おれの妊娠
「どうですか、お調子のほどは」
「いや、どうもなにも、変な感じですよ……決まってるでしょ」
――男が妊娠するなんて。
男が妊娠する。それを初めて耳にした時、イカれた世の中だと思った。
だが、おれもまた正気ではないのだろう。今、おれの腹の中には赤ちゃんがいる。科学技術の進歩の賜物というやつだ。それと少子高齢化と未婚率の上昇が原因か。この世に生まれる男女の数には元々偏りがあるらしいが、それを抜きにしても結婚できない男が溢れ、またキャリアが大事だの自分が大事だのを理由に子供を産みたがらない女が今の世の中には五万といる。ならば男に産ませようとは思い切った考えというか、思い詰めた結果か。この分野の研究が進み、そして容認された。まあ、その辺の事情はおれの知ったことじゃねえ。自分に利益のある制度が存在するなら最大限活用させてもらうだけだ。
妊娠期間は女と同じ十ヶ月。その半分の五ヶ月目に入った今は安定期というらしく、流産の心配も薄れて、不安定だった体調は落ち着きを取り戻しつつある。
だが、この腹の出っ張り具合。どうも違和感がある。中年太りといえば、まあそう思えなくもないが、しかしどうも不安でしょうがない。この腹の中で、死んで腐っている。最近よくそんな夢を見るのだ。
「あ、あ、うご、今、動きませんでしたか!?」
「ええ、胎動というんですよ。今ぐらいの時期に感じ始めるものですよ」
と、答えた医者に「あらそうなの」なんて口走りそうになり、おれは慌てて口を塞いだ。
男が妊娠する仕組みなど難しい話は知らないが女性ホルモンが使われているらしい。女っぽくなるのはその影響なのだろう。クソが。男たちが嫌がるわけだ。男が妊娠できるようになったといっても、希望する男は少ないらしい。当たり前だ。やはりその期間中は以前のように働けなくなるだろうし、世間体もある。政府の主導かマスコミが、キャンペーンを打ったこともあるが、やはり生理的嫌悪感とでもいうのか、根っこの部分は揺らぎにくいようだ。
この生活に慣れてきたおれでさえ、つわりとは別に吐き気を催すことがある。自分の中にある異物に対して。
「えー、異物なんて言っちゃかわいそうですよぉ」
「ははは、三浦ちゃんも妊娠したらわかるんじゃない? 予定ないの? 付き合っている相手とかいない?」
「えー、いませんよぉ」「わかる時が来るんですかねぇー」と話す彼女のことが、おれは好きだ。三浦ちゃんは部屋から出て、運動場へ行く際の付き添いの看護師だ。まだ若く、妊娠の経験もないということで、おれは自分でどこかくすぐったく思いながらもついつい先輩面しちまうのだ。
「階段、気を付けてくださいねぇ。もうあなた一人の体じゃないんですから。って、ふふふっ、言ってみたかったやつです」
「おれも言われてみたかったよ」
と、二人で冗談を言って笑い合っていると、もう一人の付き人のおっかない顔の男にゴホンと咳払いされた。おれたちは顔を見合わせて苦笑いした。
外はいい天気だった。この施設には運動場があり、芝生が綺麗だ。むろん、転んだら危険なので激しい運動は禁止されているのが残念だが十分。ほとんど部屋から出られない身だから、至福の時間だ。ベンチに座り、日向ぼっこをしていると、タンポポのようについつい太陽に向かって腰を伸ばしてしまう。
「三浦さん、可愛いよね。ひひっ」
「あ、大野さん、どうも」
ひひっと笑うのが癖のこの男の名前は大野。ここでのおれの先輩だ。すでに二人出産し、今、腹の中にいるのはなんと双子らしい。嬉しいボーナスだと、事あるごとに口にし、笑っている。
「……ほう、胎動ねぇ。ひひっ、愛着がわいてきたんじゃないかぁ?」
