第5話−9
そのまま、夕食になだれ込んだ。由紀子ちゃんが、鍋を作ってくれた。鶏鍋だ。
「野菜も、下から背負ってきたんだよー」と、由紀子ちゃんが売り込んだ。
「いや、助かるよ。俺は今夜、レトルト・カレーの予定だったから」と、直人は言った。
締めのうどんまで、しっかりいただいた。食べ終わったのが、18時。外の雨は、強くなったり弱くなったり。また風が、強くなってきた。
「ねえ、おじさん」
「なあに?」
「先週さ。宗教指導者はみんな政治家だ、みたいなこと言ってたじゃん」
「そうだね」
「宗教信じてないの?って聞いたら、『ひねれば大丈夫』とか言ってたよね」
「うん、言った」
「あの、ひねるってどういうこと?」と、由紀子ちゃんは聞いた。
食後に、二人はまたホット・ウイスキーを飲んだ。我ながら、よく飲むなと思った。
「由紀子ちゃんは、宗教に興味あるの?」
「宗教っていうより、神さまだね」と、由紀子ちゃんは答えた。「私の周りって、小さいころからバイオレンスの世界だったから。神さまっているのかな?って純粋に思うの」
「了解。わかったよ」と、直人は答えた。「人は普通、神様はいるかいないか?と考えてしまう」
「そりゃ、そうだね」と、由紀子ちゃんはうなずいた。
「ここでちょっと、考え方を変えてみよう」
「わかった。変えてみるよ」と由紀子ちゃんは笑いながら答えた。
「この世は、うまく出来ていると考える。夢は努力すれば叶うし、悪人は必ず罰せられる。正しいことをしていれば、必ずいいことがあるし、人に好かれる。自然は美しいし、生物界は完全に調和していると考える」
「ねえ、おじさん。何が言いたいの?」由紀子ちゃんは、吹き出しながら言った。
「つまりね。今言ったことが全部信じられるなら、当然その原因があるはずなんだ。その仕組みを、作った人がいるはずだ」
「う、ん・・・」
「それが、神様だ」
「ううううむ」由紀子ちゃんは、ウイスキーが入ったカップを脇に置いた。そして頭を抱えて、考え込んだ。
「反対にね。この世は全然うまく出来ていない。混乱したカオスの世界だ。人が努力しても、正しいことをしても、夢が叶うわけでも、いいことがあるわけでもない。自然が美しいのも、生物が素晴らしいのも人間とは関係ない。たまたまそう見えるだけだ」
「ふうむむ」
「こう考える人は、この世に秩序はない。仕組みもないから、それを作った人もいない。だから、神様はいない」
「あーっ、あーっ」と、由紀子ちゃんは変な声を出した。
「神さまはね、この世に仕組み(秩序)があると思えるか、思えないかの違いなんだ」
「へえええええ」と、由紀子ちゃんはうなった。「そうなの?」
「一応、気をつけてね。こんな変なことをいう人は、あまりいないから」
「うん、気をつけるよ」と、由紀子ちゃんは笑った。「でもさ、神さまがいるかいないかって、自分次第なの?好き勝手に、選べるの?」
「ここから少し、話が難しくなるね」と、直人は断った。
「もう十分、難しいよ」と言って、由紀子ちゃんは苦笑いした。
「ギュゲスの指輪、という昔話がある。透明人間になれる指輪を、ギュゲスという人が見つけた。指輪を使って、たくさん不正を働いた。王妃と組んで王様を殺し、とうとう王座に就いた」
「悪人じゃん」
「これはね、不正を働いてもバレないなら(透明人間だからね)、人は正しいことをするか?という話なんだ」
「なるほど」
「由紀子ちゃんは、バレないなら悪いことをする?」
「いや、しないね」と、少し考えて彼女は答えた。「私はさんざん、悪いことを見てきたから。もうたくさんだね」
「もし、この世に仕組みがないと考える人なら」と、直人は言った。「バレないなら、悪いことをしていいと考える」
「・・・うん・・・」
「もし、この世に仕組みがあると考える人なら、悪いことはしない。あとで、罰せられるから。何かの形でね」
「ふうむ」と、由紀子ちゃんは言った。「で、おじさんの結論は?」
「この世に仕組みがあると考える方が、圧倒的に楽だ」
「なんで?」
「神様を信じない人でも、親友のことを信用している。頑張れば、好きな人が自分を好きになると信じている。信じないと、やってられない」
「そりゃそうだね」
