第3話−9
「人は、金持ちとの差を感じたときに、貧困を感じる。これは、現実にあった話なんだけど・・・」
「うん。なあに?」由紀子ちゃんは、直人のほうへ身を乗り出した。
「あるお母さんが、中学生の娘の首を締めて殺した」
「ええっ!?」
「母一人子一人の母子家庭で、パートで働いていたお母さんの収入はとてもわずかだったらしい。お母さんは、自分の娘の将来に絶望した。貧困で不幸になるなら、と我が子を絞め殺した」
「すごい、話だね・・・」由紀子ちゃんは、そう言って絶句した。
「我が子を殺したあと、お母さんは自ら警察に電話した。警官が駆けつけると・・・」
「どうなったの?」
「お母さんは、娘のビデオを見ていたそうだ。小学生時代の体育祭を撮影したもので、お母さんは絞め殺した娘が体育祭ではしゃぐ姿を楽しんでいた」
「・・・なんか、・・・なんかね」由紀子ちゃんは、複雑な表情だった。
「この話から、ふたつのことがわかる」と、直人が言った。
「うん。なあに?」
「お母さんが、ビデオカメラを持っていたことだ。それはさっき話した、相対的な貧富の差を埋めるためだ。彼女は収入が少ないのに、他のお母さんたちと同じように我が子にビデオカメラを向けたかった。そうすることで、幸せそうな家族を演じたかった」
「うーむ」と由紀子ちゃんは、腕組みをして目を閉じた。
「するとね。次に、このお母さんが絶望したことが、だんだん見えてくる」
「と、言うと?」
「このお母さんは、我が子が人並みに成長できないと思ったんだろう。まず女の子は、洋服やお洒落の問題がある。さらに、高校、大学と莫大な教育費がかかる。① ビデオカメラで差を詰めても、② 人並みなハイティーンの生活は送れない。それは無理だと、お母さんは思ったんじゃないかな」
「だからって、殺すことないじゃん!」と、由紀子ちゃんは抗議した。
「そうだよね。別に、高校なんて行かなくてもいいじゃない。中学卒業して、すぐ就職。自分の給料で、好きにお洒落をすればいい。でもこのお母さんは、そう考えなかった。他の女の子と、同じにしてやりたかった。ちょうど体育祭で、ビデオカメラを構えるように」
「おじさん」
「うん」
「結局、どうすればいいの?」由紀子ちゃんは、真剣な目をして直人を見た。
「ビデオカメラなんて、いらないじゃんと思えることだね」
「うーん」
「でも、一方でね。豊かさで他人と張り合うのは、とても自然な欲求なんだ」
「ふむ」
「さっきは、家、食事、洋服を例に出したけど、高校、大学、会社、車、海外旅行、スマホ、パソコン、・・・。人は、いろんなもので張り合う。これは当たり前で、売る側は良い製品を作って売る。俺たちは良い製品を買って、周りの人より豊かだ、幸せだと感じる。実は貧困の差の張り合いは、自由経済社会の基本なんだ」
「おじさーん」と、由紀子ちゃんは元気のない声を出した。「話に、ついていけない・・・」
「大丈夫だよ。言い直そう」と、直人は言った。「豊かさと貧しさ。この差は、人々の努力の源泉でもある。相対的に貧しいから、相対的に豊かになろうと頑張る。木造アパートじゃなくて、賃貸マンションに住もうと思う。軽自動車じゃなくて、普通車を買おうとする。隣の家がトヨタクラウンなら、ウチはメルセデス・ベンツとなる」
「うんうん。それなら、わかる」由紀子ちゃんは、大きくうなずいた。
「この張り合いゲームは、元気と金があれば楽しい。でもそれがなければ、敗北感と屈辱感に包まれる」
「ふむ」
「フランス移民のテロリストも、娘を殺したお母さんも、この敗北と屈辱という点では同じだ。張り合って絶望して、犯行にいたる。でもね。張り合わなければいいんだ。なぜなら、貧しさは相対的なもので、たまたま周りより劣っているだけなんだから」
「うーん。よく、わかんない」
「俺たちの、上着を比べよう。由紀子ちゃんのは、レインボーの新品だ。それに対して俺は、 10年以上前に買った日本製の◯◯◯だ。完敗だよ。でも俺は、全然気にしない」
「気にしないのが、大事ってこと?」
「本当は、『気にしない』という答えはベストじゃない。広い教室で、一人だけボロボロ、継ぎ接ぎの服を着ていたら心の傷になるだろう。でもね、ほどほどに『ボロボロでも、まあいいじゃん』という気持ちが共通認識であれば、豊かさと貧しさは消滅する」
「え?わかんない」
「教室の多数の生徒が、お古のボロい服を着ていること。レインボーの服もいれば、お古もボロボロも共存すること」
「そんなことできる?」
「大丈夫だと思う。由紀子ちゃんは、レインボーでいいよ。だけど大事なのは土台だ。『あなたと私は、あまり差がない』。それが、みんなの常識になればいい」
「みんな、同じ制服着ればいいってこと?」
「いや、そうじゃないよ。制服の話をすれば、女の子なら可愛い制服の学校に行きたいよね?」
「それはあるね。確かに」
「制服の可愛い学校は、私立で授業料は高いでしょう?」
「まあ、ね」
「貧しい女の子は、可愛い制服の学校に行けない。『でも、まあ、いいじゃない』と、周りのみんなが言うことができればいい。みんなで言い合っていれば、その意見は強固な共通認識になる」
「おじさん」と、由紀子ちゃんは急にあらたまって言った。
「なあに?」
「私、ブスなの」彼女は、吐き捨てるように言った。「これも、『まあ、いいじゃん』にしてくれる?」
若い女の子らしい悩みだった。でも最も典型的で、最も深刻な悩みだ。
「由紀子ちゃんは、可愛いよ」と、直人は言った。
「ホントに!?」
「個性的な顔立ちだと思う。でも、愛くるしい魅力がある。ちょっと珍しい魅力だよ」
「ホント?」
「本当だよ」
由紀子ちゃんは、ニッコリ笑ってくれた。彼女の後ろには、西日を受けた北尾根が黄金色に輝いていた。
直人は、夢中になってしゃべった。由紀子ちゃんという聞き役を得て、彼は腹に抱えたものを吐き出した。少しずつ、少しずつ。この行為は心地よかった。どのアイデアも、誰にも話したことがなかった。直人の周りに、こんな話題を好む人はいなかった。本当は、黙ったまま死ぬはずだった。
話しながら、直人は由紀子ちゃんのお兄さんを思った。ストーカー殺人者としては、見過ごせない話だった。彼は、罪を犯したようだ。罪を重ねたようだ。その償いとして、彼は殺されたのか?美枝子の罪を、俺が裁くように。