「ははは、全然ですよ。そういう大野さんはどうなんですか? 出産した後、寂しくなったりしなかったんですか?」
「んーまあ、ないこともないけど、出産は麻酔で眠っている間に終わっているからねぇ。生まれてきた赤ちゃんと対面することもないしね」
「まあ、血の繋がりはないですからねぇ」
「妊娠する男のほとんどが代理出産だとさ。国からのお金目当てでさぁ」
「まあ、そうでしょうね。わざわざ妊娠しようなんて男はどっかおかしいですよね」
「ははははははっ! 違いない! はははひひひひっ!」
「はははは! ん?」
「ん、なに? ああ、あの声。また外に反対派が集まってるみたいだね。とりあえず新しいものに反対したいだけのクズどもがなぁ……」
「倫理がー」だの「神の意に反する」だの「生まれてくる子供がかわいそう」「罪を償え」だとかいって、この制度に反対する連中がたまに施設の外でデモを行っているらしい。警備は万全なので安心と言えば安心だから、おれはあまり気にはならない。でも、大野がすごい顔をして塀を睨みつけるので、おれはそれがなんだかおかしくて、いつも笑っちまう。
おれのお腹の中の子も、おれと血の繋がりはない。まあ、それはこの子にとっちゃ幸運だろう。どこぞの金持ちの老夫婦の精子と卵子で作られたのか知らないが、おれは見返り目当てにここで大人しく過ごすだけだ。
……でも、時々こんな夢を見ることがある。子供と手を繋ぎ、芝生の上を歩いている夢だ。芝生と言ってもこの施設のじゃない。どこかの公園だ。遠くに滑り台が見える。ながーくて、子供が絶対喜ぶやつ。
母親の姿はない。三浦ちゃんがいたりしないかなーとか起きた後に思い返したりもするが、おれと子供ふたりきりだ。遠くのほうから、大勢の子供の声が聴こえるが、その場にいるのはおれとその子だけ。
まだおぼつかない足取りで、おいっちに、おいっちにという感じで歩いて、かと思いきや急に駆け出したりする。で、木の根元にあったセミの抜け殻を見つけ目を丸くして、おれが指に乗せて近づけてやると怯えた顔して「もどしてあげてよー」なんて。
「あれ、どうしたんですかー?」
「いや……ちょっと夢をね……」
起きてぼんやりと夢のことを思い出してたら涙が出てきちまった。三浦ちゃんは不思議そうな顔しておれの顔を覗き込むも、さすが、てきぱきと健康チェックを済ませる。
かわいいなぁ。でも、抱きてぇじゃなく、このおなかの子にこんな風に育って欲しいなぁなんて、おれは思ってしまっている。誰にも言えないが。
「女の子ですってね。ふふっ、楽しみなんじゃないですか?」
おれは、ははははと笑ってごまかした。またおっかない顔の男に咳払いされた。
運動場に行くと、大野が浮かない顔してベンチに座っていた。日陰の白いベンチに座っていても、いつもなら裸電球みたいに明るい顔なのに。
気になったおれは少し明るい声を出すことを意識しつつ、声をかけた。話していると大野は「ああ」「うん」など気の抜けたような相槌を打ち、たまにフッと笑いもしたが、やがて黙り、大きく息を吐いたかと思えばこう言った。
「いやぁ、実はさ……三つ子みたいなんだよね」
「え、それは、おめでとうございます?」
「ああ、ありがとね。ひひひ……」
「ははは、いや、いいことじゃないですか。ほら、子供が多い分、ね」
「ああ、それはそうなんだけど、ちゃんと生まれるか心配になってきてね、この子たちがさぁ……」
大野はそう言って、服の上から自分のお腹を撫でた。出産経験者の彼もさすがに不安を感じているようだ。
「もし流産なんてしたらさ、俺、俺さぁ……」
大野の目からボタッボタッと大粒の涙が零れ落ち、ズボンにかかった影を濃くした。
「あ、あの、大丈夫ですよ……きっと」