「つまりみんな、この世に仕組みがある場合と、ない場合を使い分けているのさ」
「するとさ。結局みんな、バレなくても不正は働かないってこと?」
「残念ながら、そこまでいかないけど」と、直人は笑った。「どんな悪人でも、自分の悪事は恋人や親友や親にはバレたくない。一体なぜだろう?と突き詰めると、この世の仕組みに行き着く。で、その仕組みを作ったのは?神様になる」
「あーっ!!!」
由紀子ちゃんは、大声を出した。天気の良い日なら、テント場ではかなり迷惑だ。でもまた、雨がテントをバンバンと叩いていた。多少の大声は、かき消されてしまった。
「なんか、なんか」と、興奮気味に彼女は言った。「見えた気がする!見えたよ」
「それはよかった」
「うふふふ」由紀子ちゃんは、とても満足そうな顔をした。「ねえ、おじさん」
「うん、なあに?」
「胡座かいて」
「えっ!なんで?」
「パンツの、膨らんでるトコが見たいの」と、由紀子ちゃんは平然と言った。「いや、もっとストレートに言うよ。おじさんのあそこ見ながら、お酒が飲みたいの」
「えーっ!?」
「私、正直でしょ?不正は、働かないよ」
「いまさらだけど、教えてくれない?」と、直人は由紀子ちゃんに聞いた。
「なに?」
「最初に会った夜さ、何で俺に声かけてくれたの?」
「えー、どうして?」彼女はニコニコしながら言った。
「だってさ、君の親みたいな中年オヤジじゃん、俺」
「おじさんは、全然若いよ」と、優しい由紀子ちゃん。
「女友達には、四十代半ばとか五十とか言われてるよ」
「ホントにいー!?」彼女は、本当に驚いていた。
「だからさ、俺てっきり若く見られたんだって思った。この帽子かぶってたし」直人はそう言って、ベースボールキャップを脱いだ。
「おじさんは、今と変わんなかったよ」と、由紀子ちゃんは言った。「たださ。今にも、死にそうな顔してたから」
「えっ、俺が?」予想外の指摘に、直人はびっくりした。
「そうだよー。だって、真っ暗闇の中で一人っきりでここに座ってさ。ものすごい、思い詰めた顔してたよ」
「そ、そんなつもりじゃ、なかったんだが・・・」直人は、あからさまに狼狽して答えた。
「ねえ。なんか、深刻な悩みでもあんの!?」由紀子ちゃんは、突然怖い女教師みたいになった。
「実は・・・」
「何!?」
「婚約者に、男ができて振られた」直人は、正直に答えた。
「ええっ!?」由紀子ちゃんは、まだ怖いままだ。「どうして?」
「わからない。12月に結婚式を予定して、招待状も出した後なんだ。彼女に25歳の彼氏ができて、今二人は同棲してる」
「くだらねー!!!」と、由紀子ちゃんは怒り出した。「何それ。まるで、21時台にやってるドラマじゃん。視聴率、全然取れないやつ」
「はい・・・」直人は、シュンとなった。
「婚約者は、いくつ!」
「はい、33」
「その人さ、その人バカだよ!」
「はい・・・」
「おじさんも、おじさんだよ!」
「はい。ごめんなさい・・・」
「そんな人、こっちからお断りだよ!なのに、何で死にそうな顔して悩むの!」
「はい、すいません・・・」
「そんな人、さっさと忘れて!身近に、『私みたいないい女』探しなよ!ねえ!」
「実は・・・」由紀子ちゃんが相手だと、隠しごとをする気が起きなかった。
「なに!?」
「まだ、誰にも話してないんだ。家族にも、招待客にも・・・。結婚式場の予約も、新婚旅行もそのまんま・・・」
「バ・・・・ッ、バッカじゃないの!」由紀子ちゃんは吠えた。おそらく、周りのテントに響き渡った。
「はい・・・」
「帰ったら、『あんな女、婚約破棄だ!』って宣言しなさい!」
「うん」
「月曜のうちに、全部キャンセル。火曜には、知り合いの女性たちと飲みに行きな。おじさんなら、いくらでも女の子を紹介してもらえるよ」
「そうかな・・・」
「そうでしょ!」
直人のストーカー生活は、風前の灯だった。下らないと言われれば、下らない。俺は下らない人間だが、美枝子との話も全て下らない。確かに、確かに、その通りだ。
「・・・下らないね、全部」と、直人はボソッと言った。
「そういうこと」と言って、由紀子ちゃんは笑った。やっと、機嫌が直ってくれた。




