えた。しばらく、私たちは黙っていた。
「あなたに背負われて、眠ってしまったんですな」お父さんは、しばらくしてそう言った。
「はい、ぐうぐう寝てました」お父さんと私は、目を合わせて少しだけ微笑んだ。
「あの子は、あなたを慕っていた。最後の言葉は、『楽しい』だったんですね?」
「はい」直人は、記憶をたどって確かめた。「楽しい、でした。間違いないです」
「よかった・・・」
お父さんは小さくつぶやいて、下を向いた。もう、限界だった。堰を切ったように、涙が流れて畳に落ちた。それは、あたり前のことだった。私は横を向いて、気づかないふりをした。誰も見ていない。好きなだけ、感情を出してしまえばいい。
お父さんが帰るとき、ちょっとした揉め事が起きた。若い警官が二人、直人を訪ねてきたのだ。直人は玄関で、二人を出迎えた。
「あなたについて、署に苦情が届いています」と、一人が言った。 ひょろっとした白い顔の、頼りない警官だった。
「ある女性が、あなたが毎晩家の近くに来て怖いと、おっしゃっています」と、もう一人が言った。「心当たりは、ありますね?」彼が先輩格で、頬を膨らませて直人を叱った。背は高くないが、体格のいい男だった。
「はい、あります」と、直人は答えた。「すみませんでした」と、彼は警官に頭を下げた。
「なんだあ!貴様らはー!」ものすごい大声を出して、お父さんが玄関に出てきた。「いったい、何の用だ!」お父さんは、本気で怒っていた。
二階の応接ルームにいた部下たちが、続々と直人の部屋に上がってきた。お父さんが呼んだのだ。玄関前に、五、六人のヤクザ者が集結した。彼らは、警官二人を取り囲んだ。気の毒に、若い警官たちは完全に怯えていた。
「何の用だ、と聞いてるんだ!」お父さんは、また怒鳴った。迫力がすごいし、声量も人の倍だった。さすが、本物のヤクザだった。
「こちらの方が」と、先輩格の警官が直人を指差した。「ある女性の家に、毎晩来るそうで・・・」
「そういう、苦情を受けまして・・・」と、顔の白い警官が説明した。
「この方が、毎晩来てくださる?」と、お父さんが聞いた。
「はい・・・」
「素晴らしいことじゃないか。ウチの娘なら、大喜びだぞ!」
「え・・・?」二人の警官は、目が点だった。
「お前ら!いいか、くだらん仕事はするな!真面目に働け!価値のある仕事をしろ!・・・」
お父さんの怒りは、なかなか治らなかった。