「……出産未経験のくせに、軽はずみなこと言わないでよっ」
大野はキッとおれを睨みそう言った。どこか語尾が高かった。ホルモンバランスが乱れているのだ。マタニティブルーというやつらしい。
大野は自分がおれにそう思われていると気づいたのか、フンと鼻を鳴らすと同時に啜り、そして言った。
「なにさ、あんたもそのうちこうなるわよ。一回目の時なんてねぇ、すっごく怖かったんだから!」
どこか吹っ切れたように女口調の大野に感化されたのか、あたしも涙が出てきた。
「な、なによ、あんた、泣きだしちゃって、本当のことじゃないの。なーに、あたしを悪者にするつもり?」
「だって、そんな言い方しなくても、いいじゃないのよぉ!」
と、あたしも声を張り上げると職員が何だなんだと、あたしたちを見て、おれは急に恥ずかしくなった。大野もおれを泣かしてしまったことにばつが悪くなったのか「ごめん……」とボソッと漏らすように言った。あたしは声を出さなかったけど、首を振って、いいのよ、と伝えた。
喧嘩が始まるのかと思い、男たちがこちらに向かって歩いてきていたが、おれは三浦ちゃんが察して止めたことがとてもうれしかったの。
その後、何度か大野と顔を合わせることがあったが、わだかまりどころか、むしろ仲良くなった。
大きくなったお腹を見せ合い「中年太りね」なんて言って笑い合った。恥ずかしいから三浦ちゃんの前ではしないようにしているが、不思議なことにこの女口調で会話すると心が落ち着いた。妊婦友達というのは大切な存在だと、おれは強く思った。
施設には他にも妊娠している男が何人かいるが、スケジュールの都合上めったに会えない。きっと大勢で集まるのがよくないことなのだろう。不毛なマウントの取り合いでも始めてしまうのかもしれない。でも、三浦ちゃんのように施設の職員さんと時々話したりするので寂しくはなかった。他に男性職員や、あのおっかない顔の男にも妊娠していることを自慢げに話すのは気分がよかった。男が妊娠して何が悪いのよ。
「いよいよですね……」
「はい、三浦ちゃん……あの、手術は」
「ええ、お腹を切開するんですけど、でも大丈夫ですよ。麻酔も効いていますし」
「ええ。そうじゃなくて、三浦ちゃんもその、立ち合ったり……するのかな」
「え?」
「いや、そうならその、手を握っててほしいなって……あ! でも寝ちゃってるんですよね。わからないか、ははははは」
「握っててあげますね」
「……ありがとう」
おれはまた泣いてしまった。彼女もつられて目の端が光った。
「ははは……大野さんにも来てほしいなぁ」
「それは……」
「ああ、もちろん、わかってますよ。立ち合いは許可できないのそれに大野さん、もうこの施設にはいないんですよね?」
「ええ、先週の出産を機に施設を退所しました」
「ああ、でも一度言いたかったなぁ。おめでとうって……」
「ふふふっ、いつかまた会えますよっ」
「ははは、だといいなぁ……」
手術は本当にあっという間だった。いや、実際はどうか分からないが、眠っている間に終わった。
部屋のベッドに戻されていたおれは目が覚めると体を起こし、服をめくり上げた。
空気の抜けたボールのようなお腹には縦にガーゼが貼られており、そこをなぞるとまだ麻酔が残っているのか感覚はなかったが、あの子がここから出て行ったのか……とおれは涙を溢した。
消灯時間が過ぎ、暗い部屋にひとりきり。この喪失感を誰かと共有して欲しくて、でもできなくて、おれはおいおい泣いた。大野に会いたくて、三浦ちゃんに来てほしくて、男性職員でも誰でもいいから、そばにいて肩を抱いてほしかった。
