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ストーカー(U18)  作者: まきりょうま
第1話 涸沢
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涸沢−2

 山の夜は早い。普段なら、直人は7時過ぎに寝てしまう。というのは、4時に出発するためだ。前日の睡眠不足を補う意味もある。4時に出るためには、2時に起きて朝食を済ませる。3時からテントをたたんで荷造りする必要がある。

 だが、4時の出発したご褒美は大きい。山々の美しい夜明け。闇が黒だとすれば、明るくなるにつれて藍、青、水色と、周囲の景色が変化していく。森全体が、朝日で赤く染まる。透き通るような早朝の空気。そして日の出。陽の光の持つ、圧倒的なパワーは凄まじい。どれも一度経験すると、忘れられない思い出となる。

 その夜の直人は、20時にちょっとウトウトとしただけだった。すぐに、目が冴えてしまった。疲れているのに、眠れなかった。だがこれは、最近よくあることだった。悩みを抱えたせいで、彼は睡眠障害の症状が現れていた。23時になって、直人は諦めてテントを出た。彼は、闇の中を展望テラスへ向かった。

 幸い、風はなかった。でもこんな真夜中に、展望テラスにいる人はいない。もちろん、直人はそれでよかった。もう一度、計画を立て直そう。刃物ではなく、火を検討するか?ガソリンを美枝子にかける。自分にもかける。火をつけて、全部終わりにする。


 月夜は、あまり楽しくない。なぜなら、月が明る過ぎて、微かな星の光が見えなくなるからだ。月が出ないと、涸沢は深い闇に包まれる。でも、次第に目が慣れてくる。すると莫大な数の星が、目に飛び込んでくる。流れ星も、ちょくちょく見える。今夜は、そんな夜だった。

「眠れないんですか?」突然、若い女の子に声をかけられた。

「え?!あ、はい。そうです」直人は、うろたえながら答えた。

 その女の子は、するするっと近寄って直人の隣に座った。直人はますます動揺した。

 俺が若い女の子に、声をかけられるはずがない。37だし、醜いし、額も後退しているし。脳天も、少しハゲている。直人は、自分が真夜中にベースボール・キャップを被っていると気がついた。きっとこれで、年齢をごまかしたんだ。この女の子に、済まないことをした。

「すっごい、綺麗な空ですよねー」彼女は直人の隣で、うっとりした様子で夜空を見上げた。

「今夜は、いいですね。あたりですね」と、直人は答えた。内心の動揺をこらえ、平静を装った。

「ここは、よく来るんですか?」と、彼女は聞いた。

「うーん、そうですね。若い頃からだと、何回来たのか・・・?わからないですね。うーん、100回は超えてると思います」直人は密かに、自分が年寄りだとアピールした。

「へー。すごーい。今、おいくつですか?」彼女はすぐ、核心に迫った。

「37です。中年のおじさんです」直人は、罪を自白するように言った。

「そうなんですねー」と、彼女は感心したように言った。「大人ですねー。ステキー」

「あなたは、おいくつですか?」

「20です。まだ、ガキ」と言って、彼女は恥ずかそうに笑った。

 彼女は、よく見ると鼻が少し上を向いていた。だから、鼻の穴がはっきりと見えた。それから両目の端が、少し吊り上がっていた。つまり、決して可愛い女の子ではなかった。

 しかし、耳が隠れるくらいのショート・カットに、ドングリのような顔のかたち。ちょっと太めの体型(後で、全身筋肉だとわかった)。彼女の笑顔は、まるで子猫や子犬のような愛くるしさがあった。不思議な魅力を持つ女の子だった。

 ここでちょっと、二人の間に沈黙が流れた。直人は沈黙を嫌った。

「明日は、どうされるんですか?」彼は、話題をひねり出した。

「友達と、北尾根を登るんです」

「へー、クライマーなんですね」

「おじさんは、どうされるんですか?」

「北穂高、奥穂高、前穂高を縦走して、岳沢から帰る予定です」

「えー、欲張りー。だいじょーぶですかー?」直人のルートを歩いた場合の時間は、約10時間になる。

「年食ってますから。身体が危ないと思ったら、すぐ引き返しますよ」

「おじさーん。敬語、やめてくんなーい?」と、彼女は突然言い出した。

「あ、はい?うん、やめる。うん、やめるよ」

「ちょっと、待っててー」

 そう言って彼女は、席を立った。展望テラスから出て、小屋の階段を降りていった。彼女は、もう戻ってこない気がした。一人になって、直人はそう思った。けれど、23時の闇の中に一人きりなのはつらかった。彼は、しばらく美枝子を忘れていた自分に気がついた。

 三分くらいして、彼女は帰って来た。ビールの500ML缶を二つ持って。

「これ、私のおごりだよ。ビール、大丈夫?」と、彼女はちょっと自信なさそうに聞いた。

「はい、大丈夫です。ビール好きです!」と、直人は答えた。声が上ずった。とても嬉しかったから。

「敬語ダメ!」彼女は、直人をビシッと叱った。女の子に怒られて、直人はシュンとなった。でも怒られるのも、気持ちよかった。

「私ね、由起子っていうの。由起子ちゃんって、呼んでね」

「はい」

「はい、はダメ!」由起子ちゃんは、そう言って笑った。

「OK、OK。由起子ちゃんだね」

「おじさんは?」

「直人」

「なんか、正直そうー。おじさんに、ピッタリじゃーん」

 こうして、由起子ちゃんと直人は友達になった。真っ暗闇の中で。でも満天の星が、二人を照らした。直人と由起子ちゃんは、ここの山々の素晴らしさを語り合った。由起子ちゃんは、どんどん缶ビールの追加を買ってきた。気がついたら、2時を過ぎていた。

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