第3話−7
「例えばさ、水田をもっと広げましょうとか。いや、畑を広げましょうとか。サバを取りに行きましょうとか。いや、カツオだ、マグロだ、イカだ・・・。てな感じで、町として『みんなでやること』の意見衝突が起こる。さらに、誰がリーダーになるかの争いも起こる」
「はあー・・・」と、由紀子ちゃんは大きなため息をついた。
「はあー、なんだよ。でもそれが、人間社会だ。そこで、神官が現れる」
「しんかんって、どんな字?」
「神様の官僚だね」と、直人は教えてあげた。「神官はさ、宗教的儀式を行う。例えば、動物を焼いて『骨に、神様のお告げが出ている』とか言うわけ。『神のお告げにより、水田を広げる』と、宣言する。みんな、ハハーとなる」
「そんな、うまく行くのー?」由紀子ちゃんは、また笑っていた。
「そこはね、ショー・アップが大切。演出だね」と、直人は答えた。「そのレインボーの上着を、神官が着る。徹底的に芝居がかって、神様のお告げ(ご神託)をみんなに告げる」
「私の、これえー?」由紀子ちゃんは、両腕を広げて見せた。さらに腰を左右に少し振って、踊って見せた。
「そう、そんな感じ」と、直人は言った。「でね。大事なのは、神官が男女平等だってこと」
「え?女の人?」
「日本で一番有名なのは、邪馬台国の卑弥呼でしょ」
「あら、そう言えばそうだね」意表をつかれた由紀子ちゃんは、そう答えた。
「地中海世界に目を移せば、古代ギリシアやローマでは巫女が大活躍している。プラトンの代表作『饗宴』では、愛の哲学的考察を全て巫女ディオティマが教えてくれる。ローマのウェスタの巫女は、30歳まで貞節を守る代わりに信託だけでなく政治的発言力も持っていた」
「ねこ?」
「みこ、だよ」と、直人は説明した。「卑弥呼と一緒だね。神様の代理人だから、社会的地位は高かった。ウェスタの巫女は、退任するとたくさん結婚を申し込まれたそうだ。アイドル的存在でもあったんだろうね」
「へえー、すごいね」と、由紀子ちゃんは言った。「女だって、昔から活躍してたんだ」
「そうだよ」
「でもさ」
「うん」
「おじさんって、変な人だよね」と、由紀子ちゃんは真剣な顔で言った。
「確かに。自分でもそう思う」
「世の中で、ほとんど役にたちそうもないこと。そういうの、いっぱい知ってるんだね」
「まあ、そうかもしんないけど・・・」と、直人は少し考えた。「たまに、役に立つこともあるよ」
「へえー、たとえば?」
「さっきの神様の話だけど・・・」
「うん」
「世の中では最近、宗教対立って騒いでるけど、実は大したことないんだ」
「なんで?自爆テロとか、怖いじゃん」と、由紀子ちゃんは口をとがらせた。
「ちょっと待ってね」直人は、ゆっくりと話した。「まずね。宗教は、揉め事解決だって言ったよね」
「うん。そう聞いた」
「もっと言うと、集団の意思統一のためなんだ」
「みんなの意見を、まとめるってこと?」
「うん、そう」と、直人は答えた。「宗教指導者は、実はすごく現実的なんだよ」
「宗教チックじゃ、ないってこと?」
「その通り。たとえば、隣町と戦争したいとする。勝ち目間違いなし、領土も倍になるとしよう」
「そしたら?」
「そこで、神官の出番だ。占ったら、神が戦争しろと言っている。だから、みんな従いなさい、となる」
「それさー。インチキじゃないの」由紀子ちゃんは、不満なようだった。
「意外に、そんなもんなんだよ。神官というか、宗教指導者は政治家だったんだ。みんなにとって良いことを考え、それを神の名で伝えたんだ」
「じゃあ、神官は信仰心ないの?」
「まあ、そうなるね」
「そうなのー?!」どうやら、納得いかないらしい。
「こんな例を出そう。イスラム教の、一夫多妻制」
「あー、アレね」
「イスラム教の創始者、ムハンマド(マホメット)は、ときどき神に取り憑かれたんだ」
「はあ?」由紀子ちゃんは、よくわからないようだ。
「ムハンマドに、神様が取り憑いたんだ。彼の身体を乗っ取り、彼の口を使って人々に神様の言葉を伝えた。弟子たちが、ムハンマドの言葉を書き留めた。神様の言葉だよ。それをまとめたのが、コーランだ」
「コーラ?」
「コーランだよ」と、直人は言い直した。「キリスト教に聖書があるように、イスラム教にはコーランがある。信者たちは、絶対に従わねばならない教典だ」
「ふーん」と、由紀子ちゃんはうなった。「そうゆうの、いっぱいあるんだね」
「まあね。で、そのコーランに一夫多妻制が書いてある」
「へえー」彼女は、興味なさそうに言った。それもそのはずだ、と直人は思った。
「この一夫多妻制。まさに、男尊女卑の典型に思える。だが本当は、そうじゃない」
「そうなの?」
「うん。実はこれ、ムハンマドの救済策だったんだ」
「誰を、救うの?」
「女性」
「訳わかんない!」由紀子ちゃんは、呆れたという顔で笑い出した。
「ムハンマドは、アラビア半島の征服戦争を始めた。戦争は勝利が続いたが、たくさんの犠牲者を出してしまった。それも、妻帯者ばかりだ。当然、路頭に迷った未亡人だらけになる。そこでムハンマドは考えた」
「ふむ」
「彼は生き残った兵士たちに、未亡人と結婚して良いと言ったんだ。もちろん、子供も含めて。だから一夫多妻制は、戦争未亡人の暮らしを安定させるための社会政策だったんだ」
「そうなの?」
「うん。しかもムハンマドは、『元の奥さんと新しい奥さんを、平等に愛せないならダメだ。未亡人と結婚するな』という趣旨のことも言っている。なかなか、いいこと言ってるでしょ」
「ふーん。そんなこと、初めて知ったよ」
「ここで俺が指摘したいのは、ムハンマドは神に取り憑かれたと言いながら、実は冷静だったということさ」
「つまり、けっこういい人だったんだ」と、彼女は納得してくれた。「だから、宗教指導者は政治家だって言いたいんだね」
「素晴らしい。その通りだよ」と、直人は彼女をほめた。