せめて一目、あの子に会いたかった。おれが産んだ赤ちゃんに。おれはちゃんと産んであげられた? 痛いところとかない? 病気は? その子は答えられはしないだろうが、色々聞きたかった。声を聞きたかった。それに聞かせたかった。あたしなのよ。あなたとずっと一緒だったのは。あたしが守ってきたんだから、あなたはこの先もきっと大丈夫。そうよ、だってあたしの想いがあなたを守るんだから。そう伝えたかった。
おれは泣いた。もっと泣いた。おれもそうやって生まれてきたのかと思うと泣いた。そして他の人間も、そうやって誰かに愛され生まれてきたんだと気づくと後悔でもっと泣いた。おれは謝りたかった。色んな人にごめんなさいしたかった。もう、ひとりは嫌だと思った。
「どうですか、調子の方は」医者がおれに訊ねた。
「最近は落ち着いてきました」
「それはよかった。それで次はどうなさいますか?」
「もちろん、産みます。産ませてください。償いがしたいんです。おれが、あたしが殺してしまった人たちの分の命を……」
二人殺したので、その倍の四人産めば死刑を免除する。
そう持ちかけられたとき、おれは鼻で笑った。そんなことでいいのかよ、と。
独身は気楽だ。しようと思えば結婚なんていつでも――相手を選ばなければ――今は仕事に打ち込みより高いステータスを――なんて思えるのはせいぜい三十代だ。四十代、五十代と徐々に差し迫る現実をこれでもかと拝ませられると人は狂う。結婚は社会性を持たせるためのものだと、群れの中の個体の暴走を抑えるためだと気づいたときにはもう遅い。
基本的におっさんなど汚く醜くスケベだ。人から好かれる要素がない。既婚者という鎧が身を守ってくれるが、それがない者は露出狂と変わりない。焦り、衰えない性欲を剥き出しにし、距離感を間違え、嘲笑侮蔑。情けない。弱者弱者と社会全体がそんな風潮では誰かに憎しみをぶつけたくもなる。
おれはブレーキを踏めなかった。でも今は違う。ちゃんと償い、そしてたとえ結婚できなくとも植物のように温和で迷惑をかけず、この社会で生きたい。それを許してほしい。そう思う。
あらゆるものに感謝を。女が結婚しない自由。子を産まないで生きる自由。死刑反対。人権を尊重。人権人権、そう声高に叫ばれ、このような制度ができて感謝します。救済措置をくれてありがとう。おれは産みます。この国を救うため、自分自身が救われるために。
「では、三人産みましょうか」
「え、一気にですか?」
「ええ、最近また新しい技術がね、出てきてね」
「ああ、そう言えば大野さんも三つ子ちゃんでしたね。元気にしてるかなぁ」
「では、やるということで」
「もちろんです。だって一度に三人なんてそれで、終わりじゃないですか。はははは! なんならもっと産んでもいいんですよ。ノルマの分以降は報酬をいただけるんですよね?」
「ははははっ! 頼もしいねぇ。じゃあ、いっそ四人にチャレンジしてみようか!」
「ははははは! どんと来いですよ! ははははっ!」
――イッツア、マイベビー、フウゥゥゥゥ、ママはあなたに会える日を楽しみにしてるのよー。
おれは鼻唄をうたいながらお腹を撫で、迎え入れる子供たちのことを想った。
「あの、先生。あの人、本当に一度に四人を、ですか……?」
「ああ、いいチャンスだよ。本人にやる気がないと流産の可能性もあるからねぇ」
「でも、三人でも耐えられなかったのに……」
「母体が駄目になっても産めさえすればいいんだよ。ああ父体か。一人目を産んで心と体の慣らしも済んだことだし、大丈夫でしょう。
まあ駄目でも死刑囚だしね。国も彼らの命より子供を産ませること優先しているよ」
――オォ、ママァー、産んでくれてありがとねー、フゥゥゥゥーウゥー、オォーマイ、ベビィー……